なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
その日の夜、フィリップはアンテノーラと寝ていた。
えっちな意味ではなく、単に同じベッドで眠っているという意味で。
初めは昨日と同じく隣のベッドで、シルヴァを抱くこともなく普通に眠ろうとしていた。
しかしアンテノーラが「では」と竪琴を取り出したことで、話は一変する。
いや、眠れはするだろう。
だが竪琴アリの“歌”は本気すぎる。それは睡眠導入とかじゃなく普通に聞きたい。
伴奏有りなら寝ずに最後まで聞きたいフィリップと、この曲は伴奏があって完成だと主張するアンテノーラの戦いの趨勢は、二人ともはっきりとは覚えていない。
お互いに駄々をこね理屈をこね、ゴネにゴネた結果、どういうわけか添い寝する形になったのだった。
アンテノーラの思惑は知らないが、フィリップとしては
それだけだったのだが、これが意外と具合がいい。
ミナよりも体温が高く、毛布と排煙暖房だけでは心許ない寒さを和らげてくれる。ミナと違って臭いを嗅いだりキスしたりといったスキンシップが無いのも、静かに眠りに浸れていい。
「──さ、──さま」
夢も見ないほど深い眠りの底で、無音無感覚にノイズが走る。
焦ったような声と、激しい揺れ。何も感じない深みから、無理やりに意識を引き上げるような刺激。
「フィリップ様、起きてください! 例の足音です!」
「…………」
目が覚めたフィリップは、暗い視界の中、身体の感覚でアンテノーラに抱きしめられている形だと理解した。
顔が埋まるほど豊かな胸の柔らかさ、髪を梳くように撫でる優しい手つきが、まだ完全に覚醒していない意識を微睡みに誘う。
同化した体温。香水らしき涼やかな香り。それらが移った柔らかな毛布に包まれていると、目蓋が勝手に降りてくる。
「んあ……いま何時……?」
アンテノーラの身体に回していた腕を頭上に伸ばし、闇雲に手探る。
むに、ぺち、と何度か顔を触られて、アンテノーラはフィリップを抱きしめる形でその背後に手を伸ばし、目当てのものを手に取った。
「所有者様、懐中時計でしたらこちらに」
「ありがと……。火を貸して……三時? はぁ……」
眠りが深いタイミングで起こされたせいで身体が重い。
ベッドから起き上がるどころか、上体を起こすのも億劫だ。豪奢な造りのおかげか部屋はそれほど冷えていないが、毛布には勝てない。
「昼に出てこいよド劣等。夜に出るなら寝た人間を起こさないよう気を遣え」
ブチ殺すぞ、と眠気のせいでふわふわした口ぶりながらドスの効いた低音で呟くフィリップ。
「無茶苦茶言ってますねえ」
カノンは慄きつつも苦笑を浮かべ、フィリップを立ち上がらせて身支度を整える。
ホルスターを付け、シリンダーと安全装置を確認した銃を仕舞い、ジャケットを着せて剣を佩かせて完了だ。
舟を漕ぎながらされるがままになっていたフィリップも、最後に差し出されたコップ一杯の冷たい水を飲み干して、漸く暗順応を終えた目の焦点が定まった。
「おはようございます、フィリップ様」
「おはよう。まあ後でもう一回寝るけど……」
昨日同様、フィリップとカノンは扉の横に陣取る。
アンテノーラは少し悩んだ後、カノンの後ろで身構えた。
「結局、アレは依然として正体不明のままなわけだけれど。仮にお化け──何かしらの力で疑似蘇生された死者だとして、対処法を思いつく人?」
手ぇ挙げて、と自分も手を挙げて問えば、二人とも律儀に手を挙げて答える。
「はーい、聖属性攻撃でーす!」
「霊体に特攻のある武器、ないし特化した魔術攻撃でしょうか。通常の魔術が効くなら、所有者様の剣が効くはずですし」
満足のいく返事だ。どちらの答えも正しい。
フィリップはうんうんと頷き、問いを重ねた。
「出来る人ー?」
手は挙がらなかった。
「……なんかそういう曲とか歌とか無いんですか? もう少しレパートリーを増やさないと飽きられますよ」
「魔王軍の幹部に何を期待していらっしゃるのやら。あったとしても、碌な練習もせず所有者様にお聞かせすることは出来ませんわ」
空気が俄かに剣呑さを纏う。
廊下を歩くヒールの音に混じって、胸倉を掴もうとする手を叩き合う、ぺちぺちと可愛らしい音がし始めた。
「ふーん、フィリップ様の御意思に背くんですか」
「私は望まれるままに奏でる蓄音機ではなく、至上の音楽を捧げるための楽器。その在り方が許せぬと言うなら、トルネンブラか所有者様に異議申し立てをしてはいかが?」
アンテノーラ、WIN。
勝てない名前を二つも出され、ぐっと言葉を詰まらせたカノンはもごもごとガスマスクを震わせ、拳を握った。
「言い負かされて暴力に訴える無様はまだ笑えますが、これで殴り負けでもしたら笑えないくらい無様ですわよ」
「ムキーッ!! 上等ですブチ殺してやりますよ!」
そのまま取っ組み合いでも始めそうな二人だったが、手が出る前にストップがかかる。
それは二人の掛け合いでけらけら笑っている所有者からではなく、部屋の外から、腕を身体ごと扉に叩きつけるような激しい音によるものだ。
「……けて……て……」
どん! ばん! と激しい音に混じり、不明瞭な声も聞こえる。
「あけて」か「たすけて」なのだろうと二人が察した時には、フィリップは剣と銃を抜いていた。
そして。
「──ッ!」
扉が叩かれて揺れた、恐らく身体が扉にべったりと触れ体重が乗っているその瞬間を狙い、逆手に持った龍貶しを突き立てた。
目の詰まった高級木材とはいえ所詮は木。
鉄すら通す龍骸の刃を阻むものではない。殆ど手応えも無く水のように貫き──その向こうにも、同じく手応えが無い。
そのままドア越しに銃撃するが、やはり血飛沫や苦悶の声も上がらなかった。
「一応銀コーティングのパーカッションキャップなんだけど、やっぱりダメ?」
「そりゃそうでしょうよ……」
呆れた様子のカノンに肩を竦めてみせる。
確かに、対象を傷つける弾頭が純銀製でも効くかどうかは未知数だ。炸薬を反応させるための導火薬を包むコーティングが銀だから、何だと言うのか。
これで効いたら、盾に強化魔術を施して剣にも強化が乗るぐらい意味不明だ。
「っ!」
するり、と扉も剣もすり抜けて、白い人影が侵入してくる。
昨日と同じく血に塗れたウェディングドレスを身に纏い、右手に短剣を携えた女。
薄いヴェールの向こう、爛々と輝く双眸が真っ直ぐにフィリップを見つめていた。
「どうして──? どうしてェェェェ!!」
それは歯を剥いて憤怒を叫び、短剣を振り翳す。
両手で短剣を振り上げ、そのまま振り下ろす鉄槌。
ミナどころかイライザでもやらない、隙だらけの動き。顎下から首、腋窩、胸、上下腹部、がら空きだ。
素人でも不味いと分かるだろう大振りだが──獲れない。
十回は殺せる生温い動きなのに、どこを斬ってもすり抜ける未来が見える。
「どいつもこいつも無敵無敵……! 「どうして」はこっちの台詞だよ全く……」
悪態を吐いている場合ではない。
寝起きで強張っていた全身を無理矢理に駆動させ、意識を研ぎ澄ませる。
狙う価値がある──触れられる可能性があるのは一点。相手の武器。より絞るのなら刃部。
そこだけは物理的実体があるはずだ。でなければあちらにも攻撃手段が無く、商人を殺すことも出来なかったはず。
白刃戦で相手の武器を狙うのは素人か達人。
そう言われるくらい不合理な択ではあるが仕方がない。
振り下ろされる凶器を目を逸らすことなく見据え、自身の心臓へ繋がる軌道を読み取る。
力任せでブレがあるが、素直な動きだ。
防ぐのは容易。
軌道上へ剣を翳し、巻き取るように力を逸らす。刃は敢えて真っ直ぐに立てた。
「──、は」
刃と刃が触れ、力と体重が短剣に乗り切る寸前、フィリップは小さく笑った。
爪先を踏ん張り、反発力を足首から膝へ、股関節から骨盤と背骨を経由して腕へ伝える。
全身の連動が生み出す力を以て剣を振り払えば、女の短剣は上体がのけぞるほどに大きく弾かれた。
──軽い。
物理的実体がない以上は力も技も関係なく、如何なる邪魔や防御も無視して思い通りの動きを実行してくる可能性も危惧していたが、そんなことは無かった。
これまで相対した誰よりも軽い手応えだ。
体重だけならイライザの方が軽いだろうが、彼女には先代衛士団長仕込みの技術があり、彼女の一撃には見かけ以上、実際の体重の倍くらいの威力がある。
対して、こいつは完全にド素人だ。
弾かれた後のリカバリーも遅い。
また殆ど全部の急所が見えている。
だが──好機と見たカノンが制圧に掛かるが、短剣の柄に伸ばした手も、首へ通そうとした腕も霞を掴むようにすり抜けた。
「おおっと? 短剣だけ……最悪、刃にだけ触れられるみたいな感じですねコレ」
「だね。しかも多分、あの短剣も無敵だ」
「もしくは、古龍の武器と打ち合って火花すら散らせぬ業物ですわね」
アンテノーラは感心と呆れが綯い交ぜになったような顔だ。
斬鉄の人造魔剣、
古龍素材をベースに王国最高の錬金術師が作成し、宮廷魔術師たちが付与魔術をかけたワンオフ品。
フルプレートアーマーを纏った人間を頭頂から股下まで一刀の下に両断するほどの切れ味を持つ。
その刃を立てて受け止めたというのに、一見してただの鉄でしかない短剣は平然としている。
斬り飛ばすどころか、表面が削れたり欠けたりもしていない。
龍貶しの方も当然に無傷だし、いつぞやのクソデカミミズのような特殊性ではなさそうだが。
「攻撃無効、武装解除不可、敵対的。“歌”無しの僕より遅いし動きも素人だけど、あまり同じ空間に──」
ふ、と、眼前にあった人影が消える。
何の前兆もなく、何の予備動作も無く。短剣を弾かれて崩れていた体勢を立て直すか否かというタイミングで、風に吹かれた煙のように。
「……はぁ?」
背後、天井、足元、ベッドの下まで確認してみても、やっぱりどこにも見当たらない。
昨日と同じように唐突に現れ、昨日と同じように唐突に消えた。
昨日よりも明らかに敵意が大きく、明確に攻撃してきた。にもかかわらず、一撃防がれただけであっさりと諦めたのだろうか。
或いは出現に時間制限や制約があるか。
例えば「攻撃を防がれるまでは無敵だが、防がれるとその日は行動できない」といったような。
何も分からない。依然として情報が無さ過ぎる。
「……いいや。寝よう」
フィリップは大きな溜息を吐き、装備類を外してベッドに潜り込んだ。
何故かアンテノーラも同じベッドに入ってきたが、何もかもがどうでもよくなってきたフィリップは黙って目を閉じた。
直後、礼儀正しいノックが扉を小さく震わせる。
フィリップの銃撃で空いた穴を覗いたカノンは、振り返って「あのエルフです」と来客の正体を告げた。
「寝てるって言って」
「──大きな音が聞こえたから見に来たのだけど、大丈夫……みたいね?」
カノンが応える前に、フィリップの声に直接返事があった。
横になっていたし声を張ったわけでも無い、カノンにすらはっきり届くという確証の無い声だったが、流石はエルフの感覚だ。
「貴女たちが同じベッドで寝ているの? 警戒のために部屋を別にしないのは分かるけど……まあいいわ、おやすみなさい」
「……」
あちらも弾痕から部屋の中を覗いているらしい。
呆れたような揶揄うような声は、フィリップの返答を端から期待していないように、言葉の途中で遠ざかって行く。
気配も足音もなく、扉の開閉音だけが最後に聞こえて、完全な静けさが訪れた。
そして、翌朝。
起き出して雨戸を開けてみると、外はかなり明るくなっていた。
まだ雪と風はそこそこあるが、雪雲の向こうにぼんやりと太陽が見えるような、見えないような。少なくとも雪と暗雲が太陽の光を遮っていた昨日よりは遥かにマシだ。
「おお、だいぶ弱まってる気がする」
「ですねー。この感じならお昼には移動可能なレベルまで弱まるかと」
喜色を見せるフィリップに、カノンも僅かに同質の感情を滲ませて答える。
彼女にとっては、お化けなんかより初日のフィリップのビビリ方が──どの外神を使うかカノンに選ばせようとしたのが本当に怖かった。
逆に、少しがっかりしているのも一人。
「あら、では今夜は子守歌をお命じ頂けないのかしら。少し残念ですわね」
「ははは……。……ん?」
道具らしからぬ、いや一周回って道具らしい物言いに苦笑を浮かべ、身支度のために雨戸を閉じようとする。
その白い視界の端に、なにか大きな影が見えた。
生き物のシルエットではない。
もっと大きくて無機質な、建造物だ。位置的には駅宿の裏手、街道からは見えない場所だ。
「なんかあるね、あそこ」
「え、どこですか?」
「あー……今は見えない。あ、ちょっとだけ見えた」
昨日よりマシとはいえまだ外出を躊躇わせる勢いの吹雪の間に、三人揃って目を凝らす。
見え隠れする影からでは判然としないが、おそらく規模的にはこの駅宿より小さく、一般の民家よりは大きい程度のサイズだ。
「うーん……? 厩舎より遠いですし、倉庫はあっち側なので……宿とは関係ない建物じゃないですか?」
「お化けとも無関係とは限らないでしょ。行ってみよう。朝ご飯を食べてからね」
言って、フィリップは今度こそ雨戸を閉めて身支度を始めた。
「積極的ですね? あぁいえ、消極的なんでしょうか」
ホルスターを付けるのを手伝い、装填し安全装置を付けたペッパーボックス・ピストルを恭しく差し出しながら、態度とは裏腹な悪戯っぽい声で言うカノン。
「お化けから逃げる目途が付いたわけですし、もう吹雪が止むまで大人しく荷造りしてのんびりしてればいいじゃないですか。というかそもそも、お化けから逃げる──吹雪を止ませるくらいなら、あのエルフにバレないタイミングを見計らって出来たのでは? ほら、例のメイドさん形態ハスターなら欺瞞も完璧ですし。他の旧支配者に絡まれるリスクも最小限!」
部屋を出て食堂に向かいながら、カノンはつらつらと語る。
フィリップは「うーん」と唸り、色々と飲み込んだ。
それはビビリ散らかしていた当時に言って欲しかったとか、こいつハスターはフィリップの道具カウント──外神のように「誰を選んでも他がキレるクソ選択肢」の中に数えていないのかとか。
「まあそうなんだけど……今は殺すより仕組みの解明が優先かな」
何が居るのか。そいつはどういう了見で安眠妨害してきたのか。
何もいないなら何者で、あの無敵性はどういう理屈なのか。フィリップにも利用できるのか。
色々と知りたいことがある。
そう言うと、カノンは小馬鹿にしたように目を細めた。
「うぇー……。フィリップ様、興味本位って、小説とかなら最悪の選択肢ですよ。それで踏み込んだ結果お化けに殺されるとか、知らなくても良いことを知って……あ、なんでもないです」
「うん、そうだね。鬼が出ようが蛇が出ようが盲目白痴の魔王が出るよりはマシだね」
揶揄に満ちた顔のカノンの言わんとするところを正確に読み取って、フィリップは不機嫌そうに吐き捨てた。