なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「……イライザはどう思う?」
師匠や聖痕者に気を遣って合わせそうなイライザに、フィリップは先んじて尋ねた。
彼女が師匠──先代衛士団長から、一兵卒が持つべき基本技能以上の、戦術や戦略に関する知識を教わっているかは不明だ。
そもそも今代も含め、衛士団長に求められるのは軍師の才ではなく戦士の才。作戦立案は得意な者に任せればいいというスタンスだ。
だから専門知識を期待してのことではなく、あくまで彼女自身の意見を聞くために。
「私は……潜伏しつつ王国を目指すのがいいと思います。師匠は王国の英雄ですし、国境付近の領主軍に保護を求めることも可能かと」
「いや、僕の顔ってそこまで広くないから。情報統制もされてるし。まあ聖痕二つで通るとは思うけど」
論功の場に居ただろう領主貴族当人は別として、末端の兵士にまでは『龍狩りの英雄』の人相は知られていない。
そもそも街道沿いの関所以外にも国境警備隊が巡回していて、密入国者を摘発している……なんてことはない。戦時でもあるまいし。
領主軍が居るのは都市近郊のみ。国境を越えたら即座に保護される、なんてのは甘い想定だ。
だが都市まで行けば、彼女の言う通り、手厚い保護が受けられる可能性が高い。
領主貴族はフィリップの顔を知っているはずだし、身内に魔術師が居れば直接的な恩義も感じてくれるはず。
そうでなくても、ノアとイライザ──聖痕者と勇者のネームバリューで、最上級の対応は約束されている。領主がカルトだった、とかじゃない限り。
まあその場合でも、フィリップとノアは玩具を手に入れることになるので、アリといえばアリな展開だが。
「通りで言えば、あたしは帝国軍との合流を推すよ。帝都まで戻ればあたしの騎竜もいるし、王都までひとっ飛びだ。正確には一週間くらいだけど」
「帝都まで何日かかるかって問題もありますけど……足は必要ですね、確かに」
騎竜の移動速度は馬より遥かに速いが、馬と同じく、乗り続けるのは疲労が溜まる。騎竜にも、騎乗している人間にも。
騎竜にも飛行にも慣れていないフィリップとイライザは、ノアの倍の速さで消耗すると思っておいた方がいいだろう。
まあ消耗するとは言っても、腰が壊れようが背中が壊れようが、投石教会に辿り着けばどうとでもなる。アンテノーラもいるし、マザーもいる。
ただ、いつ天使に見つかるか分からない状態で、戦闘不能に繋がりかねないほどの消耗や極度の疲労は避けたい。
とはいえ、どちらのルートでも、まさかずっと徒歩というわけにはいかない。
街道沿いの駅宿で馬を借りるなり、駐屯地で軍馬を調達するなり、移動手段は確保しなければ。
イライザはノアの、ノアはイライザの意見に一分の理を見出し、「うーん」と呻く声が重なる。
暫し悩んだかと思えば、ノアの視線はついと上がり、樹上のフィリップに悪戯っぽい輝きを向けた。
「っていうか勇者と聖痕者を「聖痕」呼ばわりする奴、冒涜者呼ばわりされても文句言えなくない?」
「え? あ、すみません。口が過ぎましたね」
勇者はともかく、聖痕者にとっての聖痕は、ただの勲章だ。
優秀な兵士に与えられるものであって、与えられたから優秀な兵士になるものではない。
聖痕者の強さは才能と努力の賜物。「聖痕」呼ばわりは、信仰云々を抜きにして普通に失礼だった。
「いやこっちもジョークだし、謝んなくていいけど。……ここですんなり謝る辺り、道徳とか倫理感がぶち壊れてるって感じはしないんだよねー」
興味深そうにフィリップを見上げたノアだったが、好奇心は胸の内に留め置いた。
フィリップの感性や状態は、いま優先して問い質し解き明かすべき事項ではない。
「まあいいや。あんたは?」
「ん? あぁ、方針ですね。うーん……イライザに同意ですね。帝国の要請で来たとはいえ、天使に追われてるのは
「半分?」とノアとイライザの内心が一致する。
別に悪いことだとは思っていないし責めもしないが、今のこの状況の原因は、どう考えてもフィリップが100パーセントを占めるだろう。
なおフィリップ本人の言い分としては、「天使が馬鹿なのが悪いよ。僕が人間社会なんぞに拘って一神教を滅ぼしていないのが半分と言われると、強くは否定できないけど」といったところ。
「先輩なら大丈夫だと思うけど……ま、リスク管理としては悪くないね。じゃあ王国を目指すとして、細かい──、ん?」
言葉を切り、ノアはきょろきょろと辺りを見回す。
視線の動きに誘導されたフィリップとイライザも同じように眼下を探るが、不審なものは見当たらない。
相変わらず、獣の気配どころか鳥の声すら聞こえない、不自然な静寂に包まれた森だ。
挙動不審だった魔術師は足元の地面をしばらく見つめたあと、顔を覆って深々と溜息を吐いた。
「チッ……ついてない。あんたたち、降りてきなー」
「敵襲ですか!?」
イライザは身長の倍はある高さの枝から平然と飛び降り、難なく着地して聖剣を手中に現す。
木立の合間を油断なく見通し、近付いてくるものや隠れ潜んでいるものを探るが、目に留まるものは何もない。
フィリップはノアの魔術行使の邪魔になることを考えて躊躇ったが、最終的には弟子に続いて降りた。
わざわざ射線に入ることはないだろうが、ノアが「降りろ」と言ったということは、そちらの方が彼女にとって好都合なのだろうと判断して。
「…………」
「……聖下?」
ノアはじっと、彼女にしか見えないものを見つめている。
地上でもなく樹上でもない、どっちつかずの虚空を。
「トラップに引っかかった。いや──
「え? でも、魔法陣も何も──」
件の、森の中を不定期に転移するという傍迷惑なスイッチ。
そんなもの、どこにも見えない。
森は殆ど完璧な平穏を保っている。
人間を憎む魔物も、
梢が風に揺られ、枝葉を触れ合わせる穏やかな音が耳朶を擽る。
木漏れ日の中、寝具を広げて横になれば、きっと心地良く眠れることだろう。
張り詰めているのはイライザだけだ。
ノア自身は自然体で、怪訝そうな顔のフィリップに胡乱な目を向けた。
「なんで
小馬鹿にしたような、しかし挑発や嘲弄の気配はない口ぶり。
それほど馬鹿馬鹿しいことを言ったと、フィリップも自覚してばつの悪そうな苦笑を浮かべた。
「……眠くはないですけど、疲れてはいますね」
デカいミミズ相手に穴を掘りながら、傾斜のある岩肌を走り回ること二時間。
しかも、まだお昼ご飯も食べていない。体力切れにカロリー不足。脳が回らない理由は十分にある。
「いいから剣を抜いて構えて。何が起こるか分かんないんだから」
苛立ったノアに急かされ、龍貶しを抜き放つ。
鬼が出るか蛇が出るか。どちらにしろノアの前で出番なんか無いとは思うが、自衛するに越したことはない。
なにもない木立の間をじっと見つめる。
何が来るか。
魔術攻撃、魔物の出現、或いはもっと別のものか。
ダンジョンのトラップ。
理論上、ダンジョン内の魔力総量を上回らない限り如何なる現象でも起こり得る。別のダンジョンへの転移などは今のところ報告されていないが、発生の余地がないわけではない。
学院で習ったことを思い出しながら、フィリップは何かが起こる時を待つ。
一秒。何も起こらない。
二秒。何も起こらない。
三秒。──酷く酔っ払ったように視界がぐにゃりと歪み、景色が切り替わる。
「っ!」
いや、
梢の音、草木の匂い、柔らかな土の感触までが塗り替えられていく。
幻覚。
それも視覚に起こる幻視のみではない。
不味い。とても不味い。
「イライザ、動かないで!」
「は、はい!」
「ノア聖下!」
「分かってる! あんたも動かないでよ!」
互いの姿は見える。声も聞こえる。
これは幻視や幻聴ではないはずだ。
周囲の風景は未だ定まり切っておらず、絵の具を混ぜ合わせている途中のようにぐにゃぐにゃと色が歪んでいる。
その中ではっきりと見えるし、聞こえる。
ラッキーなことに、三人の位置はそれぞれが4~5メートル離れていた。
これなら一応、武器を振っても味方に当たらないし、最低限の自衛が出来る。
「……大丈夫。この幻覚強度なら、人間レベルの魔力を持ったものを覆い隠すことは出来ないはず。お互いの位置を覚えて、動かないで。今居る位置以外のあたしたちは、全部幻覚だから」
「はい」
「了解です」
……いや。
つい「了解です」とか言ったが、いま答えたノアの声が幻聴でない確証はない。
まだ幻覚は完成し切っておらず、調色中のパレットの上でこねた粘土のようで、その中に浮かぶイライザやノアの姿と声は明らかに浮いている。
だが、「だから本物だろう」と判断していいものかは微妙なところだ。
悩んでいる間に、不可視の筆が色を定め、不可視の指が輪郭をなぞり質感を与える。
世界が形作られ──どことなく見覚えのある風景が目に映った。
衛士団の鍛錬場によく似た、だだっ広い空間だ。最低限の整地だけされた、土が剥き出しの広場。
だがフィリップが偶に訪れる王都のそことは違い、頑健な塀と、その向こうに見えるはずの王都の景色がない。
体裁として領域を区切っただけの、飛び越えられる高さしかない簡素な木の柵。
その向こうには、どこまでも続く無人の荒野。
未開墾の硬い土に、背の低い草がまばらに生えた殺風景。
もっと草が生えていたりすれば、或いは牧場のように見えたかもしれない。
振り返ると、すぐ近くに家がある。
外観からして裏手にあたる部分がフィリップたちに面しているようだ。
柵は集落全体ではなく、家の裏庭を区切っている。円形に、直径30メートルほど。
「ここは……」
呆然と呟いたイライザに、フィリップとノアの視線が集まる。
彼女は家の方をじっと見つめており、二人も自然とそちらを向く。と、家の裏手にある扉が開き、三つの人影がぞろぞろと連れ立って出てきた。
「……」
「──待ってください」
小さく溜息を吐き、魔術を照準したノア。
フィリップも現れた三人が剣を持っているのは見えたが、それでもノアを制した。
三つの人影。そのうちの二つには見覚えがある。
「おーい!」
人影が手を振る。
見覚えのある、ルキアと同年代の青年の姿で、屈託なく笑って。
フィリップに剣術の基礎を教えてくれた初めての師匠であり、一時はパーティを組んで共に冒険していた、今は亡き友人。
「お兄ちゃん……!」
「……っ」
イライザの兄。ウォード・ウィレット。
死後の再会はこれで二度目だ。
一度目は外見的な完全複製、二度目が
もう一人は、全身をくまなく鍛え上げ岩石のような筋肉を備えた中年の男性。ウォードとイライザの師匠である先代衛士団長だ。
最後の一人は、シャツの上からでも分かる鍛えられた肉体を持つ壮年の男性。
フィリップの記憶には無い人物だが、イライザが「お父さん」と呟いたことで正体が判明した。
言われてみれば、どことなくウォードに似ている気がしなくもない風貌だ。
「あー、トラップの種類が分かった気がする。けど……なんでどっちも反応してるのさ? これ、
ノアは胡乱な顔でフィリップとイライザを交互に見遣る。
口ぶりからして、三人とも同じ幻覚を共有しているようだ。
幻覚の発生機序は不明だが、事前の暗示やミラーリング無しにとなると、ダンジョンのトラップがそういう機能を持っているのだろう。
幻覚──間違いなく、幻覚だ。
転移でもなければ、異空間の創造でもない。
フィリップはそれを知っている。
体験するのは初めてだが、学院の授業で習った。
「願望?」
イライザが唇を震わせる。
眼前の光景が現実では無いと分かっているはずだが、自らの理解を受け入れることを拒んでいるかのように。
「グリードトラップ……!」
脳裏に閃いた単語を思わず口走るフィリップ。
冒険者コース担当のジョンソン教授が、不機嫌そうに語っていたのを覚えている。
「そ。非致死性だけど致命的、予備知識無し仲間無しだと、まあ無傷では突破できない。そういう、こわいこわーい罠だよ。……取り敢えず二人とも動かないように。怪我したくないなら、ね」
ノアの言葉や口ぶりには余裕が感じられるが、フィリップとイライザに向ける双眸は真剣な光を湛えていた。