なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
森の中を駆け抜ける。
一番慣れているイライザが先頭を、次にフィリップ、ノア、最後にヘレナの順だ。
隊列を決めたわけではなく、単に森の中を走るのが速い順になっている。
どことなく見覚えのある木の並び。
たぶん往路で付けたのだろう木の幹や枝の傷。
曖昧な記憶と道標を頼りに急ぐ帰路の最中、先頭を走るイライザが、器用に走りながら振り返って叫んだ。
「師匠! 集落が! 集落が──
「燃えてる、じゃなくて!?」
事故や災害による出火ではなく、人為的な放火と断定したような物言い。
木々の隙間から僅かに見えるオレンジ色の炎と黒い煙から、どうして分かるのか。
そんなフィリップの疑問には、前ではなく後ろから答えが返された。
「この臭い、ただの火事じゃない。攻城用の増粘油が使われてる」
「なんですかそれ?」
「気にすべきはそこじゃないよ。問題は
冷たい──戦闘時のマインドセットから来る、冷静で冷徹な声色のノア。
だが言葉の内容は教え聞かせるようなもので、フィリップにもすんなりと理解できるものだった。
建物の外壁や人間に纏わりつき、水による消火が難しくなる増粘油。
製法はそれほど難しくないものの、日常生活で使うものではないし、一般集落が常備しておくものでもない。
つまり、それを持ち込み、使った奴がいる。
重要なのはそこだ。
そして最重要は「誰が」でも「何故」でもない。
何故、
「野盗とか?」
「可能性は無くもないけど、帝国兵が駐留してる場所をわざわざ襲うとも思えないし、うちの兵士が負けたとも思えない」
言われて、フィリップは僅かに目を見開いた。
そういえばそうだった。
そういえば、サムロア族は一神教の司祭を追い出したとかで異端と反逆の疑いを掛けられ、帝国兵による監視と調査を受けていた。
彼らの暴走という可能性も無くはないが、ノアの命令無しに勝手に動くとは思えない。
しかし第三者の攻撃という線も、ノアが口にした通り、考えにくい。
「魔力が散乱していて見えにくいけど、魔術戦があったという感じではないのも気になるわ。兵士も抵抗していないみたい。……まるで、サムロア族を差し出したみたいに」
ヘレナが息を荒らげながらも考えを口にする。
彼女は木の根や土のへこみに足を取られながらも、どうにか隊列から遅れることなく最後尾を走っていた。
「有り得ませんね。盗賊相手になにか譲るような軟弱な兵士、今生き延びても次が無い。帰ったら懲罰房にぶち込まれて罰則を科された上で不名誉除隊です。……あぁ、そいつを殺そうとするあたしから逃げ切って帰れたら、って意味ですけど」
僅かに怒りを滲ませたノアの言葉に嘘はない。
過去に実行したことがあるかどうかは定かではないが、彼女という強力無比な督戦官が指揮する部隊が、まさか盗賊相手に膝を屈しはしないだろう。
というかそもそも、盗賊が正規兵相手に喧嘩を売るとは思えない。
魔物が攻城用の増粘油なんて人工的なものを使うとも思えないし、王国だって、魔王征伐が近いこの時期に、ヘレナとイライザとフィリップが居る場所で裏工作の類は仕掛けまい。
襲撃者に見当もつかないまま森を駆け抜け、やがて抜ける。
木々に遮られていた炎の熱が風に乗って運ばれ、火山の地熱よりも激しく肌を打った。
帝国軍の意匠を纏う兵士たちは、炎上する集落を遠巻きにしている。
目に付く範囲では怪我人は居なさそうだし、燃えているのはサムロア族のゲルだけだ。帝国軍が敷設した天幕類は、あったはずの場所から消えている。……撤収している。
一行が森を出ると、兵士の中で数人が気付き、すぐに二人組が駆け寄ってきた。
「聖下! 勇者様! し、“使徒”です! カルト狩りです!」
静止と敬礼どころか、適切な距離に来る前から、走りながら叫ぶ兵士たち。
その内容に、イライザは怪訝そうに眉根を寄せた。
「“使徒”って……教皇庁が隠しているっていう、秘密の騎士団ですか?」
「……都市伝説的な尾鰭はさておくとしても、実情も概ねそんな感じかな。一神教がカルトと見做すものを脳死で狩って回る、自分が──ああいや、他国の領内を好き勝手に探る、殿下や王子殿下にとっては目障りな連中だよ」
ちょうどイライザの疑問に答えたタイミングで、二人の兵士がノアの前に整列し、敬礼を終えた。
「詳細報告!」
「襲撃者は“使徒”、目視13名、魔力探知上では20名! 枢機卿猊下の書簡を持っており、帝国と教皇庁間における基本合意を理由に、優先的介入を行っています! 我が方の兵員における損害はゼロ……ですが、サムロア族は完全に殲滅されました」
半ば怒鳴るような、覇気のある指令と返答。
フィリップは「ちょっとカッコイイな」と思ったが、イライザはむしろ慣れていて無感動だった。あくまで彼らの態度や声量には。
言葉の内容に関しては、誰も無感動ではいられない。最も苛烈なのはノアだった。
「ちっ……! 他人様の国で堂々と虐殺とはね──!」
ノアは肩を怒らせ、ずんずんと集落の方に歩いていく。
途中、腕を一振りするとたちまち暗雲が立ち込め、バケツをひっくり返したような土砂降りの大雨になった。
即座に消火とはいかないまでも、冷たい水は炎の勢いを確実に弱めていく。
イライザもヘレナも、そしてフィリップも、不愉快そうな顔でノアの後に続いた。
二人は単に虐殺という非人道的な行為への怒りを抱いているようで、表情には純粋な怒りだけが宿っている。
最後尾をのんびりと歩いて付いていくフィリップの顔には、怒りよりも軽蔑の方が強く滲んでいた。怒りに関しても、特に何の思い入れも無い他人が虐殺されたことに対してではない。
だが、いよいよ結果が出るところだった実験を台無しにされては、特に研究者気質でもないフィリップも不快感くらい抱く。
或いは、目の前に運ばれて来た料理を、横から掠め取られたような気分とも言える。
「これは。ノア・アルシェ聖下、ヘレナ・フォン・マルケル聖下、イライザ・ウィレット聖下。お目汚しを失礼致しました」
“使徒”の一人がノアの前に立ち、恭しく頭を下げた。
顔立ちも声も年若く中性的で、どこか神秘的な雰囲気もあって男性とも女性ともつかない人物だ。
制服なのか、以前に遭遇した“使徒”と同じ真っ黒な装いだ。カソックの上に黒いローブを纏い、靴まで黒一色。
だが胸元には刃のように銀色に輝く、というか、刃の如くに砥ぎ上げられた十字架を下げている。
肩を怒らせて近づいていくノアの足取りは、目の前に立った“使徒”を殴り飛ばしかねない勢いだったが、彼女は“使徒”を知っているし、命令に縛られる軍人でもある。
帝国と教皇庁の間で非公式だが正式に交わされた合意に基づく作戦行動中の相手を、感情任せで攻撃することは出来なかった。
「……舐めたことしてくれたね。こっちはまだ調査中だったんだけど?」
「存じ上げております。聖下の軍務を妨げ成果を窃取するような形となってしまったことを、お詫びいたします。……ですが、これは偉大なる父の思し召しによるもの。神意の代行者たるこの身に、聖下や帝国への悪意などは一片もございません」
“使徒”は再び頭を下げる。
ノアに対する所作の端々には確かな敬意が見て取れ、言葉からも真摯な心が伝わってくるようだ。
挑発一つで限界を迎えるところだったノアの堪忍袋の緒は、どうにか無事に役目を全うした。
ブチ切れる寸前ではあったが、誠意ある対応がノアに冷静さを取り戻させた。
「ちっ……。帝国軍、撤収準備!」
「了解! 撤収作業に入ります!」
怒気の籠った命令に敬礼を返し、兵士たちはてきぱきと動き始める。
“使徒”による焼き討ち前に集落から設備類を引き上げてはいたが、あくまで緊急避難程度。大掛かりな移動の準備までは終わっていない。
ノアは苛立ちも露に頭を掻き毟り、舌打ちと溜息で腸の熱を発散すると、フィリップたちの方に振り返った。
と、すぐ後ろでフィリップが立っていた。
というか、二人の話が終わるのを待っていた。
「……どしたの」
「……私に、なにか?」
視線が自分に向けられていることに気付き、“使徒”が穏やかな笑みと共に問いかける。
フィリップは笑い返さなかった。会話を円滑に進めるための、愛想笑い程度のものさえも。
「……部隊指揮官は?」
「私ですが」
硬い声に、穏やかな声が返される。
不思議と心が落ち着くような、春の陽だまりを思わせる声音に、フィリップは舌打ちを零した。
余程のことがなければ初対面の相手に舌打ちなんかしないフィリップだが、相手は“使徒”。
既に一度襲われている身だし、同種の獲物を狙う
何より──彼らのアタマはナイ神父だ。
「そうじゃない。ナイ神父じゃなくて、えーっと……誰だっけ。……テネウ? あ違う、ペトロだ。彼もここに?」
「何を仰っているのか分かりかねます」
「……出てこない。じゃあ居ない? あぁ……全部が全部、彼の指揮で動くわけじゃないのか。なら納得だ。邪魔をさせるなと言いたいところだけれど、干渉される方がヤだし」
“森の神”の突然の消失。あれは、信仰の消滅によるものだ。
“使徒”による虐殺の開始によって信仰の強度が高まり、四種の眷属の同時顕現や、森の外での出現が可能となった。そして虐殺が進むにつれ信仰の数が減ったか、或いは救ってくれない神への信仰が落ちたことで消滅した。
フィリップの好奇心、ちょっとした実験は、彼らの任務によって妨げられた。
それはとても不愉快だが、まあ、過干渉も嫌だ。ナイ神父の意図が絡まなかった結果がこれだというなら、受け入れよう。
「お待ちを。私からもお聞きしたいことが──」
「え? あぁ……僕から話すことはない。ナイ神父にでも尋ねてみたら?」
一人で納得して踵を返したところを呼び止められ、フィリップは遅ればせながら失言に気付いた。答えには挑発的な色が強かったが。
ナイ神父の──ナイアーラトテップの化身の身分なんか、波打ち際の落書きよりも不確かなものだ。王都の若き司祭が、実は秘密組織の隊長だったのだ! とか言われても、特に凄いとは思わない。というか次の瞬間どころか、一秒前には若くも無ければ司祭でも無かったりする。
──が、当の秘密組織にしてみれば、「なんでそれを知ってる!?」という重大な機密情報かもしれない。というか反応を見るに、本当に機密情報の可能性が高い。
「申し訳ありませんが、もう少しお話を──」
ローブに包まれた手が伸びる。
しかし、その手がフィリップの腕を掴む前に、ぱん、と乾いた音を立てて払い除けられた。
フィリップではない。
二人の間に、フィリップを庇うように立ったノアだ。
「王国の先輩方から借り受けてる子なんだわ。手を出したら殺す……何なら手を出されたあたしまで殺される」
後半は小声で若干震えていた。
……まあ、威圧感は減ったが、制止には十分だ。
教皇庁の人間が、ノアが言う「王国の先輩方」に心当たりがないわけがない。
“使徒”は大人しく手を引く。
しかしそれは、物理的に手を引っ込めたというだけで、機密に属するコードネームと、それを割り当てられた人間まで知っている、謎の子供に対する追求まで諦めたわけではない。
「聖下。彼は機密情報を知っている可能性があります。話を聞く必要が──」
「──ねえ。あたし言ったよね? 下手したらあたしも殺されるって」
食い下がる“使徒”を、ノアは不愉快そうに一蹴する。
ただでさえ五億歳のミミズだの森の神だので考えることが多いのに、獲物に横から手を出されて、その挙句だ。
ノアの頭の冷静な部分が、「土の爺様とかルキア先輩だったら、もうこいつら全員殺してるんだろうな」と、益体のないことを考えた。
或いは数分後の、限界を迎えた後の展望か。
「その上でこの子に手ェ出すってことはさ、あたしを先輩方に殺させようと──あたしを謀殺しようとしてるってことでいいんだよね?」
強引な論理展開。……でもないのが、先輩二人の怖いところだ。
流石にステラ先輩は、という期待がないでもないが、魔王遠征が終わったら「もういいな」と暗殺されるビジョンが見える。
「じき魔王遠征だってのに、あたしを殺す。ってことは、あんたは人類の敵だ。というかそもそも、あたしがあたしの敵を生かしておく理由は無い」
失せろ、と言外に敵意すら滲ませるノア。
聖痕者の敵意という死刑宣告一歩手前のものを向けられ、常人なら失禁ものだが──その“使徒”は、常人ではなかった。
というか。
「致し方ありませんね……。──敵を見誤らないことです、
「……は?」
中性的な声に力が宿る。
怒りではなく、呆れでもなく。無極性で無感情、だが強く言霊を感じさせる“力”が。
人間の言葉。人間の声。
間違いなくそのはずなのに、そうは思えない。
しかしノアが呆然と零した声の宛先は、大仰な物言いではなく、不思議な声にでもなく、眼前の