なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「えぇ……? じゃあ、100年前じゃなくてもいいけど。とにかく誰かがサイサロスの断片に接触したことは?」

 「おいおい寵児様、思考が外神っぽ過ぎるぜ。アレに触れて無事な奴は、それは如何なる形の“終端”をも持たない、つまり“始まり”を持ってないモノ。時間の軛の外側にいる連中だけだ。黄衣の王だって死ぬ。……まあ、ケロっと起き上がるかもしれんが」

 

 どこか呆れたような蛇人間の言に、フィリップは否定の言葉を持たなかった。

 むしろ全面的に同意する。

 

 サイサロスの“死”は絶対だ。

 人間をバラバラにしたり、山を抉って消し飛ばすような派手さはないが、触れたものは確実に終わりを迎える。

 

 人間がどうこう、エルフがどうこうではない。神だって殺す。

 神と呼ぶしかない強大な生物はその生命活動を停止し、信仰に寄生する存在は忘却される。

 

 「まあ、そりゃそうか。じゃあ、君たちの隔離を突破しようとしたとかで、エルフ相手に魔術攻撃を仕掛けたことは? 特に、記憶機能に障害が残るようなの」

 「この辺りに近付くのは、サイサロスの電波を受け取っちまった自殺志願者と、そこで泡吹いてる兄さんくらいのもんだよ。ほぼ毎日、飽きもせず。だから暗示やら記憶処理やらの魔術を喰らいまくってるが、そのぐらいじゃないか? 他のエルフを全く見ないわけじゃないが、大抵はこっちを遠目に観察して終わりだしな……」

 

 「なあ?」「だな」と、ヴェルム・オブスキュラの内で確認と同意が交わされる。

 

 しかし、エルフ側には明確に被害が出ている。

 直近で死者が一人、100年前に記憶障害を発症したものが一人。

 

 その両方が彼らやサイサロスの仕業でないとすると、だ。

 

 「この辺りに、君たち以外のカルト……いや、怪物、星外種、邪神、何でもいいけど、とにかくエルフを攻撃しそうなモノは?」

 「心当たりはない、っていうか、サイサロスなんてとびきりの厄ネタに、好んで近付く奴なんかいねえよ」

 

 蛇人間は呆れたように頭を振った。

 

 ……まあ、確かに。

 サイサロスを信奉する奴なんか、絶望に塗れた自殺志願者か、死を知らずに死を信仰した気になっている馬鹿の二択。

 

 どっちにしろ、大抵は霧の中で本物の“死”に触れて早々に死ぬか、発狂寸前まで行って接近を諦めるかだ。

 

 それに、ヴェルム・オブスキュラの存在理由、行動原理は、まさにそういう手合いの隔離だ。

 現行の文明を構成する人間やエルフを、彼らはサイサロスの断片から遠ざける。

 

 「うーん……300年以上前なら?」

 「いや、それは流石に知ってるわけないだろ……」

 「……そりゃそうだ。仕方ない……カノン、アベルさんを起こして。話の擦り合わせが必要だ。ヴォルヴァドス、神威を抑えて……抑えられる?」

 

 フィリップは何の躊躇もなく命じ、カノンも一切のラグ無く従う。

 面倒だからという理由で絞め落されていたエルフは、哀れにも叩き起こされ──未だ禍々しい姿を顕したままの、ヴォルヴァドスを目撃した。

 

 一応、周囲の生き物が自ずから息を止めてしまいそうな威圧感は消えている。

 ヴェルム・オブスキュラの面々はほっと息を吐いていることから、それは分かった。

 

 「っ!? な、なんだ、こいつ!?」

 

 しかしそもそも、周囲には多数の異形がいる。

 ヘビと人間の合いの子のようなモノ、人間のように見えるモノ、首から上が粘液のようなモノ、服の内に詰め込まれた触手の塊のようなモノ。

 

 具体的に「何」と断定できない、500年生きたエルフをして判別のつかないモノが並ぶ中でも、曖昧にヒトガタを象る漆黒の霞は異質だ。

 

 何より、迸る気配が他の異形と違いすぎる。

 抑えてなお、この手の存在に初めて遭ったアベルの手足が震えるほどに。

 

 アベルは尻もちをついた格好のまま後退ろうとするが、俯せに取り押さえられた。

 

 「フィリップ様が質問されます。拝聴し、速やかかつ誠実に答えなさい」

 

 機械的な声に、恫喝や脅迫の気配はない。

 しかしアベルは、自分の腕を取り頭を押さえる手の力から、それらを鋭敏に感じ取っていた。

 

 反抗すれば腕が折れ、二度目には頭蓋骨が折れる。

 その確信、直接的な死の恐怖が、異質な存在への恐怖を上回り、アベルは雪の積もった地面に押さえつけられたままこくこくと頷いた。

 

 完全に暴漢を取り押さえる時の構図に、フィリップは「大袈裟だな」とは思いつつも、放すようには言わない。

 逃げられると面倒とか、そんな真面目な思考からではなく、単純にアベルの痛みに対して無関心だからだ。

 

 彼の怯えようは、そのままヴェルム・オブスキュラの隔離能力や有能さの証だ。

 誰の姿も見られていないか、覚えられていない。擬態による誘導、暗示、記憶処理──それらの完璧さが、この100年間、アベルを完璧に遠ざけていたことを示している。

 

 だが、そんなことはフィリップの頭の片隅にも浮かばなかったし、浮かんだとしても数秒で消えていただろう。

 能力を褒めたり感心したりするほど、自称文明の保護者たちに興味はない。

 

 「──と、そういうわけで。今のところ、僕の中で一番疑わしいのは、君たちエルフの時間感覚。次いで、ジェーンさんの証言自体」

 

 年長者、初対面の他人、情報提供者。

 そういう全てを忘れ、慇懃さを捨てた態度でフィリップは語った。

 

 諸々の情報を共有するにつれて、アベルの眉根も怪訝そうに寄っていく。

 

 「例えば300年以上前に記憶障害が起こり、200年彷徨って、100年前に貴方のお姉さんが見つけた……そういう可能性は?」

 『えぇっ? そりゃ、ゼロとまでは言わないが、限りなく低いぞ? 戦い方も逃げ方も、知識の大部分も凍結された状態じゃ長距離移動は無理だ。何が食えて何が食えないのか、食えるものをどうやって食うべきか。そういう知識無しで自活生存は難しいだろう』

 

 記憶障害状態で200年間のサバイバル。

 普通に考えれば有り得ない。

 

 しかしエルフの出鱈目な身体性能をやや過信すらしているフィリップも、実態を正しく知るアベルも、絶対にない、とは言わない。

 

 アベルはエルフの中では若い方で、しかも戦士──種族柄薬学に明るいが、特化していない。

 自分の知らない薬が、この世にはごまんとあることを知っている。

 

 極端な話、『これさえ飲んでおけば、100年間飲まず食わずでも生きていられる薬』みたいなものがあれば、不可能ではないのだ。

 

 「というかフィリップ様。サイサロスに接触したのなら、記憶機能だけがピンポイントで“死ぬ”なんて、生温くありませんか?」

 「そうだよね。それも不自然、というか、そこに関しては有り得ないと思う」

 

 フィリップに与えられた外神の智慧と、彼らの視点からは見つけられない些細な危険に対応するための知識を与えられたカノン。

 二つの視点からの意見が一致した以上、この点に関しては信頼していいだろう。

 

 ジェーンの記憶障害はサイサロスが原因ではない、と。

 

 すると、ヴェルム・オブスキュラの蛇人間も同じように頷いた。

 

 「いくら断片とはいえ、それでも神さえ殺す“死”だ。神と呼ぶしかない強大な存在に“生物的死”を、信仰由来の神には忘却を、つまり“精神的死”を与える。エルフが肉体的に頑強とはいえ、アレに触れて、記憶障害なんかで済むとは思えねえな」

 

 異形たちもうんうんと頷きを交わす。

 悪意も害意も感じられない、むしろ親身なその様子に、強張っていたアベルの身体や表情から力が抜けた。

 

 とはいえ一番の脅威であり恐怖であるヴォルヴァドスからは、目を背けることすら出来ていないが。

 

 「じゃあ死者については? ここ一年くらいでエルフを殺したとか、サイサロスに接触して死んだとか、ない?」

 「いや、知らないな。ここ最近は魔物が活発化してるし、その被害じゃないのか?」

 

 蛇人間の答えを聞いて、まだ取り押さえられたままのアベルは困り顔でフィリップを見上げた。

 「放してくれ」という意図ではなく、彼には蛇人間の言葉が──フィリップに向けた人語が分からなかった。トルネンブラによる意思通訳は、フィリップとアベルの間でしか機能していないらしい。

 

 フィリップはアベルに向けて蛇人間の言葉を繰り返し、うーん、と二人揃って唸る。

 

 そう言われると、そんな気もしてくる。

 エルフは種族的に身体性能が高い上、人間の一生以上の時間を鍛錬に費やせる。だから物凄く強いが、別に、無敵というわけではない。

 

 不意討ち一発、初見殺し一回で、ちゃんと死ぬ。

 吹雪の中で魔物に襲われ、気付いた時には致命傷を負っていた──みたいなことが、そこそこ現実的に起こり得るのだ。

 

 フィリップとアベルは顔を見合わせ、同じ結論に至って頷き合った。

 

 と、その時。

 

 「……待てよ? 100年前? エルフの女?」

 

 ヴェルム・オブスキュラの、人間のように見える個体がぽつりと呟いた。

 

 静かな雪原には、独白程度でも確かなノイズだ。

 フィリップだけでなく、異形たちもそちらを向く。

 

 「なにか思い出したの?」

 「いや、この300年、突破こそされてないが、襲撃自体は何度かあったんだ。死に魅入られた奴らの襲撃とか、サイサロスの活動でな。んで、確かに100年くらい前に襲撃されたとき、エルフが居たような気も……まあ一応、心当たりを呼んできてやるよ。当時対応したチームの生き残りが居たはずだ」

 

 言って、人間のように見えるその個体は、ざくざくと雪を踏みしめて遠ざかって行く。

 フィリップたちが来た方向とは逆側だが、そちらにも巡回チームが居るのだろう。

 

 「親切にどうも」

 「なんの。外なる神の寵児相手だからな。媚びておいて損はねえだろ?」

 

 媚びる──というには軽口めいた物言いに、フィリップは小さく笑った。

 

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