なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「首を此処に。発狂した友人を無駄に苦しませたくはありません」
「ちょちょちょっと待って!? あれ!? いまあたし「味方する」って言ったよね!?」
冷酷な処刑人の口ぶりで、しかし敵対者に見せる残酷さは無く、フィリップは静かに告げる。
激しく慌てたのはノアだけだが、イライザも驚いた様子で振り返った。
ヘレナもフィリップの意図を理解出来てはいないだろうが、天使を視界から外すことはない。
「“神の使い”と僕を並べて、僕の側に付く奴。天使の言葉と僕の言葉を並べて、僕の言葉を信じる奴。それを狂人と言わずして何と表現するんです? イライザと先生はともかく、貴女と僕の間にそこまでの関係性は無いでしょう」
フィリップは心持ち残念そうに語る。
語り掛けるというより独り言ちるような声量ではあったが、なんとかノアには届いた。
「せめて僕が、なるべく綺麗に殺してあげます」
敵の殺し方に、特別な拘りはない。
だが、趣味嗜好を共有できた数少ない友人だ。発狂してしまったのなら、せめて人間の手で、正常な死を与えてあげたかった。
正直それも面倒な話ではあるが──そのくらいのモチベーションは復活していた。
シルヴァのおかげだ。
昨日の自分の言葉を思い出させてくれたのもあるが、単純に可愛いものを見て苛立ちが治まったのもある。
「えぇ……? いやいや、そこはなんかこう、戦友の絆的な何かを信じなよ」
適当な言葉だった。
理性や論理性は感じない。
天使、延いては唯一神や一神教と一時的とはいえ敵対することを選ぶ理由にしては、軽い。
ノア・アルシェという人間が動く理由として、「絆」はしっくりこない。
彼女は軍人であり、フィリップと似ているところもある。
「主命」「軍務」、あとは「感情」ぐらいでしか動かないだろう。
或いは本当に互いに命を預けた戦友同士なら、「絆」を理由に力を振るうこともあるのかもしれないが──フィリップとノアは違う。
同じカルトを、どちらが狩るか争ったことはある。
同じミミズ相手に、共同で穴を掘ったこともある。
では戦友かと言われると、全然そんなことはない。
フィリップに「命を懸けて戦った」という意識がない以上、「命を預けた」という意識は生まれない。ノアの身命に微塵も価値を感じていない以上、「命を預かった」重みもない。
そして、それはノアも同じはずだ。
人類最強の魔術師が、あの程度で「命」を意識するわけがない。
“神の使い”の言葉を無視するほどの関係値は、フィリップとノアの間には無いはずだ。
「……天使が嫌いだから、と言われた方が、まだ信憑性がありますよ」
「……後で話すよ。取り敢えず、この場を乗り切ってから」
言って、ノアはフィリップに背を向ける。
一見して無防備だが、聖痕者の防御能力を知るフィリップは一歩も踏み込めなかった。
「あんたをブチ殺すのに演技なんか要らない。背中を刺すなんてまだるっこしい真似もね」
「……だから、発狂を疑ったんですけどね。まあいいや、取り敢えず正気を信じましょう」
これで、盤面は天使1対聖痕者2と足手纏い2。さっきよりは多少マシか。
「……で、どうしようね?」
──依然として、勝ち切れるビジョンは見えないが。
いつぞや対峙した座天使は、人間との間に絶対的な力と存在格の隔絶を有し、干渉を受け付けなかった。
見る限り、今回の相手は二枚羽の下級天使。下界で活動していることを鑑み、最大でも権天使。
どこからどこまでは人間の攻撃が通じるのか、フィリップは知らない。
ミナかアンテノーラが居てくれたら、話はとても簡単だった。或いはヴォイドキャリアでもあれば。
人間たちが次の行動を決めかねていると、ここまで微動だにせず静かに見守っていた天使が首を傾げた。
「話は済みましたか?」
「あぁうん、待っててくれてありがとね。そのまま自害してくれるとなお有難いんだけど」
天使は無言で掌を向ける。
だが撃っては来ない。間に居る三人の聖人に配慮しているのもあるだろうが、フィリップを見極めようと、或いは改心を促そうという意図もあるのだろう。
フィリップを舐めているわけでも、無知故の愚行でもない。
天使とはそういう存在なのだ。人が死ぬ最後の最後まで、いや死んでもなお、地獄に落ちない限りは人間を諦めない。
お陰で考える時間があるわけだが──残念ながら妙案は浮かばない。やっぱり全部まとめて薙ぎ払う方が楽、ではなく、確実なのではないだろうか。
まあ、折角シルヴァが昨日のフィリップの言葉を覚えていてくれたわけだし、今更「やっぱナシ、やれハスター」と盤をひっくり返すことはしないけれど。
「ふぃりっぷ」
「ん?」
ちょいちょいとジャケットの裾を引かれ、フィリップは微笑と共に視線を下げる。
ペットを可愛がるような対応を見ていたのは、無感情な天使だけだ。
「もりまではしって。そしたらだいじょうぶ」
「……分かった。全員、僕についてきてください!」
なにが「大丈夫」なのかピンと来ないが、フィリップのシルヴァに対するスタンス──彼女を戦わせるつもりはないということを、忘れてはいないだろう。
それだけに一層疑問が募るが、シルヴァが態々言うだけに信憑性はある。
「了解! ウィレットさん、私が殿をやるわ!」
「わ、いえ、了解しました!」
私が、と言おうとしたのだろうイライザだが、魔術耐性と防御魔術の腕前を考えて即座に譲る。
フィリップのすぐ後ろに続いた彼女を守る位置にノアが、ほぼ並びつつ最後にヘレナが続き、一行はついさっき出てきた森の方へと走り抜ける。
状況を呑み込めていない帝国軍も“使徒”も、困惑の眼差しで見守っている。
いや、状況を把握していたところで、聖痕者にも天使にも攻撃できないし、行く手を阻む者など居なかっただろうが。
流石に逃走を図られては「見る」選択肢も無くなり、天使は掌から光の弾丸を撃ち放った。
「このくらいなら──ッ!!」
ヘレナが叫び、受け止めるように掌を向ける。
天使の魔術は魔力を帯びた旋風に巻き込まれ、あらぬ方向に飛んでいった。
目に見える弾速。
『明けの明星』は勿論、ルキアが使う光速の魔術より遥かに遅い。
ヘレナなら耐性頼りでは無理でも、魔術による防御なら問題なく防げる強度。
だが相手は天使、人間以上の魔術能力を持つとされるモノ。
これが上限と侮るのは危険だろう。まだ本気で殺しに来ていないだけに違いない。
「聖下!?」
「大丈夫だから、走って!」
振り返ったイライザに鋭い声が飛ぶ。
天使は走るフィリップの背中に同じ攻撃を繰り返し、その全てを防がれる。
ヘレナの防御を徹せないことは分かっているはずだが、魔術の種類を変えたり複数発同時に撃ったりしないのは、やはりまだ本気ではないのと、ヘレナたちを殺すリスクがあるからだろう。
その躊躇のおかげで、フィリップはどうにかサムロア山に続く森まで走り抜けることが出来た。
「もーんす!」
森に一歩踏み込んだ直後、一時的に非実体化していたシルヴァが再び姿を現す。
しかし叫ぶが早いか、矮躯が視界から掻き消えた。
「シルヴァ!?」
「まだ止まらない!」
立ち止まりかけたフィリップの腕を掴んだノアは、平地よりはペースを緩めつつも素早く木立の間を抜ける。
止まったのは、30メートルほど進んで木の幹に身を隠してからだった。
「それで!? 森まで来たけど!?」
身を切り、露出部位を可能な限り薄くした状態で様子を窺うノア。
叫んだ疑問は彼女だけでなく、フィリップも含めた全員が抱いているものだった。
当然、フィリップは答えを持っていない。
「星の力を使って、貴方たちを
「うわっ!?」
不意に背後から聞こえた声に驚き、ノアが払うように腕を振る。
その軌跡に沿って水の刃が飛ぶが、声の主に当たった部分は飛沫となって散り、庇われなかった木々に綺麗な斬線が入った。
メキメキと音を立てながら倒れる木々も、ノアの攻撃も意に介さず、彼女は静かに立っている。
胸元と腰回りを緑色のセパレートで、四肢の先を手袋とブーツで隠した、若葉色の髪をした妙齢の女性。枝葉で編まれた冠には見覚えがある。
よく見れば、身体は衣服で隠されているのではなく、鮮やかな苔と小さな花や、木の根やツタを組み合わせたもので飾られていた。
「いや誰!? というか今の当たってたよね!?」
「シルヴァです。でもその姿はどうしたの?」
シルヴァ──以前に一度だけ見た、ヴィカリウス・システム成体の姿だ。
既に攻撃していたのはノアだけだが、ヘレナもイライザも戦闘態勢だ。
三人を端的に制止しつつ自分の疑問を投げかけたフィリップに、天使以上に機械的な無表情だったシルヴァは、いつもの彼女を思わせる胡乱な目を向けた。
「余裕ですね」
「そうだった」
そういえば、細々とした疑問を解決している余裕はないのだった。
三人がそれぞれ魔術照準を森の入り口に戻し、聖剣を下げた時点で、質問タイムは不要だ。
「再度の召喚に際して負荷がかかります。必ず投石教会で行うように」
淡々とした、機械的な語り口調。
なにかの定型文を読み上げているような印象すら受けるが、この場面で態々口にするということは、きっと重要なことだ。
「待って、空間転移? そんなの出来るなら、むしろ天使を倒して欲しいんだけど」
「……いや。それでいい。……ところで投石教会じゃないと駄目なほどの負荷って何? もしかして僕死ぬ?」
どれほど面倒だろうが、どれほど切迫していようが、ペットを戦わせることはない。
たとえ森林級の概念的な防御を持ち、天使ビームだろうが聖痕者カッターだろうが完全に無効化するとしても。
たとえ、小さくてかわいい幼女ではなく綺麗なお姉さんになっても。
だから転移という判断はいいのだが、「投石教会で」という指定は物凄く気になる。
「“山岳”を介して得た星の力は、“
「命八つ分!?」
すごい。
換算表現は数字を体感的に理解しやすくするはずなのに、全然ピンと来ない。
全然ピンと来ないが、要点──人が死ぬには十分ということだけは、はっきりと分かる。
「はい。単純なショックの量ではなく、物理的に人体八個を内側から完全崩壊させる量のエネルギーが余る計算です」
「おぉー……。何も分からないけど、モーンスがだいぶ頑張ってくれたのは分かる」
“山岳”にしろ“森林”にしろ、それと比べたら人体八つなんか誤差の範囲だろう。
単純な
……いや、しかし。
「いやでも、ヴィカリウス・システムの正確性なら誤差なんか出ないんじゃ?」
「星の力には“揺らぎ”があるので、ヴィカリウス・システムでも完璧な制御は出来ません。それではご健闘を。転移後の場所や状況は完全に不明ですので、安全の保証がない旨、お伝えしておきます」
「……了解」
淡々とした言葉には頷くしかない。
転移先が獣の縄張りど真ん中とか、猟犬が走り回り矢が飛び交う狩り場の只中とか、そういう危険は追ってくる天使より幾らかマシだ。
「……いや待ってシルヴァ。転移するのは僕だけで──」
ふ、と、四人の姿が掻き消える。
フィリップの言葉尻は聞こえなかったが、言わんとするところは、というか、言葉を媒介として伝えられる“意図”を、ヴィカリウス・システムは直接的に理解する。
だから言うのが遅いなんてことは無く、「い」の辺りで言いたいことは分かっていたのだが、シルヴァはそれを無視した。
転移先で即座かつ重大な危険があった場合──例えば龍種などが居た場合、フィリップ単独では邪神召喚まで保たない。
身を守る
そして、その役目をシルヴァが務めることは出来ない。
今のシルヴァが長時間フィリップの傍にいると、余った『星の力』が魔術契約を通じてフィリップに流れ込む恐れがある。
命八つ分、平均的な人間の身体を八個、完全消滅させるレベルのエネルギー量。
ヴィカリウス・システムの精密性で転移一回に必要な分を量ってなお、それほどの“揺らぎ”を生じる不安定なものだ。
命一つ分どころか、その二割でも流れ込めば、人間の生命活動を停止させるレベルの破壊を齎すだろう。
なによりフィリップが、シルヴァが戦うことを嫌がる。
諸々を考えて森の外で組み立てたにしては、中々に良い作戦だ。
シルヴァはそう自画自賛し、王都で再召喚されたあと盛大に褒められることを想像して、期待に満ちた微笑みを浮かべた。
◇
「……間に合わなかったんじゃない。シルヴァはわざと、何か目的を持って皆を巻き込んだんです」
一瞬前とは微妙に違う──植生は似ているものの、樹木の配置やノアが斬り倒した木々が無いなど──森の景色の中、フィリップは開口一番に弁解した。
ヴィカリウス・システムが言葉なんか必要としないことを、“飼い主”は当然に理解している。
「……ま、天使に反駁するってことは神に反駁するってことだ。先輩はギリセーフかもしれないけど、攻撃したあたしたちは攻撃対象だっただろうし、バラけるのは得策じゃないよ。賢いじゃん、“森林”ちゃん」
「私もそう思います、師匠。置いていかれた方が困ります」
ノアとイライザは慰めるようなことを言うが、実際は怪しいところだ。
二人の言葉に頷き切れなかったフィリップは曖昧に笑う。
どれほどの罪人でも地獄に落ちるまでは──死後、煉獄を彷徨い歩くことになったとしても、千年の後に訪れる最後の審判の日までは、人間を見限ることはない。
天使とはそういうモノ。機械的で苛烈、だが残忍ではなく、むしろ慈悲深い存在だ。
教典上でそう語られ、人々にそう信じられている以上、そういう性質を有するはず。
仲間を庇ったからという理由で聖人に手を下すほど、無慈悲で冷酷な
……天使が一神教や唯一神と何の関係もない、ただの魔物とかなら話は別だが。
「天使とはかなり──転移術式の魔力規模から言って、少なくとも地平線以上には距離を取れたはずよ。……アルシェ、私に考えがあるわ」
ヘレナは“標的”であり騒動の中心にいるフィリップではなく、ノアに向けて言う。
さっきは王国の英雄だとか言っていたが、彼女の中で、フィリップは自分とノアが──大人が守るべき対象らしい。
流石のフィリップにも、ほぼ無関係な人間を巻き込んだ上に、思い留まったとはいえ巻き込んで殺すことを善しとして、更に守られそうな状況に思うところはある。
しかし、ヘレナは100年前の魔王戦役にも参加した歴戦の魔術師。転生魔術で新たな肉体に移ったとはいえ、知見が失われたわけではない。
彼女の策は、「なんか気が引ける」なんて浅い理由で遠慮できるものではないだろう。
フィリップは口を挟まず、自分より多くの知見を持つ二人の意見を聞くことにする。
「私は飛翔術式を使って、最速で王都に戻る。そこからサークリスさんたちと連名で教皇庁に抗議声明を送り、“使徒”の行動と天使の介入を問い質すわ。貴女はその間、天使から逃げ続けて」
「……了解です。なるべく早めにお願いしますよ。具体的にはあたしが死ぬ前に」
一瞬の思考の後、ノアはあっさりと頷いた。
端からフィリップが口を挟む余地など無く、戦闘のプロ二人の間で導き出された最適解に従って話は終わる。
ヘレナは風を踏んでふわりと浮き上がり、更に上空へ飛んでいって見えなくなった。
呼び止めようとしたイライザが間に合わないくらい、てきぱきとした迷いのない行動の速さだ。
「なにかあった?」
「負傷されていたので、せめて手当をと思ったのですが……」
あぁ、とフィリップとノアが似たような声を漏らす。
全員が負傷に慣れているとはいえ、三人中一人しか気付かないほど、ヘレナ自身が負傷に気を払っていなかった。
「まあ今更気にしたってどうにもならないし、あたしたちは現在位置を調べて今後の方針を決めよう。先輩が王都に戻って、先輩方が教皇庁に抗議して、教皇庁が“使徒”や天使を引き上げさせる……何日かかるか分かんないし、自活態勢を整える必要もあるかも」
三人とも登山セットは持ったままだし、それなりの装備はある。保存食も三日は持つだろう。
サバイバルに必要な四要素といえば、『火』『水源』『拠点』『食料』。
火と水は魔術でどうにかなるし、拠点も個人用テントがある。食料も差し迫った問題ではないが、一日二日で状況は改善しないだろうし、食料確保の安定化か備蓄は欲しい。
「それから──」
ノアが言葉を切り、近くの藪に水の砲弾を撃ち込む。
「──!!」
凄惨な断末魔。人間の声ではない。
聖剣を抜いたイライザが確認すると、いつの間にか音もなく忍び寄っていた狼型の魔物が、胴体の真ん中をごっそりと抉られて絶命していた。
「安全確保もね。この辺り、なんか魔力の流れが不自然だ。二人とも気を付けて」
そう言われても、と顔を見合わせるフィリップとイライザ。
二人とも魔力に対する感受性が高いわけではないし、魔力視も出来ない。気を付けろと言われても困る。
しかし、そんな不明瞭な注意しかしないということは、それほど大きな脅威が予想される異変でもないのだろう。強力な魔物が居るとか、魔術的なトラップがあるとか。
「取り敢えずあたしが位置を確認して方針案を立てるから、二人で周囲100メートルくらいの安全確保してきて」
「……はい」
「了解しました」
ノアは荷物を下ろし、何かを見定めるように樹上を見上げながら言う。
フィリップとイライザも荷物を同じ位置に置いて、剣だけ持った。
「そうだ、今って何時?」
「……1時前ですね。正確には12時52分です」
「オッケー。じゃ、行動開始で」
言って、ノアはするすると木に登っていく。
果物でも探すつもりかと怪訝そうな顔で見上げていたフィリップだったが、森の奥に進もうとしていたイライザに呼ばれ、すぐに後を追った。