なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
眼下、特に危なげもなく駆け回って時間を稼いでいるフィリップとノア、それを追いかける巨大なミミズを見つめながら、イライザとヘレナは懸命に思考を回していた。
遠目から人間と並べてみると、逆ではと言いたくなるミミズのサイズ感に苦笑が浮かぶが、そんな場合ではない。
地上組が時間を稼いでいるのは、飛行組が、あのミミズを倒す術を見つけるためだ。
「師匠はああ言っておられましたが、一応、神罰術式を試してみるのは如何でしょう?」
「既に試したわ。そして、確かに効かなかった。大元は魔物や悪魔用の儀式魔術だし、人間相手でも効かない場合があるくらいだから、不思議はないわ」
ヘレナは淡々と答える。
物理的影響力が低く火山を刺激しにくい、しかし高い殺傷力を見込める特殊な攻撃。そんなもの、いの一番に試していて当然だ。効かないと言われていても、一発分の魔力消費くらいなら、ヘレナなら十数秒で回復する。
いつの間に、と目を瞠るイライザにも、別に思うところは無い。
「そんなことも思いつかないと思っていたのか」とか、「魔力の動きで察知できなかったのか」とか、今はどうでもいいことだ。
「そうでしたか……。では、思い切って火口に突き落とすというのは?」
空を飛べるようには見えなかったし、いくらなんでも溶岩に落ちて生きていられるはずがない。
まあ耐性の問題で魔術で無理やり運べない相手を、どうやって上手く誘導するかという問題はあるけれど。
なんて、イライザにも問題点が見える作戦には、ヘレナにはより多くの穴が見えていた。
「火口と言っても、常に溶岩が沸き立っているわけではないのよ? 溶岩の表層が冷え固まって土砂が堆積していたり、湖が出来ていたりね。勿論、ここの火口がどうなっているかを調べない事には、不可能と切り捨てることは出来ないけれど……」
フィリップを狙うとは言っても、そこまで綺麗に誘導できるかは不明。そもそも頂上まで1000メートルくらいあるし、足場も悪い。
斜面を上らず下らず、横向きに走っているからスタミナも速度も足りているのが現状だ。本格的に上り始めれば、早々に追いつかれてしまうだろう。
まあヘレナやイライザが持ち上げて飛ぶとか魔術で浮かせるとか、移動に関しての問題はクリアできるとしよう。
そして火口が開いていて、何百か何千メートルか知らないが、遥か下に沸き立つ溶岩があったとしよう。
それでも、あのミミズを殺せる確証はない。
まあ火口に突き落とせば、仮に生きていても当面は安全だろうし、任務は達成かもしれないが──今後、あのミミズは人間を敵と見做すだろう。
登山者や麓の集落に被害が出るだけならまだマシ。
あれが山を下りて出て、街道や町を這い回って人間を狙うようにでもなったら最悪だ。
敵と定めたなら殺す。
「こちらは殺していないのだから、あちらも殺すまではしないだろう」なんて甘い考え方を、ヘレナは持っていない。イライザも、今はもう。
手を出すと決めた時点で、二人、いや四人の中で、決着とはミミズの死のみを意味している。
「それに、ヴィカリウス・システム云々の話を全て信じるなら、あれは噴火や隕石にも耐えたのでしょう? まあ隕石の方は、まさか直撃ではないでしょうけど……「噴火に耐えた」という言い方からして、溶岩流や火砕流くらいには巻き込まれたんじゃないかしら」
「かさいりゅう? は、溶岩とは違うのですか?」
「簡単に言うと、高温ガスが主となる雲のようなものよ。場合によっては溶岩と同じくらい高温で、数倍の速さで傾斜面を滑り落ち、川や海を渡ることさえある危険な現象なの」
ヘレナの説明を受けてなお、イライザの頭上にはクエスチョンマークが浮かんで見えた。
彼女の中では「隕石に耐える=直撃に耐える」であり、「噴火に耐える=火口の爆発に耐える」という、単純なイメージが強かった。
だがまあ、説明されれば違うらしいことは分かる。
「な、なるほど。それなら、高熱にはかなりの耐性が……いえ、熱変動自体に高い耐性があると考えるべきでしょうか?」
「どうかしら。でも、高温耐性より低温耐性の方が突破しやすいのが常ね。作戦1は低温攻撃にしましょう」
高温に限界は無い。だが低温にはある。
万物が凍り付く限界点、絶対零度が。
……まあ正確には高温にも限界はあるのだが、ヘレナもイライザも知らないし、クトゥグアでもまだ足りないレベルだ。流石に考慮しなくていい。
「作戦1……予備プランを用意しておくんですね」
「えぇ。なにか案はある?」
言われて、イライザはフィリップとモーンスの会話を思い返す。
何を言っているのか全く理解できなかったが、何も分からなかったが故に、疑問で記憶を妨げられなかった。だから内容を理解してはいないが、記憶してはいる。
高温高圧に耐え、刺突や斬撃にも強い。では突破口は、普通に考えると──衝撃、だろうか。
フルプレートアーマーに身を包んだ敵を、メイスで叩き潰すように。
「風属性の魔術で吹き飛ばして、地面に叩き付けるのはどうでしょう?」
「地中の圧力に耐える生き物が、高所から落ちたくらいで死ぬかしら?」
ヘレナの指摘は尤もだ。イライザも直感ではそう思う。
しかし、直感に反する知識もまた持っている。
「いえ、持続的な圧力に耐える強度と、瞬間的な圧力に耐える強度は別物なんです。……あ、でも、ミミズまでそうなのかは分かりませんが」
体術をやっていれば分かる。
人間の関節はじわじわと極められる分には、意外と耐えられる。痛いことは痛いが。
しかし同等の力でも、弾くように一瞬だけ力を加えられると、あっけないほど簡単に壊れるのだ。「やばい」と思って身体を捻ったり関節を曲げたりする暇もなく、ぱん、と。
覚悟を決める間もなく襲い来る大激痛は、涙と鼻水と涎が同時に噴き出すくらいの衝撃で──と、まあ、イライザの過酷な訓練はともかく。
「やってみる価値のある、いいアイデアよ。でも吹っ飛ばそうにも、まずは全身を地上に出さないと」
全長30メートル弱の身体をトンネルに埋めた状態のままでは、ヘレナの魔術でもどうにもならない。
相手がただの木石なら可能だが、あのミミズは尋常ではなく魔術耐性が高く、直接干渉でなくても魔術が綻び、消えてしまう。
並の魔術師と聖痕者くらいの差だが、聖痕者が弱い側になるのは稀有な例だ。
「師匠とアルシェ聖下にお伝えしてきます! マルケル聖下はご準備ください!」
「えぇ。お願いね」
イライザは三対の翼を羽搏かせ、フィリップたちの方へ飛んでいく。
途中、地面から顔を出したミミズを危なげなく避けるのを見届けて、ヘレナは耐性を潜り抜けて吹き飛ばすための魔術を構築し始めた。
「──という作戦です! 時間を稼いで下さっていたお二人なら、何か妙案があったりしないでしょうか!」
イライザは頭上から話しかける無礼を避け、フィリップたちの隣を走りながら尋ねる。
その律義さに笑みを浮かべていたノアは、さっと、ほんの二秒ほどの思考で結論を出した。
「うーん……。よし、ギリギリまであんたに引き付けて、先に餌を打ち上げよう」
「いま僕のこと餌って言いました?」
「いま餌のこと僕って言った?」
真顔だった。
フィリップも、ノアも。
いやノアの方は冗談なのだろうが、それでも、仲間を囮にすることに微塵も躊躇がない。
ともすればステラ以上の思い切りの良さ──いや、心理的抵抗を合理性で無視するステラと違って、初めから抵抗感が無いタイプだ。
そしてフィリップにも、やはり本来あるべき忌避感は無い。
本能でも感情でもない思考の結果として「死ぬのはよくない」と思ってはいるが──本来は一フレームの思考だって挟まる余地のない、当然のことのはずなのに。
「……まあ餌も打ち上げるのもいいんですけど、着地はどうするんですか? 一緒に地面にダイブしたんじゃ、最悪、僕だけ死んで向こうは無傷なんてことになりかねないですけど」
「あー……先輩がどうにかするでしょ。心配なら下に池でも作ってあげようか?」
適当なことを言うノア。
いや適当かどうかは彼女にしか分からないが、少なくともフィリップは、彼女の口ぶりに真剣さは感じなかった。
二メートルくらいの高さから飛び込むだけでも、腹打ちになったら結構な痛さだが。
「全身引き摺り出すなら2、30メートルは飛ぶ計算ですよね。……死にませんか?」
「いやいや、20メートルくらいなら大丈夫だよ。綺麗に飛び込めば」
「綺麗に。……それ、やっぱり頭とかお腹から
ばっちゃーん、と、水だか何だか分からないものが飛散する悲惨な死を遂げるのではないだろうか。
水属性聖痕者は20メートル「くらい」と言ってはいるが。
「
「そんな技量はないので、学院長の腕に期待ですね。ミミズの位置は?」
話は纏まったと見たイライザが翼を広げ、ヘレナのいる上空へ戻っていく。
ミミズの位置を聞いてからの方がいいのでは? とフィリップは思ったものの、ノアは引き留めようとしない。
それなら、とフィリップも戦闘のプロの判断に口出しはせず、黙って見送った。
強さはともかく飛べるのはいいなあ、と、少しだけ羨ましそうに。
「分かんない。でも分かんないってことは、そのくらい深いところに居るってことだ。助走は十分って感じなのか、諦めて引っ込んだのかは分かんないけどね」
地面の隆起はなく、岩盤のすぐ下を大きなものが這い回る振動もない。
頼りになるのは魔力視だが、あのミミズは魔力が殆ど無いと言っていたし、魔力視界に映りにくいのだろう。
「諦めた」に関しては、ノアは冗談半分で言った。
しかしフィリップの視点からは、そこそこ有り得る可能性に見える。
あれがフィリップに抱いているのは戦意や悪意ではなく、忌避感だ。
外神の気配の残滓、野生動物には悪臭に、吸血鬼には芳香に感じられるもの。
臭いから、というか、「なんか嫌だから殺そう」という害虫への殺意。
単純な話、自分の家などの「絶対に殺さなければいけない場所」でなければ、害虫を追い詰めて殺す必要は無いのだ。
面倒なら自分が離れるという選択肢もある。
まあ、それで王都なんかに向かわれると面倒臭いのだが、距離もあるし、流石に大丈夫だろう。
どっか行ったのなら、フィリップたちに追いかけてまで殺す理由は無い。
無いが──残念ながら。
「……どうやら前者だね。来るよ! 先輩、今です!」
足元に振動。
硬い岩盤の下が空洞化したように柔らかくなり、火山岩の表層にぴしりと亀裂が入った。
「行ってらっしゃい。着地は任せて!」
「水以外で! 魔力障壁でおぉぉぉ──!?」
お願いします、と言い終えることすら出来ないうちに、フィリップは天高く舞い上がり──というか、突風に吹かれた綿毛のように吹っ飛んでいった。
直後、それを追って地面から赤黒い巨木が突き出でる。
飛び散る岩の破片が魔力障壁に当たって跳ね返るのを興味薄に一瞥して、ノアは一つ、大きく伸びをした。
「低温ねえ……実はルキア先輩の方が得意な可能性もあったりなかったりするんだけど……」
ミミズは飛び出た勢いのまま、伸びて、伸び上がって、フィリップを追いかける。
しかし身体の半分が地上に出る頃には、地中での加速分は殆ど使い切っていた。
それは困る。
こいつの耐性では、その状態から全身を引き摺り出すのは難しい。
「あたしも別に、不得意なわけじゃないんでね。取り敢えず表に出なよ──《タイダルウェイヴ》」
ノア自身を除いて、今は地表に誰もいない。
仲間を巻き込む可能性は無く、何をしてもいい。であるなら、デカいミミズをトンネルから炙り出す──もとい、
体積。比重。水の流動性と、火山の斜面や土地の排水効率。考えなければならない変数もろとも、圧倒的な水量で押し流す。
600話……?
おかしい。大プロット時点では598話でこの章が終わるはずだったのに、今は605話を書いている……。なにかおかしい……。
ともかく節目ですので、改めて読者の皆様に感謝を。
皆様の応援、高評価や感想を燃料に、そこそこのペースで楽しく執筆出来ております。ご愛読、本当にありがとうございます。今後とも作者が書いていて楽しいものを書きますので、趣味が合う限り、一緒に楽しみましょう。推せるうちに推してください。
読者の皆様、そしてクトゥルフ神話という素晴らしい世界をシェアードワールドとして開放してくださったラヴクラフト御大に尽きぬ感謝を。