なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
取り敢えず、フィリップは「ヴィカリウス・システムとは何ぞや」という説明から始めた。
環境の代理人、環境そのものが知性と意思を持った存在であり、物質とも魔力とも違う概念的な存在。
その能力──機能は、環境の全掌握。
人間が肌に触れたものを感じるように、環境内のあらゆる情報を収集し、全ての事象を把握する。人間が手指を操るように、環境の全てを支配する。
星の表層にその環境がある限り不滅であり、現身も、その環境一つを傷付ける攻撃でなければ傷付かない。
生き物ではない。生きていないから死なない。
一通りの説明を終えると、ヘレナは顎に手を遣って何事か考え込み、イライザはぽかんと口を開けて呆けていた。
ノアだけが、騎竜──爬虫類を思わせる無機質な双眸に疑念の色を宿し、フィリップと、二人の“自称”ヴィカリウス・システムを観察している。
「……環境が意思を? なんで?」
「さあ? なんで?」
懐疑的な声色の問いを、フィリップはヴィカリウス・モーンスへと軽く受け流す。
状況次第では挑発と捉えられてもおかしくない態度だったが、ノアは「いやあんたも知らないの?」と苦笑交じりに突っ込んだ。
フィリップの説明に対する疑念は、ある。
ノアの中で、フィリップが荒唐無稽なオカルトを信じ込んでいる、或いは何者かに騙されている馬鹿という説は、ものすごく信憑性が高い。ヴィカリウス・システム云々の話よりは、余程。
しかし、
フィリップは馬鹿かもしれないが、故意に騙そうとしているわけではないようだと、最終的にはそう判断した。
ノアは一先ずフィリップから意識を外し、ドワーフへ──“自称”ヴィカリウス・システムに集中する。
その視線とフィリップの問いを受けて、モーンスは「うーむ」と唸った。
「その質問を投げかけられるのは、この個体になってからぴったり200回目だ。そして、こう答えるのは一度目になる。「人間は、どうして意思を持つのかね?」」
199回は「ドワーフは」だったのだろう、韜晦のような反問。
ノアは一瞬考えて、「そりゃ、神がそういう風にデザインしたからでしょ?」と答えた。
「……」
ふ、と、誰かが小さく笑った。
フィリップか、シルヴァか、モーンスか。三人のうちの誰かだろう。
この幼気で可愛らしい問いに、“山岳”はどんな答えを返すのかと、フィリップは愉快そうに見守る。
果たして、ヴィカリウス・モーンスは身体を揺らして豪快に笑い、「ならば、儂らもそうなのだろうさ」と答えた。
思ったより大人な対応、というか、人間に寄り添ってくれた回答だ。フィリップとしては、面白みは無いが、ありがたい。
「彼らは──まあ性別なんかないとは思うんですけど、そういえば、その姿は召喚者に決められるってことでいいのかな?」
思い出したように、というか、実際にふと思い出して、フィリップまでもが疑問を呈する。
今の今まで、シルヴァがドライアドのような姿をしていることに、特に疑問は無かった。
ドライアドに呼び出されたからか、とか、でも一度は消滅して再発生した現身なんだよな、とか、脳裏を過らなかったわけではない。
しかし、ナイ教授に聞きに行けば無駄に煽られ、当時は学生寮に居たから投石教会に行くのも面倒で、かといって呼びつけるほど重大な疑問でもなく。
かわいいなあ、なんて思いながら眺めていたら、どうでもよくなって自然と忘れた。
「召喚者と同系の姿を象るよう、召喚術式に記述されておるからな。その方がコミュニケーションを取りやすいからだろう」
同形、ではなく、同系。
召喚者そのものの鏡写しではなく、同じ種族の、同じ性別の化身を象るということだろう。
数年前に再発生したシルヴァは、ヴィカリウス・システム幼体と言える状態らしく、その姿はドライアドの幼女。
対して、最低千年弱はここにいるモーンスは、成熟したドワーフの男性。
つまり外見年齢は、顕現からの時間に準じる。
……それはそれで、謎のシステムだ。
そもそもヴィカリウス・システム──環境そのものが、わざわざ自分から化身を象り、人間や他の種族に干渉するとは思えない。
彼らは環境、自然。ただそこに在るだけのモノ。
なにかを思い、考える機能を持ってはいるが、その思考論理や価値観は人間とはかけ離れている。
化身を象ることで、その化身──肉体が持つ感情を獲得するが、それも成長につれ希薄化していく。
どうしてそんな仕組みなのか。
誰がそんな仕組みを作ったのか。
ヴィカリウス・システムの発生自体は、星の表層における自然の範疇だとしても、召喚術式は明らかに魔術。人間か、精霊か、或いはもっと別な何かの“技術”が介在している。
「なるほどねえ。そういえば、その召喚術式って誰が作ったの? ドライアドとドワーフは知ってたみたいだけど、人間は……聖痕者四人が知らないとなると、もう誰も知らないんじゃない?」
念のため視線で確認を取ってみるが、ヘレナもノアも、当然首を振って「知らない」と示す。念には念を入れてイライザにも目を向けたが、返ってきた反応は同じだった。
「先史の民だ。人間の言葉では「古きもの」か?」
「……うわ、そうか」
さらりと、人間の、そして難しい発音も単語もない平易な言葉で言われて、フィリップは思わず流すところだった。
何億年も前から──蛇人間がこの星の支配種だった時代も、古のものの時代も、イスの大いなる種族が地表を支配した時代も、彼らは知っているのだ。
フィリップは蛇人間を知らなかったが、古のものは知っている。外神ウボ=サスラを模した──という表現が不適切なくらいかけ離れてはいるが、とにかくモデルとして──ショゴスを作り出した、人類以上の能力を持った、この星の旧支配者。
神ならぬ、数と文明を以て星の表層に繁栄した、過去の支配種。
「ごめん、また分かんなくなった。それは何?」とノア。
フィリップはやや不安そうに目を向けたが、モーンスにショゴス云々を語るつもりはなかった。
「以前に、この星を支配していた生物だ」
言葉は淡々として、何の感情も込められていない。
なんでもないものに目を留めた子供が「あれは何?」と尋ねれば、人間なら、可愛らしいと思うことだろうが。
しかしモーンスにとっては、これはただの質問と回答。情報の要求と提示でしかない。
まだ幼体の、感情という化身に備わった機能が強く影響するシルヴァなら、「そんなことも知らないのか」という胡乱な視線の一つでも呉れたかもしれないが。
「……?」
「む?」
こいつは何を言っているんだという、怪訝を通り越して呆けた顔になるノア。
対して、モーンスはどこが分からないんだろう、という、こちらも不思議そうな顔だ。
彼にしてみれば、無知な人類にも分かりやすい説明のつもりだったのだろう。
だが、まだ足りない。
フィリップがらしくもなく申し訳なさを──まるで人類を代表したかのように──感じるくらい、今の人類には先史の知識がない。
「む。そうか、今どきは“使徒”が知識の発掘や拡散を抑制しておるんだったな。まあ、知らんなら知らんで、生きていくに支障はない知識よな」
ごく一部。
地質学、考古学、生物学の最前線。非文献学的アプローチ、探査や発掘を主とする研究者を除き、現行人類の大部分が持つ最古の歴史的知識は、およそ5000年前。
『神が世界に光を顕し、自らに似せて最初の人間を創造した』。
5000年前という具体的な数字ですら、そこそこ学のある人間しか知らない。
魔王との戦いが描かれた壁画の存在も、それが約5万年前の代物であるという分析結果も、広く知られているものではない。
初めの人間が生まれたのも、初めの国が生まれたのも、魔王との戦いが始まったのも、全部まとめて「遠い昔」。人類の歴史観は、そのくらいふんわりしている。
モーンスの言う通り、掘り起こした知識を拡散しようとした瞬間、“使徒”による致命的妨害に遭うからだ。
「……いや、それはどうでもいいんだ。本題だけど、ここに壁を作ってたのって君だよね?」
背後から「いやいやちょっと待て」と言いたげな空気を感じたが、フィリップは完全に黙殺して話を進める。
今は学術的な好奇心より任務を優先すべきという判断か、不満を口にする者はいない。
「おお、そうとも。おぬしらがブチ破って入って来よったんで、こうして文句を垂れに出てきたわけよ」
「ブチ破った? それ、あたしたちじゃないよ。あたしは前回ブチ抜けなかったし、今回来た時には、もう壁は無くなってた」
モーンスは言葉とは反対に、変わらず愉快そうな笑みを浮かべている。
それはノアが怪訝そうに反論しても変わらなかった。
「いや、ノア聖下。僕の説明をちゃんと聞いててくださいよ。ヴィカリウス・システムは環境内の全情報を把握するんです。僕らの主観より、彼の言葉の方が確実性が高い」
フィリップたちは現場に居て、彼はいなかった。
しかしフィリップたちは所詮、目で見て脳で処理することで外界を認識し情報を把握する。現象を知識に照らし、推測や解釈を交えて理解する。
例えば倒れた木があって、横に斧と、汗を拭いている木こりが居たら、人間は「彼が木を伐り倒したから木が倒れたのだ」と判断する。
倒れた木だけだった場合でも、足跡や木の断面などから推理して、同じ結論を出すことは出来るだろう。
ヴィカリウス・システムには、そのプロセスが必要ない。
木こりが山に入った瞬間からその一挙手一投足を、木の種が地表に落ちたその瞬間から、芽吹き育ち伐られるまでを──全てを、把握している。
フィリップはもう一度、そんな具体例を提示して懇切丁寧に説明した。
「そいつがあたしたちを騙そうとしてる可能性は?」
「森の外とはいえシルヴァが言っている以上、彼がヴィカリウス・システムなのは間違いないですし、人間相手に「騙す」なんてことをするとは思えませんね」
フィリップは小さく苦笑する。
説明はしたが、理解はされていないらしい。ノアの理解力不足、常識外の心情を受け入れる力が足りないのもあるだろうが、説明が下手なのも自覚していた。
彼女は今一つ、「ヴィカリウス・システムは自然環境そのものである」という言葉の意味を理解していない。
そもそも“自然”に、「何かを隠さなくてはならない」という意識はないだろう。
シルヴァのように再発生から数年の幼体ならともかく、精神的に成熟し完成したヴィカリウス・システムなら、善悪も好悪もない、ただ在るだけのモノだ。
なにかに味方することも、敵対することもない。
まあ、モーンスはかなり感情豊かというか、“自然”として完成した個体という印象は受けないが。
──ふと、引っかかる。
モーンスは一見して陽気なドワーフにしか見えない振る舞いだし、常にニコニコと明るい、朗らかな笑みを浮かべている。
それでも“森の神”の存在歴から考えて、発生から千年は経っているはず。
とうに人間性──与えられた似姿、化身の身体に由来する感情や価値観が剥離し、自然そのものの在り方を取り戻している頃合いだろう。
そこまで考えて、フィリップは一人、納得して小さく溜息を吐いた。
「……他に質問は?」
「うん、死ぬほどあるよ」
「私も、そうね。聞きたいことだらけだわ」
ノアとヘレナは即答だった。
たぶん二人とも、モーンスに対してだけではなく、フィリップに対する、フィリップに関する疑問も山のようにあるだろう。
それはイライザとて同じはず。
しかし彼女は、何も気になりませんという顔で、静かに事の行く末を見守っている。
フィリップが明確に視線を向けると、徐に口を開いた。
「……私はもう何が何だか分からないので、何も気にしないことにします」
「……イライザは賢いね」
ただの諦めではあるのだろうし、分からないことを分からないままにするのは、通常は褒められたことではない。
それでもフィリップは、思わず手を伸ばして彼女の頭を撫でた。