陸自はドールズフロントライン、海自は艦これとアズールレーン、空自はアッシュアームズ三つの世界でバラバラになりながらでも生き残る 作:ゴーストライターとかした、素人小説書き
今や血と泥の塹壕に埋まっている
第25話 空の神兵は空に飛ばず地を這い回る
2013年九月十九日。
日本、桶狭間。政府軍作戦陣地。
天幕の中には、まだ夏の熱が残っていた。
広げられた地図の端を、空の弾薬箱が押さえている。土で汚れた靴が、机の周りへ並んでいた。
「全員、傾注。これより、回天作戦の詳細を説明する」
三佐の階級章をつけた男が、地図へ指を置いた。
その指が進む場所には、蓮の小隊が昨日まで見ていた道路もあった。
「この作戦が成功すれば、戦局は我々へ傾く」
蓮「その道は、昨日、敵の砲撃で塞がりました」
男の指が止まる。
蓮「迂回するなら、出発時刻も変わる。先に、その話をしてもらいたい」
「……君は誰だ」
蓮「第一空挺団、第一中隊第一小隊長。渡邉蓮少尉です」
「ああ。前の大戦の、裏切り者か」
隣に立っていた准尉が、僅かに顔を上げた。
蓮は、地図を見たままだった。
蓮「俺が誰でも、塞がった道は開きませんよ」
「貴様のような者が、作戦へ口を出すな」
蓮「小隊を通せと言われてるから、口を出してるんです」
男が机を叩いた。
蓮も、顔を上げた。
声を落とすことはできた。そこで黙ることもできた。
できると分かっていて、どちらもしなかった。
蓮「地図の上で走らせる分には、楽でしょうね」
「貴様――」
狛「はい。少し、失礼します」
准尉が、二人の間へ半歩出た。
狛「第一中隊第一小隊、副小隊長の正樹狛です。道路の報告は、私も確認しています。変更した経路を、こちらへ書かせてください」
男は、狛を見た。
彼女は怯まず、地図の脇へ記録を置く。
狛「時間の見積りも出します。そのうえで、ご指示を」
しばらくして、男は手を引いた。
「……その少尉へ、言葉の使い方も教えておけ」
狛「努力はします」
蓮の足を、狛の靴が軽く踏んだ。
余計な返事をするな、という意味だった。
蓮は口を閉じた。
*
説明を終えたあと、蓮は天幕の裏へ回った。
喫煙場所と書かれた板が、杭へ括られている。
煙草へ火をつけたところで、狛が隣へ来た。
狛「また、揉めましたね」
蓮「また、庇ったな」
狛「道の話をしただけっすよ」
蓮「とぼけるな」
狛は、笑った。
小隊の中ではよく聞く笑い方だった。天幕の中では、一度も聞かなかった。
狛「私の小隊長が連れていかれたら、仕事が増えるんで」
蓮「別の小隊長なら、もっと楽になるぞ」
狛「一年もバディ組んでるのに、まだそれ言います?」
彼女が、蓮の顔を横から覗き込んだ。
狛「ちょっとは、ありがとうって言えばいいのに」
蓮「……調子が狂う」
狛「照れてるんすね」
伸びてきた指を、蓮は煙草を持っていない手で払った。
狛は大げさに肩をすくめる。
そのまま、また何か言おうとした。
蓮「狛」
呼び方が変わったことに、彼女は気づいた。
狛「はい」
蓮「お前なら、ここを離れても、やれるだろう」
狛「何をですか」
蓮「人を見て、手を動かして、生活して。……こんな所にいなくても」
煙草の灰が、長くなっていた。
蓮は、それを落とした。
蓮「後方へ移る話があったろ。まだ、断ってないなら――」
狛「断りました」
早い返事だった。
蓮「俺の部下でいたいから、なんて言うなよ」
狛「それも、理由の一つっすね」
蓮「碌なことにならん」
狛「もう、碌でもない所にいますし」
笑っていた口元が、静かになる。
狛「私の道は、私が決めます。その責任も、私が持つんです」
蓮は、彼女を見た。
狛「蓮さんが全部決めたら、私、いつまでたっても副小隊長になれないじゃないですか」
言い返せる言葉を探した。
思いついたのは、前にも言った言葉ばかりだった。
蓮は煙草を消した。
狛「どこへ?」
蓮「少し、頭を冷やす」
狛「十六時には、出動準備っすよ」
蓮「聞こえてる」
背中へ、その返事だけを残した。
*
陣地の内側にある土手で、蓮は横になった。
空が見えた。
雲の動きまで、急いでいるようには見えなかった。
目を閉じると、天幕の中の声が戻ってくる。
裏切り者。
その前にも、その後にも、別の名前がついていた。
どの名前を呼ばれても、同じ身体で起き上がり、同じ銃を持つ。
蓮は、もう一度、空を見た。
それから、眠った。
起こしたのは、地面の震えだった。
身体を起こした時には、陣地の中央へ土煙が立っていた。
大きな天幕の形が、消えている。
蓮「……早いな」
土手を下りた。
走る先から、衛生兵を呼ぶ声が聞こえる。
天幕の支柱が倒れ、その下へ人が集まっていた。担架が来る前に、毛布を掴んで運んでいる者もいた。
「敵、接近! 東側!」
別の声が重なった。
蓮がそちらへ向いた時、狛が走ってきた。
狛「いた。ほい、小隊長」
差し出されたのは、蓮の八九式小銃だった。
その後ろに、まとめた装具もある。
蓮「後退か」
狛「後方本部から、陣地放棄。主力の位置まで下がれって。小隊には伝えてあります」
狛は、声を落とした。
狛「負傷者の搬出が、まだです」
蓮「動ける連中を、そっちへ回す。東側は?」
狛「第三小隊が、いま」
その返事の途中で、近くの遮蔽物へ弾が当たった。
狛が身を沈める。
蓮は銃を肩へつけ、陣地へ入りかけた影へ撃った。
影が引いた。
蓮「行くぞ。最後の組を拾う」
狛「了解」
呼び集めた隊員を、搬出路へ向けた。
蓮と狛は、その後ろへ残った。
泥を踏み、倒れた杭を越える。
頭上に、また音が来た。
蓮は狛の肩を掴んだ。
掴んだまま、横の窪みへ倒れ込む。
彼女が何か言った。
その声は、最後まで聞こえなかった。
*
蓮は、息を吸った。
土の匂いは、しなかった。
目の前には、卓がある。
湯呑みが並び、その一つに、冷めた茶が残っていた。
レン「お目覚めで」
いまの蓮は、椅子へ座り直した。
身体を使っているのは、まだ、別の自分だった。
蓮「どれくらい」
レン「君が目を閉じてからなら、六分ほど。外の時計は、ちゃんと進んでるよ」
蓮「……狛まで、引っ張り出すな」
レン「僕が呼んだわけじゃない。あの人が、思い出していたんだ」
蓮は、卓の向こうを見た。
いまは空いた椅子が、一つあった。
蓮「外は」
レン「合流へ向かってる。でも、あの人も、もう厳しい」
蓮「身体は一つだ。誰が動かしても、使った分は残る」
レン「その通り」
蓮「分かってて、無理をさせたのか」
レンは、蓮を見た。
笑う前に、少し間があった。
レン「立っていられるうちに、間を抜けたかった」
蓮「俺と相談する約束も、抜けたな」
湯呑みの縁へ置いた指が、動かなかった。
レン「……戻ったら、話そう」
蓮「忘れたことには、しないぞ」
レン「分かってる」
足元から、別の感覚が入ってきた。
冷たい床。
左肩を押さえるもの。
遠くで、自分の名前が呼ばれている。
蓮は、その声へ顔を向けた。
*
屋敷、食堂。
蓮が椅子へ手をついた時、AK-12は、その手が震えているのを見た。
隣のテムが支えようとしたが、蓮は先に首を振る。
蓮「……触るな。まだ、動ける」
言い終えないうちに、膝が折れた。
AK-15が受けた。
AK-15「動けていない」
蓮は返事をしようとした。
息だけが、先に出た。
AK-12「上着を緩めて。床の奥へ運ぶわ。左肩を引かないで」
RPK-16が椅子を退け、AK-15と一緒に、蓮を壁際へ移した。
厨房と続く戸口のそばに、水の入った容器が残っている。
AN-94が清潔な布を濡らし、戻ってきた。
AN-94「ヘルメットを外します。聞こえていますか」
蓮の手が、彼女の手首へ伸びた。
途中で、下がった。
蓮「……後は、任せる」
AK-12「何を?」
目が閉じた。
AK-12は呼吸を確かめ、名前を呼んだ。
応答はない。
左肩の包帯も、また湿っていた。
AK-12「熱が高い。消耗もしてる。起きると決めつけないで。AN、そばにいて」
AN-94「了解」
テムが、厨房側の扉へ顔を向けた。
床の向こうから、足音が近づいていた。
数は、一人ではなかった。
テム「来ます」
AK-15が、戸口を取った。
RPK-16はその横へ入り、AN-94と蓮の前に、机の脚が重なる位置を作る。
AK-12は短く発信した。
AK-12『こちら、食堂の六名。廊下側へ接近反応。救援班、位置を』
雑音が入った。
その間から、声が返る。
416『食堂の西側。こちらも六名。スプリングから、内部にいると聞いている』
スプリングフィールドの名を聞いても、AK-12は銃を下げなかった。
AK-12『桜が散る時』
416『希望が生まれる』
扉の外で、短い射撃が続いた。
416『通路を塞いでいる。こちらへ出ないで。内側は、どの壁際?』
AK-12『東の壁。蓮が倒れている』
返事が、一瞬、途切れた。
次に聞こえた声は、VSKだった。
VSK『外庭側の大型を止めます。全員、窓から離れて。こちらの射線に、室内は入りません』
AK-12が窓を確認した。
ガラスの外に、柱と、それを越える影があった。
庭から回り込もうとしている。
AN-94は蓮の頭を低く保ったまま、机の陰へ身を寄せた。
RPK-16が、テムを窓から引いた。
発射音がした。
爆発は、壁の外で起きた。
窓の残ったガラスが落ち、粉塵が床を滑る。
AK-15は、戸口へ戻って撃った。
外からの射撃と、音が重なった。
416『通路を確保。入るわ』
最初に現れた416は、食堂の端を見た。
続いてVSKが来る。
その後ろに、スコーピオンと、見慣れない人形がいた。
スプリングとロミアも、扉を越えた。
VSK「ボス」
膝をついた彼女の手が、蓮の胸元へ来た。
蓮は、ゆっくり目を開けた。
蓮「……爆発で起こすの、やめてくれないか」
VSKの手が止まった。
蓮は顔を動かそうとし、左肩の痛みに、息を詰める。
蓮「こっちは、もう起きてる」
AK-12「起きただけね。立つのは、こちらで確かめてから」
蓮「急に、扱いが丁寧になったな」
AK-12「さっきまでの扱いでは、倒れたもの」
蓮は、それには返せなかった。
VSKが、濡れた布を替えた。
416は扉へ一度、振り向く。
416「敵指揮官は、先にヘリで送った。ハルの側で受け入れている。私たちは、あなたたちを回収しに来たの」
蓮「……よかった」
その返事は、小さかった。
スプリングが、背中のケースを示した。
スプリング「記録も、持っています。盾は、この状態のままです」
蓮「壊れた物まで、よく持ってきてくれたな」
スプリング「置いていく判断は、戻ってからにしましょう」
蓮は頷いた。
それから、416の隣にいる人形へ目を向けた。
彼女は、蓮が顔を上げるのを待っていた。
89式「はじめまして。89式です。ハル指揮官の指示で、救援に来ました」
蓮は、その名前を聞き、自分のそばに置かれた小銃を見た。
もう一度、彼女を見る。
蓮「渡邉蓮。この小隊の指揮をしてる。……こちらの八九式とは付き合いが長いが、君とは、今日が初めてだな」
89式「はい。お話は、416さんから伺っています」
蓮「何を聞かされた?」
89式「軍人だったことと、仲間を残していくのが嫌いな方だと」
蓮の目が、416へ動いた。
416「後ろの方は、私の感想」
蓮は少し笑おうとして、胸の痛みに止めた。
蓮「……その感想が当たってるかは、これから見てくれ。来てくれて、ありがとう」
89式「全員で戻りましょう」
初めて交わした言葉は、それで終わった。
彼女はすぐに、扉を警戒しているスコーピオンの横へ戻った。
*
食堂の床へ、荷物が並んだ。
救援隊が持ってきた弾薬を、残りの少ない者から受け取る。
銃ごとに、使える物を確かめた。
袋が渡ったからといって、全員の弾が満たされたわけではなかった。
蓮は、水を少しずつ飲んだ。
左肩の包帯は、AN-94が押さえている。
AK-12「さっき、何が起きたの」
蓮「……説明が、短く済まない」
AK-12「短く済ませなくていい。いま、指示を聞いて、止まれる?」
蓮は、彼女を見た。
蓮「止まる。必要なら」
AK-12「なら、まず、座っていて」
蓮は、座っていた。
416が、手元の地図を開く。
416「回収地点は、P3・α。正面の車寄せよ」
蓮「……一番、出たくない所だな」
416「裏の道は、群れが入ってる。車両は正面へ回る。別の地点へ動かすにも、いまは情報が足りない」
蓮は地図を見た。
食堂から、正面ホールまでの距離は短い。
その短い距離へ、何体いるかが分からない。
ロミアが、そばへ来た。
ベネリM4を、銃口を下げて差し出す。
ロミア「これ、返す。残ってる弾も、一緒に」
蓮「使えたか」
ロミア「使えた。……これがなかったら、あの扉まで戻れなかったと思う」
蓮は受け取り、残弾を確かめた。
使った分は、戻らなかった。
蓮「じゃあ、貸してよかった」
ロミアには、廊下に落ちていた警備員の小銃を渡した。
AK-12が機関部を確かめ、弾倉に残っている弾も、その場で確認する。
テムのP226も確認した。彼女は、残った実包を数えてから、蓮へ見せた。
蓮「そっちは、そのまま持っていて。まだ、終わってない」
テム「……分かりました」
蓮は、食堂の中を見渡した。
最初にここへ入った六人。
後から来た六人。
十二人が、いまは同じ部屋にいた。
蓮「正面へ出る。俺と416、VSKで先を見る。後ろはAK-12。記録と、二人の警備員も頼む」
AK-12「先頭へ戻る前に、歩けるかを見せて」
蓮は、VSKへ手を借りて立った。
最初の一歩で、左肩が強く痛む。
次の一歩では、足の裏が床へ着く場所を確かめた。
VSKは手を離さなかった。
VSK「走る必要が出たら、私が支えます」
蓮「頼む」
その返事に、彼女は少しだけ目を上げた。
蓮「……今日は、頼むことが多いな」
416「今日は、で済ませたいなら、勝手に増やさないで」
蓮は、小銃の負い革を掛け直した。
短い距離で使うM4は、右側へ収める。
誰が身体を動かしたあとでも、肩の縫い目は、同じ所にあった。
*
廊下へ出たところで、先頭の一体がこちらを向いた。
416の射撃で、その上体が揺れる。
VSKが、横から来た影を止めた。
蓮は、倒れかけた相手を戸口の外へ押し、空いたところを進んだ。
後ろで、人数を呼ぶ声がした。
最後の者が角を曲がるまで、先頭も遠くへは行かなかった。
蓮「次の扉まで。止まって、後ろを待つ」
416は頷き、扉の向こうへ銃口を向けた。
壊れた家具の陰に、影があった。
撃つ。
その音へ、さらに奥の影が振り向いた。
蓮は、距離の詰まった一体へM4を向けた。
発射の衝撃が、胸へ戻った。
痛みを吸い込み、次の弾を送る。
VSKが、蓮の左側へ移った。
そこへ来る相手を、彼女が受け持つ。
蓮は、彼女を越して撃とうとはしなかった。
後方から、RPK-16の短い連射が聞こえた。
追ってくる群れを、扉の向こうへ押し戻している。
スプリングが、盾のケースをぶつけないよう横向きになり、狭い場所を抜けた。
89式はその前で、一つずつ扉の隙間を見ていた。
小さな観測器を差し入れ、見える範囲だけを確かめる。
89式「右の部屋、動くものは見えません。奥の扉は、閉じています」
AK-12「確認できない奥は、開けない。通り過ぎましょう」
ロミアが、小銃を持ち直した。
テムは、その横で、後ろを見ている。
自分たちの勤めていた屋敷の廊下だった。
壁のどの印も、いまの安全を教えてはくれなかった。
正面ホールが近づいた時、蓮は足を止めた。
床に、太い引きずり跡があった。
途切れた先は、崩れた壁の向こうへ続いている。
VSK「大型でしょうか」
蓮「……そうかもしれん。倒れたところは見たが、止まったところまでは見てない」
416「追わない。車寄せを取るわ」
蓮は頷いた。
壁の向こうへ残る音を、聞きながら進んだ。
*
屋敷へ続く道路では、AMVが曲がり角を越えていた。
ブレンは前方を見たまま、車内へ呼びかける。
ブレン「回収地点まで、もう少し。路面に、動くものがいる」
森の縁から、人影が出てきた。
歩き方が、揃っていなかった。
車両を避ける様子もない。
M2HB「警告されてた群れ、ここまで来てる」
MG42「正面の隊へ、伝えます」
彼女は送信し、座席の後ろを振り返った。
回収のために空けた空間には、固定具と、折り畳んだ担架がある。
持ち込む荷物が増えても、負傷者の場所だけは潰すなと、ハルから念を押されていた。
MG42『回収車、P3・αへ接近中。道路にもE.L.I.D.。到着したら、扉の前を空けてください』
416の返事が入った。
十二人。徒歩で、ホールまで来ている。
うち一名に、再出血と消耗。
MG42「……担架、要りそうです」
ブレンは、速度を落とした。
横転した荷車の陰から、また影が出る。
車体へ掴みかかる手を、M2HBが見た。
短く撃った。
影が路肩へ倒れる。
M2HB「先、通れる」
ブレン「その先も、見ていて」
AMVは、その間を抜けた。
屋敷の灯りは、まだ戻っていなかった。
*
2013年九月二十一日。
桶狭間、政府軍の塹壕。
蓮は、座ったまま眠っていた。
起きると、靴の底が泥へ沈んでいる。
十九日の陣地を離れたあとも、後退は一度で終わらなかった。
狛と合流し直し、小隊を集め、ここへ来た。
来た時にあった空間は、負傷者と、その荷物で埋まっていた。
狛「お、起きました?」
蓮「……寝てたか」
狛「ちょっとだけ。よく、ここで眠れますね」
彼女の顔にも、泥がついていた。
拭いた跡へ、また別の泥が重なっている。
近くで、誰かが母親を呼んだ。
その隣の兵士は銃を構えたまま、塹壕の外を見ていた。
聞こえていないのではなかった。
何度か目を向け、そのたびに、また前へ戻していた。
蓮「状況を」
狛は、持っていた記録を開いた。
狛「先行部隊との連絡、途絶。北の連隊は包囲されてます。敵の機械化部隊も、合流しました」
蓮「他」
狛「後方司令部が砲撃と爆撃を受けてます。電話も切れました。本部とは、いま繋がりません」
蓮「……全部、何時間の話だ」
狛「三時間くらいっすね」
蓮は、背中を土の壁へ預けた。
壁も、湿っていた。
蓮「ここへ、何と言ってきた」
狛「前線指揮所からは、死守」
後方へ繋がらなくても、ここを動かす人間は残っていた。
残っていて、動くなと言っている。
蓮「飛行支援は」
狛「F-1が来る予定はあります。敵も、A-10を出してます。こっちの上を押さえられる時間は、長くないかと」
蓮は頷いた。
機体の名前が違っても、地面にいる兵士へ落ちてくるものは同じだった。
来てくれるはずの味方を待つ間にも、敵は動く。
蓮「ここから、出られるか」
狛「普通に道を使えば、見られます」
蓮「それ以外なら」
狛は、周りを見た。
近くにいる隊員へ、聞かせたい話ではなかった。
狛「夜に、小さい組で抜ける。敵の前を崩して、後ろにある指揮所まで届けば……少なくとも、向こうの攻撃は乱せるかと」
蓮「その先は」
狛「飛行場まで使えたら、連絡と補給の道ができます。でも、そこまで欲張るのは」
蓮「厳しいな」
狛「厳しいっすね」
蓮は、手元の地図を見た。
味方の印より、空白の方が広かった。
蓮「何人、戻れる」
狛「分かりません」
その答えを、彼は待った。
狛「一割、戻れればいい方かもしれない。そんな案です」
蓮は、地図を畳んだ。
蓮「少し、話してくる」
狛「喧嘩しないでくださいよ」
蓮「今日は、相談しに行く」
狛「あの時も、そう言ってればよかったのに」
蓮は、それには答えず、塹壕を進んだ。
*
前線指揮所の天幕では、二人の将校が同じ地図を見ていた。
「敵の戦車部隊が到着している。ここに残れば、包囲が閉じる」
「それで、何を使って出る。弾薬は、もう一割だぞ」
「動かなければ、その一割も使い切る」
地図の端が、握られていた。
中央へ座った男が、顔を上げる。
信玄「……そこまでだ」
蓮は、入口で敬礼した。
蓮「渡邉少尉、入ります」
男の目が、こちらへ来た。
信玄少将だった。
かつて蓮が第403大隊にいた頃、その部隊を率いていた人だった。
蓮「お久しぶりです。……大尉と呼びかけるところでした」
信玄「いまは、少将だ。君も、所属が変わったな」
蓮の肩へ、視線が移る。
空挺の標章があった。
蓮「あなたが、助命してくださったおかげですよ」
信玄は、少し黙った。
その沈黙まで、蓮には見覚えがあった。
蓮「後方にいるかと思っていました」
信玄「現場を見た方が早い。南京でも、そう言っただろう」
蓮「変わってなくて、安心しました」
信玄「安心できる状況ではないな」
蓮は、地図を出した。
蓮「これより、少しだけマシにする話を」
「少尉の案で、戦局を変えられると?」
脇にいた将校が聞いた。
蓮は首を振る。
蓮「ひっくり返せるとは、言っていません」
信玄「……話せ」
蓮は、狛と確かめた場所を示した。
夜に動くこと。
前面を抜け、敵の連絡と指揮を乱すこと。
その混乱の間に、後退する道を作ること。
飛行場を使う話は、その先の条件として置いた。
全部を一度にできるようには、話さなかった。
信玄は、最後まで聞いていた。
信玄「損耗の見積りは」
蓮「実行する組の九割を失う可能性もあります」
将校の一人が、顔を上げた。
「九割だと。それで、何を残せる」
蓮「残った組が抜ける道を、作れるかもしれない」
「かもしれない、か」
蓮「はい」
その言葉より強い答えを、持っていなかった。
ここで強く言えば、人が出される。
出された人が、戻らない。
蓮は、地図へ目を戻した。
信玄「ここにいる空挺の隊員は」
蓮「残った兵力の、半分ほどです」
信玄「空から、後方へ送る案は」
蓮は、天幕の上を見た。
薄い布の向こうにある空は、見えなかった。
蓮「運ぶ機体が、そこまで届く保証がありません。降りる前に失えば、道も作れない」
信玄「空挺が、空へ上がれんか」
蓮「空の神兵は、地を這ってます」
誰も笑わなかった。
蓮も、笑うつもりで言ったわけではなかった。
塹壕の泥は、靴だけについているのではない。
腹にも、肩にも、顔にもあった。
伏せて進めば、次は口へ入る。
それでも、生きて次の場所へ行くには、そこを這うしかなかった。
信玄「すぐには、決められん」
蓮「分かっています」
信玄「他に道があるか、もう一度、確かめる」
蓮は敬礼した。
天幕を出る前に、信玄が呼んだ。
信玄「渡邉」
蓮「はい」
信玄「自分の小隊を、勝手に出すな」
蓮は、少しだけ顎を引いた。
蓮「命令を待ちます」
*
戻ると、狛は蓮の席を空けていた。
空いた席へ、水筒が置かれている。
狛「どうでした」
蓮「考えてくれる」
狛「お。殴り合いにならなかった」
蓮「信玄さんがいた」
狛「え。おやっさん、ここに?」
蓮「ああ」
狛「先に教えてくださいよ。挨拶くらいしたかったのに」
狛が、不満そうに顔をしかめた。
蓮は水を飲んだ。
蓮「お前みたいな副小隊長を持ってるとは、知られたくなかった」
狛「私がいなかったら、十九日、あの天幕でずっと説教されてますよ」
蓮「十九日の話を、何度もするな」
狛「反省しない人には、何度でも」
蓮は、水筒を返した。
狛の手が、受け取る。
その時、後ろから銃声がした。
二人とも、水筒から手を離した。
蓮は後ろへ向き、狛は前を見た。
声は、短くなった。
狛「前、私が」
蓮「後ろを見る」
近くの隊員にも、伏せろと伝える。
塹壕の脇を、敵兵が進んでいた。
砲撃の音へ紛れて入ったのか、最初から残っていたのかは分からない。
狛は土の張り出しを使い、先頭が顔を出すのを待った。
一発。
先頭が消え、後ろの者が反撃する。
彼女は低くなったまま、別の位置へ移る。
蓮の方でも、撃ち返す音がした。
連絡路へ入ろうとした敵を止め、隣の隊員へ位置を伝える。
その隊員が撃っている間に、蓮は狛の側へ戻った。
狛は、塹壕の底から相手の銃を押し上げた。
近づきすぎた兵士が、足を取られる。
短い争いのあと、彼女はすぐに壁へ身を寄せた。
先ほどの、不満そうな顔はなかった。
蓮も、軽口を言わなかった。
二人で止めたのは、ここへ入ってきた最初の組だけだった。
その後ろに、別の組がいた。
狛「北から、増えます。向きは指揮所です」
蓮は、塹壕の中を見た。
負傷者を抱えている隊員がいる。
銃を取ったまま、立とうとしている者もいる。
蓮「この枝は捨てる。運べる者を運んで、第三小隊の位置へ。指揮所までの間を、塞ぐぞ」
狛「了解」
蓮が前へ出た。
狛は最後の組が動くのを待ち、それから追った。
飛行機は、来なかった。
空を見上げる時間もなかった。
二人は、低い土の壁を辿って進んだ。
*
男は、目を開けた。
塹壕は、もうなかった。
卓の向こうで、レンが片手を上げる。
レン「お帰り」
蓮(空挺)「……何を笑ってる」
レン「君も、ちゃんと帰ってくるんだなって」
男は、椅子へ深く座った。
外で身体を手放してから、狛の声が、ずっと近くにあった。
眠っても、静かにはならなかった。
蓮(空挺)「あいつの真似をするな」
レンの手が、下がった。
レン「しないよ」
蓮(空挺)「仲間を、残していないな」
レン「十二人、合流した。いまは、あの人が動かしてる」
いまの蓮の椅子は、空いていた。
男は、その椅子を見た。
黙っているうちに、卓の湯呑みへ手が伸びる。
茶は、冷めていた。
蓮(空挺)「……身体を、使いすぎた」
レン「それも、向こうへ残ってる」
男は、湯呑みを置いた。
レン「次は、相談してからにする」
蓮(空挺)「あいつに言え」
レン「言うよ」
男は、目を閉じた。
少しして、また開く。
蓮(空挺)「お前は、何を待っている」
レンの視線が、空いた椅子の、さらに向こうへ動いた。
そこにも、椅子はあった。
レン「君が、自由になる時かな」
蓮(空挺)「自由?」
レンは、笑いかけた。
その言葉が何を指すのか、男には分からなかった。
レン「……いまは、帰るところまで」
男は、それ以上、聞かなかった。
*
屋敷、正面ホール。
蓮は、折れた椅子の脚を放した。
近づいてきた一体を押し返すのに、使った物だった。
倒れた相手の先へ、416が撃つ。
もう、こちらへ入ってこない。
AK-15が入口を見て、短く報告した。
AK-15「この周囲は止まった。奥は、まだ動いている」
蓮「そこまででいい。取りに戻らない」
正面扉の片側を開けた。
外の車寄せが見える。
道路からは、まだエンジンの音が届かなかった。
車両の通信は、迂回して接近中と告げていた。
ホールを使い、到着までの数分を待つ。
RPK-16とAK-15が奥へ銃口を向け、スコーピオンは外側を見る。
ほかの者も、交代で弾倉を確かめた。
蓮は、壁のそばへ腰を下ろした。
小銃から銃剣を外し、鞘へ戻す。手の届く位置へ収めてから、負い革を緩めた。
手が、胸のポーチへ行く。
取り出した細い道具を見て、89式が顔を向けた。
89式「それは、煙草のパイプですか」
蓮「煙管。……キセルって呼ぶ」
口元へ持っていこうとしたところで、VSKの手が止めた。
VSK「いま、吸うつもりですか」
蓮「……癖で出した」
416「そのまま戻して」
蓮は、火をつける前の煙管をしまった。
89式は、そのやり取りを見ていた。
89式「お話で聞くのと、実際にお会いするのは、違いますね」
蓮「初対面で、あんまり立派な所を見せてないな」
89式「お話の方も、立派なことだけではありませんでした」
蓮が416を見る。
416は、銃から目を離さなかった。
416「間違っていないことは、話してる」
蓮「それが一番、困るんだよ」
AK-12が、蓮の横へ座った。
彼女も、長く休むつもりはなかった。
AK-12「なら、本人から聞かせてもらおうかしら。記録にないことが、多すぎるわ」
蓮「さっきの話は、ここでは――」
AK-12「全部じゃなくていい。話せることから」
蓮は、ホールを見た。
初めて会った人形がいる。
初めて味方になった警備員もいた。
自分について何を知っているかは、一人ずつ違っていた。
蓮「渡邉蓮。三兄弟の長男だ」
ロミア「兄弟が、いるんですか」
蓮「次男が隼人。三男が勇翔」
テムの目が、少し動いた。
ロミアは、続きを待っていた。
蓮「いまは、二人とも行方が分からない」
声が、小さくなる。
蓮は、入口へ目を向けた。
ロミア「それは……」
蓮「そこから先は、また今度にしてくれ」
ロミアは頷いた。
蓮も、彼を見て頷いた。
次に、AK-12へ顔を戻す。
蓮「元の世界では、特殊作戦群の第五小隊で、小隊長をしていた」
AK-12「第五」
蓮「俺がいた頃の編制だ。第一は空から、第二は海。第三は山、第四は街。第五は、そのどこにでも出すための小隊だった」
89式が、静かに聞いていた。
彼女の知る編制と同じだとは、誰も言わなかった。
蓮「得意なことだけしてれば済む、とは言われなかったな。乗り物も、指揮も。足りない所から、覚えさせられる」
416「その前は?」
蓮「第一空挺団。その前が、第403大隊」
AK-12の指が、手元の記録へ動いた。
初めて聞く順序だった。
先ほどの蓮の変化が何だったかは、その順序を聞いても分からない。
AK-12「空挺にいたのね」
蓮「ああ。空へ上がれない日も、随分あった」
頭の中で、泥の匂いがした。
蓮は、ホールの床を見る。
靴の底には、別の場所の土がついていた。
蓮「……趣味は、寝ること。食べること。武器の手入れ。酒と煙草。あと、寝ること」
RPK-16「睡眠が二回、入りましたよ」
銃を向けたまま、彼女が言う。
蓮「いま、三回目を入れたい」
AK-12「それは、戻ってから聞くわ」
小さく笑う声がした。
蓮は、息を整える。
蓮「結婚は、してない」
416「そこまで、聞いてないけど」
蓮「自己紹介って、そういうことも言うだろ」
VSK「……お付き合いしていた方は」
蓮は、彼女を見た。
蓮「いた。今は、別れてる」
VSKが黙った。
416も、少しだけ銃口を直した。
89式は、二人を見比べた。
89式「いまの質問は、身元の確認ですか」
スプリング「そこは、戻ってからにしておきましょう」
蓮は、頷きかけた。
その時、床の上に、細かな粉が落ちた。
全員の顔が、話していた方とは別へ向く。
壁の奥で、重いものが動いていた。
*
最初に崩れたのは、側廊へ続く壁の上だった。
砕けた塗り壁が、床へ落ちる。
その向こうから、長い腕が出た。
蓮「下がれ!」
蓮は立ち、VSKを扉の方へ押した。
自分も下がろうとした。
倒れた椅子へ、足が引っかかった。
腕が、横から来た。
M4を抱えた右腕で受ける。
受けても、止まらなかった。
胸へ衝撃が入り、壁へ背中が当たった。
息が、出たまま戻らない。
床へ落ちた銃が、転がる音がした。
VSK「ボス!」
声へ顔を向けようとして、できなかった。
咳が出る。
口の中に、血の味がした。
あの庭で上体を伏せた大型だったのか、別の個体だったのか。
確かめる間はなかった。
高い位置にある肩が、正面扉を半分、隠していた。
ほかの者も、動いていた。
416が前へ出る。
AK-15とRPK-16が、残った側廊から来る影を止める。
89式はテムとロミアを扉の陰へ引き、スプリングは記録を抱え直した。
誰も、殴り合いを見物してはいなかった。
VSKが、蓮のそばへ膝をついた。
VSK「動かないで。いま、出します」
蓮「……まだ、前に」
言おうとした言葉が、咳に変わった。
胸が痛い。
左肩も痛い。
どちらの痛みで立てないのか、自分でも分からなくなっていた。
敵の腕が、416のいる場所へ振られる。
彼女は横へ避けた。
扉の枠が、砕けた。
蓮は、閉じかけた目を開いた。
蓮(……聞こえてるか)
レン(聞いてる)
蓮(俺じゃ、もう、動けん)
今度は、頼む側から言った。
同じ身体しかないことも、分かっていた。
蓮(終わらせに行くな。ここを、抜ける)
レン(仲間を傷つけない。撤収を変えない)
蓮(……その約束、今度は守れ)
蓮の右手が、床へついた。
力が抜ける。
次に動いた時、その手は、VSKの袖を掴んだ。
レン「落ち着いて。立たせるのは、あと」
VSKは、その声を聞いた。
声そのものは、蓮だった。
呼吸は苦しいままなのに、口の動かし方だけが違った。
VSK「……蓮?」
レン「いまは、僕が借りる。さっきの人とは、別」
VSKの目が、AK-12へ向いた。
彼女は、通信機を握ったまま、こちらを見ていた。
AK-12「誰が動かしても、傷は変わらないわよ」
レン「知ってる。長くは、使えない」
レンは、床を見た。
倒れた小銃は、少し離れた場所にある。
M4は、大型の足元へ転がっていた。
右手で、銃剣の柄を掴む。
VSKが止めようとした。
レン「取りに行かない。こっちへ来た分だけ、止める」
416の射撃へ、大型が上体を向けた。
その足が、椅子を踏んだ。
崩れた脚が、足首の下で折れる。
レンが、その一瞬へ身を起こした。
踏み込んだ先で、顔へ向かってきた腕を外へ押す。
腰から立ち上がる動きには、蓮の知る速度以上のものがあった。
だが、左肩からは、また血が出た。
傷を抑えたのでも、治したのでもなかった。
止まれという身体の訴えを、止まる理由にしなかった。
レン「足、止めて!」
AK-15が撃つ。
大きな脚が折れかけ、その上体が下がった。
レンは、伸びた腕を壁の縁へ押しつけた。
鈍い音がした。
自分の胸にも、同じ衝撃が戻る。
喉の奥へ、血が上がった。
それでも、一度だけ、顔を上げた。
レン「……力は、あるね」
大型が、こちらを見る。
レンは、裂けていた顎の下へ刃を入れた。
止めきれるほど深くは、入らなかった。
相手の頭が上がる。
そのまま押さえていれば、また腕が来る。
レン「416。離れるよ」
彼は手を放した。
VSKが襟の後ろを掴み、引いた。
空いた線へ、416が撃つ。
大型の頭が、後ろへ振れた。
倒れかけた身体は、扉の前へ残った。
まだ、動いていた。
窓の外から、別の音が来た。
MG42『着きます! 正面から離れて。銃を向けたまま、外へ出ないでください』
416が、レンとVSKを壁へ寄せた。
ほかの者も、正面扉の線を空けている。
AK-12が、入口側へ向いた。
AK-12『大型一体。扉の内側。味方は左右の壁際。車寄せへ出る前に止めたい』
車両が、ホールの前を横切った。
M2HB『正面へ撃つ。まだ、出ないで』
車載火器が、短く発射された。
開いた扉の間から、大型の上体へ当たる。
床に、大きな身体が落ちた。
腕が動く。
もう一度、撃った。
扉へ伸びていた手が、下がった。
車両の音が、低くなる。
レンは、壁へ背中をつけた。
銃剣に絡んだものを、指で外す。
その指を、口元へ上げかけた。
AK-12「捨てなさい」
手が止まった。
レン「……肉は、肉だよ」
VSKが、その手を見た。
89式も、言葉を失っていた。
AK-12「何を借りていても、その身体で勝手に食べないで」
レンは、AK-12を見た。
それから、指を開いた。
床へ落ちたものを、誰も拾わなかった。
彼は、手を下ろした。
レン「約束、そこまで入ってたか」
AK-12「いま、入れた」
笑おうとした口から、咳が出た。
身体が、前へ折れる。
VSKが受けた。
VSK「もう、動かないで」
レンは、返事の代わりに、右手を上げた。
その手も、途中で止まった。
AK-12は立ち、外へ通信した。
AK-12『負傷者一名、歩行できない。担架を。胸部への打撃、呼吸苦と出血。収容後、すぐに医療班へ繋いで』
彼女は、原因を決めつけなかった。
見たものと、起きていることを、順に伝えた。
AN-94が、救護用の包みを開く。
左肩へ、また圧が掛かった。
痛みは、レンの顔にも戻っていた。
*
M2HB「みんな、こっち!」
車両の後ろで、手が上がった。
MG42が開いた扉の脇へ降り、担架を出している。
蓮の装具を、VSKとAN-94が確かめた。
窮屈になっていた留め具を緩め、身体を大きく捻らず移せるようにする。
ヘルメットは、スコーピオンが拾った。
小銃とM4は、416が回収した。
銃剣も、鞘へ戻される。
ここへ置く物を、蓮本人に選ばせる余裕はなかった。
AK-15が担架の片側を持つ。
VSKは頭側へついた。
レンは、目を開けていた。
開けているだけで、歩こうとはしなかった。
レン「……家に、帰るか」
VSK「帰ります」
彼女の声へ、視線が動いた。
そのあと、目が閉じた。
VSKは、名前を呼んだ。
唇が、僅かに動いた。
どちらの返事なのかは、分からなかった。
いまは、呼吸が続いていることを確かめた。
担架が、車内へ入る。
89式が中で固定具を受け取り、AN-94がそばへ座った。
スプリングは盾のケースと記録を、担架に当たらない位置へ収める。
ロミアとテムも乗った。
テムはP226を下げ、狭い通路を横向きに抜けた。
その後ろへ、RPK-16とAK-12が入る。
荷物を寄せた車内に、余った場所は少なかった。
それでも、負傷者のそばだけは空けた。
スコーピオンが人数を数える。
スコーピオン「十二人。乗った。荷物も、こっち」
416が、最後に外を見た。
側廊の奥では、まだ音がしていた。
扉を閉める。
416『回収対象、十二名収容。車両の三名を合わせて、十五名。出て』
ブレン「了解」
AMVが動いた。
車寄せの縁を越える時、担架が少し揺れた。
VSKが、蓮の頭側へ手を添えた。
89式は、固定した留め具をもう一度見た。
初めて会った人だった。
名前を聞き、礼を言われ、過去を少しだけ聞いた。
そのあとに見たものが、同じ人の全てだとは、まだ思えなかった。
彼女は、判断を急がなかった。
戻ってから、もう一度、本人の声を聞けばいい。
聞けるように、いまは帰す。
通信機から、ハルの声が入った。
ハル『受け入れは用意してる。状態が変わったら、すぐに伝えて。全員、戻ってきて』
AK-12が、蓮の呼吸を見たまま返す。
AK-12『了解。医療への引渡しまで、こちらで見ています』
スプリングは、記録の入った袋へ手を置いた。
捕虜は、先に送った。
記録は、ここにある。
誰も、屋敷へ置いてこなかった。
車体が曲がり、窓から見えていた玄関が消えた。
担架の上で、蓮の右手が僅かに動いた。
VSKは、その手のそばへ自分の手を置いた。
握れとは、言わなかった。
車両は、屋敷から離れていった。
HI!
お久しぶり
また長くなっちゃったね
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2026年10月6日リメイク完了
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