なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 さっき朝食を終えて出たばかりの食堂へ戻り、一行は四人掛けのテーブルを囲んでいた。

 卓上にはティーセット。カップは三つだ。

 

 血も肉も内臓も骨も区別なく40キロばかり平らげた馬鹿曰く、「胃液が薄まりそうなので要らないです」とのこと。

 まあ土を食って水を飲めば活動できる存在が胃だの腸だのを気にするとは思えないので、主人と同じものを口にしない給仕の振る舞いなのだろう。

 

 「えーと、まずは……怪談を振り返ってみる?」

 「それもいいけど、まずは明確な事実だけを列挙して整理すべきね」

 

 上品な所作でカップを揺らして香りを確かめながら、カイナは慣れた口ぶりで言った。

 

 琥珀色の液面から立ち昇る香りは、王都で仕入れた最高級茶葉のもの。

 ナイアーラトテップが用意した給仕が扱いを間違うわけもなく、当然、何かが混ざっていることもないのだが、カップは唇に触れることなく卓上へ戻った。

 

 「なるほど確かに。ええと……まず、血塗れのウェディングドレスを着た女性の姿をした人型の何かが現れた」

 

 お化け、とは言わない。

 その単語を使うと、無意識に「蘇生死者」というイメージが付いてしまう。思考の邪魔だ。

 

 「そいつは足音を立てて廊下を通り……いや、これは確定事実じゃないな」

 

 情報を細分化し、可能な限り正確に挙げる。

 足音やノックの主があの暫定お化けだというのは、あくまで状況からの推論に過ぎない。

 

 「そいつは扉を通り抜け、僕らの目の前でいきなり消えた。魔力付与された古龍武器が効かなかった。これは、この目で見た最も確度の高い情報だ」

 

 ここまでは事実と見ていい。

 もっと思考の深度を上げるなら「フィリップの目にはそう見えた」程度まで考えて信頼性を評価すべきだが、一先ずは確定した事実とする。

 

 首を斬って死ななかった──刃が通り抜けたことから、物理的実体を持たないか干渉を無効化する能力があることも確定としていい。

 

 存在格差による干渉無効化の手応えではなかった。

 神威も感じなかったし、それほど高次の存在ではない。

 

 昨夜の遭遇から確定できるのは、今はこのくらいだ。

 

 「足音がした、ノック音がした、隣室の……えーとイザベラさんが死んだ。これも事実だけど、それが仮称お化けによるものっていうのは、あくまで推論。でも痕跡の無さと殺し方から、人間業ではなさそう……確度は高い」

 

 それぞれの要素自体はフィリップ自身が観測したもので、確定事実と見ていい。

 だが、それがあのヒトガタによるものとは断定できない。あれがもう一匹居たとか、あれを陽動に他の何かが暗躍していた可能性を排除できないからだ。

 

 「今のところ、一定以上の信憑性があるのはそのくらいですわね」

 

 紅茶を飲みながら情報整理を聞いていたアンテノーラは、半分ほど減ったカップを卓上に戻して言った。

 

 事実と断定できる情報が思ったより少ないが、彼女の言う通りだ。

 

 「怪談は……本人は信じてたし、信用を第一にする商人の語ったことだけど、所詮は人間の語ることだしなあ……。ましてや噂なら信憑性は低い、か」

 

 人間は事実だけを語る生き物ではない。

 想像を語ることも多いし、事実を語っているつもりで自分の解釈を語っているなんてこともある。

 

 だが流石に、彼女の創作を聞かされたという可能性は排除していいだろう。

 人間は時に自分の空想が事実だと強固に思い込み、傍目には確証があるかのような振る舞いをすることもあるが、流石に。

 

 「そもそも内容も変じゃなかったですか? いや、亡霊云々は抜きにして」

 「そう? 怪談としてはよくある類だったけど」

 

 少なくともフィリップがこれまで読んできた怪談から、特に浮いている話ではなかった。

 復讐に駆られた亡霊、恨みを持った死人の残滓……とてもポピュラーなテーマだ。

 

 まあ個人的には、刃物で刺殺なんて普通過ぎる殺し方は、元人間とはいえ化け物に片足を突っ込んだ身でくだらないことを、と思わなくもないけれど。

 せめて指一本触れずに呪い殺すくらいのことはしてほしい。

 

 「婚約者に裏切られた花嫁が亡霊になった。復讐のために彷徨い歩いている。ここまではいいですよ」

 「うん」

 

 死者蘇生は有り得ないという前提に基づけば何も良くはないが、フィリップは突っ込むことなく頷いた。

 

 「通常ではない事象を起こす、通常ではないモノ」の介在を考えると、今や死者蘇生は即刻棄却できる荒唐無稽ではない。

 神話生物や神格が絡んでいると考えれば、人間的常識を前提にすることこそ愚かな思索だ。

 

 だから一旦、話を最後まで聞くことにする。

 

 「だから男女で泊まったら殺される。ここです。話が飛んでませんか?」

 

 フィリップの空いたカップにお代わりを注ぎながら、カノンは思い付きの疑問をそのまま口に出したような調子で言う。

 

 愉快そうでもあり嘲るようでもある口ぶりは、「こんなことにも気付かないのか」と言われているような不快さがあるが。ここはぐっと我慢だ。

 

 「裏切りっていうのが具体的には判然としてませんけど、仮に浮気として……その挙句殺された。だから婚約者を殺そう。この思考は分かります。でも「男女で泊まっている他人も殺す」ってのは何ですか? 八つ当たり過ぎません?」

 「あー……怪談あるあるだから流してたけど、言われてみれば確かに」

 

 食事時のと合わせて三杯目であることを考えて、ストレートのままの紅茶を啜る。

 真面目な思考で使う分の糖は、さっき朝食で十分に摂った。

 

 「噂はあまり信用しない方がいいわね。信憑性のある部分を強いて挙げるなら、ここが貴族の別荘だった、という部分くらいかしら」

 

 カイナはフィリップの所作の端々に滲む品の良さ──ルキアやステラやミナから移ったもの──を意外そうに眇めたが、そこには言及せず、代わりに逸れそうになった話題を戻した。

 

 「そうですね、他の駅宿より豪華ですし。あと貴族が婚約者を殺したってところも、事実に反する流言飛語なら威信にかけて叩き潰すでしょうし、事実っぽくはありますね」

 

 駅宿で一部屋三人は、かなりいいグレードだ。

 一般的な駅宿の安い部屋だと五、六人が雑魚寝とか、部屋に空きが無ければ馬小屋の片隅で寝ることになる。

 

 食堂なんか無くて、部屋で各自の携帯糧食を火も使わずモソモソと食べるなんてのもザラだ。

 

 二階建てで、広い部屋に大きなベッドが二つ入っていて、食堂に厨房まである。

 王都付近の主要街道なら頷ける規模だが、こんな利用者も数少ない北方の辺境に置くには不似合いな規模だ。

 

 だから貴族の別荘を流用したという話は、そこそこ信憑性がある。

 

 貴族の婚約者云々は、それよりもっと不確実だ。

 醜聞なら嘘でも本当でも叩き潰しそうなものだし、あの商人が情報統制を掻い潜るほどの耳目を持っていたのかもしれない。

 

 不確実な肯定要素と不確実な否定要素しかない現状、妥当性の検証が極めて難しい。

 

 「そこにお化けが現れた。そいつは無念の死を遂げた婚約者の亡霊だ。これも噂で確定情報じゃない。……というか、「男女で泊まったら殺される」って部分がもう既に間違いだったしね」

 「一人で泊まった方が殺されたわけですからね。どちらかと言えば、男女混合の判定が出そうなのは私たちの方だったのに」

 

 カノンの言葉に、確かに、と全員が頷く。

 

 誰がどう見ても人間ではない“兵器”はともかく、逆に非凡な感知能力無しには人間の女性にしか見えないアンテノーラが居たわけだし、「どちらかと言えば」もなにもない。

 というか、人魚を生物にカウントするのなら、アンテノーラは“女性”だ。

 

 あれが怪談通りに動く存在なら──怪談があのヒトガタの動きを正確に語っているのなら、昨夜襲われるべきはフィリップたちの方だった。

 

 「あの仮称お化けに関しては、怪談ありきで考えない方が良さそうですわね。要素だけを抜き出して考えましょう」

 「……人間ではないよね、確実に」

 

 人間ではない──人間は扉も剣も通り抜けない。

 知識にある魔物ではない──これまで遭った中にも、習った中にも合致するものはない。

 神格ではない──少なくとも智慧には無いし、神威も感じなかった。

 

 正体不明だ。

 

 だが、もう恐ろしくはない。

 もう思い出した。

 

 正体不明も理解不能も想像の埒外も、どれもこれもありふれたものだった、と。

 

 「魔術による生成物という可能性は?」

 

 魔術には明るくないのか、カイナが仮説を挙げる。

 フィリップとアンテノーラは顔を見合わせ、無言の内にお互いの意見を確かめてから口を開いた。

 

 「無くはないですけど……自分の姿や動きをそのまま投影するとかならともかく、人間の手の形や動き、布の流れ方や揺らぎなんかを三次元的に成形して動かし続けるって、たぶん相当に高度な魔術ですよ」

 「そうですわね。要求される処理能力だけを考えるなら、人間を跡形もなく焼き尽くす方が単純で簡単でしょうし」

 

 実現可能性だけを評価するのなら、正規の魔術師ならやってやれないことではない。

 リアルタイムで操作するなら術者は見える距離に居るはずとか、魔力の反応を感じなかったとか細かい突っ込みどころはあるが、とにかく確定情報を要件として、その全てを満たす実体を作ることは出来る。

 

 だが理由が分からない。

 

 人間を殺すのに、神罰だの聖剣だのは必要ない。

 ペンの一本、拾った石、ちっぽけな段差、素手でだって人間は殺せる。

 

 わざわざヒトガタを作って遠隔操作し、死体の肉がばらけたり混ざったりするくらい刺したりしなくたって、簡単な殺し方がごまんとあるだろうに。

 

 「あと考えるべきは、まだ見えていない、想定外の存在の介入ですね。星外種がこの辺に漂着してる可能性とか神格の影響を検討し始めると、流石に無限択過ぎますけど」

 「そうなると想像、空想の類になるんだよね……」

 

 言葉を繕っても「想定」か「仮定」だ。

 「あれは恨みによってこの世に留まった死者だ」と同等の価値しかない思索になる。

 

 「……何かのトリック、ということはありませんの? あの見習い商人に恨みを持った何者かが、秘密裏に排除するために策を弄した……なんて、芝居的すぎるでしょうか」

 

 苦笑しながらのアンテノーラの言葉には、彼女自身が自覚している通り、突っ込みどころが多々ある。先の言葉通り、魔術のコストが見合わなすぎるのもそうだ。

 

 いや、フィリップたちから「お化けが出た、お化けに殺された」という証言が得られそうなこの現状は、一見して、いいトリックを弄したように思える。

 

 こんな辺境の犯罪捜査はかなり原始的だ。

 

 駅宿で殺人事件が起こったからと近くの街に行って衛兵に通報したところで、状況の検分と聞き込みがちょろっとあって、「誰某の武器が使われた」とか「誰某と揉めていた」みたいな怪しい話が出なければ、それでお仕舞い。事件は迷宮入りだ。

 

 魔術や錬金術を駆使した高度捜査から、元異端審問官の衛士による高強度尋問まで、犯罪捜査の手法を数多く取り揃えた王都とは違う。

 

 治安維持を担う町の衛兵や領主軍の面子や評価に関わることではあるし、やる気もあるが、人間一人が死んだ程度で治安が乱れたとは言えない時代だ。

 個人間の切った張ったに興味はなく、痴情のもつれだろうが金銭トラブルだろうが自己責任。

 

 罪を犯した以上は捕らえ、裁き、罰を下すのが役割ではあるものの、本音としては知ったことではない領主軍や衛兵たち。

 

 彼らの存在意義は別にある。

 

 彼らが──彼らに命令を下す領主が最も重要視するのは「組織的な賊、もしくはカルトの関与」。

 それらを野放しにしていたとあっては、王国は彼らを治安維持能力無しと──領主の器に非ずと見做し、罰を下す。最悪の場合は断頭台送りか、ある日ぽっくりと病没するか。

 

 つまり。

 

 殺すなら、普通に殺しておけば良かったのだ。

 誤魔化すのなら、財布や荷物を盗れば良かったのだ。

 

 こうも不自然な殺し方をしては、疑念が湧く。カルトの関与を疑わなくてはならなくなる。

 近郊の衛兵や領主軍が、重い腰を上げてしまう。

 

 ともすれば、高い捜査能力を持つ冒険者への依頼や、王宮への支援要請まで行われるかもしれない。逃げ切れる可能性が大幅に減る。

 

 「トリックなら、怪しいのは一人よね」

 「……姿を晦ませた管理人ですね」

 

 カイナの言葉に、フィリップは頷きを返す。

 

 受付と、カイナが来た時の対応くらいでしか接点は無いが、初老の婦人だったことは覚えている。

 

 彼女は結局、昨日姿を晦ませたきりだ。

 どこかに出掛けて吹雪の中で遭難したのか、はたまた、どこかで滅多刺しのミンチになっているのか。

 

 だが、それも妙な話だ。

 あれが魔術の産物なら、無駄にと頭に付くが、それでも高度な魔術だ。そんな魔術が使える魔術師を、国が遊ばせておくだろうか。

 

 40歳くらいなら戦闘に於いてバリバリ現役とまでは言わずとも、研究や教導では主力にあたるはず。

 こんな、街道が雪で埋まるような辺境の地で、駅宿の管理人なんてさせるとは思えない。

 

 「そもそも「男女で泊まったら殺される」って話が本当だとしたら、管理人が僕らを泊めた時点でおかしいよね」

 「いやいやフィリップ様。そんなトラップハウスが街道沿いで運用されてる時点でおかしいです」

 

 それもそうだ、とカノンの言葉にも頷きを返す。

 現時点で判明している事実、事実と仮定できる状況にある情報は、このくらいだ。

 

 ……何かを判断するには全く足りない。

 

 「……建物を調べよう。魔術、神話生物、神格、なんでもいい。あのヒトガタに繋がりそうなものを探すんだ」

 

 フィリップはカップに残っていた紅茶を呷り、不満そうな顔は無視して席を立った。

 

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