なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 虚空から降ってきた8000万ガロンの水は、地表を抉りながら、ミミズが掘った穴の中に流れ込む。

 水自体の重量で押され、トンネルを瞬く間に埋め尽くすと、複数の開口部から間欠泉のように噴き上がる。或いは柱のように。

 

 圧倒的な水圧の前に、ミミズは蓋としては全く不十分だ。

 既に大量の水に揉まれて持ち上がっていた身体は、下方向から噴出した水によって吹き飛ばされる。

 

 「凍れ──《クライオジェニック・バースト》!!」

 

 一定以上拡散しないよう制御された水は、もはや湖といって差し支えない広さと深さ。

 

 その全てが、続く冷気の魔術によって一瞬のうちに凍り付いた。

 のたうつ大ミミズを飾り立てる、波の形すら留めたまま。

 

 「おいおい動いてるよ。キモ。耐性高すぎでしょ」

 

 湖一つを凍り付かせた極低温に耐えたわけではない。

 「極低温にする」という、魔術自体が効いていないのだ。しかも大量の氷で外皮を冷やしたところで、筋肉や内臓にダメージが通っているようには見えない。

 

 それでは駄目だ。

 皮膚だけ冷やしたところで、それでは人間だって殺せない。

 

 ましてや、五億年前から何度もあった氷河期の、その全てを生き残ったモノを殺せるはずがない。

 

 故に──プランB。

 

 「土台を退けて!」

 「了解!」

 

 ヘレナのオーダーに、ノアは足元の氷を思いっきり踏みつける。

 晩秋の池に張った薄氷どころか、丸ごと凍らせた湖だ。軍靴の踵でも、空を飛ぶ騎竜に乗って鍛えた脚力でも、到底割れるものではない。

 

 しかし──ガラスの割れるような澄んだ音と共に、荒波の形を永遠に保存するかの如き氷河は、8000万ガロンの全量を瞬時に消滅させた。

 氷が微細に砕け、雪のように消える。

 

 「おぉ……」

 

 莫大な量の水を無から生み出し、無へと帰した。

 

 圧倒的な魔力の量。魔術の才能。

 一部始終を突風の柱に支えられた上空から見下ろして、フィリップは思わず叫んだ。

 

 「そんなの出来るなら溺死プランで良かったじゃないですか!!」

 

 と、相手が魔術の専門家であることを忘れて。

 ノアが自分の手で魔術を破棄せずとも、ほんの数秒で大ミミズの魔術耐性はノアの魔術制御を崩壊させ、湖一つ分の水量が麓に向かって雪崩落ちるところだったことも知らず。

 

 幸い、無知な素人の馬鹿な発言は、突風に遮られて誰にも届かなかった。

 

 「このまま持ち上げて叩き付けるわ!」

 

 ヘレナの腕の一振りは、地面から空へと伸びる強烈な上昇旋風を巻き起こした。

 周囲の空気を巻き込み、上方向に押し上げる不可視の腕。それは氷の台座によって持ち上げられていた大ミミズを、更なる上空へと吹き飛ばす。

 

 空を飛んでいるヘレナやイライザより、もっと高く。100か、200か。

 

 「おぉ……」

 

 フィリップも思わず苦笑するくらい、過剰に高い。

 ミミズ自体の重量も考えれば、落下時の衝撃は巨体を千々に引き裂くに十分なものだろう。

 

 ──と、そう思っていたのだが。

 

 「《ダウンバースト・タービュランス》!!」

 

 ヘレナの魔術が爆発的な下降旋風を生み出し、落下するミミズに重力以上の加速を与える。

 落下時の終端速度は、巨体を一瞬とはいえ見失わせるほど。叩き付けられた巨体は火山岩の地表を砕き、小さな陥没穴(クレーター)さえ作り出した。

 

 砂煙の中、地面に立つのは二人だけ。

 他人を浮かせるという高負荷の魔術を展開し続けられなくなり、降ろされたフィリップ。そして、初めから飛んでいないノア。

 

 ヘレナとイライザは依然として宙に浮いている。

 土煙が遮る陥没穴。その中に、バラバラに千切れ飛んだ環形動物の残骸を認めるまで、戦闘終了の判断は下さない。

 

 四つの視線が集まる、その中心──。

 翼も足もない、何の抵抗もなく胴体を叩き付けられたはずのものが、身体を起こした。

 

 「──、」

 

 誰も、何も言わない。言えない。

 絶句のみが、真っ白になった思考の発露だ。

 

 大ミミズは健在だった。

 外皮には一片の解れもなく、鎌首をもたげた目も口もない頭部は、依然としてフィリップの方に向けられている。

 

 水や冷気で攻撃したノア、持ち上げて叩き付けたヘレナ。そのどちらも、アレは敵視していない。認知すらしていない。

 

 視覚も、魔力感知能力もない。攻撃されているという意識すら、或いは。

 あるのは外神の気配に対する本能的恐怖と忌避感だけだろう。フィリップという人間の一個体を認識しているかも怪しい。

 

 「生きてる……。流石にちょっと硬すぎない?」

 

 普段から騎竜に跨って空を飛んでいるノアは、四人の中で“落下”というものに一番馴染みが深い。

 だが、そんな知見など無くとも分かる。

 

 あの高さからあの速度で落ちたら、人間どころか騎竜だって即死だ。原型さえ留めていない。

 

 慄く彼女の隣に、フィリップがトコトコと寄ってくる。

 

 「無傷ですね……」

 

 揶揄も非難もなく、ただ驚きを共有しに来ただけのような声。

 

 ノアが「だねえ」なんて放心気味の相槌を打ったときだった。

 

 「外見的には、な」

 

 落ち着いた深みのある声が、二人の間、誰もいなかったはずの場所から上がる。

 何の前兆もなくいきなり現れたのは、鍛冶の作業場で着るような頑丈そうなエプロン姿のドワーフ──外見的には、ドワーフに見えるモノだ。

 

 「うわびっくりした! モーンス!」

 「えぇ……。ヴィカリウス・システムって転移とか出来るの? それとも隠形?」

 

 ノアの問いに、モーンスは答えなかった。

 その視線は暫しミミズに向けられたあと、フィリップへと移る。

 

 「あれは地下深くの圧力に耐えるよう、外皮が硬く厚くなっている。だが内臓までをも硬化させる必要は無かった。故に、圧力には強くとも衝撃には弱く、内臓の大部分が損傷した」

 「もはや死に体ってこと──なんだろうけど」

 

 殺せるビジョンは見えない。

 こいつは噴火や隕石に耐えて生き延びたのだ。内臓の大部分が損傷したからといって、そのまま弱って死ぬような生き物ではない。

 

 十中八九、放置すれば再生する。というか、今この時点で、巨躯の内側では急速再生が行われていることだろう。

 

 それはフィリップだけでなく、ノアも、ヘレナも同意見だった。

 二人は先ほどの攻撃をもう一度、いや仕留めきるまで繰り返すつもりで魔術を使い──同時に息を呑んだ。

 

 魔術によって作り出された湖一つ分の水が、降り注ぐ瞬間に掻き消える。

 巨体を持ち上げる竜巻の如き上昇気流は、そよ風すら起こさずに。

 

 「魔術耐性が跳ね上がった!? 二人とも気を付けて! 魔術はもう殆ど効かないわ!」

 

 頭上からヘレナの警告が降ってくる。

 同時に、彼女はミミズから離れた位置に突風を巻き起こし、その勢いを利用して人間大の岩を撃ち出した。

 

 が、その程度の威力では当然に効かない。

 岩はより大きく硬い岩にぶつかったかのように、激突部分を外皮にこびりつかせて割れた。ミミズは見向きもしない。

 

 「……ふむ。再生が終わったようだな。逃げなくていいのか?」

 「警告どうも!」

 

 淡々としたモーンスの言葉に、フィリップは即座に踵を返して走り出す。

 直後、大ミミズは地響きを立てながら身体を横たえ、そのまま地面を薙ぎ払うように振り抜いた。

 

 「目も脳もない奴が範囲攻撃! 勘弁してほしいね!」

 「援護します!」

 

 イライザが『攻撃変化・風』による竜巻の剣で薙ぎ払いの勢いを削ぐが、聖剣もスペック通りの威力を発揮できていない。

 本来なら岩肌の表面くらいは吹き飛ばすはずだが、火山岩に傷を付けているのはミミズの外皮と重量のみ。

 

 幸い、攻撃の速度自体はそれほどでもない。

 だが見掛けからでも分かる重量によって、威力は十分に致死の域だ。巻き込まれて下敷きになれば即ミンチ、高さ五メートルの迫り来る壁のような外皮に激突するだけで、衝撃は人間の骨と内臓をぐちゃぐちゃにするだろう。

 

 「──っぶな!」

 

 地響きと共に抉り取られた扇形の範囲、そして削り飛ばされた岩石が致死の速度を持つ領域から、フィリップは数歩の猶予を残して逃れ出た。

 

 直後、大ミミズはフィリップを押し潰せる距離まで這い進み、再び鎌首をもたげる。

 

 「おっと。まあ、そうだよね」

 

 第二撃がすぐに来る。

 そもそもこれはミミズにとって、ちょっと変わった移動くらいのものだ。人間で言うと、すり足やスキップのような。

 

 明確な「攻撃」ではなく、当然、リスクもコストもない。強いて言えば、普通に歩くよりはスタミナを使う程度。

 

 簡単に、何度でも、何の躊躇もなく繰り返せる。

 悪臭の源が潰れるまで。

 

 「ねえモーンス! これ勝てる!? 無理そう!?」

 「いやいや、よくやっておるよ。もうあと半分、といったところだな」

 

 「半分!?」と、フィリップとノアと、イライザまでもが声を揃えて悲鳴を上げる。

 

 ミミズの攻撃は明らかに苛烈になっているし、魔術耐性も上がっている。

 ヘレナがやったような魔術を用いての間接攻撃なら耐性には阻まれないが、用意できるものにも、威力にも限界がある。

 

 その上で、あと半分。

 200メートル上空からの加速落下並みのダメージを与えなければならない。

 

 出来るのか、と目を向けると、ノアとばっちり目が合った。

 

 「魔術が効かないなら、やることは一つだね。よし行け剣士! がんばれ剣士!」

 「なんでこっち見てるんですか!? イライザの出番でしょう!?」

 

 反射的に言うと、イライザがはっとした表情で聖剣を構えた。

 

 「が、頑張ります! 《攻撃変化(シェイプシフト)──」 

 「いやいや、形態変化した聖剣って半分以上魔術だから! 威力が減衰する! その点、あんたの剣は付与魔術の鋭利化とか耐久強化を抜きにしても、十分に鋭くて硬い古龍武器! つまり!」

 「……」

 

 つまり、何なのか。

 ノアは口にしない。その必要がないからだ。

 

 言いたいことは分かる。理解も納得も出来る。

 

 が──有効性は別の話だ。

 

 手で土を掘れるか? 掘れる。

 剣で岩を削れるか? 削れる。

 

 では手と剣で山を抜くトンネルを掘れるか? ──流石に、それはちょっと厳しい。

 

 総量が違う。或いは必要量が。

 

 「あれは食事を必要としなくなる過程で、皮膚表面からの栄養吸収を可能とした。急がんと、また再生してしまうぞ」

 「削り切れる気がしないんだけどなあ……!」

 

 急かすような、その実ただの情報の提示でしかないモーンスの言葉に、フィリップは剣を抜いて駆け出した。

 『拍奪』なんか使わない。回避行動すら想定していない全力疾走だ。

 

 相手は目を持たず、脳による視覚処理も当然にない。

 攻撃は、悪臭、或いは忌避感の源らしい場所への大雑把な、狙いも何もない範囲攻撃。

 

 その回避方法は、攻撃範囲外への退避以外にない。

 つまり、全力で近づいてチマチマ斬って、攻撃の予兆を感じたら全力で逃げる。 

 

 「あたしはこっちから掘るから! トンネル掘って握手しよ!」

 「僕の年を十個ぐらい……というかどうやって掘るんですか?」

 

 挟撃するように回り込み、五メートルの壁を挟んで叫ぶノア。

 声は聞こえるが姿は見えず、碌に魔術の効かない相手に何をするつもりなのかも分からない。

 

 彼女はマチェットを握っていたが、既にフィリップには見えない位置だ。

 

 というか、もう「斬る」ではなく「掘る」とか言っている。

 

 まあ身体の伸縮で這うように進むミミズの動きから言って、胴体の真ん中あたりを挟むように陣取るのは悪くない配置だ。

 そのサイズ故に安地とはいかないが、頭や尾の先端部よりは移動量が少なく、回避しやすい。

 

 とはいえ、ミミズは常に先端部──頭か尾かは知らないが──をフィリップに向けようと、悪臭の源を押し潰そうとしてくる。

 足を止めて、岩のように硬い外皮の掘削に集中することは出来ない。

 

 動きを見ながら近づいて斬り付け、こまめに離れて円を描くように移動しながら、頭部と尾部の攻撃範囲に入らないよう気を配る。

 もし遅れたら、大きく距離を取って攻撃を回避した後、また側面に回り込んで接近だ。

 

 面倒臭い。まだるっこしい。

 どうにかして動きを固定したいところだが、魔術は殆ど無効化されるし、周囲に利用できそうなものはない。土や岩をどうにか成形して捕えようにも、強度が全く足りないだろう。

 

 その上──。

 

 「くそっ!? 「もう」なのか「まだ」なのかは知らないけど、再生が速い……!」

 

 斬って、離れて、近付いて。

 近づいた時には、さっき付けた刀傷が完璧に癒えている。

 

 流石に戦闘開始直後の、斬り付けた刃が押し返されるほどの再生力ではないが、それでも1分も経たないうちに完治とは。

 

 もう凄いとか凄くないとか、そんな話ではない。

 

 「面倒臭い……!」

 

 じわじわと、無駄に危険なシャトルランへの嫌厭が募り始めた。

 

 

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