真剣で念狼<NERO>に恋しなさい!   作:常磐

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第五話 『疾駆』

―――数年前 北陸地方―――

 

 

「うう…ぐすっ」

 

幼い日の由紀江は、一人で泣いていた。

剣聖と呼ばれる父を持つ彼女は、親譲りの剣の才能を持ち、周囲から半ば神格化されていた。

しかしそれは、彼女が同年代の中で孤立状態になっていることを意味していた。

友達のできない彼女は孤独感に耐えられず、ひたすらに涙を流す。

 

 

「へーイ。そんなに泣いてたら涙がもったいないぜー?」

 

「ふぇ!?」

 

 

すると、どこからか声が聞こえてきた。

泣いてる姿を家族に見せて心配させないようにと、人のいない場所に来ているというのに。

周囲を見渡しても、どこにも人の姿は見られなかった。

 

 

「おーい。こっちだよこっち」

 

 

よくよく聞いてみれば、握った自分の手の中から聞こえてくる気がする。

閉じられている指を開いてみれば、そこには父がプレゼントしてくれた馬のストラップがある。

由紀江は時折このストラップに話しかけて、寂しさを紛らわせていた。

 

 

「あーあーカワイイ顔が台無しだぜ」

 

「あのっ…誰、です、か?」

 

 

そのストラップが今、自分に語りかけている。

思わず敬語で返してしまった由紀江に、ストラップが軽い口調で答えた。

 

 

「オッス、オラ松風。泣く子も黙る付喪神だぜ!」

 

 

その名乗りの通り、泣きじゃくっていた由紀江の涙はすっかり引っ込んでしまった。

 

これが、由紀江と松風の出会い。

由紀江に人生最初の友達が出来た瞬間だった。

 

 

 

 

―――現在 川神学園1-C教室―――

 

 

「さぁまゆっち!今日も今日とて友達作るぜーい!」

 

「はい松風!頑張ります!」

 

 

朝のHR前、由紀江は教室の自分の席で松風と共に気合を入れていた。

彼女が川神学園に入学したのは、故郷を離れ心機一転して友達を作るためだ。

ここには自分の本当の実力や父が剣聖であることを知る者はいない。

誠意をもって接すればきっと友達ができると彼女は信じている。

 

 

(うわあ…黛さんまたストラップと会話して…)

 

(なんか…近寄りがたいな)

 

 

周囲のクラスメイト達はかなり引いていた。

傍から見ればストラップを使って一人芝居してるようにしか見えないのだから当然だ。

 

そんな周囲の反応など全く気付かず、由紀江は『友達百人化計画』の最初のターゲットにひっそりと視線を向ける。

 

ターゲットの名は、大和田伊予。

由紀江の隣の席に座るおとなしめな少女で、クラスメイトと会話しているところは見かけるものの、特定の誰かと親しげに話しているところは見たことがなく、友達と言える相手はあまりいなさそうに見えた。

だからこそ由紀江は『私も友達いないんですよ』的な話題で行けるのではと考え、彼女を最初のターゲットに選んだ。

しかし、問題の伊予は―――

 

 

「…むぅ」

 

 

どこからどう見ても不機嫌そうな顔をしていた。

目を細め、頬を少し膨らませ、腕を組むその姿は言葉に出さずとも苛立っているのが分かる。

 

 

「あ…あの…」

 

「あーもう!」

 

「ひぅ!?」

 

 

由紀江は小声でなんとか話しかけようとしたが、伊予は突然声を荒げてそれを遮った。

 

 

「せっかく新人が頑張ってたのになんであそこでピッチャー交代しちゃったのかなぁ!ただでさえ最近ベイは絶不調なのに!もう、思い出すだけで腹立つよー!!」

 

 

我慢の限界に達したのか、由紀江に気づかないまま溜め込んでいた怒りを吐露する伊予。

由紀江にはその怒りの理由が分からず、混乱していた。

 

 

(あうぅ…。取り付く島もありません)

 

(落ち込むなまゆっち。次があるさ~)

 

 

結局、放課後になっても由紀江は伊予に話しかけられなかった。

 

 

 

―――夕方 川神市内―――

 

 

 

川神学園の生徒たちが放課後の活動に入る頃、大和は街を回っていた。

 

日中はホラーが出現することはないが、だからこそ魔戒騎士にはその間にやるべきことがある。

ホラーを現世に呼ぶエレメントの浄化・封印作業である。

陰我を集めたオブジェがゲートとなる前に浄化出来れば、ホラーの出現を未然に防ぐことが可能だ。

この作業を念入りに行えば、夜にホラーと交戦する頻度は確実に減少するはず。

にもかかわらず、川神市ではホラーの出現数が減る気配がなかった。

 

 

(浄化に不足があるとは思えねぇ…自然に発生するゲート以外に、ホラーを呼ぶ何かがあるのか?)

 

(ゲート以外にか…。そんな事例は聞いたこともないが…ん?)

 

 

思念でゼルバと会話しながら歩いていると、大和は正面に見覚えのある後姿を見つけた。

黒髪を二つにまとめ、カバンと刀袋を手にトボトボと歩いているのは、今年から風間ファミリー入りした新メンバーだ。

他のメンバーが彼女をあだ名で呼んでいたことを思い出し、声をかけてみる。

 

「…まゆっち?」

 

「え?あ、大和さん」

 

「おう大和ー。あだ名で呼ぶとはわかってるねー」

 

 

呼びかけると、由紀江は刀袋から下がっている松風と共に答えてきた。

初めて会って以来あまり会話したことはなかったが、やはりあだ名で呼ばれるのは嬉しかったようで、笑顔を向けてくれた。

 

 

「どうしたんだ?ちょっと元気なさそうだったけど」

 

「いえ、ちょっとうまくいかないことがありまして…」

 

「…俺でよければ、相談くらい乗るけど?」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「大和の年長者らしさにまゆっちの好感度はうなぎ上りだぜぇー!!」

 

 

悩んでいたところに救いの手を差し伸べてくれたファミリーの先輩に、由紀江は松風と共に期待の眼差しを向ける。

 

 

(しかし、改めて見てもすげぇハイレベルな腹話術だな)

 

(……)

 

(ん?どうかしたかゼルバ?)

 

(…いや、気のせいだな)

 

 

今の会話に何か思うところでもあったのだろうか、ゼルバは怪訝そうにしていたが、その後は特に何も言ってはこなかった。

 

由紀江は大和に悩みを打ち明けた。

友達作りのために川神学園に来たのに、中々うまくいかないこと。

現在友達になろうと思っている相手が、やけに不機嫌で話も出来なかったこと。

 

 

「その相手、不機嫌の理由について何か言ってた?」

 

「ええと、確か…」

 

 

由紀江は、今朝に伊予が言っていたことを一言一句正確に大和に伝えた。

混乱しながらも伊予の発言を完璧に覚えているあたりは流石と言うべきか。

 

 

「ピッチャー、それにベイ…七浜ベイスターズか?」

 

 

台詞の中の単語をヒントにして大和が思い至ったのは、プロ野球チームの名前だった。

魔戒騎士をやっているからと言って、大和は世間の情報に疎いわけではない。

最近の七浜ベイが黒星続きであることも、なんとなく知っていた。

 

 

「その大和田さんって娘、七浜ベイのファンなんだろうな。負けが続いてて機嫌が悪かったんだろう」

 

「そうなんですか?先ほどの文章からそこまで推理なさるとは…!」

 

「キャップ達の言う通り頼りになるぜー。大和(さんかっけー)!」

 

 

大和は翔一たちが自分のことをどんな風に説明したのか気になったが、今は関係ないので話を続けることにした。

 

 

「苛立ってる時に話しても逆効果だろうし、機会を見て再挑戦すればいいんじゃないかな」

 

「で、でもどう切り出せばよいものか…」

 

「クラスメイトで席が隣同士なら、そこまで難しく考える必要はないと思うよ。『宿題やってきた?』とか『昨日のあの番組見た?』とかさ。むしろ『私も友達いないんですよ』ってのは友達になるきっかけにしてはネガティブじゃない?」

 

「おお、言われてみれば確かに…!」

 

「なんて的確なアドバイスなんだ。流石は人脈マスター大和!」

 

「なにその称号」

 

 

最終話がわずか三ページしかない漫画のタイトルのような称号を与えられていて、大和は苦笑した。

翔一たちは本当にどんな説明をしたのだろうか。

そもそも川神市における大和の人脈構成は小学生の時点で止まっている。

今では魔戒騎士や法師の知り合いの方が多いくらいだ。

 

そうして大和が由紀江にアドバイスしながら歩いていると、二人は多馬川の土手に座っている人物を見つけた。

 

 

「あれ?大和田さんでは?」

 

「へぇ、あの娘か」

 

 

座っていたのは件のクラスメイトである伊予だった。

彼女は土手に体育座りしながらため息をついていて、大和たちには気づいていない

その様子を見て、大和は由紀江に言った。

 

 

「まゆっち。話しかけてみたら?」

 

「ええ!?でも、苛立っている時に話しても逆効果だと大和さんが…」

 

「今は苛立ってるというよりは、へこんでるみたいだ。『元気がないようですが、どうしたんですか?』って切り出してみれば?さっきの俺みたいにさ」

 

 

言われて、由紀江がよく見てみると確かに今の伊予は落ち込んでいるようだった。

そして、つい先程まで落ち込んでいた自分も大和からどうしたのかと聞かれて、相談に乗ってもらい、話すことができた。

同じようにすれば、きっとうまく話せるかもしれない。

そう思った由紀江は、意を決して伊予に歩み寄った。

大和は離れた位置からそれを見守っている。

伊予の傍に立った由紀江が、声をかける。

 

 

「あ、あああ、あのぉ!」

 

「ひゃあ!?」

 

 

異様に力の入った声に、俯いていた伊予が驚きの声を上げた。

伊予が顔を上げて見れば、いかつい顔つきの由紀江が立っている。

 

 

「ど、どどどどうし、たんで…すか?」

 

「ま、黛さん?黛さんこそどうしたの!?顔怖いよ!」

 

(…友達ができない理由の一つが分かった)

 

 

緊張のせいか、強ばった表情と異常なまでにたどたどしい口調で話す由紀江に、伊予は動揺を隠せないでいる。

遠くから見ていた大和も内心納得していた。

松風という存在こそあれど普通に話す分には問題もなく、むしろ可愛らしい少女である由紀江だったが、今の彼女は小学生であればチビりそうなくらい怖い表情をしている。

あんな顔を見せられれば、引かれても仕方ないだろう。

フォローすべきかと大和が考えていると、先手を打ったものがいた。

 

 

「どうどう、落ち着けまゆっち!また怖い顔になってるぜ!」

 

「はっ!やってしまいました!大和田さんに引かれてしまうでしょうか!?」

 

「まだだ!千載一遇のこのチャンス、笑顔でモノにするんだ!」

 

「はい!黛由紀江、全身全霊を込めた笑顔を!」

 

「とか言ってまた強ばってるっちゅーの!」

 

「……」

 

 

松風だった。

目の前にいる伊予そっちのけで、由紀江と松風の漫才が始まった。

確かに、普段からストラップとこんなやり取りをしてれば、できる友達もできないというもの。

もはやここまでか、と大和が半ば諦めかけると――

 

 

「ぷっ…あはははは!」

 

 

漫才(?)を静観していた伊予が、突然笑い始めた。

由紀江は腹を抱える伊予に目を向ける。

 

 

「あの…大和田さん?」

 

「あはは…ごめんね。でも…ぷふっ」

 

 

先程までの暗い雰囲気はどこへやら。

ひとしきり笑った伊予は、由紀江を隣に座らせて話していた。

 

 

「笑っちゃってごめんね。でも、なんだか面白くて」

 

「い、いえいえ。喜んでいただけたのなら、嬉しいです」

 

「オラに笑いの才能があるとはなー」

 

「ふふっ。教室でも見たけど、すごいねそのストラップ」

 

「松風というんです。私のお友達の付喪神なんですよ」

 

「オッス。まゆっちの友達兼守り神なんだぜ」

 

「あはは…(そういう設定なんだね)」

 

 

空気を読んでか、伊予はツッコミを心の中に留めた。

それから、伊予は今日不機嫌だった理由を由紀江に話した。

原因は概ね大和の推理通り、伊予が応援している七浜ベイスターズの不調だった。

しかし、それだけではなかった。

 

 

「私ね、大好きな野球のことになると周りが引くくらい熱くなっちゃうの。そのせいで、地元だとあんまり友達できなくて…」

 

 

だから、自分のことを知る人のいない川神学園に入学したのだという。

クラスメイトとは普通に話せるが、もしも自分の秘密を知られたらと思うと、怖くて踏み出せずにいたのだ。

現に今も、今朝いきなり声を荒らげたことで、周囲から引かれたのではないかと落ち込んでいたところだ。

 

そんな彼女は、自分と同じようにクラスで友達のいない由紀江のことが気になっていた。

ストラップと会話する姿は少し怖いが、彼女は自分と似た境遇なのかもしれないと思っていたのだ。

 

 

「だからね、黛さんとお話できたらなぁって、ずっと考えてたの。でも中々切り出せなくて…」

 

「あ…」

 

 

それを聞いて、由紀江は自分の中にこみ上げてくるものを感じた。

友達になりたいと思っていた相手が、自分と同じことを考えてくれていたのだ。

それが嬉しくて、涙を流しそうになりながら由紀江も自分の思いを打ち明ける。

 

 

「私も、大和田さんとお話したいと、お友達になりたいと思っていたんです」

 

「ほ、本当?」

 

 

由紀江の言葉に、伊予は嬉しそうに笑った。

 

 

「じゃあ、私と友達になってくれる?」

 

「もちろんですよ、大和田さん!」

 

「伊予ちゃん」

 

「え?」

 

「友達なんだから名前で呼んで?私も、まゆっちって呼ぶから」

 

「…!はい、伊予ちゃん!」

 

「やったねまゆっち!そしてオラのことも忘れないで伊予っち!」

 

「あはは。よろしくね松風」

 

 

どうやら、うまくいってくれたようだ。

大和は歓喜のあまり涙を流す由紀江を見ながら、静かに去ろうとする。

すると――

 

 

「大和さん!ありがとうございました!」

 

「これも大和のおかげだぜ!Thank you very much!」

 

「え!?ここで俺呼ぶの?」

 

 

由紀江達が、離れて見守っていた大和に感謝してきた。

松風に至ってはなぜか流暢な英語で。

おかげで出て行かざるを得なくなってしまった。

 

 

「えっと、まゆっち。この人は?」

 

「直江大和さんです。伊予ちゃんと仲良くなれるよう、色々アドバイスをしてくれました」

 

「どうも直江大和です。ウチのまゆっちをどうぞよろしく」

 

「いえいえこちらこそ」

 

 

大和が父兄のような態度でお辞儀すると、伊予も同じように返してくれた。

結構ノリのいい娘のようだった。

 

 

 

 

―――数日後―――

 

 

土手での一件以来、由紀江と伊予はすっかり仲良くなっていた。

朝におはようと挨拶を交わし、宿題の答え合わせをし、談笑しながら一緒に昼食を食べる。

ずっと憧れてきた友達との日常が、由紀江には嬉しくてたまらなかった。

 

 

そんな二人はこの日、球場へ行き七浜ベイの試合を観戦した。

伊予の熱狂ぶりは話に聞いていた以上で、由紀江も一緒になって精一杯応援した。

その甲斐あってか、試合は七浜ベイの勝利に終わった。

 

 

「いい試合だったな~。でもごめんねまゆっち。私一人で盛り上がっちゃって」

 

「そんなことありませんよ。私もとても楽しかったです」

 

「まゆっちもオラもすっかりベイに染まっちまったぜ」

 

 

現在二人は帰宅のために夜の川神市を歩いていた。

久しぶりに七浜ベイが勝利したおかげで伊予は上機嫌であり、由紀江も彼女の笑顔を見てとても嬉しそうだ。

 

 

「あれ?なんだろあれ」

 

 

ふと夜空を見上げた伊予が言った。

つられて由紀江も見上げると、黒い影が飛んでいるのが見えた。

鳥とは違うシルエット。しかも、徐々に二人へ近づいていた。

 

 

「伊予ちゃん!」

 

「きゃっ!?」

 

 

由紀江は咄嗟に伊予の頭を抱え込んで伏せた。

すると黒い影は二人の頭があった位置を通過し、彼女らの背後に着地した。

影の正体は、黒い角と翼を持つ醜悪な悪魔のような姿。

素体ホラーだった。

 

 

「な、なんなのアレ!?」

 

「分かりません。ですが、危険なのは確かです」

 

 

現れた怪物に恐怖する伊予を背に隠しながら、由紀江は素体ホラーと対峙する。

人の殺気とは異なる邪気が、素体ホラーの体から溢れていた。

思わず足がすくみそうになるが、伊予を守れるのは自分しかいないと、由紀江は自分を奮い立たせて刀袋から愛刀を抜こうとする。

 

しかしその瞬間、二人の背後に新たに二体の素体ホラーが出現した。

計三体の素体ホラーが、唸り声を上げて由紀江を威嚇する。

 

 

「囲まれた…!?」

 

「まゆっちダメだ!早く逃げようぜ!」

 

 

松風が珍しく焦った口調で言った。

確かに、状況は最悪だ。少しでも隙を見せればやられてしまうだろう。

 

 

(せめて、伊予ちゃんだけでも…)

 

 

自分の背に張り付き恐怖で涙ぐむ伊予を案じた。

せっかくできた友達を死なせるわけにはいかない。

 

そんな由紀江の思いも空しく、三体の素体ホラーが一斉に二人に襲いかかってきた。

しかし、突然飛来してきた細身の剣が、それを妨げた。

 

斬撃を受けて怯む素体ホラー達をよそに、由紀江が剣を目で追うと、剣は空中を旋回しながら夜道の先に立っている人物の手に納まった。

それは、彼女がよく知る人物――大和だった。

 

 

「大和さん!?」

 

「まゆっち。伊予ちゃんを連れて下がるんだ」

 

 

思わぬ人物の登場に驚く由紀江だったが、すぐに彼の指示に従い、背後の伊予を抱きかかえて大和の後ろまで一気に跳んだ。

三体の素体ホラーはすでに立ち上がって、大和を警戒している。

 

 

「素体とは言え、三体同時とはな」

 

「大和さん。あれはいったい…?」

 

「話は後で。逃げるんだ!」

 

 

そう言って、大和は魔戒剣を構えながら素体ホラーへ向かっていった。

素体ホラー達は大和を迎え撃とうとするが、所詮は特殊能力を持たない状態でしかなく、大和に傷一つ負わせることもできないまま斬りつけられていく。

由紀江は、大和の剣さばきに見入っていた。

スピードは由紀江の方が勝っているが、技のキレに関しては彼女と同等か、それ以上だ。

風間ファミリーの古参メンバーからは、小学生の時点での大和は高い戦闘力や武道の経験がなかったと聞いていた。

しかし、今の彼は自分に匹敵する戦いぶりを見せている。

いったい彼は、どれほどの修行を積んだのだろうか。

由紀江がそう考えている内に、大和は素体ホラー達を追い詰めていた。

一気にカタをつけるべく、空中に光の円を描いて鎧を召喚する。

 

 

「終わりだ!」

 

 

念狼剣の一閃によって、素体ホラー達は一瞬で倒された。

ホラーの消滅を見届けた念狼は鎧を解こうとするが、ゼルバの叫びがそれを止めた。

 

 

「待て念狼!もう一体いるぞ!」

 

「何!?」

 

 

念狼が振り向くと、由紀江と伊予の背後から四体目の素体ホラーが現れた。

念狼剣を飛ばそうにも、念狼と素体ホラーの対角線上には由紀江と伊予がいる。

剣を迂回させるにせよ直接跳躍するにせよ、二人から離れた今の位置からでは到底間に合わない。

素体ホラーの爪が、二人に迫る。

由紀江は念狼の戦いに集中していたために反応が遅れてしまった。

 

 

「伊予ちゃん!」

 

「きゃああ!」

 

 

回避が間に合わないと判断した由紀江は刀袋を手放し、伊予を庇うように抱きしめる。

そして、ホラーの爪が由紀江の体を引き裂こうとした瞬間――

 

 

「まゆっち!」

 

 

その声と共に、素体ホラーに向けて黒い波動が放たれた。

波動は、素体ホラーに直撃し、その体を空中へと飛ばす。

何が起きたのかは理解できなかったが、念狼はそのチャンスを見逃さず、念狼剣を空中の素体ホラーに向けて放ち、撃破した。

 

鎧を解いた大和は、すぐさま二人に駆け寄った。

 

 

「二人共、大丈夫か?」

 

「は…はい」

 

「うぅ…怖かったぁ」

 

 

脅威が去って気が緩んだのか、由紀江はその場に座り込み、伊予はたまらず涙を流していた。

 

 

「ありがとうございます大和さ…」

 

 

由紀江は自分たちを守ってくれた大和に礼を言おうとするが、最後まで言い切れなかった。

 

大和は今、険しい表情である一点を凝視している。

それが、彼女の足元に倒れている刀袋から下げられ、地面に立っている松風だったからだ。

 

 

「や…大和さん?」

 

「…」

 

 

大和は黙ったまま魔導火を着火させ、松風にかざした。

すると、指先に点った火がその勢いを増した。

 

 

「大和さん、いったい何を?」

 

「ホラー…あの怪物を吹き飛ばして二人を守った黒い波動が、松風から出ていた」

 

「え?」

 

 

由紀江は、自分と伊予を襲った第四の素体ホラーが、黒い何かに吹き飛ばされるのは見ていた。てっきり大和が自分たちを守るために何かしてくれたのだと思っていたが、それは松風から放たれていたのだという。

大和は松風を睨みながら言った。

 

 

 

 

 

「松風…お前、ホラーだな」

 

「…流石に魔戒騎士にはバレるよなー」

 

 

 

 

 

松風は、いつも通りの口調でその問いに答えるのだった。

 

 

 

 

 

動揺している由紀江と伊予を連れてその場から離れる大和の様子を、遠くから見ている者がいた。

肩まで伸ばした茶髪、中性的な顔立ちが特徴であるその青年は電信柱の上に佇んでいる。

 

 

「魔戒騎士か。せっかくの晩餐を邪魔するとは」

 

 

にこやかな顔を浮かべてはいるが、その言葉には確かな怒りの感情がこもっていた。

 

 

「いいでしょう。今度は私自ら、喰べに行ってあげますよ」

 

 

 

 

大和が由紀江と伊予を連れて来たのは、以前ジャッカスと戦った廃工場だった。

以前来た時と同じように静寂しきっている。

万が一の時に備え、話をするには人気のない場所に来る必要があったのだ。

 

 

「松風がホラー…あの怪物と同じだって言うんですか!?」

 

 

大和からホラーに関して説明された由紀江は、彼に反発していた。

自分にとって大事な存在が、あの醜悪な怪物と同類だと言われれば当然だろう。

 

 

「いいんだよまゆっち。大和の言う通り、オラはホラーなのさ」

 

 

錆び付いたドラム缶の上に置かれた松風が由紀江をなだめる。

 

 

「ゼルバ、気づいてたのか?」

 

「怪しいとは思ったが、ホラーの気配が感じられなくてな。よくもまぁここまで隠せるもんだ」

 

 

数日前に大和が由紀江と話していた時も、ゼルバは何か引っかかっていたようだった。

ゼルバの探知を逃れるなど、かなりの隠蔽能力だ。

 

 

「落ち着いてくれまゆっち。今はこいつをどうこうするつもりはない」

 

「今は…ということは」

 

「こいつ次第ってことさ」

 

 

由紀江が落ち着いたところを見計らって、大和は松風に向き直った。

 

 

「さて、聞かせてもらおうか。ホラーであるお前が、なぜまゆっちのストラップに宿って、共に行動しているのかを…」

 

「合点承知だい」

 

 

松風は、大和にこれまでの経緯を話し始めた。

始まりは、数年前の北陸地方。

当時の由紀江は友達ができず、たった一人で泣いていた。

彼女の持つ孤独による悲しみ、孤独への恐怖心は、時間をかけて馬のストラップに溜まり、やがてゲートと化した。

松風、正確に言えば現在ストラップに宿っているホラーは、由紀江の孤独感に反応し、そのゲートを通って人間界へとやって来た。

しかし、彼の目的は、人を喰うことではなかった。

 

 

「オラさ、まゆっちの陰我にスッゲー共感したんだ。それで、人を喰うよりも、この子と一緒にいる方がずっといいなって思っちまったのさ」

 

 

ホラーは自身と共通の闇を抱える人間に憑依し、陰我と本能に従って人を喰らう。

しかしこのホラーは、その本能に逆らってまで由紀江と共にいることを望み、ゲートとなったストラップに憑依したのだという。

 

 

「それで、まゆっちと一緒にいるのが楽しくなってきてさ。正体バレて騎士に見つからないように、気配と魔力を消してたんだ。人を喰ったこともないぜ?」

 

 

その言葉を聞いて、大和は驚愕した。

彼の戦いを支えるゼルバも、その正体はホラーだ。

しかし、ゼルバの場合は魔導具となる際に法師によって浄化が行われ、食人の本能を抑制されている。

自ら本能を抑え、無償で人間に尽くすホラーなど聞いたこともない。

にわかには信じられない大和だったが、そこで今まで黙っていた伊予が切り出してきた。

 

 

「えっと、つまり松風はまゆっちが腹話術してたわけじゃなくて、ほんとに付喪神だったってこと?」

 

「だから最初にそう言っただろ伊予っちー?」

 

「そうです!松風は一人ぼっちだった私の、最初の友達なんです!あんな恐ろしい怪物とは違うんです!」

 

 

ドラム缶の上の松風を手に取った由紀江は、まるで駄々をこねる子供のように、涙目になりながら言った。

例え本物の付喪神だろうと、ホラーという怪物だろうと、由紀江にとっては人生で最初の友であることに変わりはないのだ。

松風に対してなおも警戒している大和に、伊予が問いかけた。

 

 

「大和さんは、松風をどうするつもりなんですか?」

 

「…相手がホラーなら、それを狩るのが俺の役目だ」

 

「ッ!!」

 

 

ホラーを狩るという魔戒騎士の使命に従い、大和は言った。

由紀江は松風を守るように両手で包み込んだ。

睨み合う二人の間に、伊予が立つ。

 

 

「あの…松風を、見逃してあげてください」

 

 

大和の鋭い眼差しに少し怖がりながらも、伊予は続けた。

 

 

「私には詳しい事情は分かりませんけど、まゆっちには松風が必要なんです。松風がいなくなっちゃったら、まゆっちは絶対に悲しみます。私は、そんなまゆっちを見たくありません」

 

「…」

 

「それに、松風はさっき私とまゆっちを助けてくれました。悪い怪物なんかじゃないはずです」

 

「伊予ちゃん…」

 

「伊予っち…」

 

 

伊予が、松風を守ろうと大和を説得してくれる。

そんな友達の気持ちが嬉しくて、由紀江の目から涙がこぼれ落ちる。

 

 

「だから、お願いします。大和さん」

 

「…」

 

 

大和は静かに伊予の言葉を聞いていた。

大和が黙っていると、彼の左手のゼルバが話し出す。

 

 

「やれやれ、これじゃあオレ達の方が悪者だなぁ大和」

 

「お前はどう思うんだゼルバ?」

 

「別に。何であれ、オレはお前の考えに賛同するぜ」

 

 

半笑いになりながら、ゼルバはそう言った。

まるで、大和の考えを見透かしているかのように。

大和はため息をつき、松風に問う。

 

 

「松風。人を喰ったことがないのは本当か?」

 

「本当だぜ」

 

「これからも人を喰うことはないと、約束できるか?」

 

「もちろんだ。まゆっちに誓うぜ」

 

「松風…」

 

 

確認をとるような大和からの問いに、松風は答えた。

 

 

「…いいだろう。お前を狩るのはやめだ」

 

「大和さん…!」

 

「ただし、これからお前には魔力の封印を施す。いいな」

 

「オッケー。ありがとな大和」

 

 

「「ありがとうございます!大和さん」」

 

由紀江は泣きながら、伊予と一緒に大和に礼をした。

大和は頭をガリガリとかきながら、由紀江に手を差し出す。

 

 

「じゃ、一旦松風を俺に」

 

「はい」

 

 

由紀江は大和の手に松風を乗せようとする。

しかし――

 

 

「これは驚きですねぇ」

 

 

大和達以外誰もいなかったはずの空間に、突然何者かの声が響いた。

声の聞こえた方向を向けば、そこには中性的な顔立ちの青年が立っている。

大和は由紀江達の前に立ち、魔戒剣を構えた。

既にゼルバが、青年からホラーの気配を感じ取っている。

 

 

「魔戒騎士がホラーを許してしまうとは、いいんですか?」

 

「お前には関係のない話だ」

 

「そうでしょうか?現にあなたは先ほど、私の配下達を容赦なく倒したばかりではないですか」

 

 

配下と聞いて、大和は先ほど戦った四体の素体ホラーを思い出した。

上級のホラーの中には、下級のホラーを従えるものもいる。

目の前にいる青年もそういう類のものだということだ。

 

 

「あのホラー共にこの娘達を襲わせたのはお前か?」

 

「ええ。人間を捕らえるのは配下に任せていました」

 

「なぜこの娘達を狙う?」

 

「私は、若い女の子が大好きなのですよ。特に極上の調味料をかけた…ね」

 

「調味料?」

 

「『ホラーの血』ですよ。魔戒騎士ならばご存知では?」

 

「…!」

 

 

それは、魔戒騎士ならば当然の知識だった。

ホラーの血を浴びた人間は『血に染まりし者』と呼ばれ、ホラーにとって極上の餌となる。

また血に染まりし者は、たった百日でその命が尽きる。それもただの死ではない。

気絶すら許されないほどの激痛の中、全身が悪臭を放ちながら溶け崩れていくという、極めて残酷な最期を遂げるのだ。

ホラーに喰われようと逃げ延びようと、人間にとっては地獄以外の何物でもない。

 

 

「配下の血を浴びせて喰べるつもりだったのですが、あなたのせいで叶わなくなってしまいました。まぁ、そちらのお嬢さん達は、血をかけなくてもとても美味しそうですが…」

 

 

舌舐めずりをしながらそう言う青年の姿を見て、由紀江と伊予の背筋が凍りつく。

 

 

「生憎、どちらもお前にはやらねえよ!」

 

 

大和は青年に斬りかかった。

青年は初太刀をかわしたが、直後に振るわれた二の太刀には対応できず、魔戒剣の切っ先が青年の左手を縦に斬り裂いた。

大和は追撃をかけようとするが――

 

 

「甘いですね!」

 

 

青年の左手の裂け目から、強い粘着性を持った糸が吐き出された。

糸は大和の全身に絡みつき、身動きを封じる。

 

 

「ぐう!?」

 

「力尽くで破ろうとしても無駄ですよ?さらに絡みつくだけです」

 

 

糸を振りほどこうとする大和に青年が言った。

見れば、彼の左腕は大きく盛り上がり、まるで蚕の頭部のような形状に変異していた。

 

力でダメなら燃やせばいい。

そう考えた大和は左手から魔導火を出そうとするが、ゼルバが反応しない。

 

 

「ゼルバ?どうしたゼルバ!」

 

「私の糸は捕らえたホラーを封じ込めるのですよ。あなたの左手は厄介そうでしたしね」

 

 

左手のゼルバの頭部は完全に糸に覆われていた。

腕が完全に固定されていて、碌に術も行使できない。

それでもなんとか脱出しようとする大和を尻目に、青年は由紀江と伊予に近づく。

 

 

「まゆっち!伊予ちゃん!逃げ…」

 

 

必死に声をあげる大和だったが、言葉が途切れた。

 

由紀江が刀袋から愛刀を抜き、青年に対峙したからだ。

 

 

「ほう。そんな物で私に勝てるとでも?お嬢さん」

 

「…正直に言えば勝てるとは思っていません。ですが、逃げもしません」

 

 

青年に向けられる刀が、僅かに震えている。

しかしそれでも、由紀江は退かない。

 

 

「誰にも、私の大切な人達を傷つけさせません!」

 

 

由紀江は青年に立ち向かった。

目にも止まらぬ速さの斬撃を、青年は紙一重でかわしていく。

 

 

「ははは!これは凄い!」

 

「まだです!」

 

 

由紀江の剣はさらに加速し、青年の体を掠め始める。

やがて、真っ向から振り下ろされた刃が、青年の頭を完全に捉えようとした。

 

しかし、その刃は、青年が顔にかざした右手の甲によって受け止められた。

 

 

「なっ!?」

 

「なんて速さだ。この剣が魔戒騎士のものであったなら、私の手は切り落とされていたでしょう」

 

 

体で刀を受けても、青年は平然としていた。

そして、彼が右手を顔の前からずらすと――

 

 

「思い知らせてあげましょうお嬢さん。ホラーの力をね」

 

 

瞳が失われ、無数の小さな六角形が並ぶ青年の両目が露わになった。

 

 

「ひっ!」

 

 

由紀江が距離を取ると、青年の体に新たな変異が始まる。

 

両目は上下の瞼を破って肥大化し、昆虫の複眼のように盛り上がった。

額からは触角が生え、顎は左右に割れ、鋭利な牙が生えてこちらも昆虫を思わせる形状へと変わる。

さらに、青年の変化は続く。

右手を突き破り、カマキリのような大鎌が現れた。

背中にはハエのような羽を生やし、両脚はバッタの後ろ脚を髣髴とさせる。

いくつもの虫の特徴が混ざり合ったその姿こそ、ホラー・ベルゼブブの正体である。

 

 

「ドウデス?コレガ私ノ真ノ姿デスヨ」

 

「あ、ああ…」

 

 

おぞましい姿を目の当たりにして、伊予の体が恐怖で固まる。

由紀江は、なおもベルゼブブに刀を向けるが――

 

 

「無駄ダトイウコトガワカリマセンカ!」

 

 

ベルゼブブの大鎌が、由紀江の刀を弾き飛ばした。

攻撃の瞬間になんとか回避した由紀江は、伊予を庇うように彼女の前に立つ。

 

 

「まゆっちに近づくな!」

 

 

伊予に預けられていた松風が黒い波動を放つ。

しかし、ベルゼブブはそれを防ぐまでもなく体で弾き、由紀江達に近づいていく。

 

 

「コンナ小サナチカラデ、私ヲ止メラレルトデモ?」

 

 

由紀江と伊予は徐々に後退し、ついに壁際まで追い詰められてしまった。

もはや、彼女たちに退路はなかった。

 

 

「サア、晩餐ヲ始メマショウ!」

 

 

ベルゼブブは大鎌を振り上げた。

由紀江と伊予は互いに抱き合って身をかがめる。

 

 

 

 

大鎌が振り下ろされ、肉が斬られる音がした。

ボタボタと、血が地面に流れ落ちる音も聞こえる。

 

しかし、由紀江にも、伊予にも痛みがない。

二人が前を向くと、そこにはベルゼブブの大鎌を体で受け止めるものがいた。

 

それは全身を黒く染め、四本の脚で大地を踏みしめている、大きな馬の姿だった。

黒馬は、振り上げた二つの前足でベルゼブブを蹴り飛ばした。

流れる血が由紀江と伊予にかからぬようにしながら、馬は二人を守るようにベルゼブブと対峙する。

その姿を見て、由紀江は直感した。その黒馬の正体を。

 

 

「松風…ですか?」

 

 

その問いに、黒馬は雄々しい嘶きによって答えた。

自分がストラップの中に宿っていたホラー・マツカゼなのだと。

 

 

「オ…オノレェ!」

 

 

マツカゼの正体に一瞬ひるんだベルゼブブは、左腕を向けた。

大和やゼルバと同じように、糸でがんじがらめにしようとする。

 

しかしそれよりも早く、マツカゼは攻撃に出た。

振り上げた前足の蹄を地面に叩きつけると、黒い波動が放たれた。

ストラップの時とは比べ物にならないほどに強力な波動は、ベルゼブブを吹き飛ばすだけに留まらず廃工場の奥まで行き渡るほどだ。

 

ベルゼブブが波動によって体勢を崩した瞬間、マツカゼは急接近してベルゼブブの左腕を前足で踏み砕いた。しかしその直後、傷の痛みによってマツカゼの動きが鈍ってしまう。

糸を吐き出すことができなくなったベルゼブブは、右の大鎌でマツカゼの隙を突こうとするが、背後から新たな敵が接近していた。

 

大和だ。

マツカゼの放った波動によって絡みついていた糸が吹き飛ばされたのだ。

なおも体にまとわりついていた糸をゼルバの魔導火で焼き払った大和はベルゼブブの背後に近づき、その背にある羽を斬り落とした。

 

敵が増え、ホラーを縛る糸も破られたベルゼブブは廃工場の壁を突き破って逃走を図る。

 

すぐに追跡しようとする大和の隣に、マツカゼが並んだ。

 

 

―――ブルルルッ

 

「『乗ってくかい、騎士様?』だとよ」

 

 

ゼルバがマツカゼの言葉を代弁した。

大和は笑みを浮かべながらマツカゼの背に乗り、由紀江に声をかける。

 

 

「まゆっちの愛馬、ちょっと借りるな!」

 

 

大和を乗せたマツカゼは廃工場の壁の穴を通り抜け、ベルゼブブを追って疾駆する。

 

ベルゼブブはそのバッタのような両脚によって跳躍しながら逃走していた。

自身を追ってくる敵に気づいたベルゼブブは、進行方向の左に向けて跳躍し、急な方向転換によって追跡を撒こうとする。

 

マツカゼは四本の足に力を込め、ブレーキをかけながら体を左へ向ける。

スピードを殺しながら、地面を滑るように方向転換する姿は、さながら自動車のドリフトのようだ。

 

再び両者のチェイスが始まる。

大和は念を込めた魔戒剣をベルゼブブに向けて投げた。

空中を舞う魔戒剣はベルゼブブの脚に命中。

そのダメージによってベルゼブブの脚力が低下し、跳躍の高さが下がった。

 

マツカゼは前方へ向けて跳び上がり、ベルゼブブの上に覆いかぶさるように乗った。

その重量に耐えられず、ベルゼブブは落下してマツカゼに踏みつぶされる。

 

マツカゼはベルゼブブから跳び退いて、再びドリフトによって180度反転し、ベルゼブブの方を向いた。

 

 

「決めるぞマツカゼ!」

 

 

大和はマツカゼの背から真上に跳び、空中で念狼の鎧を纏う。

落下してくる念狼に対して、マツカゼは後ろ足を勢いよく振り上げた。

念狼はその後ろ足に自分の足を合わせ、マツカゼの脚力によってベルゼブブに向けて打ち出された。

 

既に相当なダメージを負っているベルゼブブはこれ以上逃げることもできず、迫りくる念狼の斬撃を受けて消滅した。

 

 

ベルゼブブが倒された直後、マツカゼの巨躯が地面に倒れ伏した。

大和が駆け寄り、ストラップの姿に戻った松風を拾い上げた。

 

 

「松風。やっぱり限界だったのか」

 

「まあなー。流石にキツかったぜ」

 

 

廃工場で由紀江と伊予を庇った時点で、すでに松風はかなりの深手を負っていた。

そして、負傷したままの戦闘により、松風は力尽きようとしていた。

 

 

「大和。まゆっちによろしく言っといてくれ」

 

「このまま消えるつもりか?」

 

「まゆっちを守れたんだから本望だぜ」

 

 

既に松風の余力は風前の灯火だった。

今にも潰えそうな中、松風は言葉を続けた。

 

 

「今のまゆっちには、大和に風間ファミリーに、何より伊予っちがいるからな。もうオラがいなくても寂しくないだろ?」

 

「本当にそう思うのか?」

 

 

しかし、大和は松風の言葉を否定した。

 

 

「伊予ちゃんが言ってただろう。お前がいなくなったら、まゆっちが悲しむ。伊予ちゃんもな。お前はあの娘達を泣かせる気か」

 

「って言ってもよー。オラ今にも消えそうなんだぜ?」

 

「…消させねえよ」

 

 

そう言って、大和は松風を左手に乗せ、優しく握る。

 

 

「大和?何するんだよ」

 

「松風。今からすることは、まゆっち達には内緒な」

 

 

大和は握った左手に右手を添えて、静かに目を閉じる。

そして松風に、ある術をかけた。

 

 

 

 

 

「あ!大和さん!」

 

 

廃工場で待っていた由紀江と伊予のもとに、大和が帰って来た。

松風の正体である黒馬の姿が見えないことに焦った二人は、大和に駆け寄った。

 

 

「大和さん!松風はどこですか?」

 

「松風、私達を庇ってくれたのに、大丈夫なんですか?」

 

 

大和の体に縋り付くようにして、二人は松風の安否を聞いた。

すると大和が二人に閉じられた左手を差し出し、ゆっくりと開くと、そこにはストラップに戻った松風がいた。

 

 

「オッスまゆっちに伊予っち。松風様の凱旋だぜ!」

 

「ま、松風!」

 

「無事だったんだね!よかったぁ」

 

 

由紀江は大和から松風を受け取り、伊予と共に無事を喜んだ。

 

 

「でもすごかったね松風。あんな姿になれるんだ」

 

「守ってくれたのは感謝していますが、もうあんな無茶はしないでください」

 

「心配いらないぜまゆっち。どの道もうなれないからな」

 

「え、なぜですか?」

 

 

松風はもう、あの黒馬の姿にはなれないという。

なぜ、という由紀江の疑問に答えたのは大和だった。

 

 

「戦闘の後、例の魔力封印を施したんだ。ホラーとしての姿にはなれないが、これで俺以外の魔戒騎士に狙われることもないだろう」

 

「そう…ですか」

 

 

松風の力は失われたが、それは松風が危険にさらされる心配がほぼなくなったということ。

由紀江としては、嬉しい限りだった。

 

 

「大和さん。何から何まで、ありがとうございます」

 

「私達や松風が無事なのも、大和さんのおかげです」

 

「ありがとなー大和!」

 

「ははっ。いいってこと」

 

由紀江、伊予、松風から感謝の言葉を贈られ、大和は笑顔で返した。

 

 

 

由紀江達を家まで送った後、大和は風の番犬所に立ち寄っていた。

魔戒剣の浄化を終えて帰ろうとする彼に、神官イスマが声をかけた。

 

 

「ホラー・マツカゼ。放っていても大丈夫なのですね?」

 

「ええ。俺が封印を解かない限り、ホラーとしての本性を現すことはありません」

 

「…あなたは、大丈夫なのですか。消えようとしていたマツカゼに、自分の命を与えて」

 

「お見通しですか…」

 

 

ベルゼブブとの戦いの後、大和は松風に自分の命を分け与えていた。

今の松風のような小さな体で、しかも魔力が封印されている状態ならば、大和にとってわずかな命でも当分潰えることはないだろう。

 

しかし、どれだけ短い時間でも寿命が削られたのは事実。

人間の味方をする稀有な個体とは言え、なぜホラーにそこまでするのかイスマには分からなかった。

 

 

「…大事なものが自分の傍から消える辛さなんて、知らない方がいい。それだけのことですよ」

 

 

悲しげな顔をしながらそう言って、大和は番犬所を後にした。

 

 

 

 

 

―――翌朝 川神学園1-C教室―――

 

 

 

「おはようございます伊予ちゃん」

 

「オーッス伊予っち。今日もオラは勇気凛々胸いっぱいだぜ!」

 

「あはは。おはようまゆっち、松風。今日も元気だね」

 

 

今日もまた、教室には由紀江と伊予、そして松風の談笑の声が響くのだった。

 

 

 

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。
魔導馬のドリフト走行が大好きな常磐です。

今回のメインはまゆっちと松風、ファミリー外から伊予ちゃんも参加です。
「松風=ホラー」なんてトンデモ設定を出してしまいました。
マジ恋をプレイしていた頃、「もしも松風が本当に付喪神だったら」という
if展開を妄想していたことがあって、せっかくなので取り入れてみました。


では次回、第六話『正義』にてお会いしましょう。
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