なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 ノアが雨を降らせている間、フィリップはモーンスと二人で話そうと一行から少し離れる。

 

 魔術に作り出された暗い色の雨雲は、動いていない自分たちだけでなく、移動したフィリップたちの頭上にも晴れ間を開けていた。

 周りは土砂降りなのに頭上は快晴という貴重な体験に若干心を躍らせつつ、二人はイライザたちに会話が聞かれないだろう距離を取る。

 

 直接打たれていないとはいえ、30メートルの巨体が入る地下トンネルを水没させるための降雨だ。遮音カーテンとしては十分すぎるほどだろう。

 それでもイライザを呼んで反応しないことを確認し、盗み聞きの可能性が無いことを確かめるほどの徹底ぶりだ。

 

 「ありがとね、気を遣ってくれて」

 

 フィリップは徐に礼を述べる。

 モーンスはニコニコと陽気な笑みを浮かべていたが、フィリップのその一言を切っ掛けに、表情が完全に抜け落ちた。

 

 「気にするな。自分でも、まだ気遣いなどという機能が残っていたことに驚いたくらいだ。……正確には憐憫と懐古だな」

 

 先ほどまでの、少しうるさいくらいの明るさは鳴りを潜め、モーンスは機械的に語る。

 

 フィリップの予想通りだ。

 ヴィカリウス・モーンスは、やはり、ほぼ完成していた。

 

 召喚術式に与えられた肉体の機能である感情が剥落し、“自然”としての在り方に戻っている。

 

 それでも態度を偽り、陽気なドワーフを演じ、人間の精神に毒となる情報をぼかし、隠し、逸らしていた。

 イライザとノアとヘレナの正気を損なう可能性のある情報を、全くと言っていいほど口にしなかった。話の流れすら誘導して。

 

 とはいえ、それは人間への気遣いではない。

 人間が三人死のうが三億人死のうが、たとえ絶滅したとしても、“山岳”には何の感傷も湧かない。種の絶滅など珍しくもないのだから。

 

 彼が気遣ったのは“魔王の寵児”と、あとは同族であり相性の良い環境であるシルヴァだ。

 

 「憐憫はともかく、懐古?」

 

 憐れまれる理由は、まあ、分かる。

 五億年以上、下手したら十億年単位で存在している“山岳”が、人間の子供一人に憐憫を抱く。そう聞けば異常事態だが、盲目白痴の最大神格に見初められ寵愛を受けることの方が余程異常だ。

 

 だが懐古の方は、ちょっと分からない。

 ヴィカリウス・モーンスに会うのは初めてのはずだ。そりゃあ山に一歩も足を踏み入れたことが無いかと言われると、流石にそんなことはないが──どれだけ古くても14年前だ。

 

 “山岳”が懐古なんて抱くはずもない期間、ほんの数秒前みたいなものだろう。

 

 怪訝そうなフィリップに、モーンスはやはり機械的に淡々とした口ぶりで答える。

 

 「昔、生命の原型が別の神と、お主のことを語っていた」

 「生命の、って、ウボ=サスラか。うわ、ものすごく複雑な気分」

 

 外神ウボ=サスラ。

 系統樹の根、あらゆる生物の原型。その身体から飛散した飛沫は原核生物となり、そこから嫌気性細菌が生まれ、バクテリアや真核生物へと分化していった。

 

 あれが地球表層で活動していたのは何億年も、何十億年も前の話だ。

 当然、フィリップどころかヒトすら生まれていないが、そもそも外神は時間の埒外に居る。

 

 存在しない種族の存在しない個体について話すこともあるだろう。

 そこに関して、疑問や文句はない。

 

 ただ、生まれる何億年も前から自分のことを知られていたというのは、中々に奇妙な感覚だ。

 

 「この星を訪れる外神は、よくお主の話をしていたからな。人間が生まれた時には、これほど矮小な種がと憐れんだものだ」

 「君も君で、800万年だか2万年だかのスケールで憐憫があったのか。それも複雑だなあ……」

 

 それから雨の中で例のミミズについての話をしていると、視界の端に人影が入り込んだ。

 

 目を向けると、イライザが二人の方に近付いていた。

 フィリップが何か言うまでもなく、何か合図を送るよりも先に、モーンスは陽気なドワーフそのものの朗らかな笑顔を作る。

 

 正解の形も、それに沿う身体の動かし方も完璧に知っているヴィカリウス・システムの演技は、もはや欺瞞ではなく再現と呼ぶべき精度。

 フィリップたちがどんな会話をしていたのか、イライザが知る術はない。

 

 そして、彼女はヴィカリウス・システムとの会話の内容を探りに来たわけではなかった。

 

 「お話し中のところ失礼します、師匠」

 「なに?」

 「……今回の件、王女殿下は、私と聖痕者様方の連携を高める意味も認めていらっしゃいました。道中や調査の過程で共に過ごし、お互いの性格や考え方を理解し合う。そういうお考えだとは思いますが……肩を並べて共に戦う機会は、より得難く、より良いものかと」

 

 ほう、とフィリップは感心の息を吐く。

 

 彼女が説得を試みたこと、それ自体は驚くに値しない。

 しかしステラの名前、正確には彼女の思考の正しさを使ってくるとは思わなかった。

 

 フィリップ自身も自覚している、弱い部分を突いてきたのは褒めるべきかもしれない。正しいアプローチだ。

 

 しかし、正しいのはそこまでだ。

 

 「そうだね。でも、この戦闘に於いて僕の存在には価値がない。そして恐らく、僕はアレに踏まれただけで簡単に死ねる。超ハイリスク、そして超ローリターン。むしろ戦闘に参加した方が、殿下に叱られそうだ」

 

 いや、まあ、無傷や軽傷なら「遊ぶのは勝手だが怪我はするなよ」くらいのゆるい苦笑いで済むだろう。

 

 だがサイズ感から言って、あのバカデカミミズは相当な重さになる。

 踏まれでもしたら致命的だし、地中から顔を出すタイミングで近くにいるだけで、岩盤の破片に打ち据えられて大怪我だ。

 

 骨折でもして帰ったら、かなりキツめのお説教が待っている。

 それ以上となると、いよいよ封印措置が下されるかもしれない。爵位と屋敷と使用人による、豪華絢爛な軟禁生活の始まりだ。

 

 仕方のない戦闘で負った仕方のない傷にまで、ステラは目くじらを立てない。

 しかしフィリップの油断やミスによる傷なら咎めるし、無駄な戦闘や、自分から喧嘩を売った結果とかならお咎めも厳しくなる。

 

 それに、ルキアに要らぬ心労をかけたくはない。

 

 ついでに言うと、「この面子で僕が矢面に立つことなんかないし、君の歌を聴くためだけに出しゃばるのは恥ずかしい」と、アンテノーラを説き伏せて置いてきたのだ。

 これで戦って怪我して帰ったら、アンテノーラはともかくカノンに何を言われるか。

 

 「ぷすす。魔王の寵児、クトゥグアやハスターを使役しナイアーラトテップすら足蹴にするフィリップ様が、み、ミミズに負け……ぷーすすす!」

 

 とか言われたら、衝動的に殴りかかってしまうかもしれない。

 エレナと同等の白兵戦能力を持つ相手に。

 

 「ホントはイライザにも参加はお勧めしないんだけど、まあ、ミミズが空を飛ぶことはないだろうし。疑似熾翼で宙に浮きながら遠距離攻撃をしている分にはいいんじゃないかな。……連携の訓練にはならないと思うけど」

 

 まあ長時間の滞空は出来ないらしいが、ミミズの攻撃範囲外から飛んで接近し、再び攻撃範囲外に着地するというローテーションなら、ベタ足で斬りかかるより格段に安全だろう。

 

 飛行能力のないベタ足剣士のフィリップの、机上論でしかないが。

 

 「古い生き物だけど、古いだけだ。強さで言えば王龍が上だろうし、魔術を使うだけの知性さえない原始生物。あの二人にしてみれば、予行演習どころか戦闘訓練にもならない相手だよ。デカくて硬い的撃ちだ」

 

 中々殺せないし、相当なミスをしない限り殺されない。

 聖痕者二人とあのミミズは、互いにそういう関係値が成り立つ。

 

 対してフィリップとイライザは、攻撃がほぼ通らない。なのに、向こうはちょっとぶつかる程度の攻撃で人間をペシャンコに出来る。

 

 流石にちょっと不利が大きい。

 

 「そして遠距離攻撃のできない僕にとっては、巻藁切りを通り越して穴掘りみたいなものだ」

 

 バカデカミミズの全長は30メートル強、太さは直径5メートル強。

 龍貶しの刃渡りが約1メートル。靭性の高い相手を圧し切る場合、伸長状態では有意なダメージは見込めない。

 

 古龍素材に錬金術に付与魔術。

 大抵の防御は紙のように切り裂く人造の魔剣だが、古龍の存在歴は500~1000年。人間基準なら国すら移ろう超長期間だが、地球史規模なら誤差だ。

 

 流石にちょっと心許ないと言うか、「コレなら斬れる」という確信が持てない。

 

 「……た、確かにそうかもしれませんが……!」

 

 食い下がるイライザ。

 怪物を前に引き下がる、或いは放置するのはよくない事だと思っているのだろう。

 

 だが、あのミミズは別に人食いとか縄張り意識が強いとか、人間を積極的に攻撃する習性は無い。地面からちょっと顔を出すだけで落石を撒き散らすのは危険だし、人間なんか進路上に居るだけで潰れて死ぬが、ここは火山だ。

 

 噴火に落石にガス漏出、死因は普通に転がっている。

 

 危険があるとか言い出したら、この土地の環境が危険だ。今更デカいミミズの一匹や二匹、気にするほどのものではないだろう。

 

 わざわざ地中から引き摺り出して殺しにかかる意味は、フィリップには見出せない。

 王都からも遠く、ルキアやステラの害になることもないだろうし。

 

 どうやってイライザを説得しようかと考えていると、ふと雨が止んだ。

 土砂降りだった雨が、建物の中に入ったかのようにぴたりと。自然の雨なら珍しいが、これは魔術によるもの。術者が魔術を解除すれば、効果もふつりと途切れる。

 

 ミミズの誘引に成功したか、或いは出来そうにないかのどちらかだろう。

 

 ノアたちの方に視線を向けると、ちょうど目が合う。

 自慢げに笑っているか、ばつが悪そうに笑っているか。成功しても失敗しても笑っているだろうと思っていたノアは、しかし、にこりともしていなかった。

 

 「やばい! 二人とも逃げて! そっち行ったかも!」

 「──、は?」

 

 切羽詰まった警告に、冗談の気配はない。

 ノアの後ろで、真剣な表情で魔術を準備しているヘレナを見ていなくても分かる。

 

 ホントのやつ。聖痕者が慌てるくらいヤバいやつだ。

 

 そう察した直後、地面が不穏に揺れる。

 周囲の様子を見るに地震ほど広範囲ではないが、フィリップたちが立っている辺りだけが局所的に、凹凸の激しい道を進む馬車くらいに。

 

 「“臭い”だな。それ以上の説明は要らんだろう」

 「ご丁寧にどうも!」

 

 モーンスの言葉は淡々としていたが、返すフィリップの言葉は荒れていた。

 

 ミミズに嗅覚があるのか? と思ったが、違う。吸血鬼や鼻が利く動物は、外神の気配を「臭気」という形で認識するだけだ。その本質は臭い分子ではない。

 

 視覚か、聴覚か、はたまた第六感か──クソデカミミズがどの感覚で、どういう形でフィリップを認識したのかは分からないし、問題ではない。

 

 問題は、その敵意がフィリップに向いていること。

 いま重要なのはそれだけで、それに対処しない事には先がない。直径5メートルのミミズに潰されて、ぷちゅっと潰れておしまいだ。

 

 「イライザ! 僕を抱えて飛べる!?」

 「っ……! 疑似熾翼(イミテーション・セラフィム)──」

 

 詠唱が終わる前に、地面の揺れが更に激しくなる。

 そして、ぐにゃり、と足元の岩が不自然に沈んだ。森の柔らかい土の上に、硬い岩盤の板を敷いたような感触。

 

 足元が空洞化した──あのミミズが足元まで掘り進んで来たのだとしたら、もう間に合わない。

 

 「やば──」

 

 衝撃に備えた直後、上方向に凄まじい圧力がかかる。

 しかし、火山岩の地盤を突き破るほどの衝撃は無く、吹き飛ぶというよりは持ち上げられたような感覚だった。

 

 フィリップとイライザは仰向けに倒れた状態で浮き上がり、下から絶えず押し上げる力と、当然に落ちようとする力に挟まれて止まる。

 

 「おぉ……!」

 「っ……!!」

 

 いつぞやディアボリカに拉致されたとき、悪戯半分で高高度から落とされた時に近い感覚だ。

 身体のどこも、なににも触れていない奇妙さ。流動的なものに下から支えられているのは、水面に浮かぶ感覚にも通じるものがある。

 

 ちょっとした爽快感もあり、砂粒が結構な勢いで吹き上げられて肌を打つ不快感も同じくらいあった。

 

 フィリップの隣で浮いているイライザは身体をガチガチに強張らせていたが、それでも叫び出したりはしなかった。フィリップを真似て四肢を広げ、風を受ける面を広げて滞空している。

 

 首を動かして下を見ると、地面はかなり遠い。十メートル以上は浮いている。

 

 強風による疑似飛行。

 そんなことが出来るのはヘレナしかいない。

 

 「さて──」

 

 自分が今どういう状況なのかは分かった。ならば次に把握すべきは“敵”の状況だ。

 

 眼下には、先ほどまで無かったはずの大穴があった。

 黒々とした開口部を覗かせており、中に溜まった水が揺れると不規則に光が瞬く。

 

 その周囲に掘り出した土が盛られているように遠目には見えたが、土の山は波打つように這い、よく見れば、新しい穴を掘ろうと身体の端を岩盤に突き刺しているのが分かった。

 

 とぐろを巻いた奇妙な岩。そんな質感の環形動物。

 

 目も口もない、頭かどうかも分からない身体の端が、フィリップをじっと見上げていた。

 

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