なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

632 / 675
632

 「具現化した“死”。いや、“死”と呼ぶ他にない、あらゆる破壊、終焉、忘却の化身。会うのは初めて……いや、まだ会ってはいないけど」

 

 自分の手指の形すら薄れさせる霧の中、フィリップは億劫そうに語り掛ける。

 

 邪神サイサロス。

 

 ──()()()()

 

 シュブ=ニグラスは明確に「人間を殺し得るモノ」として認知し、しかし理解し得なかったモノ。

 

 外神ではない。

 さりとて旧支配者でもなく、旧神でもない。

 

 生命体が“死”として認識する、存在の終端を定めるもの。

 

 それは動物を殺す。植物を枯らす。鉱物を融かす。

 立ち上がった死者には永劫の眠りを与え、信仰に依って自らを担保する存在には忘却を与える。

 

 物事の終わり。

 物体と事象の終わり。

 

 彼の神格に触れた者は、それを与えられる。

 

 故に──外神には、その本質が理解できない。

 

 外神には“終わり”が無いからだ。

 彼らは時間の流れの中に“始まり”と“終わり”を持つ存在ではない。始まる前に既に在り、終わった後にも変わらず在る。

 

 だから、万物の終端たるサイサロスのことを、存在として知ってはいても理解が出来ない。

 彼らにとってサイサロスは、「よく分からんが人間くらいは殺せるモノ」程度でしかなく、智慧が発する警鐘も、特筆して激しいものではなかった。

 

 「……これは僕が間違ってるのか?」

 

 とんでもない存在だと思う。

 フィリップの感性の、人間の部分は。

 

 まず、触れたら死ぬ。

 人間やエルフのような一般的な生命だけでなく、神格を有する「神としか呼べない生き物」であるゾス星系のもの(クトゥルフ)生きた炎(クトゥグア)さえも。

 

 ほぼ無敵と言っていいヴィカリウス・システムとて例外ではない。

 惑星表層から環境が無くなった時、或いは惑星そのものが破壊された時、ヴィカリウス・システムは死ぬ。

 

 その“存在の終端()”を、サイサロスは具現化する。

 

 そんなモノがポンと現れ、しかも神威を感じるほど近くに居て、影響範囲に入っている。

 「こいつはヤバい! 逃げろ!」と、たいそう焦るべき場面のはずだ。

 

 なのに、智慧は静かなものだ。

 「あ、コレですね」と、レファレンスしてくれる司書のよう。サイメイギの隷属ワインを見つけたときの方が、数十倍はうるさかった。

 

 「……まあ、いいや」

 

 考えれば考えただけ「やっぱり僕が間違ってるな」という結論に至りそうな気がして、フィリップは賢明にも思考を切り上げる。

 

 実際、そんな無駄な思考をするくらいには余裕だ。

 

 「サイサロス……でも本体じゃあないな。神威の質も量も智慧にあるものよりショボいし、断片ってところかな? なら湖の“情報”が死んでいる……? いやでも、それなら……」

 

 サイサロスの死の力が「湖があるという情報」に作用した場合、見ることも入ることも出来なくなり、何もない地面になる……という仮説は、一応成立する。はずだ。

 

 外神はその超越性故に、そして人間は矮小さ故に、“終端()”を認識したり理解することが出来ない。

 シュブ=ニグラスに智慧を与えられたフィリップとて、サイサロスの力がどのように作用し、どのような結果を齎すのか、正確に推測するのは困難だ。

 

 特に、力の断片となると。

 本来の力であれば湖自体が消滅するはずだが、そうではない。なら、もう何も分からない。

 

 いや流石に、いくら何でも明滅するかのように“情報”が死んだり生き返ったりして、湖が消えたり現れたりする……なんてことは無いだろうけれど。

 

 「……っと、お出ましか」

 

 霧を裂くように、或いは滲み出るように、灰色をした手が伸びてくる。

 

 この霧は、サイサロスの神気が漏れ出たものに過ぎない。

 それに当てられた人間は、自らの死を見る。サイサロスの纏う終焉と絶望の気配を、自己、或いは生命の終端である“死”という形で認識するのだ。

 

 簡単に言うと、自分が死ぬ夢を見る。

 何度も、何種も。溺死、焼死、凍死、餓死、病死、失血死、転落死、感電死、圧死、エトセトラ。

 

 自らの想像が及ぶ限りの死因を、自らの想像が及ぶ限りのパターンで、想像でしかないはずの現実感を伴って。

 それはきっと、心臓が自ずから動きを止めるほどに恐ろしく、苦しいものだ。

 

 まあシュブ=ニグラスの精神防護があるフィリップには無関係な話だが、霧はあくまで、サイサロスという神格の“余波”に過ぎない。

 

 いま現れた手こそが、サイサロスの力の集約。

 本体ではない、しかし断片がその機能を発揮し、顕現したサイサロスの一部。

 

 五指があるのか、爪や皺があるのかも判然としない。

 しかし「それは手だ」と、どうしてか確かに感じ取れる。

 

 手招くように、差し伸べるように、灰色をしたそれは、フィリップへ近づいてくる。

 

 「救いの手。永遠の安寧を確約する、終端そのもの」

 

 霧の中で、人は自らの死を見る。

 或いはそのまま死に呑まれ、本当に死んでしまったり、狂ってしまうこともある。

 

 この“手”には、そういう()()()が無い。

 

 「力と機能の産物なのか、僕を敵と見ているのか、はたまた善意かは知らないけれど──どうでもいい。僕に触るな」

 

 サイサロスの“手”に触れたモノは、絶対的に死ぬ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 絶対的で概念的な“死”、生物の生命活動の終端を指す単語とは違う、生命体は“死”としてしか認識できないモノを齎す。

 

 アンテノーラの歌も、蘇生措置も、何もかも間に合わない。何もかも効果を発揮しない。

 邪神を呼ぶ暇もなく、断末魔もなく、ただ死ぬ。

 

 それはきっと、骨をも通す刃や音速の弾丸よりも優しく、苦しみとは縁遠い終わり方だ。

 

 「一年くらい前だったら、もしかしたら、君の手を掴んでいたかもしれない。でも今は──殿下は、カルト相手の僕は「何があっても全部殺して帰ってくる」っていう想定で使ってるからね。その信頼は裏切れない」

 

 フィリップが死んだら自分も死んでいたと、ステラは言った。

 この無価値な泡沫の世界に二人を遺しては逝けないと、今でも変わらず思っている。

 

 だから、その手は取れない。

 その手に触れた先が、本当に何もない“終端”だったとしても。ヴィカリウス・システム(環境)にすら憐れまれた“魔王の寵児”に、慈悲深くも死そのものが救いの手を差し伸べているのだとしても。

 

 「何より──()()()

 

 鬱陶しそうに、フィリップは言った。

 要らないと言ってなお消えない霧に、手に、苛立ちが募る。

 

 サイサロスなんか、今はどうでもいいのだ。

 フィリップはここに、この“終焉”を見に来たわけでもなければ、どうにかしようという気もない。

 

 力の断片がここに落ちていることは、路傍に石が落ちているのと同じくらい、どうでもいい。

 

 「僕はカルトをブチ殺しに来たんだ。お前なんかを信奉している蒙昧な連中を、“死”を知らずに“死”を信仰しているつもりの、気色の悪いカルト共を見つけ出して、一人残らずブチ殺す必要がある。その、邪魔だ」

 

 吐き捨てる。

 しかし手は止まらず、猶もフィリップに近付いてくる。

 

 人語を解さないのか。はたまた悪意か敵意を持っているのか。

 “死”はフィリップの言葉にも感情にも構わず、その手をゆっくりと伸ばす。

 

 そして。

 

 灰色の指先はフィリップの胸に触れる寸前で、ぱし、と軽い音を立てて掴み止められた。

 

 「──耳のないものに語り掛けるとは、変わったご趣味をお持ちですね」

 

 五指があるかも判然としない“手”を、質素な麻地のカソックから覗く、浅黒い肌の長い手指が握っている。

 腕を伝って見上げれば、忌々しくも見慣れた人外の美貌、そして嘲笑にぶつかった。

 

 「……えっ」

 

 思わず漏れた声には、二つの驚きが混ざっている。

 なんでいるの、という驚きと、聞こえてすらいなかったのか、という驚きと。

 

 神すら殺す──信仰を起源とするモノには忘却を与え、生物の範疇外にあるモノにも等しく“終焉”を齎すサイサロスに触れていることは、特に驚くことではない。

 

 ……よくよく考えてみれば、「なんでいるの」も間抜けな疑問だ。

 外神たちはフィリップのことをずっと見ているし、背後か頭上を探せばシュブ=ニグラスの使い魔だって見つかる。

 

 彼らの見守る中、寵児に向けて汚い手を伸ばすモノが居て、当の寵児も「触るな」と言いつつ何もしないでいる。逃げもせず、小間使いを呼ぶでもなく「あれ?」と首を傾げて、ぼーっと突っ立ったまま。

 

 そりゃあ、そうなる。

 ……なんて、フィリップは一人で考えて、一人で納得した。その答えが正しいことを、微塵も疑わず。それが答えになっていないことにも気付かないまま。

 

 「そんな君に、一つ、細やかながら贈り物を」

 

 言って、ナイ神父はサイサロスを握っていない、空の左手を差し伸べる。

 一度握られた掌を開くと、そこには小さな玩具が乗っていた。

 

 ──それは一見して、デフォルメしたアヒルだった。

 

 ……黄色い、ゴム製のやつ。

 掌サイズの。中が空洞で、押すと「ぷぴ」と鳴るタイプのやつ。

 

 「……はい? ……え? なんですかコレ」

 

 フィリップは思わず、差し出された物を素直に手に取った。

 

 持ってみても、見た目通りだ。

 中には何も入っていないし、途轍もない力を持っている感じもしない。

 

 持つ指にちょっと力を込めてみると、「ぷぴ」と間抜けな音が鳴った。

 

 「ご賢察の通り、ゴム製のアヒル(ラバーダック)です。あぁ、サボテンの方がお好みでしたか?」

 

 そういうことではなく。

 

 ……いや、フィリップが訊きたかったのは「実は何か特殊な力があるのか」とか、「シンプルに神格を殺せる爆弾だったりするのか」とかそういう方向だったので、ナイ神父の答えは、きちんと答えになっていた。

 

 NOと。

 見たまま、何の変哲もない、ただのラバーダック(おもちゃ)だと。

 

 「何が言いたいのか分からないけど、馬鹿にされていることだけは分かる……」 

 

 このアヒル投げつけてやろうかな、と思うも、中が空洞のゴム細工ではノーダメージどころではない。却って嘲笑が濃くなるだけだろう。

 

 「では、狩りをお楽しみください」

 

 ナイ神父は長年の研鑽を感じさせる完成された所作で一礼すると、次の瞬間には視界から消えていた。

 その手が掴んでいた灰色の手も、同じくして。 

 

 残ったのは、呆然とした顔のフィリップと、何とも言えない表情をしたゴム製のアヒルだけだ。

 視界を遮る灰色の霧は、ゆっくりとその濃度を落としていく。

 

 「いや……そんなテンションじゃなくなっちゃったんだけど」

 

 ぷぴ、ぷぴ、とアヒルを摘まんで鳴かせながら、フィリップは脱力して呟いた。

 

 「サイサロス……。サイサロスねぇ……」

 

 アレは他の神格のように、万能性を持っていない。全能など有り得ないとかそういう話ではなく、もっと単純に、持っている機能が少ない。

 

 例えば、あの灰色の手。

 あれは物を掴んで持ち上げたり、放り投げたりといった機能を持っていない。

 

 ハスターのように複数の化身を使い分けたり、サイメイギのように他者を支配する力を持っていたりもしない。

 それは本体から零れ落ちた力の断片であっても変わらない。

 

 人間の──或いはエルフの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()はずなのだ。

 記憶機能だけピンポイントで“死んだ”のだとしても、それなら、関連付けがバラバラになるなんて形ではないはずだし、再度の学習でそれらを正常に繋ぎ直すことも出来ないはず。

 

 そもそも、人間だろうとエルフだろうと、たとえ神だって触れたら死ぬ。

 例外は“終わり”という概念がない、終わった後にも変わらず在る外神くらいのものだ。

 

 サイサロスに触れたにしては、アベルの奥さん……ジェーンの状態は生温い。

 

 「……駄目だ。確定情報が少なすぎる」

 

 推理の根本となる智慧が、そもそも薄い。

 そのせいで「たぶん」「はず」「だろう」程度の精度でしか思考出来ない。

 

 サイサロスの存在は想定外だし、ここに居るのは死に魅入られたサイサロスのカルトで間違いないとは思うが、それだけではない気がする。

 

 エルフ側の被害者は二人。

 最近死亡したという一人は、まあいい。だが記憶機能が狂ったジェーンに関しては、サイサロスが直接の原因でないことは確実だ。

 

 「さっきのヴーアミ族とイス族……だっけ。アレも希死念慮に憑かれるような手合いじゃないだろうし……。謎は多いのに情報は少ないな……」

 

 手中でぷぴぷぴと間の抜けた音を鳴らしながらも、一応は真面目に考えているフィリップ。

 

 その周りで、灰色がかった霧はじわじわと薄れ、晴れる。

 視界が戻ったとき、眼前には巨大な黒い水晶が屹立し、周囲には幾つかの人影があった。

 

 一つはアベル。

 雪の積もった地面に倒れ伏し、丸まって震えている。

 

 一つはアンテノーラ。

 喉を押さえ、視界が晴れてフィリップを見つけると、蒼白な顔で駆け寄ってきた。

 

 「あ、貴方様、所有者様。わたくし、の、声……が……?」

 

 荒い息を零しながら声を震わせたアンテノーラは、自分が声を出せたことに驚いたように目を瞠り、驚くと同時に安堵したように息を吐いた。

 蒼褪めていた顔に血色が戻り、強張っていた表情も緩む。

 

 彼女が見た“死”には察しが付く。

 トルネンブラに見初められ認められた“生きた楽器”。その死は、生物学的な死、生命活動の停止ではない。

 

 音楽能力の喪失。

 特に歌を見込まれた彼女の場合は、声を失うことだろう。

 

 勿論、トルネンブラはそれを認めない。少なくともフィリップが自ら手放すまでは。

 

 それを知ってか知らずか、アンテノーラは自らの“死”を見ていたようだ。

 アベルが完全に潰れ、赤子のように丸まることしか出来なくなっているのを見るに、彼女はかなり気丈な方だが。それでも。

 

 「……いる? 意外と癖になるよ」

 「え? あ、いえ、お気持ちだけ頂戴いたしますわ」

 「そう……」

 

 指先に力を込めれば、何とも言えない顔のアヒルが「ぷぴ」と鳴く。

 間の抜けた音か、それとも顔が気に入ったのか、ふ、とアンテノーラが小さく笑った。

 

 楽器のケアをして、今度は給仕の方に目を向ける。

 

 「さて……。カノン、つまみ食いとは無作法だね」

 

 足元に人間大の死体を転がしたカノンは、咎める声にびくりと肩を震わせた。

 骨に守られた腔内にあるべき物が無く、代わりに触手の塊を詰め込まれた死体は、人間サイズだが人間ではなさそうだ。死体を再利用されたか、ガワを模倣したのかは知らないが。

 

 「ひぇ……! ももも申し訳ごめんなさい!」

 

 両腕をY字に掲げ、慌てふためく給仕。

 しかし、主人の声こそ険を孕んでいたものの、左手は寒さからポケットの中に避難し、右手はアヒルの玩具を弄んでいる。処断や折檻をする素振りはない。

 

 「はぁ……」

 

 周囲には十人、いや十体ほどの影がある。

 人間のようなものもあれば、あからさまに人間ではない爬虫類の特徴を持つヒトガタ──蛇人間も居る。頭部が無く、代わりに粘体の塊が乗っているモノも。

 

 人外の集団。

 武器や魔術、恐らく武器なのだろうがそうは見えない棒や球体を向け、敵意を露にしている。

 

 十分前のフィリップなら、「おお本物だ」と目を瞠り、二言目には「じゃあ死のうか」と剣を抜くなり邪神を呼ぶなりしていたところだが──。

 

 「ふむ……なんでつまみ食いが通ったんだ?」

 

 ナイアーラトテップが興を削ぐような玩具を押し付けてきたことといい、カノンが獲物を一匹つまみ食いしたことといい、少し妙だ。

 

 「僕で遊んでるだけの可能性も全然あるよなあ……」

 

 アヒルをぷにぷにと弄びながら、フィリップは独り言ちる。

 思ったより力が入ったのか、手中から「ぷぴ」と応えがあった。

 

 




 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。