なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「ふと思ったんですけど」
モーンスに別れを告げて山を下りる道中、フィリップは本当に言葉通り唐突に言った。
「勇者は魔力と演算能力を外付けできる。でも聖剣はあの通り、火力はあるように見えて耐性やら何やらに阻まれる上に、邪悪特攻抜きだと上級魔術程度のものですよね」
「うん。いやうんとか言っちゃいけないんだろうけど、まあいいや。うん」
聖剣──聖なる剣。
その名に負う通り、神によって創られ、神によって与えられたモノだ。
批評すること自体が不敬とされるかもしれない上に、上級魔術程度なんて
とはいえ事実は事実だ。否定の言葉も思いつかない。
一先ず前提だけは共有できたことを確認して、フィリップは先を続ける。
「イライザ」
「は、はい」
力不足を咎められると思い、イライザはすっと背筋を正す。
しかし、フィリップは聖剣の弱さがイライザの弱さだとは思っていない。
本人の強さと武器の強さは別物だ。ペッパーボックス・ピストルや龍貶しという強力な武器を持った雑魚である身としても、二振りの魔剣を持ちながら剣技の方が特異で脅威だったミナを知る身としても、身に染みて分かっている。
まあイライザ本人が強いかと言われると、「まあそこそこ」程度ではあるが、今は聖剣の話だ。
そして聖剣が弱いのは、イライザの咎ではない。
だが弱い武器を使っているのは問題だ。
特に、強化や交換の目途がある場合に。
「ヴォイドキャリアを持とう」
「えっ……?」
「なにそれ?」
ヘレナとノアが困惑と疑問を声に乗せる。イライザも困惑顔ではあったが、師匠が話しているところに口を挟むことはしなかった。
「エルフの国宝だった魔剣で、次元断……まあ簡単に言うと、完全な防御貫通武器ですね。なんでも斬れる超すごい魔剣です」
言うと、どこまで話が伝わっているのか、ノアは「ああ、例の龍殺しの」と納得した。
だが納得したのはそこまでで、聖剣を持ち替えることに関しては、まだ疑問が残る。
古龍は個体によっては聖痕者の魔術すら無効化する。その翼を一撃で切り落としたという切れ味には、疑う余地は無い。
だが聖剣の強みは、単純な切れ味ではないだろう。
邪悪特攻性能。勇者のみが扱える特殊性──は、武器としてはむしろ減点か。しかし決して失われず、常に手元にあるというのは利点だ。あとは疑似熾翼と合わせた形態変化。
──まさか、と、ノアにも一つの閃きが走った。
「ヴォイドキャリアを形態変化させたら最強だと思うんだ」
ヴォイドキャリアは刃の無い宝石の剣。しかし触れれば斬れる。
龍であれ、恐らく神であれ。複数の次元を繋ぐアトラク=ナクアの糸でさえも、あの魔剣は切り裂いた。
しかし、リーチが無い。
刃渡り一メートル。その程度の損壊では、“山岳”や“森林”は傷付かないし、あのミミズだって一秒で治せる程度でしかない。
そこで、攻撃変化──攻撃範囲の拡張だ。
次元断の炎。次元断の風。他にも四属性分あるはずの形態変化。
絶対に強いだろう。
五万年生きた王龍だろうが、五億年生きた原生生物だろうが、一撃で消し飛ばせるに違いない。
「ミナが居れば“悪徳”を貸して貰うか……いやミナが居るならミナが戦った方が早いな」
無条件貫通攻撃のヴォイドキャリアほどではないが、ミナの魔剣『悪徳』と『美徳』の組み合わせも相当に強かった。
『美徳』単体の性能──神罰術式レベルの即死、攻撃範囲拡大、首攻撃時の防御不可──も大概だが、『悪徳』の悪性付与が噛み合いすぎている。
『美徳』の強力な特殊性は、相手が邪悪に属する場合にのみ発揮される。要は聖剣や神罰術式と同じ、邪悪特攻。
先のミミズのような悪性のない相手でも、『悪徳』を併用すれば特攻が乗る閾値まで無理やりに悪性を高められる。
強いと言うか、もうズルい。
……まあ、それはともかくとして。
「聖剣の対邪悪性能が有効でない相手にも通用するし、外皮強度も関係ない最強の──」
「勇者の聖痕って、外付けできるのは聖剣の使用に関する能力だけよ。「武器の形を変える力」じゃなくて「聖剣の力を使う権利」、といえば分かりやすいかしら」
言い切る前に、ヘレナにぶった切られた。
分かりやすい。すごく。
聖剣を使う分の魔力と演算力は担保されるが、それ以外の魔術が使えるようになるわけではない。それは聞いていたが、拡張性は現代魔術の強みの一つだろう。
「……他の魔剣に応用できないんですか?」
「さあ……解析したことはないから「絶対無理」とは言えないけれど、出来るなら、先代以前の勇者が誰かしらやっていると思うわ」
淡々とした──戸惑いも呆れもない、ただ当たり前のことを語るヘレナの口ぶりに、フィリップはしょんぼりと項垂れた。
そもそも形態変化が疑似熾翼の能力ではなく、聖剣自体の能力なら「応用」という考え自体が間違いだ。
「そっかぁ……そりゃそうですよね……。ごめんイライザ、忘れて」
「い、いえ! ご指摘は御尤もだと思います! 精進致します!」
至極真面目に答えるイライザだが、彼女の努力で聖剣が強くなることは無いだろう。
まあ聖痕や聖剣のポテンシャルを十全に活かし切れているわけではないそうなので、成長に期待できないわけでもないが。
なんやかんや話しているうちに、一行は山をかなり下り、じき森に入ろうかという所まで戻っていた。
誰が何を言うでもなく次第に歩調が緩み、遂には先頭のノアが足を止めた。
「……ねえ。そういえば、森のあれは何だったの? カーター君の連れているヴィカリウス・シルヴァなら分かるのよね?」
「っていうか……あんたさ、事前に調べてるんじゃない? だからさっき、“森の神”が出てきたときに、攻撃でも警戒でもなく、無視して先に進むなんて選択をしたんじゃないの?」
ヘレナが真剣な口ぶりで言うと、ノアも乗っかるように続く。
“森の神”と言う時だけは皮肉めいた口調だったが、それ以外は、ノアも真剣そのものだ。
「うーん……。説明がとても面倒臭いというか、表現が難しいというか……」
フィリップは顎に手を遣って唸る。
“神”の成立の仕方を説明すると、そのまま“唯一神”の成立──その正体まで察してしまう恐れがある。
勿論、“唯一神”と“神”は別物だと、無邪気に信じていられるかもしれないが。
だが「ひとつ賢くなったね、おめでとう」では済まないかもしれない。
世界の見え方が変わる。この世界を、神が人間のために創造した、人のための世界であるなんて幻想は、二度と抱けなくなる。
それは決して揺るがぬ大地が崩れ、遥かな天空が失墜するが如き衝撃だ。
今まで信じていた、いや「信じる」という段階にさえ至らない、何の疑いもない大前提だったものが否定される。
今ある全ては絶対で盤石なものだという思い込みは、愚昧ではあるが、精神の安寧には重要だ。
彼女らは人間以外の支配種を知らない。
だから、人間がいない時代を想像出来ない。過去、未来を問わず、人類の繁栄は永劫と信じて疑わない。
彼女らは星が無かった時代を知らない。
だから、星がある日突然爆発したり、神格の気まぐれで銀河ごと爪弾いて弄ばれたり、外神が指先を浸した衝撃に耐えかねた宇宙が消し飛んだりという想像をしなくて済んでいる。
未知は恐怖に繋がるが、自分が無知であることを知らなければ、未知に思いを馳せ恐れを抱くことも当然に無い。
その安寧の中で、幸せに死ねばいい。そう思う。
しかし──黙っておくのも
何も知らず、知るきっかけさえ隠され遠ざけられたまま、誘導された信仰に従って死地に赴くというのは。
「話してあげたい気持ちはあるんですけどね。でも批判や反論に懇切丁寧に反駁して、疑問や疑念を綺麗に解消してあげようって気にはならないんですよねえ」
そこまでの価値は──その労力を費やすだけの価値は、眼前の三人には無い。
だが、憐憫はある。
「まあ、でも、魔王真体……最低五万年は生きてる王龍相手に挑むんですからね。こうしましょう、質問は一人一回まで。二個目以降は無視します。あと、反論したらその時点で話は終わり、それ以上何か聞き出そうとしたら……どうしようかな。取り敢えず殿下に「虐められた」って泣きつきます」
「……脅しはともかく、滅茶苦茶上から目線なのが気になるなあ。なに、そんなに貴重なご高説?」
言いつつ、ノアの表情に不快さはない。口ぶりも軽口の範疇だ。
「教えてあげる」という優越感のようなものは、確かにフィリップの態度から感じられる。
質問や反論が大量に出るだろう内容で、一々答えるのが面倒臭いという内心も透けている。
だが、それだけではないことも分かった。
自分本位な感情に混じって、ノアたち三人を慮る気持ちもある。それも配慮だけでなく、憐憫までも。
ノアとしてはそこが気になって、そこを掘るためのちょっとした揶揄だったのだが、フィリップの「話してやるか」という気を削ぐには十分だった。
「ノア聖下、質問権使用。答えは──」
「ごめんごめん今のナシで! 黙って聞きます!」
慌てて手を振るノアに、フィリップは胡乱な目を向ける。
またやりそう、というか、今度やったら話を終わらせる。その内心は、言葉にするまでもなく伝わったようだ。
ノアはきゅっと口を引き結び、しかつめらしく頷く。
可愛らしい所作に毒気を抜かれたか、小さく笑ったフィリップは話を戻すことにした。
「あれは……そうだなあ、神のようなモノ……仮に“疑似神格”とでも呼びましょうか」
「……はい、師匠。質問があります」
すっと、イライザが手を挙げた。
動き自体は静かなものだったが、意外感から思わず見つめてしまう。
「えっ、まだ何も話してないけど」
「その、お恥ずかしながら、疑似ではない……ええと、“神格”という言葉の意味が分からなくて……」
イライザは本当に恥ずかしそうに、そしてばつが悪そうに言う。
フィリップがあまりにも当然のように言ったから、当たり前に知っているべき常識的な言葉だと思ったのだろう。
だが、これはフィリップのミスだ。
「ん……そうか、そりゃそうだ。あー……」
どう言えばいいのだろう。
神格とはつまり、神の格を有するモノ。或いは神と呼ぶ他にないモノのこと。
しかし一般的に、“神”とは唯一神のことを指し、他に“神”はいない。
カルトの信仰する空想の邪神、少数民族の信仰する自然や動物を擬神化した偶像、実在する旧神、旧支配者、外神──全て、存在しないものとされている。というか、大部分は知られてすらいない。
彼女たちの一神教的世界観を崩すのは、あまり望ましくない。この辺りの分類を語るのもリスキーだ。
「えーとうーんと……「神と呼ばれたり、語られたりしているモノ」が神格、「伝承によく似た姿や性質を象ったモノ」が疑似神格。サムロア族の伝承でいう所の“山の神”、“森の神”と四種の眷属、これが“神格”。で、さっき会ったのは伝承をベースとして発生した実体、“疑似神格”」
「外見は『
遭遇時、ヘレナに「見るな。振り返るな」と言われていたことも、フィリップは三人の目を盗んでこっそりと振り向いたことも、完全に忘れていた。
幸いヘレナもノアも、今はそんな些事に興味を向ける余裕は無かったが。
「伝承から発生? ……あ、じゃあ、これ質問で。「なんで」……いや、「どうやって」? 火のないところに煙は立たないし、煙から火は生まれないでしょ? モノが居るから、それを神に準えたり、喩えるような信仰が生まれるなら分かる。でも逆は無くない?」
今度は、ノアの口ぶりにおふざけの色は全くない。
彼女にとって“森の神”──森で遭遇したナニカ、聖痕者の感知能力を以てしても正体の判然としない謎の存在は、遊び半分で対峙できるものではなかった。
……まあ、だからといって内心も外面も真面目一色になるような性格でもないのだけれど。
「あー……」
「……なに悩み? 言ったら不味いことでもあるの?」
フィリップは答えることなく、呆けた声を漏らす。
ただ声は正確には悩んでいるというより、むしろ思い出したようなものだった。そういえば、と言わんばかりの。
「いえ……そこまでは知らないな、と」
「は? そんなことある?」
ここまで喋っておいて惚ける気か、と目を細めるノアだが、フィリップに誤魔化すつもりは無かった。本当に。
「僕は全知じゃないので。セックスしたら子供が出来るってことは知っていても、具体的に何がどうなって人体が製造され、複雑な構造とはいえ所詮は肉の塊である胎児に生命が宿り、自我を生じるのかは知らない。そんな感じです」
言ってから、フィリップは「しまった」と思った。
今の喩えはやや品位に欠ける。──と、ルキアやステラが居たら眉を顰めるところだろう。
幸い、イライザがちょっと赤面したくらいで、批判は無かった。
「ほーん……。でもさ、伝承が元になって何かが生まれるなら、なんか劇とか小説の登場人物とかも生まれたりしないの?」
「さあ? セックスしたとて百発百中で子供が出来るわけじゃ……いや、世の中にはそういう人も居るかもしれませんけど、なんか色々と条件とかがあるんじゃないですか?」
もはや投げやりだった。
だって知らないものは知らないし。詰められても「知らん」以外の答えはないし。
その適当さ、或いは平常さは、むしろノアに信憑性を感じさせた。
どこをどう詰めても「さあ?」とか、いま思いついた適当な仮説が返ってくるだけだという確信すら抱かせる。
結局、ノアは「なるほどねー……」と諦め交じりに納得を示した。
一方、ヘレナは不快感を露に眉根を寄せていた。
「人間の信仰から何かが生まれる……。まあ、その真偽はさておくとしても、そんなものを、仮とはいえ“神”とは呼んでほしくないわね。……あっ」
「あはは! 確かにそうですね!」
言い終えてから、ヘレナは自分が反論じみたことを言ってしまったことに気付く。
しかしフィリップは不機嫌に話を終わらせることなく、むしろ上機嫌な笑い声さえ上げた。
無知で、無邪気で、痛烈だ。痛快と言ってもいい。
実際、フィリップだって旧神に関しては「神」という言葉を安く使いすぎだという印象がある。
自然の神格化にしても、共同幻想にしてもだ。
そりゃあ“宣教師”だって、智慧を授け蒙昧を払ってやろうという気になるだろう。
……とはいえ、だ。
「でも、そんなモノ……生き物でさえない空想の産物を指して呼ぶ、正式な名前を僕は知らないので。代案があれば聞きますよ?」
では旧神を「旧神」と呼ばずに何と呼ぶのか。
邪悪言語や、他の智慧ある種族の言葉ならいざ知らず、大陸共通語にそんな便利な単語は無い。というか、知られていないものに名前は付かない。
面白半分、期待も込めて訊いてみると、ヘレナは悩んでから口を開いた。
「……形而上……いえ、哲学寄生虫、とか?」
「おー、いいですね。譫妄の蛆、とかどうですか?」
「わ、私は思いつかないので、師匠が話しやすい方になさってください」
ノアは別案、イライザは辞退……というか、遠慮だろうか。ヘレナに同意こそしなかったものの、やはり「神」という言葉を唯一神以外に使うことには抵抗があるようだし。
フィリップとしては、ヘレナよりノアの案の方が好みだ。
いや、好みというか。
「ははは……! せ、譫妄の……、くくっ……!」
「やった、なんかウケてる」
ツボ、だった。
言葉の強さが良かったのか、込められていた嘲笑や優越感が良かったのかは、自分でも分からないが。
「……おっと、噂をすれば、だ」
「っ……!」
まさかそんなはずはないが、まるで、フィリップが上機嫌なタイミングを見計らったかのよう。
山と森の境界線。
その、ほんの数歩先。
森のごく浅い場所に、それは居た。
否──
じめじめと纏わりつくような気配を漂わせる、霞のような巨大なヒトガタ。
四肢を突いた人間、或いはバランスの狂ったクマのような毛むくじゃらの何か。
木々の合間から姿を垣間見せる、蛇の鱗と百の脚を持つ巨体。
そして、見開かれた目のカリカチュアだけを顔に貼り付けた、こちらを見つめるモノ。
森の神の眷属、或いは“森の神”