なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「人狼は吸血鬼と同じ、魔人や魔族と呼ばれる部類の魔物ですわ。殺せば死体は消え、魔力へと還ります」
「うん……」
「こんな顔でも無かったような」なんて、アンテノーラはアベルの言葉を否定する。
それはアベルの知識を正すというよりは、フィリップに勘違いをさせないための補足だったが、既にヴーアミ族と接触した経験のある所有者には不要なものだった。
「こいつが何かは、貴方が知る必要のないことです。アベルさん、集落に戻ってください」
『断る。君が連中を皆殺しにすることは止めないが、俺はジェーンの記憶機能を治す手掛かりが欲しい。全部丸ごと吹っ飛ばされちゃ困るし、せめて、その前に情報を集められるだけ集めたい』
断固とした拒絶の応酬に、フィリップは溜息を吐いた。
感情同士のぶつけ合いで負ける気はしないが、簡単に勝てる気もしない。
かといって理性と論理で説得を試みても、逆に丸め込まれるのがオチだろう。彼は若々しく優しげな風貌だが、500年生きているエルフだ。経験が違う。
「……まあ、どうせ全員を瞬殺するってわけじゃないですから、拷問の機会くらい作れば幾らでもありますよ」
作ればある、というか、作るつもりだ。前提と言ってもいい。
意義ある情報ではなく無意味な悲鳴のための、拷問を目的とした拷問ではあるが。
アベルの求める、彼の妻の記憶に関する手掛かりを探ることも容易だ。
カルトの情報をわざわざ伝えてくれたエレナに免じて、楽しいカルト狩りタイムの中でも、ちょっとくらいなら真面目な話をしてもいい。
だが。
「でも正直、僕は貴方に協力したいと思わない。微塵もね」
吐き捨てる。
別に、彼を惨殺したいとか、奥さんの記憶なんかずっと壊れていろとか、そこまでは思わない。
悪意はないし、敵意もない。
だから、
『ど、どうしてだ? 何か失礼なことをしてたなら謝るよ』
困惑した様子のアベルの言葉は、的外れなものだ。
「失礼というか、無礼ではありますよね」と、背後で呟いているカノンは無視する。
というか、彼が丁重に、出来得る限りの礼節を示した上で同行を願い出たとしても、拒絶することには変わりない。
「本当に情報が欲しいなら、僕が来る前に動いておけば良かったんだ。奥さんと出会ってから100年ぐらいあったんでしょう? それだけの──人間なら一生以上の時間を無為に過ごしておいて、切っ掛けがあれば「丁度良かった」とばかりに乗っかる。それ自体は、まあ、別にどうでもいい」
100年という時間を膨大なものだと捉えるのは、この場に於いてはフィリップだけだろう。
ナイアーラトテップの整備を受けるカノンには、老朽化や耐用年数の概念はない。
人魚属は不老不死ではないが、アンテノーラは“生きた楽器”としてトルネンブラに見初められ、もはや時間の流れの外側に居る。
いや、たかが14年しか生きていないフィリップでさえも、思考や価値観には外神の部分がある。
100年も14年も等しく無意味。「時間」とは絶対の軛でも指標でもなく、掌で弄ぶものだと囁く視座が。
勿論アベルにとっても、100年は「この間」程度のもの。
100年「も」無駄にした、なんて、この場の誰も思わない。
しかし──100年だろうと10分だろうと1秒だろうと、無為に過ごしたことには変わりない。
「そんな程度の感情で動く奴に、僕の意を妨げられることは許容できない。僕らの寿命も、時間感覚も、感情も価値観も何もかも違うと理解した上で」
フィリップは再び、吐き捨てるように言った。
これは感情の問題だ。
嫌いなモノを、嫌いだから排除する。誰にも邪魔はさせない。
人生をカルト狩りに捧げる信仰の徒であろうと、血統ではなく血の誓約で繋がった家族のために戦う復讐者であろうと、仲間が同族を殺すことに心を痛める善良な少女であろうと。
妻の記憶のために手掛かりを探す夫であろうと、だ。
『っ……!』
揶揄も悪意も無い純粋な拒絶に、アベルは目を瞠る。
驚きに満ちて揺れていた緑色の双眸は、次第に怒りと悲しみを湛え、真っ直ぐに据わる。
『俺がこの百年……何もしていなかったと思うのか!?』
怒鳴るでなく、問うでもなく。ただただ信じられないと言うような、愕然とした声。
初対面でも分かるほど傷付いた表情を、フィリップは億劫そうに一瞥した。
『彼女のことを知ってからずっと、連中のことを探ろうとしていたし、ここまで来たことも何百回もある! 警備の兵士を撒いたり、罠や陽動で攪乱して突破して、あったりなかったりする湖を底まで潜ったことだってある。だが、そいつらは見つからなかった! 痕跡だけが、俺を嘲笑うように残されて!』
「……ん?」
捲し立てられた中に興味を惹かれるフレーズを聞き取り、面倒臭そうにしていたフィリップは、小さく首を振って合図を送る。
アベルの背後に回り込んでいたカノンは、主人の意を汲んで攻撃を中断した。
『何千回と探したさ。何万回もの薬学的アプローチの合間に、なにか手掛かりはないかと。クソ不味いドーピング剤に耐性が付いて、不眠不休の調査が出来なくなるまで!』
声が荒く、大きくなっていく。
吐露した感情が耳から脳に再浸透し、増幅され、アベルは自家中毒を引き起こしつつあった。
「あったりなかったりする湖」とかいう、とても気になるワードについて聞き出したい気持ちが半分。
面倒臭いしさっさと昏倒させて先に進みたい気持ちが半分。ちょうどせめぎ合う。
『だが俺は諦めてない! エルフの薬学で駄目なら、そいつらの魔術を解析するまでだ。そう思って、ずっと調べてきた! これからも調べるつもりだった! それを、いきなり現れた人間が全部吹っ飛ばすだと!? 王女殿下の友人だか国賓だか知らないが、ふざけるなよ! 100年も生きてない、誰かを愛することも知らないガキが!』
遂にアベルの手が胸倉へ伸び、防寒着を掴んだ。
王都製の良質な生地がみちみちと泣き、フィリップは眉根を寄せる。端から穴を開ける想定で高級品ではないが、出発前に買った新品だ。
フィリップの手が伸び、目の端に涙を浮かべたアベルの胸に触れる。
突き飛ばすでも押し退けるでもなく、ただ触れるだけ。『萎縮』も『深淵の息』も知らないアベルには、何の抑止効果もない。
そんなものは必要ない。
脅しも、抑止も要らない。
殴られるのは嫌だから、殴られそうになったら殺す。
服が破れるのは嫌だから、服が破れそうになったら殺す。
それだけだ。これはその、ただの準備でしかない。
「カノン」
呼ばれたカノンの動きがぴたりと止まる。
主人に掴みかかられて、従者は当然に下郎を殺すつもりだった。拳を握り、今にもアベルの頭部を吹き飛ばそうと構えて。
フィリップから見えない位置では、同じくアベルを蹴り飛ばすつもりで構えていたアンテノーラも止まる。
「このクソ寒いのに、僕をびしょ濡れにするつもり?」
「……」
眉を顰められて、カノンは物言いたげな顔でアンテノーラを見遣る。
頭を吹っ飛ばせば盛大に血が噴き出る。それは間違いないが、濡れ具合で言えば、胴体を破裂させた方がよっぽど酷い。
掴みかかった相手が平然としていたからか、怒りと悲しみの自家中毒に陥っていたアベルもクールダウンし、胸元から手を離す。
『……すまない。頭に血が上った。……集落に戻るよ。こんなことをして、同行させてくれとは言えない』
自分が掴んだことで乱れた襟元を正しながら、アベルは落ち込んだ声で言った。
妻の記憶機能を治す手掛かりを破壊すると言われ、愛情さえも否定され。
それでも自制が利かず感情的に手を出したことは、彼を恥じ入らせ、自己嫌悪させた。
……その一方で。
「それだけ奥さんを愛してるんでしょう? 別に、掴まれたくらいで怒りませんよ」
フィリップはむしろ上機嫌だった。声にもそれが表れている。
殴られるのは──痛いのは嫌なので殺そうとはしていたが、実際、怒りの感情はない。
それに、今の感情は心地好かった。
善性とは違う。
人間性でもない。というか、彼は人間ではない。
しかし、素晴らしい。
困難を困難と知り、難題を難題と認め、無理を承知で「それでも」と足掻く、その精神性は。
ライウス卿や衛士団長を彷彿とさせる。
──彼が人間でないことが残念でならない。
フィリップにとってだけでなく、アベルにとってもだ。
人間ではないモノを、フィリップは尊重する。
その存在を、在り方を、人間ではないモノであるという前提に則って扱う。
エレナを善良と評しても、善人とは扱わなかったように。
ミナの悪性や残虐性を認めても、悪人とは評さなかったように。
アベルに対しても、「苦難に立ち向かう勇気と不屈の執念を持った強靭な精神性の持ち主だ」という評価に留まる。
「だから」と続けるとすれば──「だからどうした?」になる。
これがライウス伯爵だったら、フィリップは同行を認め、彼の身命を守っただろう。
彼が見て、聞いて、知るべきものを隠すことはせず、発狂すればそれまでとした上で──彼が乗り越えるべきものは、彼自身に乗り越えさせるスタンスで。
それでも、邪神を使って彼ごと吹き飛ばしたりはしないし、襲われたりすれば守る。
アベルに対しては、そこまでの価値は感じなかった。
「……一緒に来るだけなら、いいでしょう。僕らの邪魔をすれば殺すし、邪魔になっても殺す。貴方が死にかけたとしても、状況と気分次第では見殺しにする。それでもいいなら、ですが」
包み隠さず、誠実に、フィリップは酷薄に過ぎる条件を示す。
それが、アベルの激情に対して抱いた好感の対価──彼に対する価値認識だった。
『……全部吹っ飛ばさないでくれるなら、それでいい。ありがとう』
激発した負い目もあってか、アベルは神妙に頷く。
しかし実際のところ、彼はフィリップに殺されることなど微塵も考えていなかった。
剣対剣どころか、剣対素手でも勝てるし、基礎的な身体性能が違いすぎて、「人間と戦う」という発想にならない。
だから眼前の、まだ赤ちゃんくらいの年しか生きていない小さな生き物の「殺す」という言葉にも、その殺意にも、恐怖を抱くことは無かった。
フィリップも何となく気づいてはいるが、念を押したりはしない。
殺すかもしれない相手には舐められているくらいが丁度いい、なんて真面目な思考もあるが、どうでもいいからだ。
『そういえば君、もうエルフ語を覚えたのか? 凄いな』
安穏としたことを言うアベルに、カノンとアンテノーラは顔を見合わせる。
「エルフって食べたことあります?」
「いいえ。でも、穀物ベースの旅糧食よりはマシでしょう。タンパク質は多いでしょうし」
悪食と肉食の二人は、もはや殺す前提で話していた。