なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 先走って森に入らないように──ヘレナはその言葉を、フィリップとイライザに向けて言っていた。ノアは何かあっても自力で解決できるし、そもそも一度、森にも山にも入っている。

 

 しかし、山には聖痕者の攻撃を跳ね除けるほどの魔術防壁がある。つまり部分的には聖痕者を凌ぐ存在が居る、または居たということだ。

 

 高位の悪魔、上位吸血鬼、龍──ぱっと思いつくのはこの辺りだが、彼女は自分が全ての魔物を知っているとは思っていない。それらと同等の力を持つ未知の魔物が居る可能性も、思考の片隅に置いてある。

 

 人間以上の魔物が棲みついている場所の近くには、そういうモノについての逸話や信仰が残るものだ。地域によっては、龍に生贄を捧げて雨を乞う──天候操作魔術の行使を交渉していた記録がある。

 

 サムロア族にもその手の信仰や逸話があれば特定は容易だったのだが、首長から聞けたのはオカルトチックな土着信仰。

 近隣住民から情報を集めるのは無意味、或いは不可能と、彼女は判断した。

 

 つまり山に居る──または過去に居た──何某かは、完全に正体不明の存在ということになる。

 流石に龍種レベルが居たら、どれだけ魔術的素養に欠けた人間でも気が付く。だから龍ではないだろうが、そのくらいしか分からない。

 

 フィリップやイライザのような素人を、一人で踏み込ませるわけにはいかない。

 

 

 ──先生のそんな思惑は丸ごと無視して、フィリップは一人、集落を出て森に入っていた。

 と言っても、ごく浅い、境界線付近だが。集落の明かりも、その周りを警備する兵士の影も、よく見える。

 

 「ふう……。ちょっと食べ過ぎたかも」

 

 夕食をたっぷりと詰めたお腹を擦るフィリップは、龍貶しもテントに置いて完全非武装だ。

 

 ……何か思惑があってのことではなく、単純に忘れている。

 これからやろうとしていることを思えば、武器は持っておくべきなのだが。

 

 習慣づいたドライアドへの祈りを終え、僅かな月明かりだけが照らす暗い森に入る。

 

 直後、ジャケットの裾がくいくいと引かれた。

 

 「お、居る? カルト」

 

 フィリップは僅かに声を弾ませて問う。

 服を掴む小さな手を辿ると、シルヴァが興味深そうな顔で森の奥を見つめていた。

 

 「んー、びみょう」

 「微妙? そっかあ。あ、でも剣を忘れてきたし、別にいっか」

 

 微妙とは一体、と見つめると、翠玉色の双眸が胡乱に見つめ返してくる。

 

 「しんかくはいる。でも、さむろあぞくのしんこうがきげんのきゅうしん」

 「へぇ……!」

 

 フィリップの声が愉快そうに跳ねる。

 信仰を起源とする、信仰ありきの旧神。地球由来の土着神。人間ありきの「人の神」。

 

 サムロア族の信仰を基礎として生まれ落ちた空想の産物。

「微妙」というのは、フィリップがサムロア族をカルトと見做すかどうかで決まるからだ。

 

 そして、フィリップは土着信仰や異文化に寛容だ。

 しかも神ありきの信仰ではなく、信仰ありきの神。神が居たから信仰しているのではなく、信仰したから神が生まれたという、この星では自然な体系。

 

 セーフ。余裕のセーフだ。

 

 しかもフィリップは、これまで旧神に会ったことがない。

 だからどの程度のものなのか、そこそこ興味があった。

 

 智慧に多少の記述はあるが、流石に、地球上全ての旧神を網羅してはいないし、300人規模の少数民族の土着信仰レベルとなると見えてもいない。

 

 強さとか、存在格とか、智慧の深さとか、そういう真面目な話ではない。

 その辺りは気にする価値もない程度だと分かっている。

 

 フィリップの顔を綻ばせるのは、純粋な──蟻の巣に水を流し込む子供のような好奇心だ。

 

 しかし、今はそれより優先すべきことがある。

 

 フィリップは遊びに来たわけではないし、旧神と遊べる状況でもない。

 明日にはこの森に、イライザたちが入るのだ。

 

 サムロア族の信仰通りの存在、或いはサムロア族が実態をそのまま語っていると仮定した場合、人間に対して排除行動を取る神格のいる場所に。

 

 「……そいつ、先制してブチ殺せないかな?」

 「よゆう。しんこうゆらいのしんかくだし、しんこうもとをくちくするだけ」

 

 ぐっと、シルヴァは力強く親指を立てた。

 

 「なるほど。……ってことはサムロア族を全滅させなきゃダメってこと? それはそれで面倒だなあ」

 

 いや別に、フィリップが自力でやらないなら、支払う労力は数節の詠唱と命令一つ分くらいなのだが。

 

 しかし剣と魔術でチマチマ殺すにしても、邪神を使って大雑把にやるにしても、ここには余分なものが多い。

 イライザは勿論のことだが、ヘレナもノアも、帝国の兵士たちだって居る。

 

 「まあこっちも神格を呼んで形而上学バトルに持ち込めば、真正面から殴り殺せるとは思うけど……他はともかく、イライザが居るしなあ」

 

 ついうっかりでも何でも、邪神が彼女の目に留まるような状況は避けなければならない。

 避けるように努力するべきだと、そうするのが人間らしい行いだと、フィリップは考える。

 

 それに、まだ敵対したわけでもない神格相手に先んじて攻撃するのは危険だ。

 

 負ける可能性なんか一ミリもないが、他の旧神や旧支配者が「あいつは無差別に攻撃してくる。やられる前にやらなくては」と襲い掛かってくると、それはもう面倒臭いことになる。

 フィリップが死ぬことはないにしても、邪神同士が戦えば、星の一つや二つ容易に壊れるのだから。

 

 「そいつ、僕のことを敵視してる?」

 

 恐れ故でも、或いは「外神の尖兵め、この星から出ていけ!」という()()()()()正義感でもなんでもいいが、喧嘩を売ってくるのなら──それは、馬鹿が馬鹿故に死ぬだけの、とても簡単な話になる。

 

 しかし残念ながら、シルヴァは「わかんない」と頭を振った。

 

 「あぁそうか。心を読む機能はないんだもんね。まあ仮にも森の神が、シルヴァを前に過激な行動をするとは思えないけど……というか、シルヴァを前にして「我は森の神」とか名乗れるの? 自己定義が破綻して死ぬとかない?」

 

 フィリップは自分の言葉で笑いそうになりながら尋ねる。

 「全ての森の神」という主張ではないにしても、「この森の神」でも十分に面白い。

 

 なんせシルヴァ──ヴィカリウス・システムは、この森どころか、四億年前から今に至るまで存在した、全ての森そのものだ。

 

 対して、神──信仰由来の神格である旧神は、人類の進化と共にある。

 人間の脳が幾度もの分化と進化を経て発達し、信仰という機能を獲得したのが、概ね五十万年前くらいだとして……それほどの存在歴の差があって、どうして「森の神」なんて名乗れるのか。

 

 そいつが生まれたときには、もう森があるというのに。

 

 まあ信仰を起源とする神なら、信仰通りの価値観や振る舞いを見せるものかもしれない。

 或いは、何も知らないか。

 

 好奇心と期待を滲ませるフィリップの疑問に、シルヴァは胡乱な顔で、再び首を横に振った。

 

 「ならない。しんこうゆらいだから、じこていぎがない」

 「そっか。安心したような残念なような……。でも、ふふふ……。環境そのものを前にして、その環境の神を名乗るって……あれ、面白くない?」

 

 失笑気味の嘲笑を零しているフィリップとは違い、シルヴァは笑っているフィリップを見て、保護者のような穏やかさで笑っていた。

 

 「べつに、めずらしくないし。もりのかみ、もりのしはいしゃ、とちのかみ、そんなのはいっぱいいる。ひとだと、りょうしゅとか、おうとか」

 「おっと、思わぬ飛び火が殿下に当たった気がする」

 

 森そのものを前にして森を名乗るなんて、フィリップからすると愉快なものだが──当の森そのものには、不遜と顔を顰めるどころか、愉快さを覚えるものでさえないらしい。

 

 まあ、言わんとするところは分かるけれど。

 

 社会的支配と、実効支配と、物理的存在の話だ。

 

 王や領主は、「ここはその国の領地であり、王から領主へ下賜されたものである」という社会的な定義、人間同士が定めたルールによって土地を支配する。これが社会的支配だ。

 

 実効支配はその逆。

 人間社会のルールを無視し、力を以て支配する。それは踏み入る人間を凄惨に殺す攻撃力かもしれないし、何者も立ち入らせない壁という防御力かもしれない。

 

 だがどちらにしても、森は森だ。

 風や鳥や虫が、時には人や獣が種を運び、或いは神の手によって、その場に芽吹き根付いた植物の集合。正確にはそうして生まれた生態系を内包する環境。

 

 社会的支配下にあろうと、実効支配下にあろうと、誰がどのように支配していようと──支配していると主張しようと、森は森だ。

 

 「どうする?」

 「どうしようね。こういう話は一神教徒、というか、三人の前では出来ないし……」

 

 さっきノアが語った通り、一神教の根幹は「神は唯一絶対の存在である」という認識だ。

 彼らにとっては神とは、世界よりも前に存在しており、無の闇に光を灯し、昼と夜とを分け、大陸と人とを作った創造主なのだ。

 

 他に神はいない。

 唯一神以外を信仰するものは、即ち一神教を否定する神敵でありカルトである。

 

 神格化──なにかを神と見立てる行為も、同じく咎められる。

 人を阻む険峻、勇壮な古狼、アルビノの蛇。対象が何であっても、どんな形の信仰であっても、全て“使徒”の掃滅対象だ。

 

 そこに、まさか「実は神って信仰を元に生まれててぇ……」なんて言えるはずがない。

 

 「取り敢えず、森の神の眷属とやらが襲い掛かってくるまでは放置かな。何も知らないフリをしよう」

 「おそいかかってきたら?」

 「そりゃあ──、?」

 

 当然の答えを口にしようとしたとき、フィリップの耳に足音が届いた。

 森の中ではなく、外から。集落の方から、足早に近づいてくる。

 

 もしやノアかヘレナにバレたかと、フィリップは怒られの気配を感じて重い足取りで森を出る。

 向かってくる人影は一つ。夜の暗さに加えて、集落からの逆光で顔はよく見えない。

 

 だが──ノアでもヘレナでもないことは分かった。

 

 近付いてきたのは、二人よりもう少し年上の、フィリップの母親世代の女性だった。

 

 「こら、君! 夜に森に入っちゃ駄目って言われてるでしょ! ……って、あ、ごめんなさい。てっきり、集落の子かと思って」

 

 仕立ての良いジャケットを着た子供と、ドライアドの外見を持つ幼女。

 明らかに集落の人間ではない外見は、細部を判別できない夜闇の中でも十分に、その素性を示している。

 

 女性はやや恥ずかしそうに、慌てて頭を下げた。

 

 「いえ。僕の方こそすみません。夜に森に入っちゃいけないってルールを知らなくて」

 「平気よ。神様がお怒りになるとかじゃないから。でも足元が見えないと危ないし、枝で目を怪我したら大変でしょう? 君も気を付けてね」

 「はい、ありがとうございます」

 

 暗闇の中で愛想笑いを交わし、女性は集落の方に去っていく。

 

 逆光の中に浮かぶシルエットを一瞥すると、フィリップは溜息を吐いて、再び森の中に戻った。といっても、先ほどと同じくらいの浅い場所までだ。

 

 「これは……どうなんだろう」

 

 フィリップは呻くように独り言ち、考える。

 

 今の会話に、何ら特別なものはなかった。

 けれどまあ、社交辞令かもしれないが、心配と忠告をされたわけだ。

 

 ではフィリップは──“普通の人間”は、どう感じて、どうすべきなのだろう。

 

 「サムロア族はいい人だ」と感じて、森の神を殺すための大虐殺を渋るべきか?

 

 それとも、たった一言二言の会話を理由に命を左右することの方が異常で、関係なく大虐殺を許容するべきか?

 

何も分からない。

 分からないから、フィリップは取り敢えず、その疑問は置いておくことにした。

 

 帰ってからも気になるなら、ステラに聞いてみればいい。

 まあその時点では、もう既にサムロア族を皆殺しにしている可能性はあるが。

 

 今はそれより、イライザの安全確保。そのための情報収集が優先だ。

 

 「……話を戻そう。神域はその森の神とやらが作ったものだとして、なんで? 何かを守ってるとか?」

 「わかんない。もりのそとだし」

 「森は入ってない……? ふむ、となると、信仰通り「森の神」と「山の神」が居るのかな。いや、信仰通りだと前後が狂うのか」

 

 信仰、というか、酋長の語った伝承の通りなら、「山の神」は彼らサムロア族が流れ着く以前から存在していることになる。

 

 まあ伝承や神話なんてのは創作が大半だ。

 世界を作った唯一神(約50万歳(推定最大))とか、冗談にしても盛り過ぎだろう。

 

 とはいえ人間の想像力には限界があり、創作にしても原型が必ず存在する。信仰にも同じく。

 

 サムロア族の伝承はかなり純粋な自然信仰だ。

 「森の神」と眷属四種に関しては、原型がとても分かりやすい。

 

 『霧の如き人(ネブラノス)』は、道を見失わせ体温を奪う、霧。

 『人の如き獣(ウルスノス)』は、二足で立つこともあり人間を引き裂く力を持つ、熊。

 『足を持つ蛇(センティペディア)』は、恐らく毒蛇と毒虫の複合。つまりは人間を殺し得る小動物類。

 

 少し分かりにくいが、『見つめるもの(オクルノス)』は、他の眷属への恐怖そのものだ。たぶん。

 その原型は気配や視線の誤認による不安感。つまり、「気のせい」だろう。こいつだけ直接の害が語られていないのは、きっとそういうことだ。

 

 「とはいえ……300人程度の信仰で実体を持つものなのかな? それなら帝国内の独立した文化を持つ集落ごとに旧神がいるってことだけど」

 「ちがう」

 

 シルヴァは「そんなわけないじゃん」とでも言いたげな、当然の否定という口ぶりだった。

 

 フィリップとしては一安心と言ったところ。

 別に旧神なんか居ても居なくても変わらないというか、土着信仰レベルの神格なんか外神の視座からは虫みたいなものだが──だからこそ、数が多いと気色が悪い。思わず踏み潰してしまいたくなる。

 

 「おお、よかった。でも、じゃあなんでここのは実体を持てるほど強い存在核があるの?」

 「ない」

 「ない? 実体は持ってないってこと? でも──」

 

 少なくとも兵士が一人、バラバラに引き裂かれて殺されたという話だ。

 まあ神の御業に見せかけた人間の仕業という可能性も残ってはいるし、「森の神」だの眷属だのを信じていない帝国兵やノアたちは、そういう方向で調べているだろう。

 

 そして成果は挙がっていない。

 戦闘訓練を受けた正規兵を惨殺できる能力を有する人間を、彼らは見つけられていない。

 

 となるとやはり、怪しいのは「森の神」、正確には罪人を引き裂いて殺すという眷属の「人の如き獣(ウルスノス)」だ。

 信仰通りの形質を持っているか、或いは信仰が形質を正しく語っている前提だが。

 

 「いちじてきにじったいかできる。それだけ。にんげんひとりくらいはころせるけど。それだけ」

 

 シルヴァは淡々と、ただの事実を語る。

 感情は乗っていないし、言葉に乗せるほどの感情を抱いてもいない。

 

 はは、と、フィリップは乾いた笑いを零した。

 

 実際、「人間を殺す」なんて性質は、すごいものでも恐ろしいものでもない。

 

 「ま、虫でも草でもキノコでも、人間は殺せるしね」

 「ん」

 

 というか、木がそこにあるだけで、躓いて転んで死ぬこともある。

 人間はそのくらい脆弱な生き物だ。

 

 しかし、些か妙ではある。

 

 「でも、殺意があるのは不思議だな。そいつにしてみれば、集落の人は信仰の源、存在の核と言ってもいいはずでしょ?」

 

 大陸全土で信仰されている一神教なら、信徒が百人や千人死んだところで、さほど痛くはない数だろう。

 しかし「森の神」は、サムロア族300人程度の信仰を起源とする、核の弱い、格の低い神だ。

 

 まあ相手が誰であれ、在り方に従って動くのは神らしいかもしれないけれど。

 

 「どうぞくがしぬと、にんげんはおそれる。おそれはきひをうんで、きひはしんぴをつよくするから」

 「はぁー、なるほど。人間を不自然に殺せば存在格が強まるってことを理解してるんだ?」

 「せんねんあるから」

 

 また淡々と言うシルヴァに、フィリップは「へぇ」と感心の息を吐く。

 

 千年在る──人間基準なら結構な存在歴だ。

 しかし千年も在れば、卵から孵った幼龍が王龍となり、山一つを消し飛ばす力を持つ。

 

 初めから神として生まれたモノが千年あって、まだ人間なんかを殺して存在核を担保しているというのは、それもそれで妙な話だ。

 だが一神教の勢力下で信仰の拡大を目論むのは、信徒全滅のリスクを負うのと同じ。細々と存続しているだけで精一杯だったのだろう。

 

 そこまで考えて、フィリップは自嘲の笑みを浮かべた。

 重要なのはイライザの安全確保であって、信仰に寄生する蛆虫の勢力抗争の顛末ではない。

 

 「っと、また話が逸れたね。それで、取り敢えず信仰通り、神域は「森の神」の成立以前からあるとして……よりヤバいのは「山の神」の方か」

 

 そちらはシルヴァの機能で瞭然とはいかない。

 しかも判明している情報がほぼゼロだ。「聖痕者でも破れない壁を作れる」なんて、手掛かりとは呼べない。

 

 下限は非神格、しかし信仰由来の旧神と言う線は薄く、上限はほぼ無し。

 

 「森の神」に「人間を殺せる程度の能力ねえ」なんて嘲笑を向けたが、存在格ガードと最低限の殺傷能力があれば、イライザを殺すには十分なのだ。

 

 敵対的な旧支配者とかだと困る。

 どのくらい困るかというと、フィリップは色々と諦めて邪神を呼ぶしかないくらい困る。

 

 「ん。そいつがいないと、もりのかみもうまれなかった。たぶん」

 「そうだね。それに、「森の神」は最悪の場合でも、300人殺せば勝手に消える」

 

 確認すべき、より強く警戒すべきは「山の神」だ。

 シルヴァの案内があれば、夜の森でも迷わず通り抜けて山に出られるだろう。

 

 とはいえそれは「迷わない」というだけで、フィリップの鈍臭さを完璧にフォローしてくれるわけではない。隆起した木の根や土のへこみ、飛び出た枝といった小さな危険が山のようにある。

 

 ランタンを取りに戻り、シルヴァの感覚と合わせて無理やり森を抜けたとしても、その瞬間にフィリップは調査能力の九割を失うと言っていい。

 聖痕者をも阻む壁を抜けられるはずもなく、ヴィカリウス・システムの把握力も使えず、暗い山をうろうろするのが関の山だ。 

 

 「流石に森を抜けて山に行くのは無駄骨だし、そこはもうぶっつけ本番で行こう」

 「いいの?」

 

 良くはない。

 ないが、まあ、()()()()

 

 ルキアやステラの身に危険が及ぶなら、どれだけの無駄骨でも折る所存だが、今回はそうではないのだ。

 まさか飼い主の影響を受けたわけではないだろうが──面倒臭さが勝つ。

 

 「ヤバそうならイライザだけ抱えて森に逃げ込む。邪神を呼ぶ場合は、あの子の退避は任せるね」

 「まかせて。へれなとのあは?」

 「あの二人は別にどっちでも……」

 

 頼もしげに親指を立てるシルヴァ。

 人間一人の誘導も三人の誘導も変わらない──フィリップにとってどうでもいい相手だから、シルヴァも「ついで」程度の真剣さで構わない。

 

 「いや待って……守るべきかな? 流石に聖痕者二人で魔王戦はキツいと思う? というか、殿下に怒られそうだよね?」

 「さあ?」

 

 というか、フィリップはノアが死んでもヘレナが死んでも、或いはイライザが死んだとしても、シルヴァを叱ったり失望したりはしないだろう。

 まあステラに怒られたり、彼女の負担を増やすのは嫌がるので、シルヴァも真面目に取り組みはするけれど。

 

 シルヴァの提案はその程度の温度感で投げられたものだったが、フィリップには多少は意味のあるものだった。少なくとも、どうでもいいものに対して思考のリソースを割く程度には。

 

 ルキアや衛士ならどうするだろうか。

 最優先すべきを最優先するのは分かる。だが優先順位で劣る「その他」を綺麗さっぱり見捨てるかと言われると、それもなんだかピンと来ない。

 

 二つを同じ天秤に乗せたら、そりゃあ、最優先が勝る。

 しかし現状はそうではない。イライザか、ノアとヘレナか。どちらかを選ぶような状況ではない。

 

 「──よし、二人も守ろう」

 

 フィリップは暫しの黙考のあと、結論を出す。

 真剣な表情からは、強い決意が感じられる。

 

 しかし二秒後、物珍しそうに見上げるシルヴァの視線に、不安そうに眉尻を下げた。

 

 「その方が人間らしい……よね?」

 「さあ?」

 

 弱々しい問いに、にべもない無関心が返る。

 何が「人間らしさ」なのかなんて、森林は知らないし興味もないのだった。

 

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