なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
元は貴族の別荘という逸話に信憑性を与える程度には広い駅宿を、一人で隅々まで調べ尽くすのは不可能。
そう判断したフィリップは、「面倒臭いです」という道具らしからぬ主張も、「用途外ですわ」という道具らしい主張も無視して、「カノンは厨房と倉庫、アンテノーラは二階の客室ね」と言い付けた。どうせ本気の文句ではない。
フィリップ自身の担当場所である一階で調べるべきところは、管理人室と客室二つ、後付けされたと見える受付台くらいだ。
客室が四つある二階、物が沢山あるだろう倉庫と比べると少し楽な気もするので、そこに関しては少しだけ申し訳なくも思う。
「ふむ……」
鍵のかかった管理人室をブチ破るのは後回しに、取り敢えず受付台を漁ってみる。
釣り銭用の金庫くらいあるかと思ったが、宿泊客名簿しか見当たらない。
中身も薄い。今日フィリップたちが馬を預けたことと、改めて泊まりに来た旨はきちんと記録されているし、『先払い済み』のハンコもある。
それから商人ギルド徒弟のイザベラ。先払い。ギルド会員証による割引適用だそうだ。
他には一週間ほど前に四人組の冒険者パーティーが一つ。支払い完了のハンコは後払いのものか。
それより少し前に十人規模の商団。これも割引適用。先払い済み。
至って普通の管理名簿のようだ。
「ねえ、ミナはどのくらい背が伸びたの? 私も彼も長身だし、きちんと食べていたら私と同じくらいにはなっているかしら。昔はこんなに小さくて可愛かったのだけれど、やっぱり大きくなってくれた方が嬉しいわよね」
お化けへの恐怖は無くなったものの、「じゃあアレは何なんだ」という気色悪さから、フィリップはかなり真面目に探索している。
その後ろから全く関係のない質問をしたのは、特にどこを調べろとも、手伝ってくれとも言われなかったカイナだ。
どうでもいい他人だが、ご主人様のお母さんという近いのか遠いのかよく分からない関係性。
そんな相手に「黙るか手伝え」とは言えなかったフィリップだが、顔には「邪魔だなあ」と明記されている。
それでも、
「めちゃくちゃ……今のアンテノーラより大きいですよ。180センチくらいかな? しかも物凄く美人、スタイル抜群、常識外れの運動能力に卓越した魔術能力、剣技は物理法則すら捻じ曲げる領域。最高にカッコいい化け物です。しかもなんと、二刀流の魔剣使いです!」
なんて、ぺらぺらと口が動いてしまう辺り、ペット根性が据わっているというか、単にミナが好きなのか。
「そ、そう……。ええと、まあ、健康に育っているのよね」
「アンデッド……不死の怪物に健康も何も無いと思いますけどね」
軽口のような答えに、まただ、とカイナは眉を顰めた。
ミナのことを、ペットを自称する子供はずっと「化け物」だの「怪物」だのと呼んでいる。だが、そこに悪意や隔意がないことは声色で分かった。
人間と吸血鬼の格差を思えば正しい表現なのかもしれないし、人語がネイティブではない──と言ってもフィリップの年齢以上は使っているのだが──カイナとは、思っている意味やニュアンスが違うのかもしれない。
だから、彼女の中ではあまりいい意味ではない言葉が使われることに引っ掛かりはするが、それを止めろとかおかしいと言うつもりは無かった。
取り敢えず今のところは。
「あー……」
ぼんやりと呟くフィリップの視線の先は、受付の鍵棚にある四つの空白。
フィリップたちの部屋、カイナの部屋、イザベラの部屋──と、もう一つ。
そういえば、マスターキーを持っていたことを思い出した。
「そうだった」と苦笑気味に呟きながら管理人室に向かう背を、カイナはじっと見つめる。
ペットと言われても正直ピンと来ないし、「分かった、あの子のペットなのね」と受け入れるには、そもそも今のミナのことを知らなさすぎた。
自分の娘のことなのに、という溜息を飲み込んで、母親はペットに再び尋ねる。
「剣技はメイドたちに教わったのかしら?」
「さあ、基礎はそうかもしれませんけど、大部分は剣師龍ヘラクレスでしょうね。凄いんですよ! 斬撃が飛んだりとか! 振ってないはずの攻撃が繰り出されたりとか!」
「そうなの。それは凄いわね」
やけにあっさりとした返答に、フィリップは管理人室の扉に手を掛けたまま振り返った。
意味不明というか荒唐無稽というか、一度で理解できるとは思えない内容だったはずだが──と、そこまで考えて、扉に向き直る。
話を盛っていると思われても、彼女が剣師龍ヘラクレスを知っていても、別にどうでもいいことに気が付いた。
「ディアボリカは魔術格闘って感じでしたけど、ミナは殆ど剣技がメインですね。魔術を使うのは露払いって感じで……あぁ、そう、物凄く面倒臭がりです」
管理人室は、そこそこ生活感があった。
帳簿や書類束の収められた棚と書き物机には花瓶や小物が飾られているし、ベッドのシーツや毛布は使ったまま放置されている。
床に物が散乱しているとか掃除がされていないということはなく、しかし埃一つ無いということもなく、何日か前に掃除したきりだと見受けられた。
きっと、ここ数日は雪の対応に追われていたのだろう。
「面倒臭がり? それは、あまり良くないわね。どんなことを面倒臭がるの?」
「あー、なにか特定のことを面倒臭がるというよりは、なにか判断する場合に「どちらがより面倒か」を重視するって感じです」
自分も面倒そうに答えながら、フィリップは取り敢えず書き物机に向かった。
小物で控えめに飾られた机上はきちんと整理されており、何があるのかをぱっと判別できる。
入出金管理の台帳や、定期仕入れの食料・日用品や馬用飼料の管理簿、それから王宮からの伝書。魔王復活に伴う情報収集や物資輸送に関する命令書や書類だ。
駅宿ってそんな仕事しないといけないんだ、と一般の宿との違いに驚いたが、特に暫定お化けに繋がる情報はない。
机の裏や引き出しの中を見てみたが、同じく成果なしだ。
「ゴエティアの悪魔と戦争になった時は、メイドさんたちの「戦争の作法と従者の矜持を守ってくれ」っていう意見をひっくり返すのが面倒で、彼女たちを見殺しにしたくらいです」
「え……? ご、ごめんなさい、待って? ええと……」
フィリップは思い出したように、というか実際にふと思い出して言い添えて、再びカイナを混乱の渦に叩き落した。
眉間を押さえて呻いている彼女に目もくれず、書類棚に向かう。
こちらは全てのページが埋まった古い台帳類が収められているだけで、やはり特別なものは見当たらない。
だが価値のある情報はあった。
ここにある最も古い記録は七年前のもの。つまり七年前には駅宿として稼働していたことになる。
……謎の殺人事件が頻発するようなら、七年間も運用されていないだろう。流石に。
領主なり王宮なりが「不審死? まあそういうこともあるよね」と流せる程度の頻度でしか、あの惨殺イベントは起こっていないはずだ。
何なら今回が初ということも考えられる。
「ゴエティアの悪魔って、あの? 魔王隷下72柱の悪魔のことよね? ……誰と?」
「ええと……なんか、病気と呪詛を操るやつです」
「マルバスかしら。二足歩行して鎧を着た獅子?」
「多分?」
フィリップは思索に埋まった脳の片隅を空け、判然としない記憶を手繰って首を傾げた。
いや当時は勿論認識していたのだが、今となっては覚えていない。
あの城で一番印象に残っているのはミナ、次点でディアボリカ、ちょっと差が開いてメイドさんたち。
そういえば結構な数の
その後の“眠り病”のおかげで「なんか病気絡みのやつ。そういえば不死化とか飢餓の病を撒いてたな」くらいまでは思い出せたが、外見の記憶はぼんやりしている。
ミナと斬り合っていたような、ということは剣を持っていた──手は肉球ではなかったのだろうか。益体の無い疑問が脳裏を過り、消えた。
「そう。それで、メイドたちは死んだの?」
「はい。不死身化した中位悪魔の軍勢に押し切られたり、ミナの魔剣とか、ルキア──聖痕者の神罰術式に巻き込まれたりとか、死因は色々ですけど。最終的には全滅したんじゃないですか?」
今度はベッドの下を覗きながら、フィリップは適当に語る。
ランタンの照らせる範囲には限りがあるが、何も無さそうだ。
「そう……。ん? 聖痕者……?」
「ディアボリカが僕を拉致するのに王都に乗り込んできたのもあって、大急ぎで用意できて、素早く移動できる少人数で、かつ確実に勝利できる人選ですね。まあこれは後から聞いた話で、当時は友達が助けに来てくれたって感じでしたけど」
クローゼットを開けてみるが、普通に衣服の類が収まっている。
女性の衣服であることには一切構わず、下着の入っている引き出しまで調べてみても、やっぱり何もない。
怪しげな機械とか、禍々しい魔法陣とか、護身用の短剣程度の凶器さえも見つからない。
どうやら、管理人室はハズレのようだ。
「あ、そうそう、ディアボリカは記憶喪失……? みたいな感じになってましたね。……あれ? そう考えると、あいつはもうミナに殺されてる可能性が高い……?」
フィリップは再び、ふと思い出して言った。
本当にどうでもいいから今の今まで気にしていなかったが、そういえば、ディアボリカはミナのことを忘れていた。
となると、カイナは夫か娘か、どちらかにしか再会出来ないことになりそうだ。十中八九、娘しか生き残っていないだろう。
残念なことに──カイナにとっては残念なことに。
まあ、フィリップにはどうでもいいことだ。仮称お化けの手掛かり探しにも全く関係が無い。
話は終わりとでも言うように、フィリップは部屋の扉に足を向ける。
勿論、ただ管理人室には手掛かりナシと判断しただけで、カイナに対して思うところは何もないのだが。
「待って。……お願い、待って。ちょっとだけ情報を纏める時間を頂戴」
エルフにしてみれば赤子のような齢の子の腕を縋るように掴み、引き留める。
深呼吸を繰り返して気を落ち着けなければ、人間の腕など握り砕いてしまいそうなほどに動揺していた。
「……?」
利き腕粉砕骨折の危機に晒されているとは露知らず、フィリップは迷惑そうに自分より少しだけ高い位置にある翠玉の双眸を見つめる。
同情も憐憫も感じない、さりとて機械的ということもない、邪魔なものを見る目。
暗く淀んだ青い双眸を見つめ返して、カイナは思わずといったようにぱっと手を離した。
「……彼が記憶喪失になった、というのは?」
「何があったのか定かではないですけど、最後に見たときはディアボロスって名乗って、ミナのことを娘とは認識してませんでしたね。結婚してるって話は……どうだったかな? あぁいや、そもそもディアボロスで、ここ数年がディアボリカだったんだっけ……?」
そもそもどうして名前を変えたのか。
まあ気紛れや思い付きで動きそうな性格だし、どちらも人間だった時分の名前──つまり本名ではないのだろうけれど。
やっぱり発狂しているのだろうか。100年の封印で頭がおかしくなったのだと言われると、割りとすんなり納得できる。
「…………それは、治らないものなの?」
問う声は震えていた。
人間の子供なんかより、自分の方がよほど脳機能障害について詳しいことを忘れているらしい。
もし覚えていれば、「治らないのか」ではなく、もっと詳しい症状や原因や状況を訊いて、自分自身で判断しただろう。
「さあ? 二年くらい前の話なので、治ってるかもしれませんね」
「そう……ね」
相手が100年間記憶障害だったことを忘れたのか、或いは覚えているが気を遣う必要性を感じなかったのか。
フィリップは彼女に対してずっとそうだったように、変わらず適当な口ぶりで言って、管理人室を後にする。
雨戸がきっちりと閉め切られた部屋で唯一の光源だったランタンが遠ざかり、暗闇が部屋の中を満たしていく。
その暗がりに追われるように、カイナはフィリップの後を追って部屋を出た。