なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
フィリップがトイレから戻ってきて、一行は再び貴賓席に向かう。
すっかりいつも通りの雰囲気になったフィリップは、自然とルキアとステラの間に挟まって手を繋いでいた。
場所も装いもシチュエーションも、「そこは腕を組んでエスコートする場面だろう」と突っ込んできそうだが、三人にとってはこれが一番馴染む形だった。
「……三人で並んで歩くの、なんか久しぶりですね」
「そうだったか?」
「フィリップを真ん中に挟んで歩くのは、そうかもしれないわね」
重い荷物を下ろしたような気楽な笑顔を向けられて、二人も同質の笑顔を浮かべる。
安心感と、言葉につられて昔を思い出して胸に過る懐古は三人共通。しかし、中にはあまり良いものではない感情を抱く者もいた。
うち一人はフィリップだ。
「魔術学院に居た頃を思い出しますね。……ははっ」
「……どうした?」
乾いた笑いをこぼし、心なしか背中を煤けさせたように見えるフィリップに、ステラが怪訝そうに笑う。
ルキアも心配そうにフィリップの顔を覗き込むが、その仕草がまたフィリップの心を引っ掻いていく。傷を負うような生温いメンタルはしていないというか、むしろズタズタを通り越してドロドロになったせいで傷なんか付かないのだが、ショックではあった。
「いや……自分では背が伸びたつもりだったんですけど、こうしてみると二人のヒール分程度なんだなあって……」
二人と手を繋いで横並びになってみて、フィリップはふと、学院時代と目線の差が変わっていないことに気付いたのだ。
一応、ジャケットを作るときの採寸で身長が伸びていることは確認が取れている。
しかし、まだルキアとステラには並べない。頭一つ分とまでは言わないが、まだ二人の方が目線が高い。
別に、だからどうしたという話ではあるのだが──それでも、今のようにフォーマルな恰好をして二人の隣に立つと、どうにも見劣りするのが引っかかった。
「まだ13……いや、じき14か? とはいえまだだろう。これから伸びるさ」
「そうね。それに、初めて会った時と比べたら見違えるほどよ」
「そりゃあ、あの時はこんな上等な服は着てませんでしたからね。というか、今でも積極的に買おうとは思わない値段ですけど」
遠くまで来たものだと、しみじみ思うフィリップ。
四年前──まだ田舎に居た頃は、タキシードなんか一着も持っていなかったし、いま普段着にしているジャケットも、もし持っていれば最上級のおめかしだった。一年に一回着るかどうか、小さくなっても布を継いで着続けるような、そんなレベルの。
それが今や、ペッパーボックス・ピストルのドロウレスで穴を開けることにも、火薬の匂いが染みつくことにも頓着しなくなった。
血で汚れても、「あーあ、ルキアが選んでくれたやつなのに」程度の落胆だ。「一張羅に何してくれる!」とはならない。
服も、下着も、靴も、整髪料までもが一級品。そして、それを何とも思わなくなった。田舎に居た頃だったら、汚すどころか皺が寄ることにすら怯えて、一歩も動けなかったかもしれないというのに。
それに──ルキアとステラ。
聖痕者で、公爵令嬢と第一王女。昔は名前すら知らなかった、雲の上の人。
それが今や、大切な友人であり、お互いの理解者であり、人間性を担保してくれる導だ。
尤も、そんな関係性は当時も今も望んだものではないけれど。
「田舎から出てきた宿屋の丁稚が、今や救国の英雄だからな」
揶揄に満ちた笑みを浮かべるステラに、ルキアとフィリップは揃って愉快そうに笑った。
別に、彼女の言葉は間違ってはいない。
間違ってはいないが──不足ではある。
フィリップを指して語るなら、重要なのは“龍狩りの英雄”ではなく、“魔王の寵児”だ。尤も、ルキアもステラも、それが何を意味する言葉なのかは分かっていない。
或いはフィリップ自身さえも、本当のところは。
「ね。王都ドリームとは言いますけど、怖いこともありますねぇ」
「……笑うところか?」
と、そんな話をしているうちに、劇場内でも最も上等な貴賓席に着いた。
通常の観客席と違い専用の扉からしか入ることが出来ず、壁から少しせり出したテラス構造のため、階下から誰がどこに座っているのかを見られない──狙撃されない、警備しやすい設計になっている。
そればかりではなく、通常の椅子の他に、いっとう豪華な玉座が二つ並んでいる。言うまでも無く国王と王妃のためだけに用意されたものだ。
テラス内には既に人が居たが、誰も彼も壁際に立っているか、手すりから階下を覗き込んでいるかで、座っている人間は一人もいない。女性が数人いるが全員がパンツスーツ姿で、足元も革靴だ。
彼らが警備要員なのだろうと思い、なんとなく視線を巡らせると、その中の一人が小さく手を振っていた。
いやにフレンドリーな仕草に視線が吸い寄せられ、顔を見る。
手を振っていたのは、フィリップの武器戦闘の師匠であるマリー・フォン・エーザーだった。満面の笑みを浮かべており、フィリップもつられて笑顔になった。
「お久しぶりです、マリー先輩」
「久しぶり! フィリップ君は相変わらずだね!」
マリーの言葉の意図を計りかね、フィリップは曖昧に笑う。
彼女は「相変わらず二人と仲がいいね」と、少しだけ揶揄い交じりに言ったつもりだったのだが、フィリップは「身長の話かな」と少しだけ気を悪くしていた。
まあ別に、噛みつくほどのことではないけれど。
「ところで、先輩がここに居るってことは、ここの警護は王宮の武官が担当してるんですか」
「そうだよ、建国祭の演目の一つってことでね。まあ、私は演奏中はロビーの巡回担当なんだけど」
ふむ、と顎に手を遣り、警備員を観察するフィリップ。
しかしドア横に居た彼のように、ジャケット越しに武器を見透かすことはできないし、一睨みで技量を見抜く目もない。勿論、魔力の量や質といった、魔術師としての性能も察せられない。
結局、観察は大した成果を上げなかったが、マリーの強さはフィリップも身を以て知っている。頼もしく思いこそすれ、文句を付けるつもりはない。
ただ、少しだけ気になることはあった。
「……何か不審なモノを見たりとか、そんな報告があったりしませんでしたか?」
「いや、特には? 建物の外……というか王都内は衛士団の巡回が居るし、ここまで辿り着けた不審者がいたら、斬る前に褒めてやってもいいかな」
「はは……」
マリーの答えに、フィリップは愛想笑いを返した。
不審人物の発見報告なし──ということは、誰もカノンに気付かなかったらしい。
無理もないといえばそうなのだが、抜け目があるのは確定した。
さっきのカノンの言葉が無ければ、また警戒の度合いを引き上げていたところだ。
◇
数分前。
トイレに入ったフィリップは、他の客が居るのを見て、自然な動きで小便器の前に立った。
そのまま用を足していると、当然ながら先客が済ませて去っていく。
トイレ内にフィリップ一人だけになった直後、背後に気配が増えた。
「──フィリップ様」
不自然にくぐもった声。
何の前兆も無く現れたその主は、息遣いや体温が感じられるほどの距離にいる。背後、無防備なフィリップを如何様にも出来る位置に。
流石のフィリップもびくりと肩を跳ねさせ──しかし、それ以上の反応はしない。
「っ! ……オシッコしてるときに急に後ろに立たないで。急に振り返ったりしたら大事故だよ?」
用を終えて、フィリップは洗面台に向かう。
鏡に映った背後の景色には、ガスマスクを着けた少女──赤黒い鱗に覆われた四肢と、蝙蝠とも昆虫ともつかない翼膜のある羽を持つ異形のヒトガタが居た。
罪人か巡礼者のような白い貫頭衣は清潔そうに見えるが、この劇場のドレスコードにはとても満たない。だというのに平然と中に入っているということは、普通ではない方法で侵入したのだろう。
フィリップが予定した通りに。
「……私は別に気にしませんよ?」
「僕の服が汚れるでしょ。……それで?」
フィリップはぞんざいに、鏡越しに目を向けることすらせず問いかける。
カノンは恭しく──或いは機械的に頭を下げ、答えた。
「観客総1608名、警備要員205名、楽団関係者以外は全て正常な人間であると確認できました」
「……そう」
誇るような気配もない立て板に水の報告に、フィリップは内心「凄いな」と感動する。
観客の数も警備の数も想像以上だったし、それを全て調べ上げたカノンも、それが可能なように調整したナイアーラトテップも。
カノンが調子に乗ると面倒なので、口には出さないが。
「お疲れ様。あとは誰にもバレないようにしつつ、妙なのが入り込まないように監視して。カノンじゃ勝てないような相手だったら僕を呼んで」
トルネンブラが仕組んだ──もとい、仕込んだ楽団の演奏会は、正直に言ってすごく楽しみだ。途中で邪魔されて退席するような真似は出来る限り避けたい。
だが、カノンで対処不能な相手なら邪神を呼ぶか、最低でもミナは呼ばなくては話にならない。どちらにしても、召喚できるのはフィリップだけだ。
やだなあ、面倒臭いなあ、と書かれた顔で深々と嘆息するフィリップ。
しかし、カノンは承諾を返さず、むしろ怪訝そうな──胡乱な視線を向けた。
「そもそもトルネンブラが、フィリップ様の為に本気で企画した演奏会に、貴方の集中を乱すような汚物……もとい、異物が紛れ込むことを許すでしょうか」
「え? うーん……」
それはフィリップも考えていたことだ。
観客ではなく楽団員の方で、だが。トルネンブラが集めたメンバーなのだから、人外が紛れ込まないように手を回すことは簡単だ。
しかし観客にまで気を払うだろうか。気を払ったとして、上手く行くだろうか。
仮に招待状を渡す相手を選んだとしても、その人物が人外によって殺されたり、洗脳されたり、或いは成り代わられたりしたら終わりだ。異物の混入を防げない。
まあ、そんなことは起こらなかったと、カノンが証明してくれたわけだが。
「猿に木登りを教えるようで恐縮ですが、フィリップ様、トルネンブラは外神ですよ? ナイアーラトテップやヨグ=ソトースのように万能であったり、シュブ=ニグラスのように強大であるという印象がないせいで、お忘れかもしれませんが」
呆れたようなカノンの言葉に、フィリップは怪訝そうに眉根を寄せる。
トルネンブラが外神だなんてことは言われるまでも無く知っているし、その前提に基づいて思考している。今更言われるまでもないと。
「万能な化身、強大な化身など、外神が三次元世界を弄り、思うがままの結果を作るのには何ら必要がありません。もしもフィリップ様の恐れているように、地球外存在が大挙してコンサートを聴きに来たとしましょう。それらを街ごと踏み潰したり、永久に別次元を彷徨わせたり、永劫混沌の泥に飲み込ませたりする必要はないのです」
心当たりがあるようなないような例を挙げられて、フィリップの思考が回想に寄る。
しかし本格的に記憶の走査を始める暇もなく、カノンが先を続けた。
「外神に戦闘能力など──万能性や強大さなど不要なのです。彼らは気に食わない文章を斜線で消して書き換えるが如く、邪魔なものを容易に消してしまえる。存在しなかったことにしてしまえるのですから」
ミ=ゴの兵器は滔々と、教え聞かせるような口調で語る。
無機質を取り繕った声には、どこか呆れにも似た感情が滲んでいた。外神の基本性質を忘れた馬鹿を相手に説明するには、そのくらいの温度感が合っている。
しかし──そんなことはフィリップだって知っている。知っているし、覚えている。
「あぁ、うん……そうだね?」
既知の情報どころか一般常識を自慢げに語られたかのように、フィリップは嘲笑を通り越して最早引いていた。なんだこいつ、と顔に書いてある。
しかし少し考えて、フィリップは自分が間違っていることに気付いた。
いや──間違っている、というか、違っている、だろうか。
カノンの言い分は正しい。
確かに外神はあまりにも強大で、戦闘能力的な意味で強い必要はない。
剣術とか射撃とか、刺胞装甲とか格闘能力とか、或いはもっと凄まじい、雷霆を司るとか地震を引き起こせるとか、原初の混沌や超重力の穴を作り出すとか。
そういった戦闘技術を、彼らは必要としない。
敵と戦う必要はない。敵を消し去ればいい──敵など居なかったことにすればいいだけなのだから。
それと同じで、今回も招かれざる客に注意する必要も、排除する必要も無い。そんなものは、トルネンブラが望めば存在しないことになる。
──しかし、フィリップの認識もまた正しい。
外神連中は、余程のことがない限りそれをしない──化身が物理的に対処するという認識は、正しい。
何故なら、フィリップはそれを望まないのだから。
「でもさ、僕、それヤなんだよね」
「……はい?」
さも当然のことのように、フィリップは何の道理もないただの感情を口にした。
呆れよりも困惑が勝ったのか眉尻を下げたカノンに、“魔王の寵児”は小さく肩を竦めてみせる。どうしてわからないのかと、逆に呆れたかのように。
「それをされると、僕の行動やこの先の運命みたいなものが如何様にでも捻じ曲げられる。別に、どうせ泡なんだから、僕の思考や行動が無意味になっても、それはゼロイコールゼロってだけだよ? でも、とはいえ──
その言葉を、カノンは理解できなかった。
しかし──納得は出来た。ナイアーラトテップに与えられたフィリップの情報と照らして、すんなりと。
ミ=ゴの兵器であるカノンは、化け物だ。
化け物の身体を持ち、地球外の文明の知識を持つ。思考プロセッサは人間の脳をベースにしているものの、思考のベースはミ=ゴの知識と兵器の価値観、そしてナイアーラトテップによる“調整”。
対して、フィリップの身体は一片の例外も無く人間のもの。
しかし、その思考は外神の視座と智慧によって汚染されている。そしてそれは、樽一杯のワインに落とされた泥水のような、生易しいものではない。
フィリップの精神をその例に倣って表現するのなら、樽を蹴り倒して泥の上にぶちまけて、土砂ごと詰め直したようなもの。もう、ただの泥だ。ちょっとだけ葡萄とアルコールの匂いがする、程度。
所詮は一滴の泥水程度でしかないカノンより、余程触れている。触れているし、振れている。
フィリップとカノン。
より外神に近いのは、化け物であるカノンではなく、人間であるフィリップなのだ。
そんなフィリップは、珍しくカノンに嘲笑抜きの笑顔を向けた。
「まあでも、君の意見も尤もだ。世界の改変はしないまでも、それなりに本気で仕組んだだろうってのはね」
実際のところは分からないし、カノンより外神に近い身としては疑問が強いが、かなり気が楽になった。
因果律操作だの過去改変だのはともかく、三次元世界内部での化身を使ったおままごとでも、外神が持つ手札は無限にある。
トルネンブラがどういうスタンスかは判然としないが、フィリップが演奏を聴くことなく席を立つような状況は、彼が最も望まないものだろう。
心配事が消えると、今度はどうでもいい疑問が浮かんだ。
「そういえばカノン、前から聞こうと思ってたんだけど、外神の名前を口に出せるようになったの? 前は恐れ多いとか言ってなかった?」
「え、いや、だってフィリップ様のご尊名を口にして、他の外神だけは名を隠すなんて……流石に面白すぎませんか?」
「何言ってるんですかぷーすす」と腹の立つ笑い方をするカノン。
いつもなら「こいつ……」と拳を握るところだが、今のフィリップは上機嫌だった。
「お前は僕に「ナイアーラトテップとシュブ=ニグラスの化身に会わせろ案内しろ」と言ったけどね、初対面のとき」
「その節は本当にご無礼を働きまして……! 何卒お許しを……! なにとぞ、ナニトゾ……」
平伏するでもなく頭を下げるでもなく、両腕をY字に掲げるカノン。
ミ=ゴに設定された最上級の敬服を示すポーズなのは知っているが、それでも愉快な恰好で、フィリップはいっそう上機嫌に笑った。