なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「記憶消去の魔術──」

 「アメレースの漣、と言います」

 「どうも。その『漣』の後遺症を治す方法が知りたいらしいんだけど、何かある?」

 

 単刀直入、直球に尋ねる。

 弱みを見せるのはどうなのか、なんて、フィリップもアンテノーラもカノンも、異形たちでさえ思わなかった。

 

 困っているのはアベルであって、フィリップではない。

 だから足元を見られて交換条件を付けられたりしても、代価を払うのはフィリップではない。

 

 それに、まあ足元というか、『魔王の寵児』の背後には外神が居るわけで。

 変に条件を付けて「じゃあいいや。全員死ね」と言われると、蛇人間どころかヴォルヴァドスにだって打つ手はないのだ。

 

 何より、フィリップは嘘を吐かれることも、対価を求められることも、全く想定していない。

 

 先刻言ったように──自分に敵対することを指して「馬鹿」と言ったように。

 そんな馬鹿馬鹿しいことをするはずがないと思っている。

 

 そして今回に関しては、その危険な思い込みは正しかった。

 

 交雑種の女は素直に頷く。

 

 「記憶情報の連絡回路が、術者の企図した通りに封鎖されているのならやりようはあります。起点となる情報に繋がる封鎖を、全て解けばいいだけですからね。何の記憶を封じているのかを知っていれば、術者でなくても解除できるかもしれません。勿論、卓越した技量あってのことですが」

 

 ……丁寧な回答ありがとう、なんて、思わず口走りかけた。

 

 全然ダメだ。

 

 連想回路がきちんと封印されていれば、それを解けばいい。──が、連想回路はぐちゃぐちゃになっている。

 

 卓越した技量があればなんとかなる。──が、誰もそんなものはない。

 他人事のような口ぶりからして、術者である彼女自身にも解除は出来ないのだろう。

 

 いや、「解除」という言い方は不適切か。

 鍵を開けるのではなく、出鱈目に継ぎ接ぎされたドアを一旦分解し、正しい形に組み直す作業だ。ここまでずっと言っていたとおり、やはり「治療」が正しい。

 

 深きものの交雑種は先を続ける。

 

 「ですが、全ての回路が混線しているとなると……魔術そのものを無かったことにできるような、或いはもっと別な、我々の理解を超越した力が必要になるでしょう」

 

 暗に、彼女は「神の力を使えばどうか」と言っている。

 フィリップがハスターを儀式も無しに召喚した挙句、触手の上に座っていたという話は流石に眉唾だが、ヴォルヴァドスの存在もあり「魔王の寵児」に関しては信じるしかない。

 

 だが、それなら話は簡単なのだ。

 邪神の力を使えば、何の問題も無く片が付く。

 

 どうしてそれをしないのだろう、と、女は半ば不思議でさえあった。

 質問なんか怖くて出来ないが。

 

 「医学や薬学では無理? エルフはそっち方面に強いし、手掛かり程度でもいいんだけど」

 「魔力に作用できる魔術的な薬剤なら可能かもしれませんが、エルフは純薬学ですからね。錬金術に長けた種族なら、研究を進めるうちにそういう技術を見つけ出せるかもしれません」

 「ふむ……」

 

 人類が誇る才媛、天才錬金術師フレデリカの出番か。

 一瞬だけそう考えて、フィリップは苦笑と共に案を捨てた。

 

 正直な話、ジェーンの記憶にそこまでの価値はない。

 フレデリカの手を煩わせるだけの価値は。

 

 ミスをした術者であり、原因とも言える目の前の女に、「お前がやったんだからお前が治せ」と食って掛かる価値すらも。

 勿論、邪神を使うほどの価値もだ。

 

 『“悪魔”なら──彼女を治せるか?』

 

 アベルは恐る恐るといった風情で、静かに佇む影のヒトガタをちらと見遣る。

 

 確かに「魔王=悪魔の首魁」というイメージはあるし、フィリップはアベルの「魔王の同類」という勘違いを否定してはいない。

 それに悪魔と言えば、魂を代価とした契約により、どんな願いでも叶えるという俗説がある。

 

 まあ実際のところ、悪魔の等級やら何やらで、全能には程遠い詐欺でしかないらしいけれど。

 

 ともかく、アベルが何を期待しているのかは分かる。

 

 だが──。

 

 「出来るでしょうけど、お勧めはしませんね」

 

 静かに、しかしはっきりとした否定。

 先刻までの「積極的に殺しも生かしもしない、潰れるならそれまで」という無関心ではない。もっと強く、拘りを持ったような口ぶりだ。

 

 それを、アベルは善意からと受け取った。

 

 『リスクや代価は承知の上だ。条件があるなら聞かせてくれ』

 

 神妙に、真剣に、アベルは決意を口にする。

 死後の魂を囚われようと、今ここで死ぬことになっても構わない。自らの全てを賭す覚悟が窺えた。

 

 「重すぎる代価を支払うことになるからやめておけ」と。

 アベルはフィリップの否定を、そういう意味で捉えた。

 

 ()()に気付き、フィリップは小さく苦笑する。

 

 「あぁ、いや、貴方やジェーンさんがどうこうじゃないんですけど……」

 

 ヴォルヴァドスの詳しい能力は知らないが、複数の旧支配者の封印を同時に管理できるのは間違いない。

 『同時に封印できる』ではなく『封印を管理できる』程度なのが少し悲しいが、とにかく多様な魔術に精通している。

 

 領域外魔術とはいえ、所詮は非神格の一個体による魔術攻撃の後遺症だ。

 治すのに代価も代償も必要ないだろう。

 

 まあそれでも、乞われたら与えるような優しい神様ではない。

 というか、役目に忠実なタイプの神だ。自身の存在意義──旧神の保護と旧支配者の封印──に関係しないなら、どれだけ丁重に敬ったところで恩恵を与えはしない。

 

 それに、だ。

 

 「代価を捧げて神に乞う……信仰でなく利用という形ではあるけれど、まあ、その、なに? カルトっぽいじゃないですか」

 「カル……? よく分からないけど、俺は彼女の傷を癒すためなら何だってする」

 

 強い言葉だ。

 だが口だけではないのだろう。

 

 「……ふぅん? まあ、君の信念や感情はさっき見た。カノン、放せ」

 「はい、フィリップ様」

 

 拘束を解かれ、アベルは腕を回したり手首を確かめたりしながら立ち上がる。

 

 それを待って、フィリップは徐に剣を抜いた。

 

 鞘から解き放たれた青白い輝きに、アベルは僅かに身動ぎする。

 

 一目で高い性能を感じさせる業物に対しての脅威判定で、歴戦の戦士であるアベルは恐れない。

 

 だって、それを持っているのは所詮、ヒトだ。

 赤子程度の膂力と速度。剣を振り回そうが、投げつけようが、エルフとは圧倒的なスペック差がある。指二本で刃を挟んで止める曲芸だって、容易に可能なほど。

 

 故に、歴戦の戦士をして恐れを抱かせたのは、武器ではなく、殺意。その質だった。

 

 明確な、間違えようのない殺意がある。

 しかし、それに至る感情が不可思議だった。敵意とも、悪意とも、害意とも違う。機械的なものでさえない。

 

 獣の自衛本能や狩猟本能、魔物の殺戮衝動とも違う。

 エルフの集落という閉ざされた環境で、そういった(マトモな)獲物にしか相対してこなかったアベルが知りようのないことだ。知りようもなければ、予想も出来ない。

 

 この世には、「なんかヤダ。僕は嫌い」というだけで誰かを殺せる、それも可能な限り苦しめて惨く殺せる、イカれた人間が存在するなどと。

 

 「何が駄目なのか、正直自分でもよく分かんないけど……うん、気色悪い。なんでだろうね? エルフに対して、そこまで厳しいつもりはなかったんだけど」

 

 フィリップは本当に不思議そうに語る。

 

 自分の思考が分からない、と。

 一神教徒にあらずは人にあらず、なんて言うつもりはない。そもそも一神教を道徳の根幹としていないエルフ相手なら、尚更、その信仰の在り方にケチを付けることはない。

 

 彼らがシュブ=ニグラスを知り、それを信仰するというのなら、好きにすればいい。

 まあ人類社会を汚染するなら殺すが、それは「人類社会を汚染するから」殺すのであって、信仰の宛先や形はどうだっていいのだ。

 

 そう、思ってはいるのだが。

 アベルがヴォルヴァドスと取引をしたり、その眷属となるようなことは許容できない()()だった。

 

 「僕は君の感情を認める。誰かを愛し、愛に魂を捧げ、愛のために命を懸けるその思いは、間違いなく尊いものだ」

 

 少なくとも自分には出来ないことだと、フィリップは知っている。

 

 自分の中にあるルキアやステラへの感情が「愛」だなんて言うつもりはないが、それでも、フィリップの中で一番強いもののはずだ。

 それでも、命も、人間性も、人間の身体さえ捨てられなかった。

 

 「だからかな? 君には正道で死んでほしい。見てはいけないものを見て、知ってはいけないことを知って、その果てに狂って死ぬならそれでいい。怪物に、邪神に、人知の及ばぬモノに、路傍の石のように蹴っ飛ばされて死ぬならそれでいい」

 

 それは、普通の人生に当てはめるのなら「異常」に類する死に方だ。

 少なくともフィリップの友人知人たちに迎えて欲しい終わりではない。

 

 友人でもない、旧知の間柄でもない、そもそも人間ではないアベルだから、妥協に妥協を重ねてここまでは許せる。

 これ以上は許せない。

 

 「こちらには来るな。そこで死ね。そこで死ぬなら、君の死体を踏みつけにしなくていい」

 「……、」

 

 アベルは口を開いたが、何も言わなかった。

 じりじりと、ほんの一ミリ以下ずつ、人間や獣の感覚が捉えられないほど小さな動きで姿勢を整える。

 

 爪先を合わせ、指の骨を揃え、仙骨を入れる。

 眼前の人間が斬りかかる動きを見せれば、一歩目が刻まれる前に心臓を止めるつもりで。

 

 フィリップはその動きを見切れなかったが、それ故に、アベルがまだ悩んでいると思っていた。

 

 その鈍感が救ったのは、フィリップの命か、アベルの命か。

 完全な否定の意思を持っていると──いま殺さなければ“踏み出して”しまうと気付く前に、背後、ヴェルム・オブスキュラから声が掛かった。

 

 「……寵児様、ちょっといいか?」

 「……なに?」

 

 なにその呼び方、と、なにか用、と。

 二つの意味を乗せると、声が思ったより刺々しくなった。

 

 声を掛けた蛇人間と、何故か他の個体もびくりと肩を震わせる。

 そんな畏縮じみた反応をされるとは思わなかったフィリップは、アベルに向けていた剣を下げ、一呼吸置いてから改めて「なに?」と聞き直した。

 

 「……俺たちは大規模な組織じゃない。星外の組織に支援を受けてはいるが、所詮、雑多な種族の逸れモノや異端者の集まりだ。だから常に人手が足りない」

 

 蛇人間はちろちろと舌を動かしながら、不安そうに言う。

 爬虫類の顔に浮かぶ表情は読み取れないが、震えそうになる声を制御しているようだ。

 

 「あんたが巡回当番の三人をブチ殺してくれたせいで、ただでさえ足りない人手がさらに減った。が、俺たちも外なる神々の寵愛を受ける謎の存在に突っかかりたくはねえ」

 

 フィリップは無言のまま、頷いて先を促す。

 謎の生き物呼ばわりは心外だったが、謎の存在と言われると、ちょっと否定の言葉が思いつかない。

 

 「あんたが殺した」という部分に関しては、特に思うところはない。

 その通りだし、悪いことだとも、してやったとも思っていない。

 

 敵対したから殺した。

 敵を殺した。

 

 なんてことはない当然のことだ。

 

 「この辺りに人間は滅多に来ないが、近くにエルフの集落があって、寄ってくることがある。そいつらを遠ざけておくのに、人手がいるんだ。俺たちは基本的には同じ理念を掲げて集まった組織だが、この際だ、補充のために利益で釣るのも已む無しだと思ってる」

 「……はぁ」

 

 蛇人間が言い終えてからややあって、フィリップは溜息を吐いた。

 呆れ笑いと、純粋な愉快さからくる笑みも零れ、今度は誰も萎縮しないし怯えない。

 

 「はははは……。君たち、僕に媚びてるっていうか、単にお人好しなんじゃないの?」

 「後進の文明を守ろうなんて思想の持ち主が、お人好しじゃなくて何なんですか?」

 

 フィリップだけでなく、カノンも笑っている。

 どこか小馬鹿にしたような言葉は、ミ=ゴの価値観から来るものか、ナイアーラトテップの調整由来か。

 

 だが、確かにその通りだ。

 高次の文明、高度な技術を有する種族だからといって、より劣った種の低次元な文明を保護しましょう、なんて理念を持つのはごく限られた一部だけだろう。

 

 ここには蛇人間がいて、イス族とやらがいて、ヴーアミ族が居て、他にもよく分からない異種族たちがいる。

 だが、この個体たちが特別──というか、異質なのだ。異常、異端の類だ。

 

 低次の種を守るのではなく、利用して自らの文明を進歩させようとするのが、一般的な研究者の姿だろう。

 

 人間が獣を狩り、食らい、飼い慣らして利用するように。

 雑草を引き抜き、虫を駆除し、森を拓くように。

 

 「そうだね。ここに居るのは、お人好しの集まりだ」

 

 フィリップはしばらく笑っていたが、一息つくと、従者たちの方に向き直った。

 

 「帰ろう。王都に」

 

 温かい部屋と、ふかふかのベッドと、美味しい料理のある場所に。

 カルトで遊ぶつもりで、わざわざ雪道を来たのに肩透かしを食らった鬱憤は、帰るまでの道中で晴れそうな気もするけれど。

 

 兵器と楽器は恭しく頭を下げ、了解を示す。

 しかし、アンテノーラには一つだけ疑問があった。

 

 「……よろしいのですか、貴方様? これは、そのままで」

 「サイサロスの断片? まあ、王都から遠いしね」

 

 ルキアやステラや衛士たちがこれに触れる可能性は、とても低い。

 ヴォルヴァドス麾下──ではないが、ヴォルヴァドスの協力を得た“本物”たちが隔離している以上、善良なる一般市民がフラフラと迷い込んで接触、ということもないだろう。

 

 カルトの目に留まったところで、大した問題はない。

 触れたところで死ぬだけだし、移動や保管の方法を思いついたところで、利用しようにも機能は“死”一極。信仰の対象にしようにも、流石に門扉が狭すぎる。

 

 「あ、そうそう」

 

 屹立する黒い水晶にも、全ての生命が忌避するような存在感にも、それを守る異形たちにも、旧神の守護者にも、もはや何の興味もない。

 

 それでもフィリップは、エルフの集落に向けていた歩みを止めた。

 数歩ほど戻り、「殺される?」と身構え、或いは震える異形たちには一瞥も呉れず、屈んで雪の中に手を入れる。

 

 再び立ち上がると、手には先刻放り投げた黄色いアヒルが握られていた。

 

 「結局拾うんですか?」

 「そりゃあね。捨てるなら、ちゃんとゴミ箱に捨てないと」

 

 目元に揶揄うような笑みを浮かべたカノンに対して、フィリップは大真面目に言っていた。

 

 屋内でゴミが落ちていたら取り敢えず拾ってポケットに仕舞い、折を見てゴミ箱に捨てる習性、もとい習慣は、実家の手伝いをしていた頃から染みついている。

 

 過去にはミナが冒険者を殺し、その心臓を投げ捨てた時に「ポイ捨て駄目だよ」と注意しかけたくらい。

 

 そんなフィリップが、まさかゴミをそこいらに捨てるはずがない。

 剣を抜くのに邪魔だから放って、忘れそうになっていただけだ。

 

 「っていうかコレ何?」

 「ラバーダックデバッグ……あ、待ってください。これも文明のネタバレです。詳しくお聞かせした方がいいですか?」

 

 ラバーダックデバッグ。

 コンピュータープログラム分野における、バグ取りの手法の一つだ。

 

 プログラマーが自身の作ったコードと問題点を、ゴム製のアヒルに順序立てて説明していく。

 目的と現状と問題点を一つずつ、順番に、論理的に言語化する。

 

 その過程で客観的な視点や、素人に向けた初歩的な解釈などを要求されることで思考が整理され、解決策を思いつく──と、そういう手法だ。

 

 ミ=ゴは人間の脳を利用した有機パーツを組み込んだ思考プロセッサを作り、自律兵器に組み込むほど高度に発展した科学技術を持つ種族だ。

 当然、カノンにも基礎的な知識としてコンピュータの概念はある。

 

 が、それはミ=ゴの話。

 人類の文明がコンピュータを作り出すには、まだ500年くらいかかりそうだ。勿論、今のフィリップに説明したって「なにそれ?」という反応しか得られないだろう。

 

 現に今も、「え、なに、どういうこと?」と困惑顔だ。

 

 「……ナイアーラトテップの思惑なんか全く分かりませんが、「耳すら無い、玉声を賜る価値もないモノに延々と話しかけるくらいなら、コレに話しかけた方が幾分有意義ですよ」ってところじゃないですか? 知りませんけど」

 「あ、言いそう。でも有意義……か……?」

 

 困惑顔のまま、フィリップは手中の玩具を見つめる。

 何とも言えない表情のアヒルが、指の動きに従って「ぷぴ」と鳴いた。

 

 「……まあいいや。帰ろう」

 

 アヒルをポケットに突っ込み、再びエルフの集落の方へ足を向ける。

 

 しかし、今度は背後から呼び止められた。

 どこか不自然な人語──ではない。全く別の言語なのに意図の伝わる、トルネンブラを介した言葉。アベルのものだ。

 

 『ま、待ってくれ。結局、何がどうなってるんだ?』

 「……僕らはカルトを殺しに来た。でも、ここに居たのはカルトではなく、お人好しの集団だった。まあ人外の化け物で、異形だけれど……それは別に、ブチ殺さなくちゃいけない理由じゃない。だから帰る」

 

 お世話になりました、と定型文と共に頭を下げる。

 周囲からどよめきが上がるが、フィリップは最早、ヴェルム・オブスキュラにもヴォルヴァドスにも興味を持っていない。

 

 「なんだ?」とは思ったが、口に出して尋ねることは無かった。

 

 「あとは劣等種同士で、という奴ですね!」

 「……積極的にくっつけるつもりはないけど、まあ、ご自由にどうぞ」

 

 言って、フィリップは今度こそその場を去る。

 アベルは背後から呼び止めたが、遠ざかる背中は止まらない。追いかけようとしたが、一歩踏み出した瞬間、背後から肩を掴まれた。

 

 「それで、あんたはどうするんだ? っていうか……あんたはただのエルフだよな? えーと、『エルフ語でいいか?』」

 『っ! エルフの言葉を話すのか……!?』

 

 爬虫類の口から出ていた不可解な音の意味が、不意に理解できるようになった。

 それだけでも驚きだが、一瞬の後、流暢なエルフ語を話しているのだと気付いた後の驚きは更に倍近い。

 

 異種族。怪物。異形。

 およそ言葉を解するとは思えない、というか、喉も口も舌も、形も動きも違うはずなのに。

 

 フィリップと話しているときは、異種族同士だから驚きはなかった。

 だが自分の母語を話すとなれば別だ。

 

 『おいおい、俺が何年生きてると──いや、まあ、その話は今はいい。取引の話だ。あんたは他のエルフがこの辺りに近付かないよう誘導する。やり方は任せるが、あんたの長い寿命の全てを、それに捧げる。その対価として、あんたの番の記憶障害を治す。ディール?』

 

 フィリップと話していた時より、幾らか気楽そうに──まあ実際、“魔王の寵児”と話すよりは、どこの誰とも知れないエルフと話す方が何億倍も気楽なのだが──蛇人間は手を差し出す。

 

 鱗に覆われた、それでもエルフと変わらない五指のある手。

 ご丁寧に防寒用の手袋を外し、握手を求めている。

 

 分からない。

 詳しい状況も、怪物たちの詳細も、正体も、魔王の同種という異質な存在のことも。何も分からない。

 

 だが──構わない。

 悪魔との取引だろうと、魂を売り渡すことになろうと構わないと、既に心は決まっている。

 

 『……その条件を呑むよ』

 

 アベルは差し出された手をしっかりと握る。

 変温動物の肌は、外気と同じくひんやりとしていた。

 

 

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