時は八月。
関東に位置する川神市では連日猛暑が続いていた。
市内では帽子や日傘で日光を防ぐ者、スポーツドリンクで水分補給する者、クーラーの効いた建物内に避難する者など、各々があらゆる方法で暑さから逃れようとしている。
そんな中、いかにも季節はずれなコートを着ながらも涼しい顔で街を行く青年がいた。
「忠勝、体は大丈夫ですか?」
「復帰してからどれだけ経ったと思ってんだ。もう心配はいらねぇよ」
左胸についているラルヴァからの気遣いに答える忠勝。
彼の傷が完治してから約一ヶ月が経過しており、その間のエレメント浄化やホラー討伐は順調に行われていた。
この日のエレメント浄化を終えた忠勝は、現在大和の屋敷へと向かっている。
「ホラー頻出について話があるとのことでしたが…」
「まず俺じゃなく、番犬所に報告するべきだと思うがな」
「いや、番犬所には既に話は通っているよ」
ラルヴァと話しながら歩く忠勝に話しかける者がいた。
その人物は着物のような魔法衣を纏い、右手に扇子を持っている青年である。
尤も忠勝は声を聴いただけでその人物が誰かは気づいていた。
それもそのはず、忠勝はしばらくその青年の世話になっていたのだから。
「京極さん。しばらくぶりです」
「久しいな源。その後、大事ないようで何よりだ」
青年の名は京極彦一。
以前ホラーとの連戦で負傷した忠勝を治療していた若き魔戒法師である。
忠勝と同様に川神市を管轄としており、主に騎士の治療や魔導具の修復といったサポートを行っている。
彦一は魔法衣の懐からライター型の魔導具を取り出し、忠勝に差し出した。
「君の魔導火の修復が完了した。受け取りたまえ」
「すんません…これを届けに来た、というだけじゃないですよね」
「うむ。私も直江大和の家に向かっているところだ」
受け取った魔導火を仕舞いながら問う忠勝。
京極の話によれば、大和の報告を受けた神官イスマから大和に協力するよう指令が出たらしい。
これまで忠勝の治療や破損した彼の魔導具の修復・整備に時間を割かれていたが、それらの仕事も終わり今日から本格的に大和と連携していくことになったという。
その説明の後、彦一はやや笑いながらこう付け足した。
「騎士でありながら法師としての修行を積んだという直江大和には少し興味がある」
「…そうっすか」
常に冷静で18歳とは思えないほどに大人びいている見た目に反して、彦一は好奇心旺盛な人物である。
興味を持った人間を観察するのが趣味で、風間ファミリーを始めとする川神市内でもキャラの濃い面々がその対象だ。
それを考えれば、大和が彦一の興味の対象になるのも頷ける。
法術を使う騎士は確かに存在するが、人数はごくわずかである。
その中でも大和は魔戒霊獣を従えている分、特異な存在と言える。
「そういや、直江の従えている魔戒霊獣ってのは一体何なんです?法術の一種ですか?」
「ふむ。確かに魔戒法師の術には魔界の生物を召喚するものもあるが、魔戒霊獣はそれとは一線を画すものだ。まあ、詳しい話は後でもいいだろう」
そう言って、彦一は右手の扇子で前方を指す。
忠勝がその方向を見ると、目的地である大和の屋敷が見えた。
話しながら歩いている内に到着していたようだ。
事前に大きな屋敷だとは聞いていたが、実際に見てその大きさに忠勝は少々驚く。
宇佐美が見たら腰を抜かすのではないだろうか。
彦一と玄関の前に立った忠勝は呼び鈴を鳴らす。
数秒後に扉が開かれ、二人を出迎えたのは――
「タッちゃん!京極さんもいらっしゃい!」
「…は?」
出迎えたのは一子だった。
意外な人物の登場に、流石の忠勝も戸惑いの声を上げる。
もしも一子がいつものように「動きやすいから」と言ってジャージ姿であれば、友人の家に遊びに来ていたとかトレーニングの合間に寄ったとか色々と説明がつく。
しかし、忠勝は戸惑っていた。なぜなら――
「一子…何だその格好?」
「え?メイド服だよ?」
一子が着ているのがメイド服だったからだ。
平然と答える一子に、忠勝はさらに困惑する。
少なくとも彼の知る幼馴染にはコスプレの趣味はなかったはずだ。
そもそも一子がメイドとして誰かに傅く姿など全く想像できない。
「何だってそんな恰好を…」
「今日はファミリーの皆で大和の家の手伝いに来たの」
ほら、と一子が屋敷の中を指さすと、モップや雑巾で掃除をしている風間ファミリーの姿があった。
女性陣は全員メイド服姿で、翔一や岳人は私服姿だった。
なのに、なぜか卓也もメイド服で掃除をしている。
しかも心なしか楽しそうだ。
忠勝は一子ほどファミリーのメンバーと付き合いがあるわけではないが、仮にも知り合いである人物が変わった趣味に目覚めてしまったのではないかと少々心配になる。
そんな彼をよそに、彦一は興味深げにファミリーの姿を見ていた。
「ほう。武神のメイド服姿とは何とも珍妙な光景だな…」
「見世物じゃないぞ京極~。というか、お前も大和の関係者だったのか」
武神としてその名を世界に轟かせている百代がメイド服姿で掃除する姿など、一体だれが予想するだろうか。
ちなみに彦一は表向き実家の提灯屋の跡取りとして、川神市民との交流もあるため百代たちとは当然知り合いである。
普通に言葉を交わしている様子を見て、もしやこの状況に疑問を抱いているのは自分だけなのかと忠勝は頭を抱える。
「お?どうしたゲンさん?」
「…いや、何でもねぇ。ところで直江は?」
「大和は書庫におられます。こちらへ」
雑巾で窓ガラスを拭いている翔一が声をかけたが、忠勝は適当に返した。
案内役となったシオンの後をついていくと、屋敷の奥にある扉の前で止まりノックする。
「大和。源様と京極様がお見えになりました」
「ああ。入ってくれ」
書庫の中にいる大和の返事を受けて、シオンが扉を開いて忠勝と彦一を中に通す。
書庫には数多くの本棚が並び、その中には魔界文字で記された本が所狭しと収められている。
大和は書庫の中央あたりに置かれたテーブルの前で二人を出迎える。
「ようこそ、我が家へ」
「随分とデカい所に住んでやがるな」
「武道場とここにある本を置く場所を確保するためには、それなりにデカくなきゃな」
書庫内の本棚を見渡しながら忠勝に答えた大和は、彦一の前に立つ。
「初めまして。直江大和です」
「その相棒のゼルバだ。よろしく」
「京極彦一だ。挨拶が遅れてしまってすまない」
大和と彦一が顔を合わせるのはこれが初である。
忠勝の治療のために川神山の結界の中に籠っていたとはいえ、同じ管轄となった大和に対する挨拶が遅れたことを彦一は詫びた。
「これからは、私も君の調査に協力させてもらおう」
「で、その調査の方はどうなってるんだ?」
「とりあえず現状報告だ。二人共、座ってくれ」
忠勝から説明を促された大和は、忠勝と彦一をテーブルのイスに座らせる。
テーブルの上には大和が川神市に来てから出現したホラーとの交戦地点を記した地図や、出現したホラーに関する資料が置かれていた。
「俺が川神市に来てから今日まで約二か月、その間に出現したホラーの数は20体を越えている」
「改めて聞くと、異常な数だな」
「ホラーの数が20以上ということは、それだけのゲートが発現しているということ。しかしエレメントの浄化を行っていてもなお、短期間でこれだけの数が現れているというのは…」
「ええ。少々、というよりかなり不自然です」
陰我を宿したオブジェがゲートとなる前にそのエレメントを浄化出来れば、ホラーの出現を未然に防ぐことが出来る。
それでもホラーの数が多いということは、エレメント浄化を上回るペースでゲートが現れているということになる。
「可能性として考えられるのは…こっちの世界に潜伏しているホラーがオブジェに宿った陰我を増幅させて、人為的にゲートに変えているということだ」
「陰我の増幅?そんなことが出来るのか?」
「まだ仮説だけどな。一応根拠はある」
そう言って、大和はテーブル上の資料の中から一冊の本を手に取り、忠勝と彦一の前に置いた。
開かれたページには魔界文字で書かれた文章と、巨大な傘のような絵が描かれていた。
「二人とも『大災厄』については?」
「大災厄…五百年に一度起こるアレか?」
『五百年に一度の大災厄』。
魔界に出現した巨大なエレメントによって召喚された千のホラーが、地脈をゲートとして人間界に押し寄せる災いである。
それを阻止するためには異空間へ渡る手段を持った魔戒騎士が先んじて魔界に赴き、エレメントを破壊するしかない。
大和が二人に見せた資料の絵は、過去に魔界に突入した騎士が見た巨大エレメントを描き残したものだ。
「その大災厄が、どうしたのかね?」
「巨大エレメントが出現する原因については諸説あります。その中で最も有力と言われているのが、『人間界のゲートを通して魔界に漏れ出した陰我が、魔界に蔓延している邪気によって五百年かけて増幅・蓄積された結果、エレメントとして具現化する』という説です」
「魔界の邪気が陰我を強める…魔界の住人であるホラーにもそれが可能だと言うのか」
「ホラーの中にゃ、ゲートを増やして他のホラーを人間界に呼び寄せようとする奴もいるからな。ありえない事じゃねぇ」
大和の説明に、ゼルバが補足を入れた。
陰我がホラーを呼び寄せるのだから、陰我がゲートを通じて魔界に渡ることも、巨大エレメントが陰我から生まれるということも理解出来る。
ホラーが本当に陰我を増幅出来るとすれば、大和の立てた仮説も納得出来る。
だとすれば、問題は――
「問題は、ゲートを作っているホラーがどこにいるかってことか。そんなホラーがいるのなら、番犬所が探知しててもおかしくないはずだろ」
「神官イスマにも確認したんだが、今まで俺やゲンさんが倒したホラー以外の気配は全く探知されていないらしいんだ」
番犬所がホラーの出現を察知出来ないことはまずあり得ない。
松風という例外はいるが、松風の場合は身動きすら出来なくなるほどに自分の力を封じた状態になったからこそ、ホラーとしての気配を隠し通してきたのだ。
「ただ、結界で身を隠すホラーもいる。可能性はゼロじゃない」
「なるほど。いずれにせよ、今後は入念な探知が必要になるということか」
「ゲンさんはこれまで通りホラー狩りを、京極さんには探知に手を貸して欲しい」
「了解だ」
「うむ。任せたまえ」
川神市に潜む敵を探るべく、各々の役目を確認する。
そして話し合いが丁度終わったタイミングで書庫の扉がノックされた。
大和が返事をすると、入って来たのは一子だった。
「掃除が終わったから、これからみんなでお茶にするの。三人も一緒に休みましょ」
「丁度いい。こちらもひと段落したところだ。ご相伴に預かるとしよう」
「あー悪い。俺はまだ行けない」
「ん?何かあるのか」
「大和はこれから、下の武道場に用があるのさ」
問い掛けたのは忠勝だったが、答えたゼルバの言葉に最も強く反応したのは一子だった。
「武道場ってことは、修行するの?アタシ見学したい!」
「…直江。まさか一子たちと一緒に修行とかしてないだろうな」
「いやいやそれはしてないって…何度か見学はされてたけど」
風間ファミリーのメンバーは頻繁に大和の屋敷を訪れており、特に今の時期は川神学園が夏休みに入っているため頻度が増している。
何度か大和が武道場で修行している時に来たこともあり、その様子をよく見学していた。
大和の修行では風の牙のような危険な武具を使うこともあるため、彼女らに同じ修行をさせることだけは認めなかったが。
今回も騎士としての修行かと思い、期待の眼差しを向ける一子。
そんな彼女に対して、大和はテーブルの上の資料を片付けながら答えた。
「期待させて悪いけど、これからやることは見ててもつまらないぞ?傍から見りゃただ座禅してるだけだし」
「座禅?精神修行ってこと?」
「そんなもんだ。じゃ、ゲンさんたちは先に行っててくれ」
資料を片付け終え、大和は武道場に向けて廊下を歩き出した。
一子に連れられて忠勝と彦一がリビングに着くと、そこでは既に風間ファミリーがソファーに座って談笑しており、シオンとアイシスが茶と菓子を用意していた。
三人が来たことに気づいた京が問い掛けた。
「あれ、大和は来ないの?」
「うん。まだすることがあるから先に行っててくれって」
ソファーの空いたスペースに座りながら一子が答える。
忠勝は、未だにメイド服を着ている卓也に何故誰もツッコまないのかと疑問に思いながらも、一子の隣に座った。
そして彦一は、由紀江の掌の上にいる松風を観察していた。
「見事な封印だな。直江の魔戒法師としての能力は確かな物のようだな」
「あ、あの…」
「案ずるな。ここで狩ってしまおうなどとは思っていない」
彦一は不安そうな由紀江を安心させるように言った。
大和によってストラップに封印された松風はもうホラーとして活動出来ないとは言え、誰しもがその存在を許すとは限らないのだ。
彦一の言葉を聞いて由紀江が安堵する一方で、クリスが疑問の声を上げる。
「魔戒法師?大和は騎士ではないんですか?」
「剣と鎧を用いてホラーと戦う者たちが魔戒騎士、それに対し、法術を操る者たちを魔戒法師と呼ぶ。剣と術の両方を操る直江は、騎士であり法師でもあるのだよ」
「ゲームで言えば、剣士と魔法使いって感じですか?」
「そうだな、その解釈は概ね正しい」
卓也に頷く彦一。
魔戒法師は、この世に魔戒騎士が誕生する以前からホラーと戦っていた。
しかし次第に強大になっていくホラーに対抗出来なくなり、やがて戦闘に特化した魔戒騎士が前線に立ち、魔戒法師たちは魔戒騎士たちのサポートに回るようになった。
「とは言え、全ての魔戒法師が魔戒騎士に劣るわけではない。法師の中には体術にも長け、騎士に匹敵する力を持つ者もいる」
「ほ~、京極もそうなのか?」
「私は体術に関してはそれほどでもない。法術には自信があるがね」
「…いいんですか京極さん。そんなに喋って」
「彼らはこちらの事情を知っている。口外されなければ特に問題でもあるまい」
「それに関しては大丈夫だ。大和との約束があるしな!」
風間ファミリーは全員ホラーと遭遇し、大和が騎士として戦っていることを秘密にしておくと約束した。
彼らが仲間を大切にしていることは忠勝も知っているため、彼らが約束を破って情報を言いふらすことはないだろうという結論に至った。
「そう言えば、大和さんは何をなさっているのでしょう?」
「下の武道場で座禅組むって言ってたわ」
「座禅か…そりゃ見ててもつまんねぇな」
「キャップは大和の修行見るの好きだよなぁ」
「だってよ、剣振ってるのメッチャカッコいいんだぜ!?俺も真似してぇんだけど、大和絶対あの剣貸してくれなくてさぁ!」
昔からヒーローやカッコいい物好きな翔一にして見れば、魔戒剣を自在に操り修行する大和の姿は正に理想だった。
興奮気味に話す翔一に、忠勝は呆れながら言った。
「そりゃそうだろ。仮に魔戒剣を貸したとしても、お前には操れねぇよ」
「え、なんでだよ?」
問われて、忠勝はコートの中から釵型魔戒剣を一本抜いた。
柄を翔一の方に向けるようにして、床に置く。
「持ち上げてみろ。刃には絶対に触るな。触っただけで斬れるぞ」
「持つだけだろ?だったら簡単だ」
翔一は意気揚々と魔戒剣の柄を右手で握る。
そして持ち上げようと腕に力を入れるが――
「…あれ?動かねぇ」
「はぁ?そんなわけないだろ、そんな小さい武器が…」
「いや、ホントに動かねぇんだよ」
翔一は両手で柄を握り直し、全力で持ち上げようとする。
それでも、魔戒剣が床から離れる様子はない。
「んぐぅぅぅ!!…ダメだ、全然上がらねぇ」
「よし、代われキャップ。パワーと言えば俺様だ」
今度は岳人が魔戒剣の前に立った。
翔一のように両手で柄を握り、ベンチプレス190キロを持ち上げるその怪力で一気に持ち上げようとする。
が、しかし――
「ふんぬぅぅぅう!?なんじゃこりゃああ!?」
「ガ、ガクトでもダメなの!?」
「う、嘘だ…この俺様が…」
いくら力を入れようとも、魔戒剣はピクリとも動かない。
パワーに関しては絶対の自信を持っていた岳人はかなりのショックを受けていた。
「よし、今度は私が…」
「いや、百代さんには無理だ」
「は!?」
百代も挑戦しようとソファーから立ち上がったが、忠勝によって即座に止められた。
翔一たちとは違い、忠勝は魔戒剣を片手でヒョイと持ち上げ、コートの中に仕舞う。
息を切らしている翔一と岳人は、信じられない物を見たかのように目を見開いていた。
「な、なんでゲンさんはそんな簡単に持てるんだよ!」
「魔戒剣はソウルメタルって特殊な金属で出来ててな。触れた人間の心の在り方次第で鉄のように重くもなれば、羽のように軽くもなる。こいつを自在に操るには、相応の修行が必要なんだよ」
「…私に無理だと言ったのは、私の精神が未熟だからか?」
「いや、ソウルメタルは男にしか扱えないんすよ」
「何だそれ!不公平だ!」
「んなこと言われても…」
「ちなみに、ソウルメタルは男性専用に造られたわけではないぞ。元々、女性にはソウルメタルを操る能力が備わっていないというだけだ」
不満を漏らす百代に、彦一が補足を入れた。
一般人であっても心が奮い立っている時に魔戒剣を持ち上げることは出来るが、本人にとっては無意識に行っていることであり、自分が魔戒剣を持っていることを自覚して冷静になると途端に操れなくなってしまう。
また女性にはソウルメタルを扱えないため、必然的に魔戒騎士になれるのは男性のみである。
「心で操る剣か。では大和が座禅をしているのは、剣を操るための精神修行ということか?」
「さぁな。少なくとも俺は修行で座禅なんてしたことないが…」
「そうなの?じゃあ一体何なんだろ?」
大和が一体何をしているのか想像もつかない風間ファミリー+1。
そんな中、彦一は顎に扇子の先を当てながら言う。
「私が思うに、霊獣騎士
「霊獣騎士…確か、大和さんの魔戒騎士としての称号ですよね」
「シオンちゃんやアイシスちゃんは何か知らないか?」
百代は大和のメイドである二人に尋ねた。
魔戒騎士としての大和については自分たちよりも詳しいと思ったのだ。
問われたシオンとアイシスは、何かを確認するようにお互いの顔を見合わせてから、一同に向き直った。
「確かに、大和が今行っているのは霊獣騎士だけが行う修行です」
「詳しいことは私たちも知らないんですが、魔戒霊獣たちと一緒にやるそうですよ」
忠勝たちがリビングで話している一方、大和は武道場にいた。
部屋の中央で座禅を組み、両の目蓋を閉じ、微動だにしていない。
しかし、その額には汗が流れていた。
彼は今、確かに修行しているのである。
ただしそれは武道場で行う戦闘訓練ではない。
修行は、彼自身の心の中で行われていた。
「はぁ、はぁ…」
全てが黒に染まった精神世界の中、大和は息を切らし、顔を伝う汗をぬぐった。
彼の背後には、巨大な銀色の犬の骸骨が浮かんでいる。
「よう大和。へばって来たか?」
「はぁ…まだまだ…」
「何回やってもきつそうだなぁ…ま、アイツら修行や戦闘になると一切容赦しねぇからな」
浮かんでいるのは、ゼルバだ。
この世界の中では大和の左手にゼルバの姿はなく、普段の何倍も大きい幻として黒の空間に浮かんでいるのだ。
そして大和とゼルバの視線の先には、黒の世界を三色の光で照らす三体の獣の姿があった。
紅の光は飛天、蒼の光は剛戟、そして翠の光は流咆である。
魔戒霊獣たちは現実世界での戦闘時とは違って装甲を持たず、魂のみの大きな姿で大和の前にいる。
――キィイイイ!
――ブルルルッ!
――グオオオオ!
三体の魔戒霊獣たちが雄叫びを上げると、それぞれの光がより一層強くなった。
三色の光は混ざり合い、白金のごとき輝きとなって大和に襲い掛かる。
「ぐぅ…!!」
大和は体の前で両腕を交差させ、輝きの奔流に耐える。
その輝きは単に眩しいだけのものではない。
光と共に放たれる魔戒霊獣たちの魔力は、強大なプレッシャーとなって大和の精神に圧し掛かっていく。
修行開始から幾度となく繰り出されるその重圧に負けないよう、大和は己の心を強く保ち続けていた。
これが、魔戒霊獣たちが己の主である霊獣騎士に課す修行…いや、試練であった。
「魔戒霊獣って言うと、アレだろ?紅く光る鳥みたいなヤツと…」
「蒼い牛みたいなヤツもいたよな」
「そして、翠の龍だろう。あれは美しかったなぁ」
百代、翔一、クリスの三人が実際に見た魔戒霊獣たちの姿を思い出しながら言った。
「京極さん。ここに来る途中の続きですけど、魔戒霊獣ってのは何なんです?魔導馬とは違うようですが…」
「タッちゃん、魔導馬って?」
「百体のホラーを倒し、試練を乗り越えた騎士に与えられる馬型の魔戒獣です」
「わあ!バッジが喋った!?」
忠勝の胸についているラルヴァが回答すると、一子が仰天した。
「初めまして皆さん。私は忠勝の魔導具ラルヴァです」
「お~、大和のゼルバみたいなもんか?変わった形してるとは思ってたけどよ」
翔一たちは過去に忠勝と会った時、何度かラルヴァのことは見ていたが実際に喋っているのを見たのは初めてだった。
「ふむ、それでは披露しようか。魔戒霊獣と、霊獣騎士にまつわる伝説を」
彦一は右手の扇子を掲げ、まるで噺家のように語り出した。
「飛天、剛戟、そして流咆。魔戒霊獣と呼ばれるこの三体が人間たちの前に現れたのは、かつてこの世で初めて大災厄が起こった時だと言われている」
「だ、大災厄?何かすっごい不吉な…」
大災厄というワードに、忠勝以外の面々が反応した。
彦一が簡潔に大災厄のことを説明すると、一同の顔面が蒼白となる。
「あんな怪物が千体も押し寄せるって…なんて無理ゲー?」
「松風は知ってましたか?」
「ん~そういう事があるってぐらいだな~。改めて想像すると怖いな~」
実際にホラーに遭遇したからこそ、千体のホラーが出現する光景をリアルに想像出来たのだろう。
「今でこそ対抗策は分かっているが、当時の騎士たちは大災厄の発生を予測出来ず、ホラーの大群に現世への侵入を許してしまった。騎士たちは法師たちと協力して被害を食い止めようとしたが、魔界にある巨大なエレメントは次々にホラーを呼び寄せ、騎士たちは劣勢を強いられた」
リビングにいる一同は彦一の話に聞き入っていた。
彦一には言霊によって他者に暗示をかける能力があり、一同は彼の言葉によって、当時の状況を強くイメージしていた。
「そしてその絶望的な戦場に、三体の獣と一人の魔戒騎士が姿を現した。三体の魔戒霊獣と、当時の霊獣騎士念狼だ」
聞き手たちは想像する。
無数の魔獣たちが押し寄せ、騎士たちが追い詰められる中、三体の霊獣を従えた騎士が現れる姿を。
それは正に、闇の中に差し込んだ一筋の光だった。
「念狼は魔戒霊獣たちと共に群がるホラーを一掃、魔界へ突入し、ホラーを呼び寄せる巨大なエレメントを破壊した。こうして、現世滅亡の危機は回避されたのだ」
「すげぇ…マジですげぇよ」
翔一は感動に打ち震えていた。
漫画やゲームの中でしかあり得ないような伝説として語られる存在に、自分の親友がなっているというのだ。
翔一がこれで興奮しないわけがなかった。
逆に冷静に話を聞いていた忠勝が彦一に問う。
「その後、念狼はどうなったんです?」
「当時の念狼は大災厄の後もホラーと戦い、その生涯を全うした。そして魔戒霊獣たちは彼の魔導具であるゼルバの中に封印され、念狼の称号を継ぐ者が現れるまで番犬所で保管されることとなった」
「当時の念狼には子供がいなかったってことか…」
「む?源殿、なぜそのような結論に至るのだ」
魔戒騎士の称号は基本的に一子相伝であり、騎士は自分の息子を弟子として鍛え、いずれは自分の称号を継承させるのだ。
騎士に息子がいない場合は、養子を迎えたり弟子をとったりもする。
忠勝がそう説明してクリスが納得していると、彦一が続けて言った。
「それもあるが、念狼の称号を継ぐためには魔戒霊獣たちによる試練を受けなければならないのだよ」
「し、試練って…?」
「魔戒霊獣に、己の魂の強さを示すのだ」
一拍置いてから、彦一は続ける。
「霊獣騎士は強靭な精神力が求められ、その強さを保ち続けなければならない。心の弱い者、衰えた者では魔戒霊獣の魔力に耐えられず、やがて魂が崩壊してしまうという」
「魂が崩壊って…」
「簡潔に言えば…死だ」
死。
その言葉を受けた全員に緊張が走る。
「死って…じゃあ、今大和がしてるのって…!」
「魔戒剣を操るための修行ではない。彼が念狼であり続けるための試練なのだろう」
彦一が言い切った直後、京がソファーから立ち上がった。
鬼気迫る表情でリビングから出て行こうとする彼女の腕を忠勝が掴んで止める。
「おい、どこへ行く?」
「離して!そんな危険なこと大和にさせたくない!辞めさせなきゃ…」
「割り込んで直江の集中力を削げば、それこそ危険だぞ。それに魔戒騎士にとっては命の危機なんて日常茶飯事だ」
「でも、それでも…!!」
京は自分の腕を掴んでいる忠勝の手を必死に振りほどこうとする。
愛する者が今まさに命がけの試練に挑んでいると聞いて、居ても立ってもいられないのだ。
そしてそれは、その場にいる百代たちも同様だった。
出来ることなら今すぐにでも駆けつけたいが、忠勝の言うように大和を危険にさらすかもしれない。
動揺する一同を見て、彦一は冷静に告げた。
「案ずるな。大和は試練を受けて念狼となり、ホラーと戦い続けているのだ。魔戒霊獣たちの力に容易く屈することはないだろう」
その場にいる全員を安心させるように言った。
次に翔一が口を開く。
「そうだな…俺たち、魔戒騎士として戦う大和を応援するって決めたもんな。だったら、アイツのこと信じなきゃな!」
「キャップ…」
翔一の言葉を受けて、京は落ち着きを取り戻した。
ホラーと戦うことの出来ない京たちは、戦いを終えた大和が心から安らげるように彼を支えると誓ったのである。
ならば、彼の帰りを信じて待たなければならない。
京がソファーに戻ると、忠勝はふと疑問に思ったことを彦一に尋ねた。
「京極さん。直江よりも前に念狼の称号を継いだ騎士はいたんですか?」
「いや。初代念狼の死後、何人もの男たちが試練に挑んだそうだが、魔戒霊獣の力に打ち勝った者は一人もいなかったらしい。即ち、念狼の継承者は直江一人ということだ」
「直江一人…?」
「そう、だからこそ私は気になるのだ。数多の騎士たちが叶わなかった念狼の継承…それを成し遂げた直江の魂の強さは、一体どこから来るのかとな」
「はぁ…はぁ…」
「お疲れ大和」
武道場の中央、試練を終えた大和は息を荒げながら仰向けに倒れていた。
彼のすぐ近くには掌サイズの魔戒霊獣たちがいて、労うように鳴いている。
試練では一切手を抜くことはないが、基本的には大和に懐いているのである。
むしろ懐いているからこそ大和を信じ、大和が念狼であるために必要な試練に全力を出しているのだ。
「こうして試練をやると思い出すなぁ。オレとお前が初めて会った日のことをよ」
ゼルバは懐かしむように言った。
大和が試練を受けるため、番犬所に保管されていたゼルバの下を訪れた時のことだ。
「あん時の大和は…なんつうか、色々切羽詰まってた感じだったなぁ…」
「はぁ…そうか?」
「おう。今のお前は大分落ち着いてるぜ。ダチと再会したおかげかねぇ」
当時の大和は力を得ることに焦っていた。
何としても強い魔戒騎士になりたいという思いに駆られていたのだ。
その思いは、未だ翔一たちにも明かしていない彼の過去に由来していた。
「で、どうだ?まだ
「………」
「ホラーを狩るのは魔戒騎士の役目だし、別に仇討ちを否定するわけでもない。けどな、恨みや憎しみにこだわり過ぎていると、いずれお前は闇に喰われる。それだけは忘れんなよ?」
「…分かってるさ」
呼吸を整え、大和は腹筋の力だけで上体を起こす。
「俺が修行して来たのは『戦う』ためじゃない。『守る』ためだ。俺は…守りし者なんだからな」
「いい答えだ。上出来だぜ」
大和の返答に満足したかのようにゼルバが言った。
傍にいる魔戒霊獣たちも嬉しそうに鳴いている。
「よっしゃ、上に行こうぜ」
「ああ…ん?」
リビングでお茶をしている仲間たちに加わろうと立ち上がった大和は扉の前にある物を見つけた。
魔戒騎士になってから何度も見てきた、赤い封書だった。
「そう言えばさ。昔の念狼がホラー千体を倒せるほど強かったってことは、大和もそんぐらい強いってことか?」
「そうとも限らんよ。先ほどは省略したのだが、念狼の伝説にはまだ…」
翔一たちが談笑を続けるリビング。
彦一が先の語りで省いたという内容を説明しようとしたが、彼の口は途中で止まった。
試練を終えた大和がリビングに入って来たのだ。
翔一たちは大和を迎え入れようとしたが――
「談笑中に悪いんだが…仕事だ」
そう言って、大和は赤い封書を
大和と忠勝の二人に送られた、番犬所からの指令書だ。
ほぼ同時刻。
ビルの屋上から川神市を見渡している一人の男がいた。
黒い装束に身を包み、顔の右半面は長い前髪に隠されている。
「さて、今回はどれだけ集まるか…」
男は妖しげな笑みを浮かべながら、そうつぶやいた。
どうも、常磐です。
今回は念狼に関する独自設定の説明を中心にお送りしました。
五百年に一度の大災厄の仮説云々に関しては私の自己解釈です。
原作では鋼牙と零をハメるために三神官が仕組んだ罠という可能性が示唆されてましたが、今作では実際に五百年おきに起きているという設定です。
千体の敵が押し寄せるなんて物語のクライマックスで扱ってもおかしくない要素なのに割とあっさり終わってたのがもったいないと思いまして。
まあそれだけ鋼牙と零が強すぎるってことなのでしょうけど。
では、また次回お会いしましょう。