なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
黒いローブとカソックが千切れ飛び、純白の翼が背に現れる。
物理的な圧力すら感じさせる神威が迸り、フィリップ以外の全員が顔を庇いながら身を強張らせた。
燃え残りの後処理をしていた“使徒”も、撤収作業をしていた帝国兵も、ノアとヘレナとイライザも、全員が、まるで突風に吹かれたかのような恰好になる。
フィリップだけは「みんな何してるんだろう」と言わんばかりの怪訝そうな顔で、ほぼ棒立ちのままきょろきょろしているが。
「天使!?」
「天使……」
ノアとヘレナは驚愕の声を上げ、イライザに至っては声も出ない有様だ。
しかし、驚愕に浸って放心している余裕は無かった。
天使は厳かな所作で片手を持ち上げ、掌をフィリップに向ける。
一片の悪意もない、それでいて激甚な敵意を秘めた眼差し。
それを観察できたものはいない。しかし、魔力の流れを読める者は二人いた。
「──ッ!!」
ぱっと、視界に赤色が散る。
だがフィリップに痛みはない。
人体を容易く貫通する一発の光弾。その光を浴びて禍々しく煌めくのは、天使が狙ったフィリップではなく、庇うように立ったヘレナのものだった。
「先生!?」
「っ……! 何十年ぶりかの大怪我は堪えるわね……!」
讃えるべきは、聖痕者の魔力障壁を削り砕いた光の弾丸か。
否。人外の能力を以て放たれた心臓狙いの一撃を、肩を掠める軌道にまで逸らした魔力障壁の方だろう。
フィリップの周囲に遠隔で障壁を張るのではなく、より強度を担保できるよう、庇う位置に立った自分を起点に障壁を展開した、ヘレナの判断力と実行速度も。
ヘレナの右肩は服が焦げて穴が開き、肉が抉れて火傷を負っていたが、命に別状はない。少なくとも今すぐには。
「聖下! 師匠! 下がってください!」
イライザが聖剣を抜き、天使に斬りかかる。
“神の使い”相手によくぞ、と言いたいところだが、彼女の状況把握力は完全にキャパオーバーしている。
もはや相手が天使とか悪魔とか関係なく、「撃たれた」「敵だ」「戦わなきゃ」くらいの思考しか出来ていない。
天使は翼を広げ、羽搏いて大きく後退した。
イライザに対する反撃はなく、敵意が向くこともない。
「聖者様、勇者様。どうかその目で、物事を正しく捉えてください」
天使は静かに、今の攻防も、ヘレナの負傷も無かったかのように告げる。
ヘレナが割って入ったのが原因とは言え、標的ではない人間への攻撃を謝りもしない。そして、ヘレナを諫めはしても、邪魔を咎めてはいない。
「どういう意味? なんだって天使様が、下界でカルト狩りなんかしてんのさ」
ノアは体内で魔力を練り、魔術耐性を引き上げながらイライザの前に出る。
そして、背に隠した手で「下がれ」というサインを繰り返した。
帝国軍式のハンドサインは誰も知らないが、幸い、単純で直感的に理解できる仕草だ。
イライザは天使に聖剣を向けたまま、姿勢を崩さないようじりじりと後退する。
ヘレナは肩を押さえて止血しながらも、イライザとフィリップを庇う位置に立った。
「それが、偉大なる父の思し召しであるが故に」
天使の答えは、何も答えていないのと同じだった。
そもそも、神の使いであり兵士でもある天使は、個人的な思想や思考、判断に依って動かない。
階級によって役割や優先事項は異なるが、唯一神の命令のみが行動の基準だ。
その
「衆目のない場で話したかったのですが、致し方ありません。冒涜者よ、汝の罪をここで裁きましょう」
厳かに、天使は言った。
……沈黙が訪れる。
帝国兵や使徒たちは騒いでいるが、誰も近寄って来ないし、声は遠い。
ノアも、ヘレナも、イライザも、何も言わない。
無言のまま、視線は天使と同じ先へ──フィリップに向けられている。
『冒涜者』。
それは、罪人であることを意味する。神の敵であることを意味する。一神教に背くものであることを意味する。
神を
同じ道徳を持たないモノ。同じ論理で話せないモノ。同じ常識を共有しないモノ。
人の形をしているだけの、内面の理解できない異物。
それは、絶対的な死刑宣告であり。
「冒と──ん? え? 待って、ちょっと待って?」
言葉の端々に笑いが漏れているフィリップにとっては、さっきぶりの良いジョークだった。
「えぇ、待ちましょう。冒涜者よ、最期に懺悔するのであれば、偉大なる父は寛大に──」
「……冒涜って、
天使の言葉を遮り、フィリップは半笑いのまま語る。
しかし天使の敵意が増すようなことは無く、敵意という感情こそ見えるものの機械的な印象を受けた。
個人の──個体の感情で動くことはないのか。或いは敵意も隔意も振り切っていて、これ以上がないのか。天使の性質を鑑みるに、恐らく前者だろう。
まあ、それはともかく。
「僕は唯一神を殊更に貶したことはない。取り立てて話題にした記憶も……僕の目から見た事実、僕の感性における正直な感想を口にしたことはあるかもしれないけれど……それが駄目だったのかな? でもそれは“冒涜”と言えるのか? 馬鹿に「馬鹿」って言ったら冒涜か? 吸血鬼に「化け物」って言うのは? 人間に「劣等種」って言うのは?」
これまでのフィリップの発言や態度の、どれが天使の、いや唯一神の気に障ったのか知らないが──今更過ぎるだろう。
というか、今更過ぎて奇妙だ。
「……どういう状況? どっちがヤバいのこれ」
「ええと……」
「……」
「
その態度は、却って周囲を混乱させた。
感情的に「違う!」とか「誤解だ!」と主張していたら、まず落ち着かせるところから始めて、その中で三人も状況を詳しく把握出来たかもしれない。
しかし感情を表出させない機械的な対応の天使と、軽蔑こそ滲むものの淡々とした態度のフィリップとの間で、話はどんどん進んでいく。
「その情報は、私には与えられていません。ですが貴方を──個体名フィリップ・カーターと遭遇した場合、冒涜の罪によって処断することは、下界の天使たちに与えられた命令です」
消極的排除。
探すまではしなくていいが、会ったら殺せ、程度か。
予防線と言うか、こちらの許容ラインを探っているようで気色が悪いが──いい読みだ。
この程度なら、まだ面倒さが勝つ。
唯一神も天使も何もかも一掃しようという気には──一神教を根幹に据えた人間社会を完全に崩壊させようという気にはならない。
秘密裏かつ何の影響もなく一瞬で、他の旧神や旧支配者の介入や恐慌を引き起こさずに事が済むなら、まあやってもいいかな、程度だ。
「会ったから殺すって? それはまた、微妙に弁えた対応だけど……」
ちょっと──中途半端すぎる。
ただのカルトや背教者相手に対する対応ではない。
だから、少なくともフィリップが
だが、“魔王の寵児”相手──延いては外神相手の対応としては、有り得ないほど杜撰なものだ。
普通、「やらなきゃやられる」という勘違いでもしない限り、自分から手を出すことはないだろう。まあ「やれない」ので「やられる」ことに変わりはないのだが、それでもという場合は。
そして今のところ、フィリップは一神教に対して明確に、積極的な攻撃の意思を示したことはない。
“使徒”もラジエルも、あっちが絡んできたから殺したのだ。
その件を含めて、「冒涜」が目に余ったのだとして──やっぱりちょっと、有り得ない対応と言える。
敵を知り己を知れば百戦危うからずとは言うが、敵も己も知らないらしい。
まず第一に、フィリップが唯一神を評した言葉の全ては、客観的事実と正当な評価、プラス感想だ。フィリップの語彙では、既に何の価値もないものの価値を、更に貶めるような真似は出来ないし。
それが癇に障ったのだろうか。
まあ、それはいいとしよう。事実を事実と認めた上で、「それはそれだ。うるせえ死ね」と殴り掛かって来た可能性もある。それなら、上位者的な感情に任せた振る舞いだ。面倒な話だが理解はできる。
そして第二に、勝ち目がない。
文字列や絵画が人間を斬ったり撃ったりできないように、旧神と外神では格が違う。
発言が不味かろうが何だろうが、手を出す方が不味いことになる。
唯一神には、このどちらかの知識や意識が欠けている。或いは両方という可能性もあるが。
「それにしても、他のカルトよりは放置できないって対応か。……それはそれでどうなの? 僕の言葉が
「僕の言葉は冒涜ではなく真実、天使はそれを隠そうとしている」という主張が、この遭遇と攻撃で、むしろ通りやすくなったように思える。
放置していれば「何言ってんだコイツ」で済まされた、子供の戯言と流されたかもしれないのに、言葉が一定の重みを持ってしまった。信じる信じないはさておき、天使が動くレベルの言葉であることが確定してしまったのだから。
「有り得ません。知恵のあるものは当然に解することですが、知恵の無いものにも同じく、偉大なる父の威光は降り注ぐのですから」
天使は勝ち誇ったり挑発したりはせず、フィリップに対する敵意すら感じさせない静かな口ぶりで語る。
「ええと、天使の言葉だから無条件に信じられるはずだ、ってこと? うーん……、まあそうかもしれないし、その場合は全員殺すしかないんだけど……」
なんとも天使らしい理屈だ。
人間の悪性を知りながら、善性と信仰を疑わない。イライザたちは
まあ客観的に可能性を検証しても、その確率はとても高いが。
「……」
目を遣ると、イライザたちの混乱と困惑に満ちた視線がぶつかる。
説得を試みるべき……なのだろう。
「僕は冒涜者ではない」「貴方たちや社会の敵ではない」と主張しなければ、最終的な“敵”は天使プラス三人、あと帝国兵と使徒になる。……説得に失敗しても、同じく。
まあ、全員殺せばいいだけの話ではある。
しかし──話をするのも面倒臭いが、一時の面倒を厭ってルキアやステラの負担を増やすのは望むところではない。
ここで全員殺したら、魔王討伐は三人で行くことになる。アンテノーラとカノンを入れても五人だ。
聖痕者七人分の火力を持つと推定される魔王真体相手には、流石に無謀な数と内訳だ。
……とはいえフィリップなんかの言葉と天使の言葉で、前者に重きを置く人間は異常だろう。
そんなことを考えて、ふと閃いた。
居るではないか。そんな異常者が、二人。三人を説得するには十分な立場と信用を持つ人間が。
「ルキアと殿下がここに居たら、二人は僕の側です。そしてここで僕を殺して帰ったら、どれほど事情を説明しても、その説明がどれほど正確で理解できるものであっても、二人は貴方たちを殺すでしょう」
会心の出来。
フィリップのスピーチは立て板に水で、焦りや恐怖の色が微塵もない。何なら「説得しよう」という意思すら希薄に見える。
……だが、帰ってくるのは沈黙だけだ。
ノアも、ヘレナも、イライザも、何も言わない。
困惑と混乱に満ちた脳では、フィリップの言葉を咀嚼するのにも普段の倍の時間がかかる。
そして天使に関しては、フィリップの言葉にも、ルキアやステラの言葉にも揺らぐことはない。その行動をするのはただ一つ、神の意向のみだ。
「……っていう言葉が信用できませんよね! うーん、困ったな……」
渾身の説得のつもりだったフィリップは、想像を遥かに下回る説得力に自嘲の笑みを零す。
もう、ない。
説得の言葉も思いつかない。手札もない。そして、なんだかやる気も無くなってきた。
「うーん……ううーん……! なんかもう、面倒臭いなあ……」
頭を抱えて唸ったかと思えば、へらへらと薄い笑みを浮かべて肩を落とす。
一言一言が自らの生死を左右する状況でありながら、表情、所作、態度、何もかもに重みが無い。
「──」
溜息を一つ。
表情といい、歩いている途中で靴紐が解けたような、机からペンが落ちたような、日常的な景色の中にあるべき軽いもの。
「……
呟く声にも、何ら真剣さは無かった。
キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
シナリオ26 『山の神と森の神』 ノーマルエンド
技能成長:使用技能に妥当な量の成長を与えてよい。
特記事項:技能成長・SAN値、負傷の回復・装備品の摩耗状態などは次回シナリオ終了時に判定される。