なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「あ、出た。譫妄の虫」
三人が息を呑み、身構え、魔術や聖剣を構える中で、フィリップだけが安穏と笑っていた。
「ははは。お揃いで、大歓迎だね」
笑い声に、四つの実体のうち三つが大きく反応する。
霧のように揺らめくヒトガタは、濃度を維持したまま二回りほど巨大化する。肥大とも拡散とも言い難いが、判然としない輪郭線は大きく広くなった。
毛むくじゃらのバランスが狂った熊は、後足で立ち上がって低く唸る。
三メートルはある威容だが、あのミミズを見た直後では、むしろ小さく感じるサイズ感だ。……まあ、人間よりは明らかに大きく、肉体の性能も段違いだとは思うが。
全容の見えない巨大な蛇は、むしろ逆だ。さっきのミミズより明らかに長い。直径は3メートルほどと太くはないが、木々の合間を縫う巨体はかなり遠くにまで見え、しかし頭も尾も見つけられない。
三人からまだ遠い木立の中に居る白いヒトガタだけは、何の反応も示さず、一行をじっと見つめていた。
三種の眷属は威嚇した……のだろうか。
そんなことを考えて、フィリップは自分の思考に笑った。
イライザたちは完全に威嚇、敵対行動と見做して戦意を滾らせている。
タイミング、仕草、なにより肌で感じる敵意が、戦闘慣れした三人のスイッチを入れる。意識は自動的に冷却され、身体には熱が入り、足の爪先にまで神経と血管が張り巡らされているのを感じる。
相手が一歩踏み出せば、急所のどこかを必ず斬る。
僅かな指先の動きにすら反応して魔術を撃つ。
観察と反射に最適化されていく神経。
それを逆撫でするように、フィリップはへらへら笑いながら三人の前に出た。
「いやいや、まさかね? そんなわけないよね? まさか──僕やシルヴァに敵対しようなんて、そこまで馬鹿じゃないよね? 人が居て、森があって、ようやく存在する程度のモノが、ねぇ?」
フィリップに敵意は無い。勿論、戦意も悪意も害意もない。
しかし、だから相手もそうだろう、と思っての無防備さではない。
単純に、言葉の通り──
「なんだっけなあ、前に精霊を滅茶苦茶面白い呼び方をする本を読んだんだけど……」
「ちょっと、カーター君──」
場違いなほど平和な、それでいて明らかな侮蔑と嘲弄の気配が滲む空気を纏うフィリップ。
聖痕者が二人いるとしても、“疑似神格”なんて性能不明なモノの前で晒していい無防備さではない。
そう感じたヘレナは警告しようとするが、ノアが片手で制した。
ちょっと話を聞いたとはいえ、三人にとって“疑似神格”は未知であり異常な存在だ。
しかし、フィリップは『異常現象の専門家』。先の、何を語り何を秘するべきかを選ぶような口ぶりからしても、ノアやヘレナよりずっと詳しいことは伝わった。
一般兵が特技兵のやることに口を出すべきではない。
もっと言うと、
もしかしたら挑発が効くのかもしれないし、なにか時間を稼ぐ必要があるのかもしれない。
三人にフィリップの思惑が判然としない以上、ここは様子見しつつ防御に専念して、なにか合図があれば攻撃に転じるというスタンスが正解だ。
──まさか本当に心の底から嘲笑しているだけだとは思わず、ノアは大真面目にそんな考えを巡らせていた。
「あぁ、そう! “
前に読んだ本の表現が面白かった、なんて言い訳じみたコトを言ってはいるが、そんなつもりはない。
言い訳も建前も必要だと思っていない。いや、言い訳や建前を必要とする相手だと思っていない。
侮蔑、侮辱、嘲笑という意識すら薄い。
これは、
「お前が森を生んだわけでも、世話しているわけでもないだろうに。支配者だの何だのと……」
「……カルト相手の時を思い出すなあ。楽しそうで何より」
「だ、大丈夫なのでしょうか……?」
滔々と気分よく喋り続けるフィリップ。
“森の神の眷属”に動きが無いとはいえ、明らかに敵視されている。安全とはとても呼べない状況のはずだ。
なのによくもまあ、とノアは呆れ顔だ。制止こそしないが、いつでもフィリップの周囲に魔力障壁を展開できる心構えだけはしておく。
イライザは心配そうにしているが、それでも以前に、カルトを前にしたフィリップの過激さ──或いはハイテンションを目にしているから、驚きはない。
驚いているのはヘレナだ。
彼女の知るフィリップは、魔術学院時代のもの。というか、切った張ったも異常現象もない、学生としての日常生活だけだ。
勘違いや交友関係から友人の数こそ少ないものの、人当たりはよく物腰も丁寧。
基本的に真面目で、一部を除き大抵の科目でそこそこの成績。通常の入学年齢に満たない強制編入であることを鑑みれば、優秀と言って差し支えない。
魔術実技が壊滅的であることと、交友関係が狭いことを除けば、真面目な優等生──だと、思っていたのだが。愉快そうに笑うフィリップの態度は、そのイメージを塗り替えて余りある衝撃的なものだった。
「まあ、森に限らず自然は寛大……というか、ただ在るもの。快不快のないものだからね。後から出てきて「私が森の神だ」なんて言い出しても、許してくれるだろうけど……いや、むしろ面白いのかな? 人類ぐらいでしょ、自分たちの妄想の産物を信仰するなんて、愉快な機能を持ってるの。古のものも他の旧支配者も、もっと智慧のある連中だろうし」
三者三様の反応をする背後には興味を示さず、さりとて四つの実体の動きに注意を払うわけでも無く。フィリップは何も気負うことなく、友人を揶揄うかのような口ぶりだった。
カルトを前にした時のよう、とノアやイライザは感じたが、その印象は次第に薄れていく。
迸るような、粘つくような、戦闘慣れした二人を慄かせ後退りさせるような気配を、カルトを前にしたフィリップは纏っていた。
カルトを弄ぶとき、フィリップには殺意がある。
『嬲り殺す』『苦しめて殺す』と、あくまで殺すことを最終目的としているのが外から見ても分かる。
今はそれが無い。
ただ喋り、嘲り、弄んでいる。
“森の神”の眷属。『疑似神格』なるモノたちは、あからさまに敵意を向けているのに。
「っていうかお前……たかが千年、この森に住んでるだけだろう? まあ人間の、社会的な価値観で言えば「君の土地」と言っていい時間が過ぎてるかもね。ふふふっ……。ちゃんと帝国に土地税とか納めてる? くくくくっ……」
フィリップは相槌も返さない怪物相手に一人語り、一人で笑っている。
何が面白いのかと、ノアとヘレナは思わず顔を見合わせ──その視界の端を、影が動いた。
直後、甲高い音と共に火花が散る。
フィリップが至極どうでもよさそうに視線を向けた先では、四肢の比率が狂った熊──『
森から出られるのか──いや、そんなことはどうでもいい。これは明確な攻撃だ。
体格と勢いから言って、今の一撃は間違いなくフィリップを死に至らしめるものだった。鋭利な鉤爪が首を刎ねるか、鉄板じみた掌が内臓を叩き潰すか。
いや、きっと四肢を千切るのだろう。そして、元通りの形に並べ直すのだ。
不自然に。自らの存在を示すかのように。
ウルスノスは獣の声で低く唸り、奇妙な四足歩行で数歩下がる。
追撃の構えか、或いは魔力障壁を抜けないと判断しての様子見か。数秒待っても突撃してこない辺り、後者のようだ。
「おっと。ありがとうございます、助かりました」
まだ数歩の距離にいる熊のような異形から完全に視線を切り、フィリップは振り返ってにっこりと笑う。
魔力障壁を張ったのはノアだったが、魔力の流れを読めないフィリップは、先のミミズ戦の余韻でヘレナを見ていた。
「撃つよ?」とノアは手短に、鋭く問う。
撃ってもいいのか、撃って効くのか、もっと良い手はあるのか。そんな複数の意図を込めた質問だったが、フィリップには伝わっていなかった。
「あぁいや、それはちょっと待ってください」
適当な制止。
明らかに攻撃されたにもかかわらず、フィリップは依然として戦闘体勢にならないし、意識を切り替えもしない。
しかし、ノアは無視して攻撃しようとまでは思わなかった。
フィリップが知識のある『特技兵』だから、ではない。
介入する必要を感じなかったのだ。
正体不明の怪物と、剣すら抜いていない無防備な子供──そのはずなのに、そう思えない。
鎌を振り上げ懸命に威嚇する蟷螂と、それを戯れに弄んで殺す猫。
幻視とまではいかないが、ノアはいつか見たそんな光景を思い出した。
「確かに、人間は死を恐れる。だから人間に『崇めて貰う』には、死を振りまき恐怖を刻みつけるのは悪くない手段だ」
ノアもヘレナも強く制止しないのを良いことに、フィリップは喋り続ける。
しかし先程より上機嫌さが鳴りを潜め、視線には訝しむような色が宿っていた。
「でもさぁ……それって結局、人間ありきの「神様」でしか在れないんだよね。「人間の死」なんて安いモノでは、「人間の信仰」くらいしか買えないんだから。自分で自分がくだらなくならないの、お前?」
人間に死を振りまく神。
そんなものに価値を感じるのは、人間の死に価値を見出すモノだけだ。
まあグール辺りは、食料生産的な意味で感謝するかもしれないけれど──あれも別に、人類より遥かに優れた種というわけではない。
人間を殺すことに拘るなと、フィリップはイライザに教えた。
虫に刺されて死ぬ、転んで死ぬ、寿命なんて時限式自壊機能まで付いている。そんなモノの“死”に、どれほどの価値があるというのか──と。
まあこのケースに関しては、殺すことではなく、信者に恐怖を与えるツールとしての利用なので、そこまで軽蔑するような
それでもやはり、人間の死なんかを使わなければ信仰を集められない低次元さには、嘲笑を禁じ得ない。
「というか、今の動きは引っかかるな。要はお前、麓の三百人ぽっちを殺せば勝手に消滅する、虐殺のついでで死ぬ劣等存在だろうに──どうして僕に攻撃してきた? なんで、僕に喧嘩を売るなんてことが出来る?」
語るうち、楽しくなってしまったか。フィリップは相手の低次元さを忘れ、本気で不思議そうに問いを投げる。
人間三百人の信仰ベース。それも、定期的に人間を殺して恐怖を与えないと信仰を維持できないレベルの低次元さ。
それでどうして、“魔王の寵児”に攻撃なんて出来たのか、と。
「師匠が売ったから、買ったのでは……?」と、イライザは小さく呟いた。
だが、
フィリップの言葉を「喧嘩を売られた」と捉えたのなら、それはつまり。
「ははっ……まさかとは思うけど、僕たちがお前を神として崇めないから、なんて理由じゃ……ふふっ……え? まさかね? 違うよね?」
軽蔑された。嘲笑された。揶揄と愚弄を受けた。だから、攻撃した。
もし、もしもそうなのだとしたら、“森の神”はそれが気に食わなかったことになる。
逆の扱いを望んでいた、ということになる。
尊重を。崇敬を。信仰と帰依を。
「人間の空想から生まれて、人間の空想に寄生して存在しているお前が、僕に崇拝を強いる? ははははは……!」
──それは、ここ最近で一番のジョークだ。
帰ってカノンとアンテノーラにも教えてあげよう。
そんなことを考えていると、四つの実体が動く。
周囲には濃霧が漂い始め、甲殻に包まれた脚が連続して土や木を叩く幾つもの音と、獣の臭いと唸り声が聞こえる。音は霧で跳ね返ったように、四方八方から聞こえた。
視線は変わらず絡みつき、霧に遮られた視界の中で一方的に観察されているのを肌で感じる。
やばい、とは思わなかった。
だが不快だ。不明瞭に煙る視界、気色の悪い多脚の足音、饐えた臭い、纏わりつくような視線。何もかもが気に障る。
フィリップが不快感を覚えたそれらの要素は、他の三人には明確な脅威に映った。
「カーター君、これはきっと不味いわ。撃つわよ?」
「は? あ、すみません。うーん、じゃあ、そうですね。二人のどっちでもいいので、神罰術式を撃ってください」
硬い声。
ヘレナはノアほどフィリップの判断に、或いはステラの判断に重きを置いていないのか、制止しても聞いてくれそうにない。
フィリップとしては、もう少し
「信仰パワーバトルになるのか、それとも神罰術式は完全な魔術判定なのか。まさかお前の方が存在格が上ってことは……ははは! あったら面白いね!」
唯一神はこの手の神格を自らの手で排除していない。
信託を与え、“使徒”を遣わし、信仰の元となるカルトや異民族を殺すという方法を取っている。
迂遠、とは言うまい。むしろ根絶、確実なる抹殺だ。
では、果たしてそれは、確実性を取るための必要なプロセスなのか。はたまた、神格を有するモノを自力で排除できないのか。
まさかまさか。そこまで低劣ではないだろう。
同じ人類の空想に寄生する蛆虫同士、信仰の規模に依らず力関係が変わらないなんてことも、ありそうといえばありそうだが。
「というか、効いたらどうなるんだ? 触れられるとはいえ実体……肉の身体や生命活動があるわけでもないだろうけど、無から潮溜まりに──有に変わるなら、それこそ神の御業、闇に光を灯すが如き創造じゃないの? ふふふふ……」
……いや、魔力というエネルギーを使っているので、本当に無から有を創造するわけではないのだろうか。
そう考えると、やっぱりもうちょっと面白い殺し方を考えたい気もする。
そのくらいの価値は、さっきのジョークにあっただろう。
と、思った矢先、ぱっと視界が晴れる。
視覚も、聴覚も、嗅覚も、何もかもがクリアになる。
肌感覚だけは相変わらず、地面から上ってくる熱気の不快感を訴えているが、粘つくような視線も、じめじめした霧も無くなっていた。
「あぇ?」
フィリップは間の抜けた困惑の声と共に振り返る。
しかし、そこには困惑一色の表情が三つ、揃えたかのように並んでいた。
「え? もう撃ったんですか? まあいいですけど……? え? 誰が撃ったんですか?」
まあ聖剣ではないとして──ヘレナでもなさそうだし、ノアでもなさそうだ。
降り注ぐ光の柱とか、焼けた硫黄とか、そういう派手な
だが、もしも二人の神罰術式がもっと静かなものだったとしても、二人とも撃っていないのは顔を見れば分かった。
誰も何もしていない。
なのに、四つの実体は跡形もなく消え去った。
「あたしじゃないし、先輩でもないよ」
「ええ……。でも、さっき麓で大きな魔力の反応があったわ。これは……」
霧の晴れた空に、黒い煙が見えた。
山を下りた森の向こう、サムロア族の集落があった方角だ。
噴火ではなさそうだし、そもそも300人からなる集落の、ちょうど昼時だ。そりゃあ煙の一つや二つ、上がっていて当然といえる。
しかし、煙はいやに黒く、大きく、重い。
竈や煙突から上る、薪を燃やした煙ではなさそうだった。