なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
調子の外れた太鼓に合わせて、耳障りな合唱が始まる。
ここではないどこかに向けた賛歌は、ルキアの知らない邪神への捧げものだ。
穢れなき少年。穢れなき乙女。
生贄にはもってこいの人間が二人もいて、カルトの興奮は最高潮らしい。
漏れ聞こえる言葉から、新月が頂点に来るのを今か今かと待っているのが分かる。それ以外にも、彼らがフィリップを邪神に捧げ、その智慧を授かろうとしていることも。
ぎちり、と、食い縛った奥歯が音を立てる。
カルトたちは二人とも魔術で昏倒していると思っているだろうが、あの程度の魔術強度では、あと50回撃ち込んでもルキアの耐性を貫くことはない。
いまこの場で、不愉快極まるカルトを皆殺しにするのは簡単なことだ。だが、それはフィリップに禁じられている。
そう。
確かに、火力という概念からかけ離れた、ほぼ無条件で相手を塩の柱に変える超級の魔術は無効化された。だが逆に、ルキアの持つ最高火力は未だ試していないし、物理的な火力攻撃であれば通じるかもしれないとも言っていた。
ならば、カルトを鏖殺し、あの異形を数分でも足止めすれば、フィリップだけでも逃げられるかもしれない。
普段のルキアならフィリップの制止など無視していただろう。
弱者の救済が強者の義務などと嘯くつもりはない。ただ単に、カルトの生贄になって死ぬより、
醜く死にたくないのではない。一瞬たりとも無様に生きたくないのだ。
普段なら、ちょっと止められたくらいで止まることは無い。
普段通りでない思考と行動は、フィリップが盛られたのと同じクロガサテングダケの毒によるものだ。錬金術の素材や死霊術などの黒魔術に分類される邪法に使われる猛毒のキノコだが、その毒からは強力な服従作用のある麻薬が造られる。酩酊感や幸福感をもたらす神経を刺激し、命令に従うことが幸福であるように錯覚させるのだ。
フィリップの言葉に従いたい。命令して欲しい。それこそが幸福であるから。
同じ木の反対側に縛られ、眠りこけた少年を想起する。声が聞きたい。顔を見たい。何でもいいから、その存在を感じたい。
強烈な酩酊感と多幸感の中で、冷静な部分が疑問を提起する。
何故、
元々持っていたカルトへの嫌悪感と、フィリップから感じる殺意にも近い憎悪は混ざりあい、今やルキアも殺意を持っている。それがもうおかしいのだ。
あらゆる人物のあらゆる命令に従わせるのが、クロガサテングダケの毒ではないのか?
ルキアの中途半端なトランス状態は、クロガサテングダケの毒が魔術的手法によって精製されたことに原因の一端がある。魔術毒となったそれは、世界最高の魔術師であるルキアの魔術耐性に阻まれ、ただの酩酊剤程度の効果しか齎さないはずだった。
もう一つの原因は、黒山羊の本性、シュブ=ニグラスの落とし子の真の姿を直視し、カルトに拉致されるという状況にある。強烈な精神的ショックは正気度を喪失させ、ルキアを他者依存状態へ陥らせている。
最後の、そして最大の要因は、ルキア本人の性質にある。
美しく、孤高に、気品を忘れず優雅に。ゴシックと呼ばれるそれは、ルキアが後天的に、自分の意思で定めた性質、生き様だ。
その他にもう一つ、彼女はある性質を生まれ持っていた。
自己愛、自分の価値観への絶対的信頼、盲目的愛情と服従。ゴシックと究極的に相性が良い、ロリータと呼ばれる性質だ。
この極限状態が生来の気質を励起したのか、或いは薬物の影響かは不明だが、とにかく、ルキア自身すら自覚していなかったルキアの本質が表出した結果、限定的な服従状態というフィリップにとって都合のいい状態になっていた。尤も、ルキアの独走という最悪の中の最悪が避けられただけで、地獄には変わりないのだが。
カルトたちの歌声と演奏が変化する。
空を仰いでも月は見えないが、おそらく、もうじき新月が頂上に来るのだろう。
フィリップが起き出す気配を感じて、ルキアはそっと目を閉じる。
その一挙手一投足、発言の一つをも聞き逃さないように。
◇
目覚めたフィリップの前にいたのは、例の自称ネゴシエーターの男だった。
憐れみを込めた目で見つめられ、嫌悪感が倍増する。
「儀式の用意が整いつつあります。智慧持つ少年よ。これが最後通牒であり、最終勧告でもあります。どうか、その智慧を無為に散らさないで頂きたい」
「……聞きたいことがあります」
狂人の戯言を丸ごと無視して、フィリップはそう訊ね返す。
男は不快感を覚えた様子もなく、どうぞ、と先を促した。
「ですが、時間はそう多くありませんよ?」
「聞きたいことは一つだけです。僕がシュブ=ニグラスの乳を口にしたというのは、どういうことです?」
シュブ=ニグラスの乳、あるいは血肉。
口にしたものに大いなる力を与える代わりに、身体を変質させる劇毒。大概の場合において、身体能力の向上や魔術的能力の獲得などの効果を示す。
フィリップにとって重要なのは、その恩恵ではなく「身体を変質させる」という部分だ。
フィリップはまだ人間か? 矮小で、脆弱で、吹けば飛ぶような無価値な存在のままか?
もしも無価値と見下す人間の範疇を外れ、ただ大いなる視座と人外の肉体を持つモノになってしまえば──人の精神と人の肉体、その双方を失って、それはまだヒトと呼べるのか?
これはフィリップの存在にかかわる至上命題だ。
殺してでも聞き出す。ナイ神父が以前悪魔に使った、死体を生き続けさせる外法。あれを使ってでもだ。
「おや、心当たりが無いと?」
「えぇ。そんな汚泥にも劣るものを口にした覚えはありませんね」
ふむ、と、顎に手を当てて考え込み、数秒の後に指を弾く。
「では、祝福を受けたのでは? 以前に大いなる母に拝謁したことは?」
前に一度会いませんでしたか? みたいな聞き方をされても困る。なんせ近所の教会にいるのだ。積極的に会おうとは思わないが、会おうと思えばいつでも会えるし、何なら向こうから会いに来る。
「額に手を当てられたとか、口づけを賜ったとか、何かありませんか?」
知識欲に目を輝かせて、男が尋ねる。
そんなことを言われても、その程度なら日常茶飯事だ。会った日には必ず何かしらのスキンシップがあるし、そんなのを一々数えていられない。
寵愛にも祝福にも山ほど心当たりはあるし今更どうでもいいが、肉体の変質だけは駄目だ。
この脆弱で矮小で何もできないと言っても過言ではない無価値な身体は、フィリップが人間であり続けるための重要な、最後の砦なのだ。この身体が弱いからこそ、人間であるからこそ、フィリップは無価値なヒトに寄り添い、人間と人間社会を守ろうと思えるのだから。
「いえ、ね? 私も確たる証拠があって申し上げたワケではないのです。ですが、貴方の漂わせるその香り。星と月の香りは、上位者の祝福を受けた者に特有のもの。特に、あの黒い仔山羊が反応したということは」
母なる神の祝福に相違ないかと。そう考察を語った男は、なるほど、確かに智慧があるらしい。少なくとも単なる狂人ではなく、智慧を得た果てに狂った、探求者のなれの果てだ。
「仮に、祝福を受けたと言ったら、丁重にもてなしてくれたりするんですか?」
「ははは。我々は既に、貴方が祝福を受けている前提で行動していますよ」
祝福を受けているから──母なる神にとって特別な存在であるから、それを捧げて見返りを貰おうと。そういうことか。
「なるほど。じゃあ、彼女は逃がしても問題ないでしょう?」
「あぁ、いえ。彼女にはその子宮に需要がありますので」
木の裏側でびくりと震えた気配を感じる。
犯されるか、切り分けられるか。部位を指定した時点で、碌な目に遭わないのは目に見えている。
「君の精神だけであれば、私が助けて差し上げられますが?」
無言で中指を立て、返答の代わりとする。
「……そうですか。では、君を捧げ、母なる神より智慧を賜ることにしましょう」
フィリップを縛る縄が解かれ、担ぎ上げられる。
睡眠魔術の余韻と酩酊感をもたらす麻薬の影響で、フィリップは半ば全身麻痺に陥っており、抵抗らしい抵抗が出来ない。
どうせ、シュブ=ニグラスを召喚した時点で決着だ。彼らは鏖殺され、フィリップは悠々と、或いは鬱々と、マザーに手を引かれて森を出るだけのこと。抵抗しようと服従しようと、訪れる結果は変わらない。
だが、頭の片隅に何かが引っかかる。意識の有無に関わらず、彼らの全滅は決定事項だ。だが、絶対に意識を残しておかなければならない理由があったはずだ。マザーを止めなければならない理由があったはずだ。守らなければならない人が、いたはずだ。
寝惚けて、酔っている場合ではない。
この場にはフィリップが助けなければならない相手が、まだ一人残っている。
もしナイ神父が彼らをフィリップに宛がう枷として用意したのなら、黒山羊には「殺さないように」と命令、或いは調教していたはずだ。その方がフィリップが背負うモノは多くなり、つまり捨てるモノも多くなる。
「──『粛清の光』!」
確固たる意志を感じさせる声が、反省にかまけて意識を手放しそうになっていたフィリップの頬を張る。
夜天を裂き、一条の光が森を穿つ。
禍々しさが一切感じられない現代魔術。中でも光属性のほぼ最高位に位置する、邪悪なるものを問答無用で塩の柱に変える神の審判。
カルトの群れをなぞるように軌道を描き、カルトたちが断末魔を漏らすことも無く塩の柱に変わる。
邪悪か神聖かでいうと邪悪寄りのフィリップだが、幸い、フィリップは照準対象ではないらしい。
詠唱者に目を向け、瞠目する。
赤い瞳に燃え上がる、強靭な守護の意志が伝わる。
全身から吹き上がるようなプレッシャーは、最高位魔術の行使を経てなお余った余剰魔力によるものか。精神力や生きる意志とも呼ばれる魔力は、時に余人の心を強烈に震わせる。
だが無価値だと、破綻しつつある価値観が評定を下す。
そして、彼らと同じだと、人間性の輝きを焼き付けられた記憶が喝采する。
素晴らしい。美しい。
「その子を放しなさい」
淡々と、ルキアが宣告する。
振り切れた殺意が見掛け上の冷静さを齎しているのか、怜悧な美貌は怒りや憎悪で歪んでおらず、状況も相俟って神聖さすら感じさせた。
あぁ、いや、神に認められた聖痕者──聖人なのだったか。
かつて堕落都市ソドムを町ごと焼き払った、神の僕たる天使の中でも最高位、熾天使の所業として語られる、罪人の粛清。
フィリップを抱えていた狂人、今や唯一残ったカルトが警戒も露わにフィリップを放す。どさりと乱雑に地面に落とされ、痛みに呻く。
「……」
じりじりと後退っていたカルトが、ふと弾かれたように踵を返し、走り出す。
ルキアはそれを追わない。いや、追えない。
その身を挺して天を裂く光から祭壇を守っていた黒山羊が再起動し、ルキアに襲い掛かる。極太の触手による一撃は、ルキアの展開した魔力障壁によって辛うじて防がれた。
「ッ!」
コンマ数秒遅れていたら、ルキアは血煙と肉骨粉として森の栄養になっていた。
ルキアは光属性最強の魔術師だが、その性質は極めて攻撃に特化している。貴族の嗜みとして剣術などの武術を修め、相手の攻撃を見切る目を養ってはいるが、相手は人間の速度をぶっちぎる怪物だ。嗜み程度ではどうにもならない。衛士レベルの才と研鑽があれば危なげなく対処できるのだろうが、純魔術型といっていいルキアでは高望みだ。
「逃げて、フィリップ! 時間は稼ぐから!」
折れかけといっていい足をさらに酷使し、ルキアは最早走ることもままならない。
隙を作れても、フィリップと共に逃げるのは不可能だった。自己犠牲的な判断に、天上の唯一神は何を思うのか。喝采するか? いや、きっと、真実は格言にもある通り。
神は天にいまし、すべて世は事もなし。──この過酷な現状すら、神の描いた運命の通りなのだ。
ならば。
そんな神は、地に堕ちてしまえばいい。フィリップの死が神の定めた運命であろうと関係ない。
「《明けの明星》ッ!」
どくん、と。右目が疼くのを意識から外し、ルキアの持つ最高火力を展開する。
周囲から光が消え、闇の帳が降りる。いや、光は消えたわけではなく、ルキアの掌の上へと収束していた。ルキアの周囲一帯に存在する全ての光を凝縮させた親指の爪ほどの大きさの光弾は、人間では計測すらできない超高エネルギーの塊だ。
光の質量はゼロ。故に音もなく、余波も無く、大気を裂くことも無く、それはただ静かに射出された。
地球の重力程度であれば容易く振り切るだけのエネルギーを持つ光弾は、魔術の効果が切れるまでの約二秒間、直線状に存在する物体を貫通して突き進む槍だ。やがて宇宙空間で拡散するまで、射線上にあるものはたとえ星でも貫き通す。
黒山羊を貫き、森を貫き、光弾が街を貫く前に世界に呑まれて消える。
光ゆえの回避不可。性質故の防御不能。
粛清の光を最強の範囲攻撃魔術だとすれば、明けの明星は最強の単体攻撃魔術。
周囲に光が戻った時、黒山羊と森は凄惨な状態だった。
小さな光球が起点とは思えない、フィリップが二人は入るサイズの破壊痕。光が通過した後に、そのエネルギーが破壊に変換されたことによるものだ。
傷口を沸騰したようにぼこぼこと泡立たせ、腐臭を漂わせる黒山羊と、くりぬかれたように綺麗な断面を覗かせる森。正反対ではあるが、その破壊は同一射線上に存在し、同じ一撃で死に貫かれたことが窺えた。
クトゥルフ神話要素の強さ塩梅
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多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
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多いけどまあこのぐらいで
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ちょうどいい
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少ないけどまあこのぐらいで
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少なすぎる。もっとクトゥルフしていい