なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 競売(オークション)というものを、フィリップは経験したことが無かった。

 一応の知識として、一つの品を複数の希望者が価格を提示しあい、最終的に最も高い値を付けた者に購入権が与えられる売買方式、という知識はある。

 

 歴史の授業で、古くは奴隷や花嫁を商品とした競売市場が存在していたことも習った。

 丁稚時代には、セルジオが珍しい酒を競りで落札してホクホク顔で帰って来たこともある。

 

 しかし実際に目にするのも、会場に行くこと自体も初めてだ。

 

 案内された会場は、元からオークションに使われることもあったという、とある商館が所有するホールだった。

 シャンデリアと飾りガラスで煌びやかに彩られた空間に、仕立ての良い服を着た参加者たちがずらりと並んでいる。

 

 人身売買の会場と聞いてイメージしていた、薄暗く密やかな空気は無い。

 もっとこう、地下の荘厳なホールで仮面を付けた参加者たちが、何のコミュニケーションもせず静かに札を掲げるだけ──みたいな想像をしていたのだが。

 

 実際は普通に素顔だし、着飾ったお金持ちたちが談笑しあう空間だ。

 明朗な雰囲気の司会者が小気味よく紹介する壇上の商品が、ただの美術品や高級酒であるかのような、上流階級の社交場じみた華やかさがあった。

 

 「それでは次の品──元商家の娘。年齢17、女性、処女。血質、肉質共にBとなっております! 極上とは言い難い? とんでもない! 容姿端麗、肢体の比率も美しく、健康そのもの! 大衆食堂などには決して並ばない珠玉の逸品です! では金貨50枚*1から!」

 「高ぁ!?」

 

 露天に並んでいた人間の、更に倍ぐらいある。

 タベールナは衛士団と提携しており、更に食堂の評判も良く利用者が多かったが、主人の一月の収入は金貨五十枚も無かった。従業員の制服や食費に消えていくというのもあるが。

 

 それが最低金額。フィリップは思わず叫んでしまった。

 

 突然の大声に視線が集まり、声の主を無作法な子供と見て、迷惑そうに商品へ戻っていく。

 つい方々に会釈をしてから、化け物相手に何をしているのかと自嘲した。

 

 「……別にそのくらい、払えるのではありませんか?」

 「いや、今はね? ……うわ、今は払えるのか。凄いな僕。いやありがとうレイアール卿」

 

 不思議そうなアンテノーラの問いに答えて、フィリップは今更気付いたように目を丸くして驚いた。

 

 田舎に居た頃は勿論、給与の大半が食事や衣服といった現物支給だった丁稚の頃でも考えられない金額。

 しかし現在の貯蓄額からすると、感覚的に軽くはないが懐が痛むこともない程度の出費だ。普通に出せる。

 

 (聖国)ってどっちだ、と言いながら適当な方向に拝むフィリップに、アンテノーラは困惑顔だ。

 

 海育ちで、地上に出てからもスグルオ・フィルに日常生活のほぼ全てを任せていた彼女は、今一つ貨幣価値や物価を認識していない。

 しかし伴奏者を集めるために大陸中を巡って行った練習公演の副産物として、帝国皇帝から貴族、豪商など、数多くのファンやスポンサーから莫大な支援を得ている。

 

 彼女にとっては金貨五十枚でも百枚でも、普通にポンと出せる金額だ。ちゃんとした客を集めて一曲歌えば、十倍の金貨と贈り物が山と積まれることになるのだから。

 

 「貴方様。片端から人間を買って、そのまま町の外に送り出すという方針でよろしいですか?」

 「……え、どうだろう。ちょっと作戦タイム」

 

 四人は顔を突き合わせ、会場の誰にも聞かれないよう声を潜める。

 

 「流石に総数も分からないのに取れる戦略じゃなくない? 王国から活動費は貰ってるけど、金貨五十枚も無いよ」

 

 まさか全財産を持ち歩いてるの? と問われたアンテノーラも、流石に首を横に振る。

 フィリップとしては、むしろ安心した。物腰や所作からお嬢様っぽいとは感じていたし、文化や種族どころか生息域がそもそも違う生き物とはいえ、大金を持ち歩かれるのは精神的によろしくない。

 

 レイアール卿のお小遣いがあるとはいえ、フィリップは基本、心根が一般人なのだ。

 

 今回に関しては、予算はほぼ無限、後から報告すれば幾らでも補填できるとは言われているが、そもそも手持ちがない。

 

 「借りるか、後払いにすればよろしいのでは? どうせ三日後には踏み倒せるわけですし」

 

 とカノン。

 しかし小市民としては、踏み倒す前提、どうせ殺す相手だとしても、金を借りる行為自体になんとなく忌避感があった。

 

 それに、街の外からやって来た観光客相手に金を貸してくれる善人──或いは金をドブに捨てる酔狂な趣味を持った大富豪が、そう易々と見つかるとは思えない。

 普通は持ち逃げを警戒して嫌がるだろう。後払いも同じく。

 

 特にオークションという形式は、支払い能力の保証があってこそ成立する。

 競売を取り仕切っているボルドマートの口添えがあって、ギリギリ通るかどうか。

 

 そんなことを考えているうちに、壇上の少女は金貨150枚で落札された。

 

 「続いては──元兵士。年齢23、男性、非童貞。血質はC、肉質はAとなっております! 鍛え上げられた肉体は健康そのもの! 残念ながら童貞ではなく血の味は落ちていますが、そこは売りではありません。彼は部隊の仲間が全て吸血鬼となった後も諦めることなく戦い続け、かつての友人を二人も手にかけた! 強い精神と反骨心を持った、食用ではなく()()用に適した品となっております! では、こちらは金貨70枚から!」

 

 嗜虐心を擽られたのか、血の味は落ちると明言されてなお、先の少女より飛び交う声が激しい。

 75、80、85と立て続けに値段が上がっていく。あっという間に100を超え、110、120と、互いを牽制するかのように値段が飛ぶこともあった。

 

 「150!」

 「200だ!」

 「250!」

 

 先の少女の値段を飛び越え、番号札を上げ続けているのは二人だけになった。

片や細身の男、片や恰幅の良い婦人だ。双方ともに華やかな衣装を身に纏い、傍目にもその裕福さが見て取れる。

 

 「これは、豪商ソルビット氏と、ランナゲート屈指の名家マンナ夫人の一騎打ちとなりました! 札が上がった! ソルビット氏、300!」

 「……330よ!」

 「くっ……340!」

 「さ……350よ!!」

 

 札は揚げられ続け、価格もどんどん上がっていく。

 金貨350枚となると、王都三等地に小さめの家が建つ値段だ。まあそのレベルの買い物を現金一括で支払うケースなんか殆ど無いので、大まかな指標にはなるが。

 

 「……っ! 400だ!」

 

 痩身の商人が吼え、会場がどよめく。

 

 「なんと、400! 400が出ました! 吸血鬼になって羽振りの良くなった方は多いですが、誰も ソルビット氏には敵わないでしょう! では──」

 

 金貨400枚。

 職や居住地によっては、一生かかっても手にすることはないような金額。王宮勤めの文官でも、年収が金貨400枚を超えるのは、それなりの技能と職位を持つ人材だけだ。

 

 正直、フィリップは人間一人に金貨400枚もの価値を感じない。

 金貨それ自体に対する価値認識さえ、既に崩壊している。

 

 土地が買える。家が買える。

 生活水準を大きく下げる代償に王都を出れば、一生働かなくても生きていける。

 

 だが──物も、命も、人生も、全て泡沫に過ぎない。畢竟、通貨という「交換用媒体」、量次第でどんなものとでも等価となり得るモノの価値もまた、暴落する。

 全ての価値がゼロである以上、等価であるモノの価値もゼロだ。

 

 金貨400枚が大金だという金銭感覚はある。

 お金は大切だという意識もある。

 

 だが天地万物に価値がない。

 

 故に──感情が優先される。

 

 「──750」

 

 札は無く、声もそれほど張ってはいない。

 しかし不必要に騒ぎ立てることを善しとしない参加者たちの品性と、数字(金額)の持つ力によって、フィリップの言葉は会場に難なく浸透した。

 

 「……っ? な……あ、ええと……?」

 

 提示金額のほぼ倍。

 それも対抗心から不必要に吊り上がっていたラインを大きく飛び越えた価格に、司会者は困惑の声を漏らした。

 

 静まり返った会場に、発言者を見ようと振り返り、服の擦れる音だけが幾つも重なる。

 

 その中を、フィリップは壇前まで悠然と歩いて進んだ。

 

 「僕が彼を金貨750枚で買う」

 

 有無を言わせぬ断固たる口調に、司会者は怯んだように一歩下がる。

 

 他の参加者は気圧されたというよりは、困惑から口を挟めずにいた。

 フィリップの着ている服は全てルキアが選んだもので、所作にはルキアやステラやミナといった生まれついての貴種の振る舞いが移っている。

 

 一見しただけで相手の身分をなんとなく察せられる、豪商や名家の人間には、フィリップがとても曖昧な存在に見えた。

 

 立ち居振る舞いは、本当に名家で生まれ育った人間を100点とすると、まあ30点か40点くらい。着衣は長旅による汚れやほつれを加味して80点。

 首にはペットであることを示す首輪が付いており、対等性という意味では大きく減点だ。

 

 だが、名家の人間は表市場に並ばず、こうしてオークションで高値で取引される。

 つまり彼の購入者は、オークションで高級ペットを買い、特上の服を与え、武器さえ持たせるほどの吸血鬼ということ。

 

 人間(食料)だからという理由で蔑ろにするには、あまりにも危険だ。

 

 参加者の動揺が解け始め、「誰?」「さあ? 飼い主は……あちらのレディかな。お見掛けしない方だが」という囁きが伝播していく。

 許しもなく無作法に視線を投げかける低劣な同族(残飯モドキ)を、ミナは不愉快そうな一瞥で黙らせた。

 

 「ええと……ペット君、ご主人様はあちらの方かな?」

 「どういう質問? “僕が”買うと言ってるんだ。僕を見て話せ」

 

 愛想笑いを浮かべて友好的な姿勢を見せた司会者だったが、フィリップは応じる様子を見せない。

 不愉快そうに眉根を寄せ、吐き捨てた。

 

 「あー……」

 「……支払えるのか疑問? まあ、うん、そうだよね。分かるよ。実際、そんな手持ちはない」

 

 フィリップがへらりと笑うと、緊張が解けたのか「なら引っ込め!」「ガキの遊び場じゃねえぞ!」なんて、言いたい放題の罵倒が飛んで来る。

 

 ペットの粗相は主人の責任というのは人間と共通の価値観だろうが、ミナの異質さを感じ取ったのか、彼女に暴言が飛ぶことは無かった。その瞬間に自分の首が飛ぶことを、なんとなく察したのかもしれない。

 

 「──ただ、支払い能力を示すことはできる」

 

 金貨750枚。

 宮廷魔術師でも準備するのに数年かかる凄まじい大金だし、そんな額を持ち歩く馬鹿はいない。

 

 だが用意しようと思えば、フィリップには可能だ。

 龍狩りの折、聖国からフィリップに宛てられた報酬は金貨10000枚。二等地に土地と家を使用人付きで買って、遊んで暮らせる額だ。

 

 しかし、フィリップはその金に手を付ける気はなかった。

 

 どぱっ、と、大量の水が零れたような音が会場に響く。ほぼ同時に幾つもの悲鳴が上がり、椅子を蹴立てて立ち上がり、飛び退く音が連続した。

 

 司会と参加者の視線が音のした方に集中し──また、悲鳴と立ち上がる音が幾つも重なる。

 

 最後まで競っていた二人、痩身の男と恰幅の良い婦人が、身体を黒い粒子に変えて空気に溶けていく。それは魔物の死後に見られる消滅であり、彼らの死を意味していた。

 

 痩身の商人は、心臓──吸血鬼にとって唯一の急所である、ストックのプールを抉り出されて死んでいた。

 

 腐臭を放つドス黒い返り血を浴び、ガスマスクをしていても分かるはっきりとした嘲笑を浮かべた異形の少女──カノンは手にした心臓を床に落とす。

 刺胞装甲の毒で腐敗したズタズタの肉塊は、じゃり、と棘の擦れる音を立てて転がり、黒い粒子になって消えた。

 

 恰幅の良い名家の夫人は、胸と頭、心臓と脳を蹴り砕かれて死んでいた。

 

 一滴の返り血も浴びず、しかしカノンよりも周りを派手に汚した血の華の上で、滑らかなインディゴブルーの髪を持つ女性──アンテノーラは、太腿までたくし上げていたスカートを戻し、穏やかな笑みを浮かべた。

 

 周囲から上がるのは悲鳴と後退りの音ばかりで、攻撃どころか怒声さえ飛んで来ない。

 

 まるで一般人……いや事実、戦闘訓練を受けていないという意味では一般人の集まりなのだろうが──吸血鬼(バケモノ)としては余りにもお粗末だ。

 それに、心臓を破壊するとストックを一度に大量に削れるとは聞いていたが、まさか一撃で死ぬとは。ストックの総量も大したことが無ければ、カノンとアンテノーラの近接攻撃に反応することも出来ていない。

 

 背中にミナの静かな怒り──見るに堪えないほど低劣な同族に対する不快感が、熱とも冷気ともつかない威圧となって届く。

 

 対して、フィリップはむしろ上機嫌だった。

 

 「良い給仕でしょ? 僕の求めるものを持ってくる」

 

 静まり返った会場に、フィリップの楽し気な声が響く。

 僅かな衣擦れの音と共にカノンが腰を折り、機械的に整った礼をする。アンテノーラは、逆に少し不満そうだ。

 

 歌による補助も無しに素のスペックだけで殺せたから──歌声を捧げる機会も無く、ウォーミングアップにもならないような戦闘未満のことをする羽目になったからだろう。

 

 「彼らの支払い能力は認めていたね。──350プラス400、750だ」

 

 彼らを殺し財産を奪ったのだと、フィリップは言外に告げる。

 

 誰かを殺したら、その資産が丸ごと手に入る──なんて法律(システム)はない。当然ながら。それは勿論、吸血鬼のコミュニティでも同じことだろう。

 そんなことはフィリップとて承知の上だ。

 

 人間社会のルールを、フィリップはある程度だが尊重する。

 被る不利益が許容の閾値を超えない限りは。

 

 化け物の感性、習性、異種族や異文化に対しても寛容だ。例えば吸血鬼が人間を喰うことに対して、フィリップは何ら感情を動かさない。そういうものだと受け入れる。

 

 しかしそれは、相手が人間に優越する化け物である場合の話だ。

 低劣な化け物モドキが自らは人間に優越すると驕り、傍若無人に振舞うのなら、フィリップも同じようにする。

 

 自分のルールを、意思を、意見を、感情を押し付ける。

 人間(上位者)として、吸血鬼(劣等種)に。

 

 「え、衛兵を──」

 

 参加者の一人が叫ぼうとして、声が中途半端に途切れる。

 見ると、喉元に黒い棘が突き刺さり、どす黒く変色した血液が滴り落ちていた。カノンがデコピンの要領で飛ばした刺胞装甲の針による攻撃だ。

 

 「こ、のっ──!!」

 

 血液が腐敗して死んだ吸血鬼の連れらしい男が、カノンに殴り掛かる。

 動きはフィリップのトップスピードに匹敵するほど素早く、手に込められた力は人間の頭蓋骨を容易く粉砕するほどだが、しかし。

 

 「反応も遅ければ動きも遅い。お話にならないんです──よッ!!」

 

 拳を受け流され、カウンターパンチが胸元に突き刺さる。

 カノンの腕は背中から飛び出し、傷口からは腐敗した血液がとめどなく溢れ出た。

 

 並の人間よりは強いが、化け物と評するには些か不足、と言ったところか。

 

 「……プラスアルファ。おぉ、結構な手持ちですねこの人」

 

 手足の先から黒い粒子に変わっていく死体の着衣を漁り、巾着袋を取り出したカノンが笑う。

 じゃらじゃらと重そうな音を立てて振られる袋の中身は、殆どが金貨なのだろう。

 

 チンピラを通り越して盗賊のようなセリフに、フィリップとミナは顔を見合わせて苦笑を交した。

 

 「さて、僕の支払い能力については分かって貰えたと思うんだけど……どうかな? まだ足りない?」

 

 フィリップは愛想笑いで尋ねる。

 

 化け物だ──と。

 オークションに参加していた吸血鬼たちの心情が、ぴたりと揃った。

 

 

*1
約150万円




 金貨1枚:約30000円
 金貨400枚:約1200万円
 レイアール卿がくれたお小遣い:約3億円

 駄目だよ子供にそんな額
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