なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 少し歩いてみた感じ、転移先の森は、平地の真ん中にぽつんと広がる、ごく小規模なものだ。

 

 周辺100メートルとノアには言われたが、ほぼ全ての方角で50~70メートルほどで森を出てしまう。

 幸いと言うべきか木の密度や樹高は中々のもので、隠れている人間が外から丸見え、なんてことにはならないが。

 

 森の外を覗いても、天使の姿はない。

 それどころか、周囲に街道や集落は見当たらない。山脈で地平線を遮られている方向もあったが、それがサムロア山なのか、それとも帝国と王国を隔てる国境沿いの山脈なのかは不明だ。

 

 いや、元居た辺りとは全然関係のない山々の可能性もある。

 景色だけで現在位置を割り出すなんて芸当は、フィリップには無理だ。一度訪れた場所なら或いはといったところ。

 

 フィリップとイライザは言われた通り、森を歩き回って遭遇した魔物を駆除していく。

 

 「ドのつく迷子、ド迷子だねえ……」

 

 魔物はそこそこの頻度で現れるものの、どれも低級なもの。

 聖剣の能力解放も、龍貶しの伸長も必要ない相手だ。

 

 まあ、フィリップが惚けたことを言っているのは敵が弱いからではなく、単に脳の危機感を抱く部分がイカレているからだが。

 

 「……あの、師匠」

 

 粗方の魔物を狩り終え、最終確認と食料探しを兼ねて歩いていると、イライザが意を決したように呼び掛ける。

 

 「ん?」

 「天使は自らの意思で動かず、ただ神の意思を代行するものだとされていますよね」

 

 行き先を教えられていない転移なのだから、迷子も何もない──と、そんな突っ込みを予期していたフィリップは、想像以上に真面目な質問に苦笑を浮かべた。

 

 「そうだね」と答えると、「そうですよね」と頷きが返る。

 

 「では、天使が間違えることなんてあるのでしょうか?」

 「あるだろうね。現に、僕を殺そうと敵対してきた」

 

 淡々としたフィリップの言葉を、イライザは「僕に冤罪をかけた」という意味で理解した。

 

 「で、でも──それはつまり、天使に命令を下した()()()()()()()()ということなのでは?」

 

 イライザの声が震える。

 

 それは、『持つべきではない』疑問だ。

 持つべきではない、持ってはならないと教わる。幼少期から最低でも週に一回、教会にお祈りしに行って、神父様のお話を聞いて育つ大陸の子供は、誰もがそうだ。

 

 他人のものを盗んではいけません。人に暴力を振るってはいけません。親の言うことをよく聞きましょう。好き嫌いをしてはいけません。

 そのレベルの定型句。

 

 神様は最も偉い御方です。その言葉が書かれている聖典をよく読み、一生懸命に祈りましょう。書かれていること、神の仰ったこと、その思し召しに疑いを抱いてはいけません。

 

 そう教わる。

 何をそんなに怯えているのかと思ったフィリップだったが、その疑問が口を衝く前に、どうにか思い出せた。

 

 そういえば、他人のものを盗むのはいけないと教わった。

 そういえば、人に暴力を振るうのはいけないと教わった。

 

 そういえば、神は正しいのだと教わった、と。

 

 「あぁ……。イライザ。一神教に限らず神について記した所謂『聖典』なんてものはね、表現や描写が大袈裟になるものなんだ。まあ、語彙や情報、理解力や前提知識が足りなくて仕方のない部分もあるけれど」

 

 『冒涜の王』とか、『真なる闇』とか。

 後者はそこまでだが、前者はいま思い出しても口角が吊り上がるくらい面白かった。

 

 さておき、いまイライザに語るべきは「神の低劣さ」ではなく、「聖典の誤謬」だ。

 神の低劣さについて語ったところで、理解や共感を得られるとは思えない。

 

 唯一神への嘲弄が僅かながら口ぶりに滲んでいたことに気付かないまま、イライザは顎に手を遣って考え込んだ。

 

 「……サムロア族が、ヴィカリウス・システムの防壁を『神の領域』と信仰していたように、ですか?」

 

 ほう、とフィリップから感嘆の声が漏れる。

 一を聞いたら十を理解して勝手に発狂しそうなノアやヘレナほどではないが、彼女も中々に敏い。いや、思考が柔軟だと言うべきか。

 

 一神教が特別な例外だと、普通は考える──一神教と土着信仰を並べて考えることが出来ない。

 その固定観念を排して考えることが出来るのは、幼さ故か、誰かの影響か。

 

 「そんな感じ。一神教だって例外じゃない。信仰が本当に事実に即したものなら、解釈が挟まる余地はなく、セクトだのカルトだのが生まれるはずはないんだ。聖典は一つだけで、外典やら異典やら偽典やら、神学のテストが無駄に複雑化するだけのゴミが量産されることもないだろうに」

 

 1+1は2である。

 そこに解釈が生じる余地はなく、数学の時間に「1+1は3という説もあり、ある一派では4とも──」なんて話はされない。

 

 1+1が3であることを声高に主張する派閥なんてものは存在しないし、主流派が「部分的には理がある」なんて認めもしない。

 

 しかし神学に関しては、時に1+1の答えが0から30くらいまで分化する。

 それほど曖昧で、解釈の余地があり──確固たる事実というものが欠落しているのだ。

 

 「テスト?」

 

 樹上から降ってきた蛇型の魔物を、地面に着く前に三分割しながら尋ねるイライザ。

 

 断末魔と共に飛び掛かる頭部(三分の一)は、龍貶しの切っ先が木の幹に磔にした。

 

 「そのうち分かるよ。あれは本当に不毛すぎる時間だ。なんで神学が必修なのかと何度……いや、まあ、それはいいや」

 

 イライザもそのうち、魔術学院か軍学校に入るだろう。

 魔王討伐の前か後かは知らないが、高度な教育を受けられる機会を先代(保護者)が無駄にするはずはない。

 

 その時になれば自ずと分かる。あの不毛さ。

 自分が信仰しているわけでもない低劣な旧神のベースとなった信仰を、主体となって()()()分派についてまで詳しく教えられる謎の時間(授業時間)

 

 蟻には高度な社会性があり、巣は役割ごとに層と小部屋によって区切られている。

 そんな豆知識を語られたような気分だった。知識としては面白いかもしれない。暇つぶしの小話にしては有意義だが、役立つ場面の無さそうな話でもある。

 

 それを一回九十分の講義で長々と語り、覚えているか理解しているかをテストで問い、剰え必修科目に設定し赤点なら補習追試最悪留年。

 はっきり言って、ナイ教授に煽られながら領域外魔術を学ぶ方がマシだ。

 

 「一神教は信仰を語る聖典の中にさえ、異なる主張や矛盾を抱えている。同じ言語を使う同じ種族の間でだ」

 

 二人は剣を仕舞い、再び歩き始める。

 魔物の掃討作業は、もはや会話のついでだった。

 

 「何故か。嘘とは敢えて言わないにしても、個人や学派の解釈や考察が挟まり、更にそれを前提として神話を構築するからだ」

 

 1+1が2の派閥と3の派閥では、2+2以降の話は絶対に噛み合わない。

 同じ数字、同じ数学記号、同じ計算式を使っているにも拘らず。

 

 そして一神教の教義とは、1+1が0の派閥から30の派閥までが口を出し合って築かれたもの。噛み合わない話が噛み合わないまま並んでいる、出来損ないの物語だ。

 

 まあ、何千年もの間、異なる時代や文化の中で何百何千という語り手に紡がれた創作が、一貫した整合性を持っていたら驚愕だが。それこそ「1+1=2」レベルの定義や事実に即したものでなければ有り得ない。

 

 「……すみません。意味がよく……えっと、つまり『聖典は正確ではない』ということですか?」

 「すごく端折ったね……。でも、うん、そう」

 

 一応は配慮も込めて婉曲にしたのに、イライザはド直球だった。

 ただ、フィリップの言葉を丸ごと信じたわけではないようで、長話の内容を端的に理解してもなお、表情には疑念の色が滲んでいる。

 

 内心を映し出す視線を受け、フィリップは小さく笑って肩を竦めた。

 

 「……とまあ、こんなことを言っているから『冒涜者』だの何だのと難癖をつけられるんだろうけどね」

 

 フィリップは足を止め、しゃがみ込みながら語る。

 視線は一本の木の根元、そこに生えた小ぶりなキノコに向いていた。

 

 「僕は論理的、客観的に正しいことを言っているつもりだ。それが駄目なら仕方ないけど、なら罪状は「冒涜」にすべきじゃない。……これ知ってる? 食べられるかな?」

 「いえ。すみません……」

 

 フィリップは肩を竦めて立ち上がり、キノコは諦めて再び歩き出す。

 地味な色合いで毒は無さそうだったが、種類の分からないキノコは避けるに限る。

 

 「正直に言えばいいんだよ。「俺の気に入らないことを言っているから殺す」ってさ。それなら僕も笑ったり……」

 

 しない、と言おうとして口を噤む。

 自分の言葉に疑問が生じた。

 

 お前が気に入らないから殺す、というのは、感情で動く上位者の振る舞いとしては正常だ。

 それが外神の言葉や行動なら、「まあそういうものだよね」と納得できる。

 

 しかし、それが旧神一匹の、“魔王の寵児”相手の行動となると──。

 

 「……いや笑うな。笑うし嘲笑うし軽蔑もする。当然に殴り返す。……でも、今よりは幾らかマシだ」

 

 大爆笑だ。

 カノンがいればカノンも、ハスターがいればハスターも笑うに違いない。

 

 何の面白みもなく「面倒臭いな勝手に死ねよ」程度の感想しか出てこない今よりは、余程()()対応が出来るだろう。

 

 「まあ、事実陳列罪はそのうち法整備されるって殿下も言ってたし、否定しにくい事実ほど心に刺さるのかもしれないけどね」

 

 フィリップがけらけらと笑うと、冗談だと気付いたイライザも苦笑気味にではあるが口元を緩めた。

 

 実際、冗談ではある。

 そんな理不尽な法律、ステラが許すはずがない。

 

 だから、()()()()()()()()()冗談だった。

 

 「ええと……そういう物言いが駄目なのではないでしょうか?」

 「そうかもね。全く困ったものだよ、人間でもあるまいに。ねえ?」

 「あの、ですから、そういう言い方がですね……?」

 

 イライザは呆れ混じりに苦笑を零し、言葉の先は胸の内に秘した。

 

 幾らか自然な笑顔になった彼女を見つめ、フィリップは静かに微笑んだ。

 それでいい、と口には出さず。

 

 彼女の中に、呆れと疑念はまだあるだろう。

 しかし、さっきまでの怯えは無くなった。

 

 長々と語った甲斐がある。

 

 今の一連の会話で、イライザは自分の中で納得できるラインを見つけたはずだ。

 

 フィリップはフィリップで言動や思想に問題があるし、天使は天使で反応が過剰すぎる。その結果が今の『冒涜者』扱いなのだ、と。

 

 それでいい。

 フィリップなんかの拙い誘導に引っかかったこと、誘導自体にも誘導されたことにも気付いていないのは不安点だが、今はいい。

 

 自分が納得できるもの、信じられるものを見つけて精神の安定を図る。

 それこそが“信仰”のあるべき姿であり、本来の機能だろう。

 

 押し付けられた信仰の中で生きるより、無理やりに開かされた目であるがままの世界を見せられるより、ずっといい。

 

 

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