なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
『俺の奥さんのジェーンだ。美人だろう?』
『初めまして、人間さんにドライアドさん。それと……魔物さん? あまり力にはなれないと思うけれど、よろしくね』
やたらとハイテンションなアベルが連れて来たのは、見た目上は彼と同年代、つまり二十代そこそこのエルフの女性だった。
確かに、綺麗な女性だ。
容姿が整っているのは種族的なものだとしても、よく手入れされた金糸のような長い髪に、スレンダーで均整の取れた身体は芸術品じみて美しい。背はすらりと高く、立ち振る舞いに品がある。
物腰は穏やかで、柔らかな微笑みを湛えていて親しみやすい感じだ。
アベルが自慢したくなる気持ちも分からなくはない。まあ、そのアベルだって人間離れして整った容貌の持ち主だが。
それに、細身だがよく鍛えられていて、見るからに運動神経が良さそうだ。
ジェーンはどことなくエレナに似ている気もするが、アベルも、他のエルフも、みんなどことなくエレナに似ている気がしなくもない。
人間以上の美を持つ容貌を人間の脳が完全に処理できていないのもあるし、エレナがエルフの中で平均的な顔立ちなのかもしれない。
「よろしくお願いします。早速ですが、件のカルトに遭遇した時のことを聞かせてください」
『ごめんなさい、あの時のことは殆ど覚えていないの』
「……」
申し訳なさそうに、しかしはっきりと、ジェーンは言った。
「じゃあ何で呼んだんですか」と、いつの間にかフィリップの側に戻っていたカノンが呟く。
フィリップも同じことを思ったが、まさか嫁自慢のためではないだろう。そう信じて、同じことを聞くのはぐっと堪えた。
「では、二人が知っている限りのことを教えてください」
『あぁ。そうだな……俺が思うに、あいつらは何かを守ってるんだと思う。場所か、物体か、人物かは分からない。とにかく、こちらから近づかない限りは何もしてこない』
ふむ、とフィリップは相槌ばかりではなく頷く。
情報の咀嚼と考察もあり、アベルの語った内容に対する肯定もあり、感心もあった。
積極的に移動や接触をしないということは、教えを広めるタイプではなく、自らを高めることを目的とした求道系のカルト。フィリップもそう判断する。
「近づくとどうなるんですか?」
『一定以上近付くと、なにか不思議な魔術で攻撃されるんだ』
「不思議……具体的には?」
要領を得ない説明に、フィリップは眉を顰める。
不思議な魔術と言われても、魔術自体がそもそも不思議なものだ。体系化された技術ではあるが、原理と法則の全てが詳らかになっているわけではない。
せめてもっと具体的に、「雷が横向きに飛んでくる」とか、「昏睡作用のある霧に包まれる」とか、具体的な情報が欲しい。でないと対策の立てようもないのだから。
『彼女は発見された時、意識が混濁していた。そして目が覚めた後は、記憶機能が狂っていた』
「記憶が? そのせいで覚えてないんですか?」
『たぶん君が思っているのとは違う。単に記憶を失ったんじゃなくて……バラバラになったような感じなんだ』
補足されてもなお、フィリップはまだ困惑顔だった。
記憶というと複雑に感じるが、機能自体は単純だ。
「覚える」と「思い出す」。そこに生じる不具合も、「覚えられない」か「思い出せない」の単純なもの。
フィリップに限らず、人間の大半はそういう認識だ。
脳活動の
アベルとジェーンは疑問符がデカデカと書かれた顔を見て、小さく笑って言葉を探した。
『そうね……例えば、雪と花。どちらも触ったことがあって、知っている。雪は白くて、冷たくて、触ると溶けて水になる。花は色とりどりで、綺麗なものや地味なもの、毒や薬になるものもあれば、ただ棘があるだけのものもある。この情報記憶が、全てバラバラになっていたの』
「……雪は色とりどりで、冷たくて、解けて毒や薬になる?」
ジェーンの例示は分かりやすかった。
だが、分かったのは彼女の負傷内容までだ。原因にはまるで心当たりがない。
現代魔術ではなさそう、ということくらいしか、現時点では分からなかった。
『そんな風なことが、記憶の色々なところで起こっていたわ。他にも局所的な健忘、逆に部分的な超記憶。本に書かれた内容ではなく、本に書き込む機能も、読み取る機能も、何もかもが狂っているの』
『不思議だよ。自分の名前すら思い出せないのに、うちの集落じゃ誰も作れないような高度な薬の調合は覚えてる。かと思えば、エルフなら五歳の赤子でも作れる簡単な傷薬が作れない』
なるほど、とフィリップは考え込みつつ相槌を打つ。
まさにアベルの表現通り、単なる記憶喪失とは異なる症状。記憶機能全般に対する障害だ。
『違うわ。私はあれを、魚の骨を取りやすくするペーストだと思っていたのよ』
『そのペーストにアルテミシアは使わないよ』
ジェーンとアベルはエルフ語で何事か交わす。
フィリップは視線を小さな通訳へと落とすが、シルヴァは黙ったままだった。知りたいこととは無関係の雑談だったのだろうと、フィリップも勝手に納得する。
『他にも沢山。全部が全部じゃなかったのは不幸中の幸いだけど、そのせいで、却って面倒だった』
『自分の記憶のどれを信じて良くて、どれを疑うべきなのかが分からない。向精神薬が無かったら、きっと狂っていたわ』
二人が再びフィリップに視線を戻して語り出すと、シルヴァの通訳も再開される。
「なるほど。……それは、本当にカルトの攻撃のせいですか? つまり、そういう魔術であることは確定しているんですか? それ自体が狂気の症状ってことはありませんか?」
『いや、魔術の効果か、その後遺症だ。少なくともエルフの知見に於いて、医学・薬学・精神病理学的な原因は見つからなかった』
アベルは断定的に言った。
自身の、そして種族の能力と知識に対する自信と、断言するに足る試行回数が窺える。
集められるだけの知識を集め、何度も何度も診察をして、調査をしたのだろう。
彼の能力を疑い始めるとキリが無いし、人間以上の知見を持つ種族の見立てだ。基本的には自分の意見よりプロの言葉に重きを置くフィリップとしては、彼を信じるしかない。
外傷、或いは薬剤による脳機能障害の類ではないと見よう。
「ふむ……。他に、何か情報は?」
『そうね……。人が居たわ』
顎に手を遣って記憶を探りながら、ジェーンは言った。
『10人か、もっと。いえ、ヒトかどうかは分からない。エルフではないと思うけど、魔物かもしれない。立っているのと、倒れているのと。私はその人たちから逃げたか、その人たちに逃がして貰って、離れて、歩いて……気が付いたら同族に背負われていて、この集落に来たの』
「……なるほど」
呻くように相槌を打ち、フィリップは黙り込んだ。
今のジェーンの話、情報量はほぼゼロだ。
記憶障害で信憑性が低いという話ではなく、推測込みで得られた情報は「最低でも十体、一見して人に見えるモノが居た」しかない。
それは人間かもしれないし、エルフかもしれないし、ヒトガタをしているだけの別物かもしれない。
記憶障害という要素を加えると、「十体以上居たと記憶しているが、定かではない」「人間のように見えた記憶があるが、間違いかもしれない」まで確度が下がる。
もっとこう、「黄色い外套を着ていた」とか、「黒い山羊が居た」とか、そういう情報が欲しかったのだが。
『お役に立てたかしら?』
心配そうに尋ねたジェーンに、フィリップは力なく笑った。
「はは……。ありがとうございました。取り敢えず、行ってみようと思います」