なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「うっわ、
いっそ愉快そうな声を上げるカノンを余所に、フィリップは素早く動いた。
カルトに対するような激情は無く、しかしカルトに相対したときの手の早さだ。
血塗れのウェディングドレス姿の女は、何の目的も無くただそこに立っているだけのようで、手にした短剣を構えもしない。
その白い首筋に、龍貶しの刃が通った。
付与魔術の青白い燐光が尾を引き、斬線がはっきりと分かる。
お手本のように綺麗な横一文字。
剣にブレが無く、どこを取っても刃が立っている。
鋼の盾と鉄の鎧と腕と首を纏めて切り裂く一閃は、しかし、小気味よい澄んだ風音しか立てなかった。
噴き出す血潮の水音も、自分の血で地上で溺れる苦悶も、怨嗟に満ちた断末魔も、何もない。
「手応えゼロだ……。付与魔術で魔力を帯びてるからゴーストでも斬れるって話なのに」
人造の魔剣を見つめ、フィリップは重苦しい溜息を吐いた。
「つまり?」
「魔物とかじゃない正真正銘のお化け。たぶん魔力で編んだ幻影とかでもない。魔力付与された古龍武器が効かないならもう何も効かないと思われる」
早口で捲し立てるフィリップ。
既に戦意を喪失しているのか、剣を両手で持って僅かに震える有様だ。
それでただ怯えて使い物にならないだけなら嘲笑の的だが、フィリップの場合は「自分では勝てない=勝てるやつを呼ぶ」という、戦術としては非常に正しい思考が出来るのが、カノンとしては困ったところ。
なんせ「勝てるやつ」は十中八九邪神であり、今この場で呼べる相手は確実に邪神なのである。
いや、“魔王の寵児”が他の邪神を使役することに関して、特に思うところはない。
道具としても、使用者がどんな道具をどのように使うかに対して口を出すことはない。
だが、主人の真意を汲んで動くのが良き従者というものだろう。
「まあ落ち着いてくださいって。さっきの自称商人の話によれば、元は人間なわけじゃないですか。
やれやれ仕方ないですね、と幼子に向けるような笑みを浮かべて、カノンは自信たっぷりに言った。
「そういえばそうだ! そもそも生も死もただの状態変化に過ぎないし、なにも怖くないよね! 何なら僕も死にたいぐらいだしね! 流石カノン!」──と、褒められるところまで想像して。
残念ながら、返ってきたのは底冷えのするような視線だったが。
「人間に死者蘇生は出来ないって結論がもう出てるんだよ間抜け。こいつは立ち上がった死人でもなければ蘇った死人でもない。『よくわからないヒトガタの何か』なんだよ……!」
厳密には「人間には」ではなく「恐らく現行人類で一番知識と技術のある人間でも」だが、実質的には同じことだ。
そして眼前のヒトガタからは神威も感じなければ、これまでに遭遇してきた非神格の神話生物や魔物のような印象も受けない。
第一印象は見たままの通り、「血塗れのウェディングドレスを着た女」だ。
人間モドキでも、人間に擬態した何かでもない。
だからこそ分からない。
イザベラの怪談を信じて、ここで悲惨な殺人事件が起こったのだと仮定しても、花嫁が蘇ることも彷徨い歩くことも有り得ないのだ。
「あー……。え、じゃあ何なんですかコイツ」
「それが分かんないから怖いんだよブチ殺すぞ劣等種」
早口に捲し立てるフィリップに、カノンは「ひぇっ」と小さく悲鳴を上げる。
不思議なことに、或いは間の抜けたことに、“お化け”はその間、ぴくりとも動かなかった。
一歩も踏み出さなず、手にした短剣を握り直すことも、呼吸に肩や胸を上下させることもない。全く、微動だにしなかった。
「あー……なんか怒ったら怖いの薄らいできた……」
フィリップは肩を大きく上下させ、全身の強張りを解すように手足を振る。
そして暫定お化けは取り敢えずハスターでも呼んで殺すか、と雑な結論を出した時だった。
ふと、お化けが消えた。
跡形もなく。
フィリップもカノンも気の抜けた会話をしながら、決して目を離さなかったのに、何の予兆も無く姿が消えた。
怪談話のセオリーを思い出したフィリップが背後を振り返っても、天井を見ても、ベッドの下を覗いても、どこにも居ない。
「……お化けより現実的な可能性を考えてみると、幽体離脱とか死後に霊を遺すとか、そういう魔術があるのかも。でも死霊術は王国じゃ禁忌扱いで、学院の基礎カリキュラムじゃ概要くらいしか教わんないんだよね」
「無いかもしれませんけどね」
無かったらいよいよ本当にお化け以外の可能性が潰える。
だが、まあ、今日のところは措いておこう。緊張が抜けたせいか、どっと眠気が押し寄せてきた。
フィリップは思考を切り上げ、緩慢な動きでジャケットを脱いだ。
「……取り敢えず今日は寝て、明日の朝イチでここを出よう」
「了解です」
カノンは扉の前に立ったまま、寝支度をするフィリップをただ見ている。
まだ寝ないのかとだけ思った主人は、それきり従者の動向に興味を持たなかった。
もぞもぞとベッドに入って毛布を被り、呼び出したシルヴァを抱きしめる。
若草色の幼女は「またか」と言いたげな呆れ笑いを浮かべたが、ぎゅう、とフィリップに抱き着き返した。
「あ、さっき言ってたのはホントにやるんですね」
「だって怖いもん」
揶揄と苦笑を半々に混ぜたカノンの声に、目を瞑ったまま応じる。
耳元、いや全身を包み込むように、ゆっくりとした曲調の歌が漂っていた。
知らない曲。知らない歌。知らない声。
知っている。知っている。知っている。
いつかどこかで聞いたことのある、音の形をした安寧に全身を浸らせて、フィリップの意識はゆっくりと溶けていった。
「おやすみなさいフィリップ様。……明日は吹雪、止むといいですね」
妙に嫌な予感をさせる言葉を、最後に聞いて。
◇
そして、翌朝。
目が覚めた時点からかたかたと不穏な音を立てていた雨戸を、それでも一応、僅かな希望を持って開けてみた。
残念。外は真っ白に吹雪いている。
吹き込んできた雪が顔に当たり、顔の熱を吸ってじわりと解けた。
「ねえ、これお前のせいなんじゃないの?」
「いやいやいや!? 私に天候操作能力とか無いですからね!?」
雨戸を閉じて振り返り、フィリップは胡乱な目をして言う。
実際カノンには天気を操るような力はないし、完全なる言いがかりでしかないのだが、フラグだった気がするのも事実。「出来ません」とは言えても、「違います」とは言いづらかった。
「はぁ……っていうか、なんか臭くない?」
「あー、どっちか死んでますねこれ。人間の血っぽいですし、自称商人の方かと。……なんですか? そんなにじっと見つめて」
「いや……」
指摘されて、フィリップはカノンの顔から視線を外した。
そういえば昨夜もそうだったが、こいつはフィルター付きの防毒マスク越しに臭いを感じ取れるのか、という驚きは心の裡に仕舞っておく。
そんなこと、今はどうでもいい。
「男女で泊まっちゃダメって言っておきながら、自分は……なんてことはないだろうし、噂は噂でしかないってことなのかな?」
「情報が一つ消えましたねえ」
「ほぼ唯一の手掛かりだったのにね……」
フィリップは溜息を吐くと、まだ起きて来ないもう一人の同行者へ歩み寄った。
「……アンテノーラ、起きて、朝だよ」
ベッドの上の布塊は、声を掛けても微動だにしない。
カノンが付けたランタンの明かりから逃げるように、顔まで毛布を被ったままだ。
「……アンテノーラ?」
ぺちぺちと叩いてみても、揺さぶってみても、一言も返ってこない。
実は昨日の時点でお化けに呪われて死んでいた──なんてことはあるまいが、それにしたって寝起きが悪すぎる。思えば、昨夜も結局、お化けが消えるまでずっと起きて来なかった。
「……ねえ、揺すっても起きないんだけど。流石にちょっと無防備過ぎない? 昨日のお化けが攻撃的だったら死んでたでしょ」
「死ぬんですか、そいつ? というか、シャチは半球睡眠──要は脳を半分ずつ眠らせる生態ですから、常に意識はありますし、この会話も聞こえてるはずですよ」
「……え? じゃあ何で起きないの?」
毛布を引き剥がそうと思いついたフィリップだったが、少し試してすぐに諦めた。
アンテノーラごと持ち上がるか、毛布が裂けるかのどちらかになる手応えだったからだ。体重はともかく膂力では流石に太刀打ちできない。
しかし本気度は伝わったのか、アンテノーラは僅かに毛布を下ろし、恨めしげな目だけを露にした。
「…………」
「あ、ホントだ起きてる……目は覚めてるね。ミナといい、寝起きの悪さは化け物あるあるなの?」
紺碧の瞳は眠気に揺れることなくフィリップを映し、睡魔の気配は感じないけれど。
しかしフィリップの中では、「ベッドから立ち上がった」時点で「起きた」という扱いだ。
「昼夜逆転した吸血鬼と同じ扱いは心外ですわ。それに、彼女ほど酷くはないでしょう」
「確かに、いつもはもうちょっと綺麗に起きてるというか、少なくとも僕より早起きなのに。今日はどうしたの?」
ミナの寝起きの悪さは、確かに相当なものだった。
フィリップだけでなくエレナまでも、彼女を起こす役はなるべくやりたくないくらい。
少なくとも朝に起きて夜に眠る生態のアンテノーラは、起き抜けでも正常に会話が出来ている。
「……ふて寝、というものですわ」
「ふて寝? なんで?」
というかそんなことするんだ、と、フィリップは少し面白がりながら尋ねる。
普段の立ち振る舞いからは想像しにくいし、彼女は自分の要求をはっきりと口にするタイプだ。
音楽関係は特に、というか、
不貞腐れて起きて来ないとか、呼びかけても応じないなんて拗ね方を見るのは初めてだった。
「昨夜、トルネンブラをお使いになったからでは? あれも生きた楽器であり総指揮者でもありますけど、魔王のためのもの。対してコレはフィリップ様のためだけの“生きた楽器”ですから、「自分を使って欲しかった」って感じでしょう」
適当な口ぶり──というか、「そりゃそうでしょう」と言いたげな当然のことを語る口ぶりで言うカノンに、フィリップは苦笑と共に胡乱な目を向ける。
しかし道具同士通じる感性なのか正解らしく、アンテノーラは毛布で口元を隠したまま、こっくりと頷いた。
「えっ、ごめんね……? ……でも寝てたよね?」
思わず確認じみた口ぶりになったが、あれは流石に疑いようがない。
寝てたよね、というか、寝ていた。
それも、同じ室内で剣を振り回しても起きないレベルで。
「最低限の外界把握はしていますし、目蓋はあっても耳蓋はありませんから聞こえます。お命じ下されば、夜中でもお眠りになるまで……いえ、夜明けまでだって歌いましたのに」
「それはそれで気が引けるけど……まあ、いいや。今度眠れない時があったらお願いするよ」
半球睡眠だか何だか知らないが、声にも動きにも反応しなかったくせに「起きてたんだから私を使って欲しかった」と言われても、「じゃあ呼んだときに返事くらいしろよ」と言い返したくなる。
まあネチネチと文句を並べたり、直接的な暴力に訴えるのではなく、ちょっと寝起きを悪くするくらいの拗ね方なら可愛いものだ。
いつも優雅で上品で、そして在り方に忠実で勤勉な道具の、可愛らしい自己主張を受け入れるのも所有者の務めだろう。
とはいえ、目的達成に何を使うかを決めるのは所有者であって道具じゃあないのだが、その辺りはどう思っているのだろうか。
そんなことを考えたフィリップに、またもカノンが溜息を吐いた。
しかも今度は「やれやれ」と言わんばかりの身振り付きで。
「だから昨夜の時点では何も言ってないですし、今だって「何が何でも自分を使え」とは言ってないじゃないですか。もう、道具心の分からないご主人様ですねえ」
内心の思考に答えが返ってきた。
まさか読心術かと愕然とするフィリップに、カノンはふるふると頭を振る。
「いえ、顔にデカデカと明記されてましたよ」
「あぁ……うん……。うん……? ホントに?」
「はい」
またしてもだ。
だがカノンが嘘を吐くとも思えない。
フィリップの表情筋の素直さは、魔術学院時代から変わらないらしかった。