―――川神市―――
夜の街を歩く一人の若者がいた。
武術の総本山とも呼ばれる川神院の門下生である彼――村本は、総代である川神鉄心から頼まれた使いの仕事を済ませ、川神院に戻る途中だった。
「すっかり遅くなってしまったな。急いで戻らなければ」
日は既に落ち、時刻は夜八時を回ろうとしていた。村本は可能な限り早く帰ろうと、川神院への近道である路地を通っていた。
街灯が少なく、薄暗いその道は夜遅いこともあって人通りも少ない。通り魔などの犯罪者が出没してもおかしくない状態だったが、同年代の門下生の中でも優秀な腕を持つ彼には、たとえ襲撃を受けても返り討ちにする自信があった。
村本が路地を進んでいると、前方に人影があるのを見た。
警戒しながらも目を凝らして見ると、それは彼がよく知る人物だった。
「佐山か?どうしてこんなところに?」
佐山と呼ばれたその男は、村本と同じ日に川神院に入った門下生仲間である。
胴着姿の佐山は微笑みながら、近づいてきた村本に語り掛ける。
「よう村本。鉄心様からの頼まれごとは終わったのか?」
「ああ。思ったよりも時間がかかってしまったが」
「総代から直々に仕事を任されるなんて、お前は信用されてるよなあ」
「まあな。それだけの実力はあると自負している」
「……全く…その通りだよなあ…」
「佐山…?」
不敵な笑みを浮かべながらそう言う佐山に、村本は違和感を感じ始めた。
彼の知る普段の佐山は表情の変化が乏しく、いつも鍛錬に集中していて口数も少なかったはずなのだが…。
村本が怪訝な表情を浮かべていると、佐山は村本にジリジリと近づく。
「なあ村本。俺たち、どこが違うんだろうな?同じ日に修行を始めて、同じことをしてきたってのにさ…」
「さ…佐山?」
佐山から感じる異常な気配に気圧され、徐々に後ずさる村本は、ついには壁まで追い詰められてしまう。
「なぜ…なぜお前ばかり強くなれるんだよおおお!!」
「ぐっ!?」
その顔を笑みから怒りの表情へと変えた佐山は村本の首を両手で絞め上げる。
村本は何とか振りほどこうとするが、佐山の力は普段の彼とは比べ物にならないほど強く、まったく抵抗できなかった。
「お前を喰えば…俺も強くなれるナア…」
「何を…言って…うっ!」
そこで、村本は気づいた。佐山の腰に巻かれている帯が赤黒く染まり、その両端が伸長して佐山と村本を取り囲んでいく。
やがて帯に完全に包まれ、街灯の光すら入らなくなった空間の中、白く染まった佐山の両目が村本を睨んだ。
「ダカラ…喰ワセロ!!」
「う…うああああああああああああ!!!」
恐怖に縛られた彼の最後の叫びが、夜の街に響くことはなかった――――
――――翌朝――――
川神市の一角にあるビルの屋上から、大和は五年ぶりに帰ってきた故郷の街を見渡していた。
「たった五年で、随分と変わるもんだなあ…」
「気分は浦島太郎ってか?」
「そこまでひどくない…というか、お前が浦島太郎を知ってるのに驚きだよ」
記憶にある街とは微妙に姿を変えていた故郷に若干の寂しさを感じていた大和に、彼の左手に宿るゼルバが話しかけた。ゼルバに限らず、魔導具は人間との共存を選んだホラーなのだが、人間世界のおとぎ話の知識など一体どこで得たのだろう。
「しっかし、都会ってのはバカみてえに人間が多いな。ホラーがうじゃうじゃ出るのもわかる気がするぜ」
「そんな単純な話じゃないだろ。人が多い=ホラーも多いなんて式が成り立つなら、番犬所が俺にホラー頻出の原因究明まで命じる必要はないしな」
「分かってるさ。言ってみただけだ」
「…ん?」
他愛ない話をしていると、大和は眼下にあるものを見つけた。
川神市の名所の一つ、多馬大橋――変人が多く出没することから、通称『変態大橋』――その上を渡る八人の学生グループだ。
ダンベル両手にグループの先頭を行くポニーテールの少女。
その少女に並んで歩いている、頭にバンダナを巻いた少年。
そのすぐ後ろを、文庫本を読みながら歩く青い短髪の少女。
左右にいる外国人の金髪少女と黒髪を二つにまとめた少女に何やら得意げに話をしている黒い長髪の少女。
そして、マンガ雑誌を読みながら歩く細身の少年と、彼のマンガを覗き込みながら一緒に読んでいる大柄な少年。
大和はその八人のうち、六人のことはすぐに分かった。五年の月日を経て成長し、姿は変わっているが、それぞれの特徴は全く変わっていない。
「ファミリーのみんな…元気そうだな」
「お?ってことはあれがお前の言ってた風間ファミリーって連中か?」
「ああ。二人、知らない顔がいるけど…」
久々に幼馴染たちの姿を見た大和は、その中に見知らぬ人物がいたことに驚いていた。
黒い長髪の少女――百代の両隣を歩く二人がそうだ。
大和がいた頃の風間ファミリーは仲間同士の絆が強い反面、閉鎖的な面があり、外から新たなメンバーを加えることには否定的だった。当時イジメにあっていた京を仲間に入れる時も、メンバー内で意見の衝突があったほどだ。
しかしあの二人の少女がグループの輪の中に入ってることに対して、新メンバー否定派と思われる京や卓也が何も言わないということは、彼女らも歴としたファミリーのメンバーなのだろう。
(京も少しは他人を受け入れられるようになったのかな…)
幼馴染たちの確かな成長に、大和は穏やかな笑みを浮かべた。
「どうすんだ大和?このまま感動の再会と行くか?」
「…いや、今は登校中だろうしな。しばらくはこの街にいるんだ。機会はいくらでもあるさ」
「そうかい。そういや、こっちでの家はどこだっけか?」
「街外れにある屋敷だよ。今はシオンとアイシスが色々整理してくれてるはずだ。俺たちはこのまま風の番犬所に行くぞ」
「へいへい。新しい職場にご挨拶と行きますかね」
ファミリーとの再会を次の機会にまわし、大和は新たに自分の管轄となる風の番犬所に向かうため、ビルの屋上を後にした。
―――多馬大橋上―――
「ん?」
「どうかなさいましたか?モモ先輩」
「ヘイへーイ。こんな朝っぱらから幽霊でも見たのかーい?」
自分の右隣で突然明後日の方向を向いた百代に、髪を二つにまとめた少女――黛由紀江が問いかけた。彼女の持つ馬のストラップ――松風(自称付喪神)は茶化すように言う。
「怖いこと言うな松風!そうじゃなくて、何か誰かに見られてたような気配がしてな…」
「自分は何も感じなかったが…もしやどこかに覗き魔が隠れて!?」
幽霊嫌いな百代は鬼の形相で松風にツッコむとそう答えた。
武神と呼ばれるほどの武闘家である彼女は、離れた相手の気配を感じ取ることも可能である。
百代の右隣に並ぶ金髪の少女――クリスティアーネ・フリードリヒもかなりの実力者ではあるが、特に怪しい気配は感じていなかった。
「いや、もう消えてるし別に怪しい気配じゃなかった。むしろ昔も感じたことがあるような、懐かしい気配だった気がするんだが…ん~」
「何にしてももういないんだろ?なら別に気にしなくていいんじゃねえか?」
気配の正体がはっきりせず、モヤモヤする百代だったが、翔一は興味なさげにそう言った。
面白いと思ったことは即座に実行する彼だったが、興味のないことにはとことん無関心な男なのだ。彼はむしろ、満面の笑顔でダンベルを上げ下げしている一子の方が気になった。
「それよりよ。ワン子いつにも増してテンション高くね?なんかあったのか?」
「うん!今日の放課後、ルー師範代から個人指導してもらえるの!」
昔からのあだ名で呼ばれた一子は元気に答えた。
川神院のルー師範代は、血のにじむような努力の末にその地位を勝ち取った人物であり、
師範代を目指して日々努力を続ける一子のことを応援していた。
立場上、一子ばかりを贔屓するわけにはいかないが、最近は時間のある時に一子の修行に付き合ってくれている。
「一子さん、本当に修行がお好きなんですね」
「そだなー。オラ尊敬しちまうぜ」
「えへへ。将来は師範代になるんだもの!当然よ!」
川神院の師範代になることが、一子の夢である。
かつて孤児だった彼女を引き取ってくれた里親は、彼女が小学生の時に亡くなってしまった。
悲しむ彼女に手を伸ばしてくれたのは、ファミリーの一員である百代だった。
百代は一子に養子として川神院に来ることを提案し、百代の両親や祖父である鉄心も快く迎え入れてくれた。
そして一子は、新しい家族になってくれた百代や川神の人々に恩を返すべく、川神院の師範代になって支えることを決意し、現在も修行に励んでいる。
「ワン子の夢はもちろん応援するけど、今日の金曜集会には来れるの?」
「ちょっと遅くなるけど行けるわよ。ルー師範代にもあらかじめ言ってあるから。」
金曜集会とは、風間ファミリーの毎週の恒例行事だ。金曜の夜、集まれるメンバーが廃ビルにある秘密基地に集まり、みんなで騒いだり遊んだりする。
元々は中学校に入る時、親の都合で川神市を離れることになった京のために始めたことだが、京が川神学園に入学してからも続いている。
実は新メンバーのクリスと由紀江を初めて秘密基地に招いた時、クリスの発言がきっかけで一悶着起きたのだが、今は置いておこう。
こうして今日も雑談をしながら、風間ファミリーは登校する。
―――風の番犬所―――
番犬所に入るための入り口は、日の傾きや特定の時刻の一致した場所に開く。
ゼルバの力で開いた入口を通り、大和は風の番犬所を訪れていた。
『風』の名が示す通り、そこは外から隔絶された空間であるにも関わらず、春風のように穏やかな空気の流れが存在し、部屋の四方に建てられた柱に刺さっている旗がはためいていた。
そして部屋の奥には、この番犬所の神官である女性が佇んでいた。
「直江大和です。水の番犬所の神官ラクシュミからの指令により、参りました」
「ようこそ風の番犬所へ、直江大和。私はこの番犬所を司る神官、イスマです。我が番犬所への助力、感謝します」
イスマはそう言って大和に頭を下げた。
随分と腰の低い神官がいたものだと、大和は驚きと呆れが入り混じった微妙な表情を浮かべるが、イスマが頭を上げるとすぐさま真面目な顔に戻る。
「指令に従ったまでです。この番犬所の魔戒騎士は負傷していると聞きましたが、どのような状態なのですか?」
「傷はかなり深刻なものです。しばらくは治療に専念しなければなりません。あなたには彼に代わって、ホラーと戦っていただきます」
やはり、状況は芳しくないらしい。負傷した魔戒騎士のことを話すイスマの苦い表情を見ればそれは明白だった。
大和が頷くと、イスマは懐から赤い封書を取り出した。
「早速ですが、あなたにホラーの討伐を命じます。こちらの指令書を読んでください」
大和はイスマから赤い封書を受け取った。
指令書はホラーが出現したとき、番犬所から魔戒騎士へ送られる。
普通の人間には読むことができず、中の文章を見るには特殊な方法が必要になる。
大和はゼルバが宿る鈍色の左手の五指のうち、指先に銀白色の装飾が着いている人差し指と中指をそろえて立てる。すると指先の装飾から、紫色の小さな火が点った。
それは、『
その用途は様々だが、その中の一つが『指令書の解読』である。
大和が指先の魔導火を指令書に着火させると、瞬く間に燃え尽きた指令書からいくつもの魔導文字が浮かび、空中に並んで文章を作り上げた。
「…闇の腕にて魂を縛り、人を喰らうホラーあり。その名をヴェルドー。魔を戒める剣にて、その陰我を断ち斬るべし」
指令書の解読を終えた大和はイスマに一礼すると、ホラーを討ちに行くため出口へと向かう。
「お気をつけて…
無事を祈るイスマの声を背に受けながら――――
―――午後八時頃 川神院―――
川神学園での授業を終えた一子は、朝の話の通りルー師範代の指導を受けた。
「よシ。今日はここまでにしようネ」
「はい!ありがとうございました!」
短時間とは言え充実した指導に、一子は笑みを浮かべながらルーに一礼した。
しかし集中しすぎていたためか、もうすっかり日が落ちていることに今になって気づく。
「あ!もうこんな時間!秘密基地行かなきゃ!」
「最近は物騒だからネ。早く帰ってくるんだヨ!」
「はーい!行ってきまーす!」
ルーは大声で返事しながら駆け出していく一子を見送る。
彼の後ろから、鉄心が歩み寄ってきた。
「こんな時間になっても行くのか。友達を大事にするのは良いことじゃが…」
「ええ…私も少々心配ですヨ…」
二人の表情は曇っていた。
ここ最近、川神市の住人が行方不明になる事件が幾度も起きているのだ。
特にここ数日の間に、川神院の門下生数人が姿を消している。
警察顔負けの捜査能力と、軍隊を超える戦力を誇る九鬼財閥の従者部隊が川神市内の警備をしているが、いまだに事件の全容が掴めないでいる。
ルーが一子に個人指導をするようになったのも、万が一の場合に備えてのことだったのだが。
「やはり、一子を引き留めておくべきでしたカ」
「無駄じゃろう。一子は頑固じゃからな。…あの子も強くなった。何者かの襲撃を受けたとしても、大丈夫じゃろう」
川神院を出た一子は、秘密基地への近道である裏道を通っていた。
待たせてしまっているファミリーのもとへ急ごうと、走り抜けていく。
しかしその道中、一子は視界の端に一人の男性を見かけた。
川神院の胴着を着たその男性を、一子は知っていた。
「佐山さん?どうしたんですか?こんなところで」
「やあ、こんばんは一子ちゃん」
一子は佐山の前で立ち止まった。こんな人通りのない道にどうしているのかと、素直な疑問をぶつける。
「一子ちゃんこそ、こんな夜にどこへ行くんだい?」
「友達を待たせちゃってるから、今から秘密基地に行くんです!」
「でも、いくらなんでも遅くないかい?」
「さっきまでルー師範代の個人指導を受けてたんです。それで遅くなっちゃって…」
「…個人…指導…」
「佐山さん?」
個人指導のことを話した途端に、佐山の表情が不気味なほどに暗くなった。
「君はいいよね…川神の人間だから、師範代からの恩恵を受けて、強くなれてさ…」
「え…?」
「お前みたいな…小娘がァ!!」
「きゃ!」
突如、佐山が声を荒げて襲い掛かってきた。
佐山の不気味な雰囲気を感じていた一子の反応は早く、即座に後退して佐山と距離を置く。
「な…何するんですか!」
「お前ごときがアァ!!」
「くっ…!」
一子の声を無視して、佐山はなおも一子に掴み掛ろうとする。
それを回避した一子は、普段と明らかに違う佐山に戸惑いながらも、迎撃の体勢をとる。
「もう!こうなったら反撃するわ!」
一子はスピードを生かして佐山を翻弄する。
一子の姿を捉え切れず、隙を見せた佐山の腹に向けて、一子はスピードに乗せた拳を放つ。
「川神流、蠍撃ち!!」
川神流蠍撃ち。相手の内臓のある位置へ叩き込まれる正拳は、まるで蠍の毒のように相手の自由を奪う。
しかし、一子の放った一撃は―――
「お…帯!?」
佐山が腹に巻いている帯が触手のように伸び、受け止めてしまった。
一子はすぐに佐山から離れるが、今起きた出来事にひどく混乱していた。
川神流の技の中には、気の応用による魔法染みた技が存在する。
大気圏まで届く気の砲撃や、気を込めた人形の遠隔操作などがいい例だ。
しかし、帯を自由に伸縮させ、触手のように操る技など知らないし、そもそも佐山は気の技を操れるほどの実力者ではないはずだ。
だが現に、佐山の赤黒い帯は異様な気配を放ちながら、獲物を狙う蛇のごとくこちらを向いている。
あれは、本当に技によるものなのだろうか…
得体の知れない相手に怯む一子の隙を、佐山は見逃さなかった。
先ほどまでとは比べ物にならないほどの速さで急接近し、一子の首を左手で掴み、そのまま彼女の体を持ち上げた。
「う…ぐう…!」
何とか逃れようとする一子だったが、佐山の手は鉄のように固く、振りほどけない。
「オマエモ…喰ッテヤル!!」
白く染まった佐山の両目に睨まれ、一子の心は恐怖に満ちた。
このままでは、確実に殺される。
いやだ!死にたくない!
自分はまだ、やりたいことがたくさんあるのに!
自分を待っている仲間たちがいるのに!
一子の思いもむなしく、佐山の腕の力はさらに強まっていく。
それに比例して、一子の意識が薄れていく。
「う…あ…」
一子の心に、走馬灯のように過去の記憶の情景が蘇っていく。
クリスと由紀江を風間ファミリーに迎え入れた記憶。
ファミリーのみんなと遊んだ記憶。
――――そして、かつて一人の仲間の旅立ちを見送った記憶。
『彼』は今どうしているだろうか。
遠い外国の地で、自分のように、夢のために頑張っているだろうか。
会いたい。せめてもう一度、『彼』に会いたい。
しかし、自分一人ではこの状況を打開できない。
だから、だれか――――
「たす…けて…」
一子が声を絞り出した直後。
彼女と佐山の間に現れた何者かが、佐山の腕を斬りつけた。
「グッ!!」
腕の切り傷を抑えながら、佐山は後退する。
解放され、倒れこもうとした一子の体は乱入者によって抱き留められる。
「ハアッハアッ…(だ…誰?)」
不足していた酸素を必死に取り入れながら、一子は自分を支える乱入者を見る。
自分と同い年くらいの青年だ。
身長は翔一と同じくらいだろうか。
ダークグレーのロングコートを着ており、右手には佐山の腕を斬った剣を持っている。
最後に、一子は青年の顔を凝視する。
ついさっき思い描いていた『彼』と、とてもよく似ている。
まさか、と思っていると、青年が口を開いた。
「やれやれ…こんな形で会うなんてな」
しばし、時間を戻そう。
指令を受けた大和は、過去にヴェルドーが出現したと思われる場所を巡りながら、ホラーが活動を始める夜を待った。
やがて日が落ち、ゼルバに気配を探らせながら街を回っていると、
「ビンゴォ!ホラーの気配だ、近いぞ!」
「よし!」
ゼルバが標的を見つけた。
そして、駆け付けた大和が見たのは、ホラーに憑依されていると思しき男に、一子が首を絞められている様子。
大和は二人の間に身を滑らせると、一切の容赦なく佐山の腕を斬りつけた。
解放された一子は呼吸を荒げていたが、他に目立った外傷はないようで、大和は安堵しつつ彼女を支え、佐山に警戒の目を向ける。
しかし、会う機会はいくらでもあるとは言ったが―――
「やれやれ…こんな形で会うなんてな」
その声を聴いて、一子は固まった。
顔には、記憶の中の『彼』――直江大和の面影がある。声は記憶と違うが、声変わりしたのだと思えば納得できる。
しかし、体から感じる気配は、かなり違っていた。
大和は一子のように武道はやっていなかったし、強い気を持っていたわけでもなかった。
しかし、今一子を支えている大和からは、敵を目の前にした獣のような力強い気を感じる。
目の前の青年が本当に自分の知る大和なのか、一子が確信を持てずにいると、佐山が大和に向けて声を上げた。
「…なんだ、お前は」
「分からないか?お前を狩りに来たんだよ。ホラー・ヴェルドー」
「ホラー?ヴェルドー?いったい何の…」
「とぼけるな」
呼吸を整え、一人で立てるようになった一子を背後に立たせた大和は左手の人差し指と中指に魔導火を着火させると、フッと息を吹きかける。
吹き飛ばされた小さな魔導火はそのまままっすぐに佐山に向かって飛び、その眼前で制止する。すると、魔導火に照らされた佐山の瞳に、魔導文字が浮かび上がった。
これが、魔導火の用途の一つ、『ホラーの探知』。
ホラーの気配に反応して強く燃え上がるほか、人間の瞳にかざすことでホラーが憑依しているかどうかを判別することができる。
「…魔戒騎士ガァ…!」
正体を暴かれた佐山は、身をかがめて大和に襲い掛かる。
「動けるか?」
「う…うん」
「なら、隠れてろ」
大和の指示を受け、一子が物陰に隠れるのを確認した大和は、佐山に相対する。
佐山は大和に向けて右拳を放つが、大和は身を反らすことでかわし、佐山の腹に膝蹴りを叩き込む。
「グッ…ガアア!!」
佐山は次々と打撃を放つも、悉くいなされ、大和のカウンターを食らい続けた。
やがて顔面に拳を受けて怯んだ佐山を、大和は全力の回し蹴りで蹴り飛ばす。
大和と佐山の間に、再び距離が開いた。
地面に倒れ伏した佐山は両腕で体を起こしながら、帯の触手を大和へと伸ばす。
しかし、大和は右手の魔戒剣を振るって、迫りくる帯の触手を斬り落としていく。
佐山は苦しげな声を上げる。
「グアアア!!」
一子は物陰から二人の戦闘を見ていた。
佐山を軽くあしらう大和の戦闘力にも驚いたが、帯の触手を斬られて苦しむ佐山の姿にさらに驚愕した。
あの様子では、まるであの帯が、佐山の体の一部のようではないか。
すると、苦しんでいた佐山が大和を睨みながら話し出す。
「オマエモ…オレヨリ強イノカ」
「ん?」
「オレハ…強イヤツガ…ニクイ!」
それはホラー・ヴェルドーではなく、ヴェルドーに憑依された佐山自身の心の声だった。
「オレハ、強クナルタメニ修行シテキタ…。ナノニ、周リノヤツラハ、オレヲオイテ強クナッテイク!同ジ修行ヲシテイルノニ、オレヨリモ!」
一緒に門下生となった同期は、自分を置いてどんどん先に行った。
後から来たはずの後輩の中にも、自分を抜いていくやつらがいた。
何でヤツラばかりが!何で自分だけが!
佐山の心は、自分より強くなった者たちへの一方的な憎しみで満たされていった。
その憎悪は陰我となって彼の帯に宿り、ホラーを呼ぶゲートとなった。
やがて、そのゲートより現れたホラー・ヴェルドーに憑依された佐山は、憎しみのままに他の門下生を襲い、喰らってきたのだ。
「オレハ…オレヨリ強イヤツヲ、コノ世カラ消ス!コノチカラデ!」
「それがお前の陰我か…。下らねえ」
「ナニ!!」
「同じ人間なんかこの世にはいない。同じことをしたからって、他人と同じようになれるわけがないだろうが」
大和は、佐山の憎悪を一蹴した。
「同じ修行をして他人より弱いのなら、他人とは違うことをすればよかっただけだろう。本気で強くなりたかったのなら、そう考えたはずだ」
「キサマ…!」
「その通りだわ!」
大和と佐山の会話に、一子が飛び込んだ。
一子もまた、強くなるために修行に励んでいる人間だ。
彼女は、今の自分が未熟であることをよく知っている。
だからこそ、毎朝の走り込みや、空いた時間でのトレーニングなど、成長するための努力を惜しんでいない。
佐山がどんな状態なのかは分からないが、自身よりも強い周囲の人間を憎む彼の考えに、反論せずにはいられなかった。
「あたし、知ってるわ!佐山さんがいっつも黙々と修行をしているの!今は未熟かもしれないけど、今までよりももっと努力を続ければ、きっと…」
「ダマレ!川神ニ取リ入ッタ小娘ガ!」
「なっ…」
自分の考えを言おうとする一子に対し、佐山は憎悪に満ちた言葉をぶつける。
「オマエ、養子ラシイナ。特別ナ修行ヲ受ケルタメ二、総代ニ取リ入ッタンダロウ!」
「ち、違う!あたしは…」
「ルー師範代カラ個人指導ヲ受ケタンダロウ!ソレガ証拠ダ!」
「違…」
「もう黙れよ、お前」
「「!!」」
一子と佐山は、大和からおぞましいほどの殺気を感じた。
鋭さを増した大和の瞳が、佐山を捉える。
「ワン子のことをろくに知らない奴が、好き勝手にほざくな!お前にワン子を侮辱する資格はねぇ!」
一子が強くなろうとするのは、師範代になるという夢のため。
自分を家族にしてくれた百代たちへの恩返しのためだ。
強くなるために『川神一子』になったわけではない。
『川神一子』になったからこそ、彼女は強くなることを決めた。
なのに、目の前にいる男は、一子の命を狙ったばかりか、勝手な解釈で侮辱した。
大和の心に、怒りの炎が燃え盛るには、十分すぎる理由だった。
「ダマレ!ダマレエエエェ!!」
怒り狂って叫ぶ佐山の体を、帯の触手が円筒状に取り囲む。
帯が取り払われたとき、そこには異形の姿があった。
白く染まった両目。
口には、喰いつかれたら骨ごと噛み千切られそうな牙。
両手には、獣のように鋭い爪。
黒く染まった全身には、赤黒い帯がミイラの包帯のように巻かれており、
その隙間の数か所から帯の触手が伸びている。
ホラー・ヴェルドーの本性。
その醜悪な姿を見て、一子はようやく理解した。
今の佐山は、もはや人外のような強さの人間とか、そういうレベルではない。
昔、翔一らと一緒に見た特撮ヒーロー番組やアニメの中に出てくるような、正真正銘の怪物なのだ。
しかしその怪物は、テレビの中ではなく目の前に存在する現実のものだ。
未だかつて相対したことのない存在に、一子は戦慄し、立ち尽くしてしまう。
そんな一子に、大和は視線をヴェルドーに向けながら言葉を投げる。
「ワン子。隠れろ」
「で…でも」
「大丈夫だ。俺を信じろ」
その優しくも強い言葉によって、わずかに恐怖がゆるんだ一子は、彼の言う通りに再び物陰に身を隠す。
「行くぞ、ゼルバ」
「おう!この街での獲物第一号だ、派手にやろうぜ!」
大和は右手の魔戒剣を天に掲げ、その切っ先で光の円を描く。
円の中に囲まれた夜の闇は、ガラスのようにひび割れて砕け散り、そこから神々しい光が大和に降り注ぐ。
あまりの眩しさに一子は思わず目を瞑る。やがて光が消え、再び目を開けた時、大和の姿が変わっていた。
彼は全身に、紫色に輝く鎧を装着していた。
両肩には大袖を思わせる楯状のパーツが装着され、肩から上腕部にかけて防護しており、日本の鎧武者を髣髴とさせる。
右手に持っていた細身の魔戒剣は、より大型で刀身に紋様のついた『
左手のゼルバは、甲に装着された装甲に半ば埋め込まれる形で顔を出しており、装飾の付いていた人差し指と中指の指先には、銀色に輝く爪状のパーツが備わっている。
そして、最も特徴的なのは、狼の顔を模した兜だった。
真紅に輝く眼光に、鋭い牙、角のように尖った耳を持ち、後頭部からは狼の尾を思わせる薄紫色の毛が背中まで伸びている。
これが、大和の魔戒騎士としての姿。
霊獣騎士
―――ヴオオオオオオオ!!
ヴェルドーは体から伸びる帯の触手群を念狼へと殺到させる。
触手は念狼の全身をあらゆる方向から打撃するが、念狼はその場から全く動かず、鎧の防御力だけで全ての攻撃を弾き返していた。
「はっ!」
念狼が剣を一閃すると、その剣圧だけで全ての触手を吹き飛ばした。
―――グウウ!
ヴェルドーはすぐに次の手を打った。
全身から先ほどの倍以上の触手を伸ばすと、それらを全て束ね、大木のような帯の巨腕を作り出し、念狼に向けて振り下ろした。
常人がそれを受ければ、間違いなく押しつぶされて死ぬだろう。
しかし―――
「この程度か」
「へっ。こんなんじゃ鎧に傷すらつけられねえぞ、ミイラ野郎」
―――!!??
ヴェルドーの渾身の一撃は、念狼の左手一本であっさりと受け止められた。
念狼はそのまま左手だけで巨腕を押し返し、ヴェルドーを転倒させる。
「あんま時間もねえんだ。さっさと終わらそうぜ」
念狼はゼルバに頷き、ヴェルドーに向けて宣言する。
「憎しみに捕らわれた貴様の陰我…俺が斬り裂く!」
念狼は剣を空中に放ると、すかさず次の動作に移る。
銀の爪のついている二本指を立てた左腕を顔の前に立て、両の手首を重ねるように右腕を交差させる。
独特の印を結んで念じると、放られた念狼剣に変化が起きた。
念狼剣は空中で制止し、高速で回転を始めたのだ。
魔戒騎士が持つ剣や鎧は、ソウルメタルと呼ばれる特殊な金属で出来ている。
持った者の心次第で鉄のように重くもなれば、羽のように軽くもなる。
騎士は思念によって自分の剣を遠隔操作することができるが、念狼は法術を合わせることで、その操作性を向上させている。
「はあっ!」
念狼が左手の指先をヴェルドーに向けると、念狼剣は車輪のごとく空中を走り、ヴェルドーに向かっていく。
ヴェルドーはすでに体制を立て直していたが、高速で迫る念狼剣に対処しきれず、帯の巨腕を真っ二つに切り裂かれてしまう。
―――ヴアアアアアアアア!!
ヴェルドーが絶叫を上げるが、念狼の攻撃は続いた。
念狼は剣を空中高く制止させると、それに向けて跳躍。
両手で剣を掴み、重力に身を任せてヴェルドーへ斬りかかる。
あらゆる攻撃を無力化され、圧倒されていたヴェルドーにはなすすべもなく―――
「うおおおおおおおおお!!」
振り下ろされた剣により、縦一文字に両断された。
「グ…アアア」
斬り裂かれたヴェルドーの体に、苦しげな声を上げる佐山の姿が浮かび上がった。
「死…死ニタク…ナイ…」
「…生憎、ホラーに憑依された時点で、お前の魂はもう死んでるんだよ」
死を拒む佐山に冷たく返し、念狼は剣を鞘へと納める。
キンッという鍔と鞘口がぶつかる音が響くと同時に、ヴェルドーの体は完全に消滅した。
戦いを終え、大和は念狼の鎧を解除する。
大和の体から離れた鎧は、光に包まれながら異空間へと消えていった。
彼がしばし佇んでいると、背後から声をかけられた。
「大和…なの?」
一子だ。
物陰から出てきた彼女は大和に近づきながら、そう問いかけてきた。
彼女は心の中で、彼が自分の知る直江大和だろうとは思っていた。
佐山が一子に暴言を吐いた時、怒った彼は一子のことを「ワン子」と呼んだ。
風間ファミリーのメンバーだけが呼ぶ、昔からのあだ名で。
しかし、先ほどまでの出来事を考えると、不安は消えなかった。
気配が昔と全然違う。強さが昔とは比べ物にならない。
彼自身から答えを聞かなければ、確信が持てない。
すると、正面にいる彼はゆっくりと振り向き、笑顔で答えてきた。
「ああ、大和だよ。五年ぶりだな、ワン子」
「―――!!」
一子は、確信した。
ああ、彼は本当に大和だ。
かつて自分を仲間に入れてくれた時。
かつて一緒に遊んだ時。
そして、かつて日本から旅立った時。
過去の色々な場面で見せてくれたあの笑顔と、まったく同じだ。
「大和ーーー!!」
「うおっ!?」
感極まって涙目になりながら、一子は思い切り大和に抱き付いた。
ハグというより、もはやタックルというレベルだったが、大和は一子の体を受け止めた。
「ホントに、ホントに大和なのね!?」
「だからそうだって。というか、気づいてなかったのか?」
「だって、昔と雰囲気が全然違うんだもん!自身が持てなかったのよ!っていうか今の何だったの!?佐山さんは変な怪物になっちゃうし、大和はすっごく強くなってて、すっごくきれいな鎧を着て、それからそれから…!」
「とりあえず落ち着けって。そんな一気に説明できないから」
訳も分からないままに状況が終わったため、一子は全ての疑問を大和にぶつけようとする。
大和としても、騎士やホラーの存在を見てしまったからには、多少は説明するべきかと思った。
が、彼の記憶が正しければ、一子は少々頭がよろしくない。まとめて説明しても、情報をちゃんと整理できるかは微妙だし、それ以前に彼女を落ち着かせないと話もできない。
なので、大和は自分から質問をして、一度話題を変えようとした。
「ところでワン子。こんな時間にどこ行く気だったんだ?」
「え?…あ、そうだ!金曜集会!」
「金曜集会?」
「金曜の夜にファミリーのみんなで集まるの。あ!そうだわ!」
何かを閃いたのか、一子は大和の腕を掴んで走り出した。
「おい、どうした!?」
「大和も一緒に行こ!今日は全員集合してるの!大和が来てくれれば、みんな喜ぶわ!」
そう言って、一子は大和を引っ張りながら秘密基地へ向かう。
大和としては戦いを終わらせたばかりなので、帰って休もうかと思っていたのだが――
「話したいことや見せたいものがいっぱいあるの!大和が旅立った後のこととか、今の秘密基地とか、今年入った新メンバーとか、ホントにいっぱい!だからほら、早く行こ!」
本当にうれしそうな、楽しそうな表情を浮かべながら自分を引っ張っていく一子を見ると、戦いの疲れはどこかへ消えてしまっていた。
「分かった!分かったからそんな引っ張るなって!」
自然と笑顔になりながら、大和は一子と共に駆けていった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
常磐です。
序章を投稿してから一日もたたない間に感想をいただき、とてもうれしくて、
「テンション高いうちに第一話書こう!」
と思って一気に書きました。
お気に入りに加えてくださった方々、ありがとうございます。
第一話、いかがだったでしょうか?
今回は大和の帰還と、一子との再会をテーマにしました。
しばらくはこんな感じで、大和とファミリーのメンバーをメインにして進めていく予定です。
各キャラクターをどれだけ生かせるか、不安で仕方ありませんが…(苦笑)
元々序章と第一話は同時に内容を考えていたので短い間隔で投稿できましたが、次回以降はかなり時間がかかると思われます。第二話は大雑把には出来ていますが…。
どうか、首を長くしてお待ちください。
では次回、第二話『嫉妬』にてお会いしましょう。