なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「あれが──」
「──大丈夫!?」
フィリップの上──高さ的には隣の、頭側にヘレナが現れる。少し遅れてノアも。
二人とも直立姿勢で浮いているのを見たフィリップとイライザは、片や「それ出来るんだ」と安心して、
片や「お二人が立っているのに自分が寝ているわけには」と慌てて、それぞれ体を起こそうとする。
しかし思ったより身体操作が難しく、二人とも綺麗に一回転して元の体勢に戻った。
「……ありがとうございます、先生。助かりました」
「気にしないで、仲間を守るのは当然のことよ。ウィレットさん、その弱点は勇者の宿命よね。今は大丈夫だから、落ち着いて準備を整えて」
理解を示すというより、どこか懐かしむような声色がイライザを落ち着かせた。
彼女は何度か深呼吸してから詠唱し、聖痕から光輪と三対の翼を露にする。
すぐに自力で飛行するのかと思ったが、目を瞑って集中し、三秒ほど経ってから、上昇気流の外に流されるように出ていった。
さっきは「飛べる?」なんて彼女任せの回避を試みたが、この分なら普通に走った方が間に合いそうだ。
「大丈夫?」
「は、はい! 大丈夫です!」
軽く両腕を広げてバランスを取るイライザにノアが問えば、少し慌てた返答が為される。
不安になるほどのふらつきはないし、答える声にも芯と覇気がある。少なくとも数秒で墜落するということはなさそうだ。
「作戦タイムは二分よ。他人を同時に、ノアまで浮かせ続けるのはキツいわ」
作戦? とフィリップは首を傾げる。
雨を降らせてトンネルを水没させ、ミミズを地上へ誘き出すことには成功した。
そこで“臭い”に反応してフィリップに襲い掛かったから、フィリップとイライザを守ることを優先して仕留め損なったのだろう。
なら、改めて攻撃し直せばいいだけ……だと思うのだが、聖痕者二人が、なにか殊更に“作戦”を立てなければならない状況なのだろうか。
「全身を水没させれば呼吸できなくなる。それで巣穴から出てきたわけなんですから、ノア聖下が水の繭でも作って、閉じ込めて放置。とか、どうでしょう?」
スマートでしょう? と言わんばかりのドヤ顔で言ったフィリップだったが、ノアの視線は冷たかった。
そんな常識的な作戦は誰だって思いつくし、通常の戦術や戦技を前提とした作戦立案ならノアやヘレナの方が長けている。
というか、それはもう試した。
「あー、それ無理。あいつ碌に魔力もないくせに、ビックリするぐらい魔術耐性が高い。普通に攻撃する分にはまだマシだけど、周囲に長時間展開し続けるとかは、まあキツいね」
『ウォーター・ランス』のような魔術による生成物投射、間接攻撃なら、「まだマシ」程度には効果がある。
反面、体内の水分を気化させたり凝固させたりといった直接干渉は、全くと言っていいほど効果がない。
津波や竜巻で無理やり持ち上げて、山の外まで運んで大火力をぶつける案もあったが、そもそも移動させられないということで断念した。
フィリップに期待しているのは、そんな普通の、ノアやヘレナの感覚や経験で導き出せる作戦ではない。
イライザも含めて三人が知らない知識や経験に基づく、通常の知識と思考では見落としてしまう可能性の検証や作戦の立案だ。
「全く傷付かないレベルではないんですね?」
「うん、でも超強いよアレ。地表をちょろっと抉るくらいの火力だと、直撃しても一瞬で再生する。というか、一瞬で再生できるくらいの傷しか付かない」
「あぁ、ミミズって種類によっては真っ二つにしても普通に生きてますからね。しかも前半分と後ろ半分で分裂して」
とはいえ、存在格ガードは無さそうで一安心だ。
あれが“人間には傷付けられないもの”として確立するレベルの存在格を持っていたら、剣とか魔術ではどうにもならない。次元断の魔剣ヴォイドキャリアがあれば、或いはといったところ。
……と、そういう話をノアは期待しているのだが、フィリップは一人で考えて、一人で安堵している。折角の、古龍に対峙した経験から話せる「普通で貴重な」情報だというのに。
「うげ、マジ? もしかして、一撃で全損させなきゃダメとか?」
「さあ? 吸血鬼は心臓を潰せばストックを大幅に削れますけど……そういう不死性じゃないですもんね?」
吸血鬼の不死性は非物質的、非生体的なもの。蘇生や再生のプロセスは、生き物の傷が治るメカニズムとは全く違う。
ミミズの再生能力は吸血鬼同様に驚異的だが、生体的なものだ。
傷を負っていない部分の細胞を移動させたり、自己増殖能と形質変化能力を高度に併せ持つ幹細胞を用いて修復したりと、人間より多様かつ素早い治癒が出来る。
どちらも本質は同じ。要は体内におけるリソースの再分配だ。
本来は成長や強化、運動に用いるエネルギーなどに回るはずだった
吸血鬼は血液が、ミミズは栄養や貯蓄している脂肪などの体内リソースが尽きれば、死を遠ざける力は失われる。
つまり無敵ではない。
一瞬で再生するとしても、再生の総量は有限だ。小さくても傷がつくのなら、主要臓器の活動や筋肉の運動に回すリソースが無くなるまで削れば、いずれは止まる。
運動、再生、生命維持。恐らくはこの順番、重要度に則って。
問題は、あれが食事を必要とせず土中の栄養を吸収して活動できるという話と、五億年の蓄積があるらしいこと。
運動し代謝する生命体は、ただ生きているだけでエネルギーを使う。あのサイズなら、単なる移動にも相当なカロリーを消費することだろう。
幾度もの生命整理や、そこまではいかずとも災害を経験している。
五億年分、丸ごと全部が蓄えられているわけではない。
……ないが、まあ、相当なリソースを蓄えていると見ていいだろう。恐らくはいまこうしている間にも、土壌からの栄養吸収は行われている。
蓄積分と回復分。その全てを払底させるのに、外皮をちょっと削る程度の攻撃が何回必要で、何分かかるのか。
本当なら、そういう情報を戦いながら集めて計算しなくてはならないが──。
「取り敢えず僕が生餌をやるので、殺し方は……あれ? モーンスはどこ行った?」
「は? 何言って──」
“答え”はどこだ、と視線を彷徨わせる。
ミミズの奇襲は岩盤を貫き大小さまざまな岩を飛散させる威力だが、山岳に対して影響を及ぼすほどではない。
つまりヴィカリウス・モーンスが傷を負うはずはないのだが、その姿はどこにも見当たらなかった。
ドワーフは鉱山、特に坑道内で長期間過ごすことが多く、骨格や筋肉は頑健だが背丈が小さい。しかし見失うほどではないはずなのに。
「──っ、時間よ。一先ず下は安全みたいだし、一旦降ろすわ」
二分。
あまりにも短い作戦タイムの終わりが告げられ、四人は風に乗った綿毛のように柔らかく着地する。降りなくてもいいはずのヘレナとイライザもだ。
話している間にミミズは新しい穴を掘って姿を消しており、即座に攻撃されることはない。
だから全員で降りて、次の攻撃が来るまで作戦を練ろうという考えだったのだろう。
「じゃ、あと任せます!」
しかし、フィリップは降りた瞬間に走り出した。
初めは斜面を駆け降りようとして、流石に危険と判断して180度転回し、今度はスタミナ消費が激しすぎると判断して、最終的に斜面を真横に。
途中で放り出された剣以外の荷物をイライザが慌てて拾い上げ、近くの岩の上に揃えて置いた。
「師匠!」
「ちょっと、急にどうしたの!?」
突然の、しかも本人すら行先不明のような全力疾走に、イライザとノアが声を上げる。
ただ、不審そうなノアとは違い、イライザの声には心配と不満があった。
直後、フィリップとノアたちのちょうど中間辺りの地面が爆発する。
爆発と言っても燃焼を伴うものではなく、地中から巨大な質量体が岩盤を突き破ったことによる、土や火山岩の飛散だ。
「っ!?」
「ちっ! あの間抜け、あたしたちが居ないと障壁も張れないくせに、なんで一人で逃げてんの馬鹿なの!?」
ノアは魔力障壁で降り注ぐ土礫を防ぎながら毒づく。
群れを離れた雑魚から殺すなんてのは野性が導き出す最適解だ。見れば、ミミズが地表のすぐ下を通った地面の隆起が、フィリップの走ったルートを追っていく。
馬鹿なことをした馬鹿が死ぬのは、馬鹿だからだ。
ノアはそう思うし、自分が死んでもそうやって笑える自信がある。
しかし、だ。
ここでフィリップが死んだ場合、王国に戻って「馬鹿が馬鹿やって死にました」なんて報告をしようものなら、間違いなくルキアとステラに殺される。
というか、何なら「私の力不足です」と神妙に頭を下げたとしても「そう。なら死んで詫びてきなさいな」と、光の速さでハチの巣にされる気さえする。
だからといって馬鹿の尻拭いをするのもやる気が出ないが──なんて、ノアは溜息を吐いていた。
イライザが何事か思い出したように、はっと息を呑むまでは。
「さっき、モーンスさんと師匠が話してました! 臭いがどうとかで、あのミミズは師匠を狙ってるって!」
はぁ!? と、ノアだけでなくヘレナまでもが大声を上げる。
近くに同じ規模の山でもあれば、綺麗な木魂が返ってきそうな通りの良い声だ。
「なんでそれを──っ、ああもう! 先輩、あたしが援護するんで、作戦と勇者ちゃんお願いします!」
今度はノアが、フィリップの後を追って駆け出した。
ヘレナは思わず引き留めようと手を伸ばしたが、自ら手を引いたことと、ノアの俊足によって何も掴まない。
「了解よ。ウィレットさん、少し離れましょう!」
「は、はい!」
ヘレナは魔術で、イライザは六枚の翼を使って地面を離れる。
二人の動き、大ミミズの動き、地形情報──そういった、今のところ目途も付かない“作戦”の手掛かりを探すために。
一方、ノアはフィリップの後を追い始めてから、ほんの十数秒で追い付いた。
「やっほー、デコイ君。元気してる?」
「なんでこっちに!? っていうか足速いですね!」
フィリップは前を見据えて振り向かず、しかし真後ろからの声で距離を察して目を瞠る。
振り向くほどの余裕はない。ミミズの移動速度──掘削速度は異常だ。あれだけの巨体が入るトンネルを、人間の全力疾走並みの速さで掘り進めている。
「滑ってるからね!」
自慢げに答えながら、ノアは悠々とフィリップを追い越して斜め前に出た。
その両脚は動いておらず、足裏は地面に着いてさえいない。
姿勢を維持しやすい横向きで、彼女の足元だけに現れる小さくも激しい波に乗っている。ボードなしサーフィンといった風情だ。
自由自在に、フィリップの周りをぐるぐると回る余裕まである。
「なにそれすごい! 僕にもその魔術かけてください!」
「あたしの制御でしか動けないけどいい? というか、プランは──ぁああ!?」
ミミズが頭を出し、地面が下から突き破られる。
フィリップの位置を正確に把握しているわけではないのか、或いは照準が大雑把なのか、直撃位置ではない。
幸運なことに、飛散する岩盤の破片もフィリップには当たらなかった。
直撃位置にいたノアは、悲鳴を上げながら吹っ飛んでいったが。
流石に振り返って確認すると、衝撃からは魔力障壁で身を守り、虚空から生み出した水流で姿勢を制御して戻って来た。
さながら大波を乗りこなすサーファーだが、水着でもなければボードもなく、後ろには巨大なミミズがいる。
「プランなんかないです! 狙われてる僕が離れないと、クソデカミミズを倒す方法も……考えられないでしょう!」
息が荒れ始める。
準備運動も無しにいきなりの全力疾走、そこに無駄な会話を挟んだのだから無理もない。
日頃の訓練の甲斐あって、即座にスタミナが尽きるほどの損耗ではない。しかし息が荒れたまま走り続ければ、スタミナの消費は激しくなる。
「そんなことだろうと思った! いま先輩が考えてくれてるから、あたしたちは耐久ね!」
「貴女も無策なんですか!? それでも最強部隊のトップ……いや、それでこそ……?」
デコイの護衛に、戦闘能力の長けた人員を配置。作戦立案に、より戦闘経験の豊富な人員を当てる。
戦術として間違っていない、悪くない判断だ。
まあ欲を言うなら、問題を解決する素晴らしい作戦をぱっと思いつく頭脳と、さっと実行するスマートさがあって欲しかったけれど──流石に高望みか。
もっと情報が沢山あれば可能かもしれないが、敵の詳細なスペックさえ定かではないのだから、殺し方だって判然としない。当たり前だ。
「まあミミズなんぞに苦戦してる時点で、最強部隊のトップなんて肩書は冗談にしかなりませんけどね」
「はぁぁぁ!? 全力出したら噴火するから押さえてるだけだし! っていうか龍狩りの英雄ならミミズくらい斬り伏せてよね!」
「情報不足ですね! 僕は古龍狩りの時もデコイだったので、この役回りでいいんですよ!」
友達とランニングでもしているかのような、笑顔を交わしながらの会話。
フィリップに狙われている自覚や追われている自覚はあっても、危機感は無い。魔力障壁程度の咄嗟の防御でどうにかなると判明した時点で、ノアも同じだ。
もちろん突撃をモロに喰らえば、衝撃や岩の破片で人体はボロボロになる。
しかし普通に走って、あとは足元の震動や隆起といった予兆を見て回避すれば、狙いの大雑把さもあって直撃はまずない。
こちらのミスしか負け筋が無い現状、命の遣り取りという意識は持ちようがないのだった。
とはいえ。
「なにそれ──、っ、下!」
「は、ッ──!!」
笑顔を一瞬で消し去り、ノアは真剣な表情で警告を飛ばす。
ほぼ同時に足元の不穏な揺らぎを感じていたフィリップは、既に飛び退き、龍貶しを抜いて構えていた。
直後、地面を突き破って生えてきたミミズの顔面──尾かもしれない──に、その切っ先を突き立てた。
「ッ──!!」
飛び散る岩の破片を掻い潜っての突撃。
勿論無傷とはいかず、幾つか掠めた破片によって服や肌がところどころ、僅かに裂ける。
大きな破片は回避したが、それでも捨て身と言える攻撃は、しかし、殆ど無意味に終わった。
斬鉄の切れ味を誇る龍貶しが、凄まじい抵抗を腕に返す。
ベストな攻撃ならフルプレートを着た人間の胴体を、紙でも斬るように通す刃が、今は五センチほどしか刺さっていない。
しかも、刃が止まって突撃の勢いが消えた瞬間から、じわじわと押し返されている。
尋常ではない再生速度と強度。外皮も途轍もない硬さ。
斬れる。外皮表面は裂けるが、筋肉を貫通して内臓や血管までは到底届かない。
ミミズは攻撃されたことさえ気付いていないように、するすると地面に戻っていった。
フィリップとノアは追撃を避けるため、再び揃って走り出す。
鞘に戻した龍貶しの切っ先には、血の一滴も付着していなかった。
だが──まあ、別に悲観するような情報ではない。全て。
「悲鳴の一つも上げないとはね!」
「……ミミズって鳴くんですか?」
「……言われてみれば確かに!」
だいたい予想通りの結果に、二人は多少の驚きと呆れくらいしか抱いていなかった。