なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
朝食を終え、一行は部屋の窓から見つけた建物に向かった。
駅宿の裏手にあるだだっ広い中庭──というか裏庭というか。そもそも庭と呼んでいいものかも微妙なところだが、とにかく駅宿の敷地らしき空間──は膝丈の雪に埋まり、足裏は地面ではなく雪が固まった氷を踏んでいる。
吹雪は建物に遮られて多少マシに感じるが、それでも顔や防寒着に雪が積もる勢いだ。
建物まで思ったより遠くはなく、厩舎や倉庫と同じくらいの──同施設の別棟の距離感だ。それらとは庭を挟んで反対側にあり、「他とは違う建物感」を醸し出している。
雪国特有の傾斜の大きい屋根に、頑丈な雨戸。それ以上に目を引くのは、特徴的な尖塔と掲げられた十字架だろう。
一見するだけで、それがどういう建物なのかがはっきりと分かった。
「教会……いや、別荘に併設された礼拝堂ってところかな」
ざくざくと雪を踏みしめながら、小ぶりな建物をぐるりと一周してみる。
規模から言って、居住スペースや図書室といった余分を排して聖堂だけを用意したものだ。独立した教会ではない。
ステンドグラスの類はなく、窓は全てきっちりと雨戸が閉め切られている。
入るなら玄関扉からだが、積もった雪が邪魔だ。
ここ数時間で積もったものではなく、一昨日の晩から降り積もり、押し固められて凍ったもの。ふかふかの雪ではなく、ガチガチの氷だ。扉を無理矢理開けるのは不可能。砕いて除ける必要がある。
「この雪じゃ中に居る間に雪が積もって出られなくなるかも! もうちょっと吹雪が弱まってからにしよう!」
自分の声すら掻き消しそうな風の唸りに負けないよう声を張ると、人間以上の感覚を持つ三人はちょっと迷惑そうな顔をしつつ了解を返す。
食堂に戻ってぼんやりと吹雪が止むのを待っていると、ふと思い出したような調子で「そういえば」とカノンが声を上げた。
「そういえば、あれ以来出ませんね、暫定お化け」
暖炉でマシュマロを焼いているカノンと、その隣にいる王都産のお菓子に興味津々のカイナの背中を見ながら、フィリップは「まあ朝だしね」と何の気なしに応える。
するとマシュマロの焼け具合に注がれていた二対の視線が振り返り、フィリップに向けられた。
「朝だとお化けは出ないの?」とカイナは首を傾げる。
「お化けってそういうものですよ。いやまあ創作の中のお化けだとそうってだけで、アレが何かは分かってないですけど」
幾つもの怪談を読んできたフィリップには、ほぼ常識といっていい性質だ。
お化けは概ね人型であることが多く、浮遊したり壁を通り抜けたりして、時には背後が薄く透けていたりもして──夜中に現れる。
そういう性質のものとして描かれ、そういうものとしてフィリップも認識していた。
「なんでお化けは昼には出ないんですか?」
「いや知らないけど。夜行性なんじゃないの」
恭しく差し出されたマシュマロの焼けた外皮だけをさくさくと食みながら、フィリップは適当に答える。
カノンはとろりと溶けたマシュマロの残りを平らげ、新しいマシュマロを串に刺して暖炉に向かった。
見様見真似をしているアンテノーラとカイナの串は、先に刺したマシュマロが炎上して松明のようになっている。
「夜行性って上位捕食者から逃れつつ狩りをするために、進化の中で発現する習性ですよ? お化けに進化系統とかあるんですか? っていうか所謂お化けって元は人間なんじゃないんですか? 人間は昼行性では?」
片や串に刺した炭を作り、片や溶けたマシュマロを暖炉の中に落としている魔王軍幹部たちを余所に、完璧な給仕は完璧な出来栄えのものを三つ、皿に置いて差し出す。
外サク中トロの、焼けた部分がするりと剥ける焼け具合は流石の一言だ。
……いや、作業しながらついでのように質問してくるのが「完璧な給仕」かと言われると、それはちょっと疑問だが。
「そう言われると……。……アンテノーラ、それ高いからもう諦めて。僕のあげるから」
「はい……。申し訳ございません。火を使った繊細な料理はまだ難しく……」
従順な答えを返してはいるものの、顔はやや不満げだった。
上手くできなかったことが不満なのか、主人に出された菓子を道具の身で頂くことに対する忌避感──道具としての自覚やプライドからか。
それでも大人しくテーブルに戻り、フィリップが差し出したマシュマロを齧る。
これは主人の顔を立てる意味もあり、純粋に食べてみたかったのもあるだろう。
砂糖をふんだんに使った菓子は表面を炙られてカラメルを纏い、僅かな苦みとそれを包み込む甘さが同居している。
海中では絶対に味わえない甘味と食感に、どこか消沈していた顔がぱっと華やいだ。
「陸一年目だからね、仕方ないよ」
繊細さはともかく、マシュマロを焼くだけの行為を「料理」と言っていいものかは疑問だが。
「話を戻すけど……お化けが昼間に出てこないのは、人間が大人数で居ることが多い時間帯だからとか?」
「魔力付与された古龍武器でも斬れないお化けが人数不利なんか気にしますか?」
ストレートの紅茶をフィリップに差し出しながら、適当な口ぶりで、しかし的確な反論をするカノン。
言われてみれば、確かにそうだ。
怪談で語られる様々なお化けのことは一旦措いて、この駅宿に出てくるモノについてだけ考えると、昼間に出てこない理由として「人数不利を避けるため」というのは説得力に欠ける。
吸血鬼の逸話のように「光に弱く、太陽の下に晒されると灰になる」みたいな性質があるにしても、ここは雨戸の閉め切られた屋内で、外は吹雪だ。日光は灰色の雪雲と横殴りの雪が遮っている。
或いは実際の吸血鬼のように月光下で能力が強化され、あの無敵性を獲得するのかもしれないが、これは空想の域だ。何の根拠もない。
「……カノンはどう思う?」
「私は、そもそもが逆なんじゃないかな、と」
「そもそもが逆?」
言葉の意図を測りかね、フィリップは首を傾げる。
どこを基準にどこを指して「そもそも」なのかも分からないし、どこがどこを起点として「逆」なのか。
オウム返しに問われて、カノンは揶揄いもせず「はい」と素直に頷く。
「沢山のお化けが居て、それが物語として書き起こされて広まっているのではなく、物語として語り広められた結果、沢山のお化けが生まれた……つまり旧神同様、信仰や空想ベースの存在なのでは?」
夜に出てくるモノだから、夜に出てくると広く語られている。
その、逆──夜に出てくるモノとして語られているから、夜に出てくる。
モノが居て信仰が生まれるのではなく、信仰から存在が生じる旧神と同じ在り方。同じ発生方式。
つまりアレは何かの意図が生み出したモノではなく、自然に発生したモノだという仮説だ。
フィリップは暫し考え込んだあと、一つの結論を出した。
「いやあ……それは無いんじゃない?」
無いだろう。たぶん。
絶対と断言はできないまでも、かなりの確度でそう思う。
「なんでですか?」
「ここのお化けがそうだとしたら、怪談通りに動いてないのはおかしい。そりゃ存在格次第じゃ自律行動も出来るだろうけど、そこまでのモノじゃないでしょ、あれ」
今回のケースがそうだとしたら、アレの行動はフィリップとアンテノーラを殺すか、誰も殺さないかの二パターンしかないはずだった。だが実際は。
今回のケースには何か別の要因があって、他の場所で語られるお化けがそうだとしても──やっぱり、それもおかしい。
「物心つく前どころか何ならお母さんのお腹の中に居る頃から読み聞かされてる聖典ならともかく、怪談本なんか置いてる教会は稀も稀だよ。結構大きい都市じゃないと図書館も無いし、口伝えで広まる程度の影響力で旧神……形而上学的な存在が生まれてるなら、有名な古典の英雄やら怪物やらが地上を闊歩してないとおかしい」
フィリップは紅茶を啜り、考えを整理しながら口にする。
旧神を生じ得る信仰の強さ、歴史、信者の多寡といった情報は、厳密には持っていない。
しかし、こんな田舎でちょろっと語られている程度の怪談話を基礎として旧神──或いはそれと似た哲学や認識論的な存在が生じ得るのだとしたら、もっと生まれるべきものがあるはずだ。
誰でも知っている有名な古典とか、聖典に出てくる怪物なんかが最たる例だ。
そして、その手の登場人物がこの世に現れていない以上、「誰でも知っている古典作品」程度の知名度では駄目なのだろう。
少なくとも人間の精神の集合から神格実体を生じるには、数億人という数と数千年という歴史、胎教レベルで思考や文化の根幹に刷り込む必要がある。
反論を聞いたカノンは顎に手を遣って「うーん」と唸り、さらに重ねた。
「でも、いつぞやは一個集落で信仰されてる程度の逸話ベースで生じた旧神に遭われたんですよね?」
「え? あー……あったね、そんなことも。でもあっちは1000年単位の自然信仰だし、ヴィカリウス・システムの魔術で星の力も発散されてたわけだし、信仰の強度も相当なものだった──「そうであると知っている」レベルだった。ただの怪談とはだいぶ条件が違うよ」
それに、だ。
怪談は種類や内容こそ千差万別だが、他の物語や創作の例に漏れずアーキタイプが存在する。
古の人々が山を恐れ、火を怖れ、雷を畏れ、神への信仰に繋げたように、原型となるものが。
死。絶対であるはずの死からの復活。暗闇。
見たことのない人。死人によく似た人。見間違い、夢、幻覚。
ありふれたものと、ありえないもの。
色々なものが組み合わさって恐れを生み、物語となる。
細分化された個々の逸話はいざ知らず、「お化け」──蘇生死者への恐怖は、人間が「死は絶対だ」と気付いた頃からあっただろう。
それこそ自然信仰レベルで古いもののはず。
もし仮にこの恐怖から旧神が生じるのであれば、唯一神よりずっと古く、格の高い存在になる。
であれば、その存在は広く知られ、「ありえないもの」として語られるそれは実質的に「ありふれたもの」となり、存在の定義が破綻する。
唯一神や“森の神”のような「確かに存在するもの」ではなく、「存在しないはずのもの」という信仰がベースなら、存在を認識された、いや存在すると信仰された瞬間に、ベースとなる信仰が崩れ去るわけだ。
故に、信仰に基づいた「蘇生死者のようなもの」は存在し得ない。
「……何の話?」
「分からないなら黙っていてくださいませ。貴女に聞かせるための話でも、理解を求める話でもありませんので」
話についていけなかったカイナが疑問の声を上げるが、アンテノーラがぴしゃりと叩き落した。
邪魔を防いでくれた同僚に会釈程度の礼を送り、給仕は主人との会話に意識を戻す。
「でも、お化けも自然信仰も、突き詰めれば「よく分かんないから怖い」っていう心理でしょう? 自然現象は容易に人間を殺すエネルギーを持ち、制御不能で、原理も不明。お化けは……夜にだけ現れるってところからの一点読みですけど、たぶん、暗闇に何かが潜んでいるかもしれないっていう恐怖由来でしょうね。本来は夜行性の獣とか崖とか、そういう危険から身を守るための本能ですよ」
カノンの言葉に、フィリップは「ふむ」と小さく唸って考え込んだ。
お化けの本質──核となる信仰が「蘇った死者」ではなく、「よく分からない恐ろしいもの」だとしたら、その成立は否定できない。
だがやはり、その程度の畏怖から実体が生じるとも考えにくい。
有り得そうな感じもしなければ、有り得ないと断言も出来ない曖昧さだ。
「山が近い土地では山に纏わる恐怖や畏れから、山に纏わる神やお化けが生じる。森の近くでは森の……そして人が多いところでは人に纏わる恐怖から、人間に近いお化けが生まれるんでしょう」
「例えば殺人事件があった場所の近くでは、殺人犯への恐怖から、人間を滅多刺しにするお化けが──って?」
カノンはこくりと頷いた。
火事のあった場所では火に纏わる怪談。
水難事故のあった場所では水死に纏わる逸話。
原型が身近であればあるほどに、物語は具体性と強度を増す。
しかし同時に、原型が身近であればあるほどに、物語は神秘性を失う。信仰に繋がる根幹を。
古い時代、雷はとても神秘的なものだっただろう。
しかし今や魔術という形で人間が自在に操れるものとなり、雷神信仰は一神教に踏み潰されて消えた。
では殺人──人間の死は?
殊更に言うまでも無く、極めて陳腐なものだ。神秘性の欠片もない。
事故死、病死、寿命という時限装置。“死”自体がありふれている上に、殺人も、そう珍しいものではない。
「旧神……集合無意識に寄生する蛆が湧くような余地はないでしょ」
「まあそう言われると、確かにそうですね。そもそも神格や魔術の痕跡が全く無いので、“無い理由”をこじつけてみただけですけど」
肩を竦めながらのカノンの態度には、焦りや怯えの色はない。フィリップを説得しようという気配も。
つまりこれは、お化けの正体に繋がる痕跡を探して持ってこいという命令を達成できなかった、失態を演じた給仕の言い訳ではないのだろう。
怪談を信仰として、そこに寄生するモノが現れた。
だから何も見つからなくても、それは従者の能力不足ではないのだ……と。初めはそう言いたいのかと思ったが、違いそうだ。
となると。
「……つまりこの辺全部吹っ飛ばせばいいじゃんってこと? クトゥグアを推してる?」
この辺全部──あの怪談が伝わっている範囲を全部。
それならあの“お化け”が何であれ──本当にこの辺りの怪談を元に生じた旧神モドキでも、魔術によるものでも、星外種なんかの思惑によるものでも、取り敢えず解決はするだろう。
フィリップでもわかる解決策だ。
「あ、違う違う、全然違います。いや本質的には違わないんですけど、私の意図とは違います」
「……?」
慌てたように頭を振るカノン。
だが否定の言葉が微妙に曖昧だった。違うけれど、本質的には違わない。
つまり。
「いえ、ですから──暫定旧神とすれば、邪神砲をぶっ放す理由としては十分なのでは?」
長い長い前置きの果てに、カノンは漸く、核心の疑問を口にした。
彼女は別に、フィリップに有意性の高い仮説を提示したかったわけではない。
思索の助けになろうとか、閃きのきっかけを与えようとしたわけでもないし、そうしたいとも思わない。これだって、有意義な提案のつもりではない。
彼女は単に、自分の疑問を尋ねたかっただけだ。
「所有者様。かなり吹雪が弱まっておりますわ」
「おっ、ホントだ」
いつの間にか席を立っていたアンテノーラが、窓の雨戸を開けて外を示す。
冷たい空気が流れ込んできたが、雪も風も、外で問題なく活動できるほどに弱まっていた。
「……じゃあ行こうか。礼拝堂に何も無かったら、諦めてここを出よう。全部吹っ飛ばしてからね」
カノンの疑問に対する答えは、イエスだった。
もはやアレが何かはどうでもいい。
真面目に探るのも飽いた。
もう、いいだろう。