なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「取り敢えず、モーンス、私たちと一緒に来て貰っていいかしら? 本当にそれほど強いなら、是非とも魔王討伐に協力して貰いたいわ」

 

 ヘレナは暫く考え込んでいたが、最終的には、疑問や疑念を即座に解決する必要性の解消に動いた。

 

 ノアが言った通り、疑問は死ぬほどある。

 だがモーンスが王都まで来てくれるのなら、聞きたいことを今すぐ聞き出す必要も、後から浮かんだ疑問を尋ねるのに帝国領まで来る必要もない。

 

 それに、本当に山岳級の防御能力を持っており、山一つを完全に掌握できるとしたら、魔王戦や道中で、とても心強い味方になる。

 

 彼女の要請は人類に有益で、とても理に適ったものだ。

 

 だが、フィリップは納得や感心ではなく、むしろ苦笑を露にした。

 

 「む……? 断る」

 

 半ば驚き、半ば呆れたように、モーンスはヘレナの言葉を拒絶する。

 こいつは何を言っているんだと言いたげな表情は、顔立ちが全く違うのに、どこかシルヴァと似ているように思えた。

 

 「へぇ? どうして?」

 

 理由を問うノアの声色は愉快そうだが、獲物を弄ぶネコのような危険な気配がある。

 

 しかし、フィリップは特に制止する必要を感じなかった。

 相手は“山岳”。いくら聖痕者とは言え、癇癪程度の攻撃ではどうにもならない。ルキアが『明けの明星』を全力で撃てば、或いはと言ったところだ。

 

 そしてモーンスには、敵意や害意が通じない。

 攻撃されたから反撃するという生存本能が、生物ではないが故に備わっていない。人間やその他の生物、環境同士の衝突、生命整理といった様々で、“環境”は形を崩し、時に消滅する。

 

 “自然”にとっては、それすらも──自己の消滅すらも自然の範疇なのだ。

 

 だから自己保存の欲求が無い。

 仮に邪神が降臨し星の表層から環境全てが消え、ヴィカリウス・システムが根幹から消え失せるとしても、彼らはそれすらも受け入れる。

 

 上位存在による干渉や改変も、劣等種には理不尽に映るが、上位者には理の内。個体という主観を持たない“自然”には、自然なことだ。

 

 「召喚者でもなし、協力する理由がない」 

 

 取り付く島もないモーンスの答えは、ヘレナへの悪意や、人間への隔意から来るものではない。

 要請を跳ね除けることに罪悪感はなく、勿論、優越感もない。1+1が2になることに、感情は動かない。

 

 「ね」

 

 ノアが指先で「ちょっと来い」と示し、フィリップは胡乱な顔になりつつも、トコトコと素直に従う。

 彼女は肩を組んでフィリップを捕まえ、ヘレナ達から数歩ほど離れた。まるで内緒話をするように、というか、内緒話をするために。

 

 「あんたアレについて詳しいんでしょ? 説得とかできない?」

 「離れようが声を潜めようが、全部把握されてるって言ってるじゃないですか」

 

 フィリップは胡乱な顔でノアを見遣る。

 しかしそれはヴィカリウス・システム相手に環境内で会話を秘匿しようとした、行動の無意味さに対してだけではなく、肩を組んだ彼女の身体の感触のせいでもあった。

 

 ──強い。

 

 その一言が脳裏に浮かぶ。

 足腰と体幹が、一本の木のような軸に整えられている。剣、いや体術だ。拳はそれほど鍛えられていないようだし、投げ技系か。

 

 首に回され肩に乗った腕は軽いが、良質に鍛え込まれた筋肉は、力を入れていない部分は柔らかく、力を入れた部分は突如として硬くなる。

 

 よく見れば、髪の合間から覗く彼女の耳は、血腫によって変形していた。

 打撃や投げ系の攻撃を喰らうなどの理由で耳の血管が破れ、内出血を起こし、そのまま定着したものだ。

 

 フィリップは、衛士たちの耳に同じ症状があるのを見ていた。

 訓練後の手当てを面倒臭がったり、戦闘に支障が無いからといって放置するとそうなる。

 

 一々手当なんかしていられないくらい何度も殴られ、投げられ、地面に叩き付けられ、寝技の中で擦れたり圧迫されたりを繰り返した、鍛錬者の証だ。

 

 「……ノア聖下、ホントにちゃんと兵士だったんですね」

 「え、なに急に? こんな軍人の鑑を捕まえて」

 

 酒と賭け事が好きなのは『軍人の鑑』と言えるのかはともかく、訓練の痕跡を目の当たりにして、フィリップは今ようやく、彼女が兵士であることを実感した。

 

 いや、才能だけで聖痕者に──最強の魔術師になれるわけはないし、魔術に関しても血を吐くような努力をしてきたのだろう。

 忙しい合間を縫って戦闘訓練をしたり、魔術理論について語り合っているルキアとステラを見ても、才能と研鑽の両方が、質量共に求められるのが分かる。

 

 だが魔術関連の才能が全くないフィリップには、それが具体的にどれほどのものなのか分からない。

 フィリップに分かるのは、どちらかと言えば白兵戦方面。そして、別に達人というわけではないフィリップにも分かるくらい、彼女には“力”がある。

 

 単純な腕力、筋出力という意味ではなく。

 

 魔術抜きで、“人間を殺す能力”がある。

 

 話に聞く「土属性のご老公」は論外として、聖痕者同士で素手勝負をしたら、ぶっちぎりで彼女が勝つだろう。

 

 「……ちょっと?」

 

 思わずノアを見つめていたフィリップは、怪訝そうに声を掛けられて、質問に答えていなかったことを思い出した。

 

 説得の可能性。

 フィリップは大抵の人間よりヴィカリウス・システムに詳しく、身近だが──無い。

 

 「ああ……答えはNOです。環境は、所詮は環境ですからね。成熟して、精神性が完成しきったら、それはもう召喚者の同形存在じゃない。ただの“環境”、人間の味方でも、魔王の敵でもない。勿論、人間の敵や魔王の味方でもない。ただ在るだけのモノですよ」

 

 自然は、人を生かすことも、殺すこともある。

 そんな言われ方をするが、実態とは少し違う。人間が勝手に生きて、勝手に死んでいるのだ。

 

 人間の生も死も、どちらも自然の範疇だ。

 

 「そうは言っても、こっちだって人類の存亡が懸かってるのよ。戦力は少しでも増強しないと」

 

 ノアの小声はいよいよ何の意味もなかったようで、普通に二人の会話が聞こえていたらしいヘレナが言った。

 

 フィリップは「うーん」と小さく唸る。

 ヘレナの言い分は分かるし、正しいとは思う。フィリップだって、ルキアやステラ、それにイライザの負担はなるべく減らしたい。

 

 だが。

 

 「人類の存亡が、“山岳”にとってどれほどの大事だって言うんです?」

 

 そもそも今回の魔王討伐は、真体の性能を把握する目的が主だ。

 今回魔王を殺せなかったら人類が滅ぶとか、そんな話ではない。

 

 ……まあ、これまでは化身を封印することで軍勢の侵攻を止めていたので、真体云々以前にそちらをしくじったら、その時は人類が滅ぶこともあるかもしれないが。

 

 とはいえ、それも彼らには大した問題ではない。

 

 「“森”の成立は四億年前。“山岳”は……よく知らないですけど、まあ“森”より古いでしょう」

 

 「まれとおなじくらい?」「そのくらいだな」と、二つの環境が安穏と話している。

 「まれ」がどんな環境かは分からないが、“山”レベルで古い環境だとしたら、“峡谷”とか“平地”とか、“海洋”なんて可能性もある。

 

 「対して、人類は──?」

 

 そう言えば詳しい数字は知らないぞ、と目を向けると、モーンスは愉快そうに笑った。

 

 「ははは。まあ、盛りに盛って800万年。王龍たちが知恵を貸し、力を以て庇護し、共に生きた「人間」ならば、精々2~30万年といったところか」

 

 何を以て「人間」と呼ぶかだが、現行人類同様の直立二足歩行形態を獲得したという意味でなら、凡そ800万年前。

 現行人類とほぼ同等の形質を獲得した、系統樹上で同一点に至ったという意味でなら、約20万年前。

 

 人間の歴史なんて、その程度だ。

 いや、それでも現在広く知られている一神教の通説よりは、ずっと長く深い歴史があるのだが。

 

 「とまあこんな感じで、彼らにしてみれば人間が居た時間の方が短い。ヒトなんて所詮その程度の生き物なんです。絶滅したところで、環境の代理人にとっては何の感傷もない存在でしょう」

 「種の絶滅なんぞ、珍しいことでもないしな」

 

 モーンスは相変わらずニコニコしたまま話しているが、笑い返せた人間はフィリップだけだった。

 

 無理もない。

 そもそも語られた内容自体、三人の知る“常識”に反している。

 

 それに、生物種一つが絶滅するなんて、人間にとっては大事件だ。

 というか、絶滅を大事件に思うくらい身近な生物しか、広く知られていない。

 

 その大事件を軽く語ることが、“自然”の()()()を理解させた。

 

 まあ“自然”にとっては、それは厳しくも優しくもない、“自然”の範疇でしかないのだが。

 

 「……それでも、こうして言葉を用い、同じ論理の下で会話するということは、人類に多少の愛着があるのではないの? だから私たちと同じ──、……っ」

 

 どうにか言葉を絞り出したヘレナだったが、すぐに言葉を、息を呑んだ。

 

 「ふむ、自分で気付いたか。褒めてやってはどうだ?」と、モーンスは揶揄うようにフィリップを見遣る。

 

 流石に元担任の先生相手に「よく気付きましたね」的なニュアンスのことは言えなかったフィリップは、「はは」と乾いた笑いで誤魔化した。

 

 「……ど、どういうことですか?」

 「……」

 

 ノアは戸惑いながらも問いかけ、ヘレナが何に気付いたのかを知ろうと、状況を把握しようと努める。

 対してイライザは、何も分からないから話だけ聞いているという風情だ。

 

 「知性も言語コミュニケーションも、成立は彼らが先なんですよ、ノア聖下。ヴィカリウス・システムがヒトに似ているんじゃない。ヒトが、ヴィカリウス・システムに似た知性を獲得したんです」

 

 環境の代理()という言い方は誤解を招くだろうに、自分で気付いたヘレナは大したものだ。流石に、この上から目線な賛辞は口に出せないが。

 

 “自然”が人に寄り添うために人の似姿を、或いは他の生き物の姿を模して顕現した──そんな誤解を誘発する名前だ。

 

 だが実際は違う。

 彼らに実体姿を与えたのは、遥か古代にこの星を支配していた古のものたち。およそ10億年前に宇宙より飛来した、先カンブリア時代(五億年以上前)の住人。

 

 だが、ヴィカリウス・システム──自然環境の成立は、もっと古い。

 

 原初の環境は“海洋”。

 その成立は、全ての生命の原型にして終末因子であるウボ=サスラから飛散した、好熱性原核生物が星の表層に定着した瞬間。

 

 星の代謝機能である生命整理を乗り越えた、約40億年前だ。

 

 その時点の“環境”に、今ほど高度な知性があったかは分からない。

 意思、思考、感情といった機能は、もっと後になって獲得したものかもしれない。

 

 ただ、存在の起源は間違いない。

 赤子のようなものであっても、もっと原始的なものだとしても、ヴィカリウス・システムはそこから在る。

 

 「人間如きに嘲笑も軽蔑も向けないだけ、なんというか、優しい対応だと思いますけど」

 

 フィリップが言うと、ノアは水色の双眸を鋭く眇めた。

 

 「……一応聞いておくんだけど、あんたどっちの味方なわけ?」

 

 一応ってなんだ、とフィリップは半歩ほど後退る。

 まさかそんなことはないと思うが、答え次第では撃ってきそうな言い方だ。

 

 しかも、答えが物凄く難しい。

 

 自分たち(人間)か、ヴィカリウス・システムか。

 簡単な二元、二択の質問のつもりだったノアは、「え? うーん……?」と唸りながら長考の構えになったフィリップに困惑する。

 

 「状況次第で変わるから、どちらとも言い切れない」という悩み方ではない。それならそう言えばいいだけだ。

 複雑化しても「前者」「後者」「どちらとも言えない」の三択のはずなのに、何をそんなに悩むのかと。

 

 そして最終的に、フィリップは答えを捻り出す必要が無くなった。

 フィリップが唸り始めると、モーンスが声を上げて笑いだしたからだ。

 

 「はっはっは! 懐かしい。賢者には決して答えられない愚者の問いか。イス族や王龍たちの間で流行った時期があったわ」

 「は?」

 

 迂遠ながら愚者と言われ、ノアが剣呑な声を出す。

 しかし、彼女の不機嫌は──人間の感情は、“環境”には何の意味もないものだ。

 

 「人間は自然の一部だろう。自然の敵でもなければ、味方でもない。お主の手が、お主の敵でも味方でもないように。そりゃあ、今ある環境の中には聖痕者の魔術で作られた、人工的な川や山もある。森を切り拓いて作った道や町もある。だから、人間は自然を作る、自然の範疇外だと勘違いしてしまう気持ちは分かるがね。……では蟻の巣は自然か? 鳥が種を運んで出来た森は? 龍が山を消し飛ばした後に出来た湖は?」

 

 ノアは答えない。答えられない。

 ヘレナも、イライザも、フィリップも、誰も答えを持っていない。

 

 ……まあフィリップに関しては、考えた結果「僕が自然だと思ったら自然」とか言いそうではあるが、それはさておき。

 

 「環境とは星の営みによってのみ作られるものではない。特に大酸化以降はな。生き物たちの営みが環境を作り、時に滅ぼし、また作り。時には星の営みによって壊滅することもある。生命整理を乗り越えた生き物たちの生命の結晶。それが“環境”なのだ」

 

 24~20億年前。

 遥か原生代に起こった大酸化イベントを知る環境は、とても少ない。それ以前にはあったが、それをきっかけに無くなった環境もある。

 

 大酸化イベント──それは、ほんの小さな原核生物が引き起こした、大絶滅だ。

 

 シアノバクテリア。

 クロロフィルを用いた光合成能力を獲得し、海中や空気中に酸素を放出し始めた微生物。

 

 従来の環境支配種であった嫌気性細菌にとっては、致死の猛毒である酸素を。

 空気も、水も、何もかもが毒になった。汚染された空気は、岩や大地をも侵した。

 

 彼らは空気を、海を、地表の全てを、自分たちにとって都合の良い環境に作り変えた。

 これまでの自然を否定し、破壊した。

 

 いま“自然”と呼ばれている全ては、その大絶滅、大殺戮の上に成り立っている。

 

 もっと言えば、古のものがショゴスを作る過程で生み出した様々な形質の原始生物たち。

 あれらが無ければ、カンブリア爆発──生物種の爆発的多様化は起こらなかった。

 

 ウボ=サスラから飛び散った飛沫や泡から生まれた原核生物、宇宙から飛来した古のもの、イス族、飛行するポリプ……そういった星外由来の存在が跋扈し、今のように、この星独自の生態系を築くことは無かった。

 人間も、犬も猫も、鳥も虫も、何も居なかった。

 

 その全てを見てきた“山岳”にとっては、それが“自然”だ。

 なにかの作為、なにかの利害。偶然、気紛れ、衝突──それらが積み重なって生まれたものが“自然”であり、それらを積み重ねる営みこそが“自然”なのだ。

 

 「故に、人間がヴィカリウス・システムの敵か味方かという問いには答えが無い。人間がヴィカリウス・システムを敵視するのは勝手だが、どうにかして環境一つを滅ぼしたとして──それもまた自然の範疇だろう」

 

 豊かな髭を蓄えた、小さな老人。

 そんな姿で、外見に相応しい深くゆったりとした声で、とても穏やかとは言えないことを滔々と語る。

 

 「っ……」

 

 息を呑む音。

 ノアのものだ。

 

 彼女の中で、というか大部分の人間は、敵味方の識別を双方向のものだと思っている。

 

 自分にとって相手が敵なら、相手にとって自分は敵。

 敵意に敵意を、悪意に悪意を、攻撃に対しては攻撃を返すのが、大抵の生物の基本的な生存戦略であり、軍人であるノアにとっては職務でもある。

 

 その埒外。

 

 敵意も悪意も攻撃も、自身の消滅さえも受け入れる相手は、流石にノアも初めてだ。

 いや、敵対者に生存を諦めさせたことは、何度もある。大破壊、大量殺戮を以て、聖痕者の強さを刻みつけ、自ずから膝を折らせたことだって。

 

 だが、これは違う。

 諦観でも絶望でもなく、受容と呼ぶにもズレている。拒否感を呑み込んで受け入れているのではなく、端からそういうものとして捉えている。

 

 人間が息を吸って吐くように。木を離れたリンゴが地に落ちるように。

 

 それを理解したとき、ノアは漸く、フィリップの言葉を信じた。

 

 眼前の存在が自然環境そのものであり、ドワーフや他の何でもなく、完全に未知の存在であることを、実感を持って信じられた。

 

 

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