なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「さて、次はどっちの願望かなっと」

 「余裕ですね?」

 

 余裕そうだし、楽しそうだ。

 軍人たるもの、いつ如何なる時も冷静に。その兵隊教育に、水属性最強の魔術師としての自負や胆力が上乗せされて、冷静を通り越して楽しくなっちゃったのだろうか。

 

 「余裕ブッこいてるガキの心の底にある願望、是非見てみたいもん」

 「王都の美味しいご飯が出てくるでしょうね、多分。……というか、余裕は貴女もなんじゃ?」

 「あたしは経験者だから。自分の願望から何が出てくるかも知ってるし、対処したこともある。先にあたしの番だとしても、すぐ撃ってすぐ終わらせるから」

 

 自信に溢れた言葉に、フィリップは「なるほど」と頷く。

 

 確かに、フィリップの余裕の裏にあるのは、グリードトラップを突破できるという自信ではない。

 というか、何も考えていない。

 

 歴戦の軍人が醸し出す余裕とは別、というか、比べるべきではない類のもの。慢心、或いは無関心だ。

 

 「幻覚が来ます!」

 

 イライザが叫ぶ。

 チームリーダーと師匠が談笑している周りで、世界の絵の具が溶剤の中で攪拌されて慌てたようだ。

 

 見れば分かることを態々警告したのは焦りの表れと、全く無警戒な様子の年上二人への非難も少し。

 幻覚(ニセモノ)ではあるが、人間の感覚全てが欺かれるのなら、体感上は現実(ホンモノ)だ。

 

 実現していない願望が実現しているという、明らかで絶対的な“嘘”はある。

 故に、現実との差異に気付くことは容易く──それでも、望みが叶った幸福感と、五感が訴える現実感(リアリティ)が、否定することを妨げる。

 

 実際に願望通りの光景を見せられた少女にしてみれば、年上二人の余裕は頼もしくもあり、同時に恐ろしくもあった。

 

 もしもこの余裕が裏切られ、自分同様、願望に呑み込まれてしまったら──師匠のように引き戻すことが、果たして出来るだろうかと。

 

 「……ふむ?」

 

 こねられた粘土は正しい形に整えられ、パレットの上で練られた絵の具は然るべき場所に置かれる。

 

 酔いそうになる視界変遷の後、フィリップたちはどこかの街中に居た。

 

 小さな町だ。

 大きな木のある広場を中心に、石造りの家が二十弱。周囲は簡素な木の柵に囲まれ、外には広大な農地が広がっている。

 

 梢の天蓋は取り払われ、温かな日差しが降り注ぐ。

 呼吸する枝葉だけが囁く空間は、駆け回る子供と見守る大人たちの笑い声に溢れた。

 

 平和という単語を聞いた百人のうち、五十人くらいは似たような光景を想起するだろう。小さくも温かな田舎のコミュニティ。

 

 誰かの心を映し出した幻覚として、この上ないくらい素敵だとイライザは思った。

 

 「師しょ──」

 

 感動を共有しようと師匠の方を見る。

 これが彼のものでも、ノアのものでも、きっと自分と同じく口元を緩めているだろう──そんな予想は、完全に的外れだった。

 

 「──どうしました? 撃っていいですよ?」

 

 フィリップは口元も目も、まるで笑っていなかった。

 自らの願望を映し出した光景を目の当たりにして瞠目した女性に、「突っ立って何をしているんだろう」と胡乱な目を向けている。

 

 これが自分の願望ではないことは、辺りに広がる景色に見覚えが無いことから容易に判断出来た。

 

 声を掛けられたノアは、辺りを呆然と見回していた水色の双眸に理性の色を宿した。

 

 「あぁ、うん……」

 「……ノア聖下?」

 

 気のない返事だけで動こうとしないノアに嫌な予感を覚えつつ、フィリップは急かすように呼ぶ。

 

 思索と虚ろを同居させた双眸が動き、声の主へ下がる。

 そして、彼女はいつものように軽妙な笑みを浮かべた。

 

 「ごめん、気を抜いてた。これは、無理だ」

 「……は?」

 

 軽口を叩き落とす冷たい声。

 それは咎めるものでなく、それ以前に理解しかねてのものだった。

 

 ()()? ──何が? 何故?

 

 所詮は魔力で作られた幻だ。

 そこに見えて、触れられるが、実在するわけではない。人間のたった五つの低次元な知覚能力には「在る」ように見えても、魔術師の持つ魔力感覚の注釈と照らせば、その不在を把握できるはず。

 

 ならばあとは撃つだけだ。

 撃てばいい。聖痕者、人類最強と人類の共同幻想に棲む虫(唯一神)に認められた者の魔術性能を遺憾なく発揮し、全てを洗い流してしまえばいい。

 

 「前回は()()じゃなかったんだ。もっと軽くて、もっと簡単に否定できた」

 

 項垂れたノアが僅かに声を震わせる。

 ついさっきグリードトラップに呑まれたイライザには、その心中が痛いほど理解できた。

 

 幻覚、幻、非実体。フィリップだけでなく三人とも分かっている。目の前の光景、自身らを取り囲む全ては偽物だと。

 

 だが無理だ。

 視覚は何の異常も見つけられない。触覚は踏み締めた石畳や、温かな日差しと涼やかな微風の感触を伝える。聴覚は人々の交わす平和な言葉を、取り留めのない世間話を聞く。嗅覚と味覚は風に乗って運ばれた、近くの家の昼食を推察させる。

 

 五感全てが、人体が、自分自身が、全て現実のものだと捉えている。

 そもそも人間の脳や思考は、自分の感覚を無視するような設計をしていない。むしろ逆、知識より自分の感覚を信じる方が簡単だ。

 

 そして心が、全てが現実であればいいと願っている。

 

 故に、幻覚に抗うことはとても難しい。

 

 頭で理解しているだけでは駄目だ。

 心の準備をしていただけでも駄目だ。

 

 グリードトラップに対抗したければ、自分を騙すしかない。

 身体を動かし、心を動かす。目に映るものを片端から破壊し、諦めを付ける。

 

 現実としか思えない、願望の叶った世界を、自分の手で破壊する。

 

 冷徹な軍人も、超越的な聖人も、合理的な英雄だって尻込みする。その躊躇の時間だけ、幻はじわじわと脳を侵すのだ。

 

 「この広さの村だと全員殺すとか無理ですよ、僕。木の配置とか覚えてませんし」

 

 平和を体現したような村に、兵士の姿はない。

 いるのは農民や主婦、子供だ。

 

 総人口は恐らく50~100人。流石に剣一本で鏖殺するのは不可能だ。

 戦闘能力とかスタミナがどうこうではなく、単純に逃げられる。

 

 何より、そう見えるというだけで、ここは長閑な村ではない。

 高い木々や藪や下草の生い茂る森の中だ。

 

 上から塗られた絵の具のせいで見えないからと言って、下地が無くなったわけではない。

 キャンバスの枠組み、張られた布の凹凸。木々の枝葉に、地面から平坦さを奪う突出した根や起伏。

 

 五感全てを上書きされた状態で、幻覚相手に大立ち回りなんかしていられない。

 

 「撃たないなら──ノア聖下、覚悟を決めてください」

 「えっ?」 

 

 フィリップは再び拳を握り、ぺちぺちと叩いて形を確かめる。

 

 「取り敢えず貴女が昏倒するまで殴ります。で、貴女が起きて幻覚が始まったら、また殴り倒します。願望、気絶、願望、気絶。その繰り返しで、そのうち学習するでしょう」

 

 数段のシャドーで身体を温める。

 白刃戦中の組み討ちさえ「最後の手段」と定めた拍奪使いの格闘技術は、それほど卓越したものではない。

 

 しかし、それでも師が師だ。

 エレナとミナに教わった技術を、衛士や先代団長に試して身体に染みつかせた。

 

 人間を殴り倒すくらい訳の無いことだ。

 

 「望みを抱いてはいけない。願いを持てば殴られる、と」

 「……おぉぅ」

 

 淡々とした声や面倒臭そうな表情に、威圧の気配はまるでない。

 一連のシャドーですら脅しが目的ではなく、純然たる準備運動だと分かる。

 

 それが逆に、ノアを引かせた。

 

 治安維持に努める兵士にとって、暴力は最終手段だ。

 処刑は犯罪者に対峙した場合の第一選択にはならない。武力をちらつかせ、周囲に一切の被害なく制圧──投降させる。示威行為を含むネゴシエーションが優先的選択肢になる。

 

 「動けば撃つ」とか、「投降しないなら殺す」とか、そういうのだ。

 

 フィリップにはその気配が全くない。

 「諦めが付かないなら殴るぞ」という言葉が脅しではなく、単なる行動予定の提示、事前通告程度の意味しか持っていない。

 

 「待って待って落ち着いて? もしあたしが反射的に反撃したら、あんた死ぬよ?」

 「……じゃあどうするんです? 貴女が自発的に諦められるまで、或いは魔物や、追ってきた天使が僕らを殺すまで、どことも知れない平和な空間でのんびり過ごしますか?」

 

 触覚さえ欺かれている以上、手探りで森を出るのも不可能だ。

 グリードトラップを突破するには、正規の方法──一瞬でも望みを捨てる他に無い。

 

 自発的にそれが出来ないなら、外部から補助するまでのこと。

 

 「分かってる! 分かってるけど! 他になんか無いの!?」

 

 ノアとて正規の訓練を受けた兵士。格闘の技術は殴り殴られで覚えた。

 その経験から分かることが一つ。

 

 腹パン一発で気絶とか、首の後ろに当て身一発で気絶とか、あんなのは娯楽を血腥くしないためのご都合創作だ。

 

 つまりフィリップの案に乗った場合、かなりボコボコにされる。

 顎にいいのが綺麗に入ったって、アドレナリン次第では複数発に耐えたり、失神しても数秒で復帰できる。というか、軍では失神状態からの自己覚醒訓練なんかもやらされた。

 

 殴り殴られには聖痕者の誰より慣れてはいる軍人だが、痛いのは誰だって嫌だ。

 握った拳を今にも繰り出しそうな馬鹿を宥める声にも勢いが乗る。

 

 「幻覚の中に居る時間は短ければ短いほどいいんですよ? いまこうしてる間にも、僕の足に蛇型の魔物が噛みついてるかもしれない。イライザの足が狼型の魔物に引き裂かれているかもしれない」

 「そうだけど! いやでも周囲は安全化したし! たぶん魔物レベルの魔力があれば幻覚の上書きが効かないはずだし!」

 

 両手でフィリップを制しながら叫ぶノア。

 だがフィリップの顔は胡乱なものだ。とても説得が通じたようには見えない。

 

 確かにフィリップとイライザは、森のほぼ全域で魔物を狩って回った。

 だが魔物の発生に規則性や法則は発見されておらず、何もないところから目の前にポンと現れる可能性を棄却する理論はない。

 

 魔物を狩って回り(安全化)はしたが、安全である確証はないのだ。

 「安全なはず」「魔物は見えるはず」では困る。

 

 フィリップが溜息を吐いて訪れた一瞬の沈黙に、イライザがおずおずと口を開いた。

 

 「あの、師匠。気絶させるレベルの攻撃を視野に入れるなら、気絶しているうちに森の外に運び出せばいいのでは……?」

 「あ、確かに。じゃあそれで」

 「待って、殴られるのは確定?」

 

 盲点だったとばかり指を弾くフィリップ。

 助け舟の雰囲気を纏った大差のない提案に、ノアは口元を引き攣らせて笑った。

 

 「え? まあ頂芯肘とか、あとは締め技とかでも気絶させられますけど……加減をミスしたら死ぬじゃないですか。やっぱ楽なのは顎ですよ顎」

 

 残念ながら、エレナはフィリップに手加減の方法を教えてくれなかった。

 基礎筋力も体格も何もかもが足りないフィリップが、大型の獣や魔物などと素手で戦って生き残る(敵を殺す)ための技術を教えたのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

 

 「いやあたし訓練を受けた兵士だから。結構打たれ慣れてるから。ちょっとやそっとじゃ──だから拳を整えるな骨を揃えるな。……ったく。ああもう、最悪」

 

 言葉とは裏腹に、ノアは笑顔を浮かべている。

 しかし彼女の頬には、一筋の光る跡があった。

 

 「……」

 「えぇっ!? あ、あの、師匠も悪意があってこんなことを言っているわけでは……」

 

 泣くほど嫌なのか、と心の中で思って終わりのフィリップよりも、イライザの方が女性の涙に過敏だった。

 

 少女が咄嗟に口走った慰め、或いは混乱の発露に、涙混じりの笑い声が「ホントに?」と揶揄いを返す。

 泣いている女性の余裕が、イライザを落ち着かせてくれた。

 

 「いやまあ、それはいいや。……ここさ、あたしの故郷なんだよ。今はもう無いんだけど」

 

 ノアは涙を拭い、辺りを示す。

 彼女は殴られることを嫌がって泣いたわけではなかったし、涙が流れたのも意図してのことではない。目尻を伝う液体に、彼女が一番驚いたくらい──反応はイライザが一番大きかったが。

 

 

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