なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「……ねえ、私を疑わなくていいの?」
フィリップが一階の客室を一つ調べ、成果無しに終わったとき、ふとカイナが尋ねた。
誰かが何かを仕込むにしても、誰が使うかも分からない──智慧持ちや魔術師なんかの目に留まるリスクがある場所を選ぶだろうか。
遅ればせながらそのことに気付き、探索のモチベーションが落ちていたフィリップは、先ほどよりは幾らか会話に応じる気分になっていた。
「というと?」
「商人殺し。嗜血衝動に駆られた私があの人間を殺した可能性、完全に棄却は出来ないと思うのだけど」
焦れたようなカイナの言葉に、あぁ、とフィリップは軽く頷く。
血を見たい、血を浴びたいという衝動に駆られる求血病。
飢餓にも似た衝動性と暴力性を伴う発作を起こすというそれの、罹患者。
そして魔王の一翼。
鍵の守護者にして、同族殺しを手引きした裏切り者の王女。
なるほど確かに、近くで人間が死んだとあっては真っ先に疑われるべき素性と言える。
が、フィリップはあまり疑っていなかった。
「返り血に塗れてたりしたら疑ってましたけど、普通に綺麗な恰好だったから違うのかな、と」
「なるほど。観察に基づく合理的な判断、というわけね。でも、血を拭って着替えただけかもしれないわよ?」
咎めるような目をするカイナに、また「あぁ」と気のない納得を返す。
殺害現場には実体を持った存在が居た痕跡は一つも無かった。
ベッドを中心に派手に飛び散った血や肉片が加害者の身体で遮られた──返り血を浴びた痕跡も、血を踏んで歩いた足跡も、何も。
彼女が非実体化──吸血鬼のように身体を霧に変えられるとしても、その状態のまま攻撃は出来ない。
だから重ねての指摘も棄却できる内容だが、フィリップはそこまで考えていなかった。
「あぁ……そうですね。で、そうなんですか?」
「……違うけれど」
む、と柳眉が逆立つ。
「私たちは魔王の直臣、人類の天敵よ? その傍で人間が死んで、まず真っ先に疑うのが私じゃなくてお化けなんて……率直に言って、どうかしているわ」
私たち──彼女自身とアンテノーラと、恐らく、ミナのことも含めてだろう複数形の一人称。
嘲るでなく、むしろ咎めるような口ぶりからは、その傍にあって微塵の緊張感もないフィリップを諫めようという心遣いまで感じる。
或いはそれは、自尊心や忠誠心から来るものだったのかもしれない。
そういう牽制の意図は、意識の表層には無かったけれど。
「……確かに」
ふ、と吐息のように笑う。
自らの非を認めるような言葉であり、事実としてフィリップは自身の過ちに気付いたのだが、それはカイナの叱責を正しく受け止めたからではなかった。
ただ、認識違いをしていたことは分かった。
思い出したこともある。
そういえば、だ。
「そういえば、貴女はミナのお母さんってだけじゃなく、エレナの叔母さんでもあるんでしたね。うん……すみません、貴女にミナを見過ぎていた、といえばいいんでしょうか。貴女の
「ええと……?」
知らない名前に、カイナは困惑から眉根を寄せる。
叔母と呼ばれる以上、エレナとは自身の姪に当たる者のはずだが──そんな関係性の相手は、未来永劫生じるはずがないのだから。
その疑問は口にされることなく、フィリップが続けた言葉に流される。
「ミナなら、人間を殺したことを隠さないし誤魔化さない。勿論、返り血を浴びたら拭い、着替えるでしょうけど、それは服が汚れたからであって、殺人行為を隠すためじゃない。スープを溢した服を替えるのと同じだ」
娘のことを母親に対して語るには不似合いな、無知な子供に教え説くような口ぶり。
だが、カイナは不快感を覚えなかった。
100年も離れていたのだ。自分の娘ではあるが、フィリップの方が近しいのも事実。
彼女が知るミナとフィリップの語るミナの間に大きな隔たりがあって、同一人物だという実感が無いのも大きい。
「人間を殺すことに、彼女は一片の価値も見出していなかった。卓上のパンを千切るように殺し、スープを飲むみたいに命を啜る。路傍の石を蹴り飛ばすように殺し、捥いだ果実を齧るように喰らう。化け物として正しく、美しい在り方をしていた」
とてもとても愛おしそうに、ペットは語る。
主人の素晴らしさを広めんとする忠臣か、愛慕を詠う詩人のように。
僅かながら陶酔の気配さえ漂わせていた口ぶりと、遠くを見るように揺れていた視線は、カイナに向けられた途端にすっと醒めた。
「貴女もそうだと、勝手に思い込んでいたみたいです」
正直なところ、フィリップは失望していた。
珍しく──それはもう珍しく。
ミナの母親でアンテノーラの同僚という情報から、フィリップは彼女を“化け物”の最低ライン上くらいに置いていたのだが、これでは期待外れだ。
同族殺しだか売国の王女だか知らないが、殺した数と化け物度合いは比例しないらしい。
つやつやした綺麗な石、くらいには目を留めていたわけだが、フィリップのカイナを見る目は、これで路傍に転がる無個性な石を見るものになった。
目を留めなくなった、とも言う。
「……ねえ、もしかしてペットってそういう? いえ、でも、さっきは……?」
「ん? よく分かりませんけど──その程度じゃ、遅かれ早かれミナに殺されそうですね」
フィリップは小さく肩を竦め、次の客室に足を向ける。
カイナに対する興味や辛うじてあった尊重は、既にゼロになっていた。
「えっ……」
「フィリップ様ー?」
どういう意味かと問い質そうとしたカイナだったが、それより先に、気の抜けるような声が廊下の向こうからやってきた。
「んー? 何か見つけたー?」
「なーんにも。強いて言えば、厩舎の馬が一頭しかいなかったですね」
「……?」
なにが変なのだろう、とフィリップは首を傾げる。
馬の乗り継ぎ地点である駅宿なのだから、もっと沢山の馬を備えておくべき、みたいな話だろうか。規定とかが……いや、規定があるにしてもカノンが知っているとは思えない。
そんな内心をそのまま出力された胡乱な顔を見て、カノンはにっこりと──ガスマスクから出ている部分だけだが──笑った。
「ヤですねえ、私たちの馬車は二頭立てだったじゃないですか」
「そうだっけ? ん? あっ、あー……」
記憶を手繰るように上を向いていたフィリップの視線が、喉から漏れるような声と共に荒波を泳ぎ出す。
カノンだけでなく、昨日知り合ったばかりのカイナにも分かる、心当たりのある反応だった。
「え? なんですか、食べちゃったんですか?」
「そんなわけないでしょ。……いやでも、馬が居なくなったのは僕のせいかも。何なら管理人さんも……」
馬視点、なんか臭いし怖い人間みたいなやつを三人乗せた馬車を、二つ前の駅宿からここまで牽いて来て、ここでようやく解放された……と思ったら、そいつらが数時間で帰ってきたわけだ。
いやカノンに関しては明らかに魔物なので、「なんか怖いし臭い人間みたいなやつ」は二人か。
それはともかく。
希望が一転絶望に変わった馬たちが「もうやだおうちかえる!」とばかり、元居た駅宿に向けて逃げ出してもおかしくない。
駅宿の管理人は放馬に気付き、慌てて馬に乗って追いかけたものの、吹雪になり遭難もしくはどこかで雪を凌いでいる……という可能性に思い至った。
あくまで仮説というか「こうなっても不思議はない」程度の想像でしかないが、今のところ、これ以上に有力な説が無いのも事実。
少なくとも「お化けが何の痕跡も無く管理人と馬を消し去った」よりは信憑性があるだろう。
ただ、あまり真実であってほしくはない仮説だ。
だってそうなると──。
「……フォローの余地なくフィリップ様のせいじゃないですか」
揶揄に満ちたカノンの言葉に反論できなかったフィリップは、相変わらず目を泳がせたまま苦笑を浮かべた。
「謎が一つ解けたね」