なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 何が起きたのかは分からなかった。

 気が付いたとき──意識が飛んでいたことに気が付いたとき、フィリップは全裸で青空の下に横たわっていた。

 

 三日前まで吹雪の中だったのに、周囲は茹だるほどに暑い。

 背中に感じる土の地面まで馬鹿みたいに熱くて、フィリップは状況確認もせず飛び起きた。

 

 「あっつ!? 熱っ……? えぇ……?」

 

 さっきまで馬車に乗っていたはず。

 つい寝落ちたのだとしても、転がり落ちるなんて有り得ない。というかアンテノーラなりカイナなりが止めてくれるだろう。

 

 よくよく見れば、さっきまでとは場所が違う。

 馬車が進んでいた街道からは、遠目に森や山が見えていた。だが今はそれが無い。

 

 少し離れたところから地面が大きく抉れ、地平線近くまで続いている。

 陥没穴の中央付近から自然の雲を突き破って立ち昇るのは、内に膨大な熱を湛えたオレンジ色のキノコ雲。

 

 あち、あち、と焼けた地面から逃れるように足踏みしながら、真っ白になりそうな思考を回す。

 

 何もかもが無くなっている。

 着衣、装備、荷物、馬車どころか馬までも。

 

 「……え、なにこれ?」

 

 手元にあるモノと言えば、炎天下の砂浜じみて熱い地面に平然と座る、カノンとアンテノーラくらいだ。

 

 見下ろす先の二人は、何事も無かったかのように普段通りだ。

 全裸でもないし、ガスマスクや竪琴といった所持品も変わらず持っている。フィリップだけが、まるで身包みを剥がされたかのような有様だった。

 

 「王龍のブレス跡です。私たちは……えーと500メートルくらいは吹っ飛ばされましたね。距離的には」

 

 カノンは平然と、日常会話のトーンで語る。

 ……いや、語られても困るというか、情報が求めている分には全然足りていないのだが。

 

 「どうして僕は全裸なの?」

 「逆にお聞きしますけど、フィリップ様のお召し物ってクレーターが出来るようなエネルギーに晒されて無事なほどの逸品なんですか?」

 

 質問を質問で──というか揶揄で返され、フィリップはむっと眉根を寄せる。

 

 「それを言うなら、人体だって無事じゃ済まないでしょ。指一本残れば奇跡──いやまあ、指なんか絶対残らないだろうけど」

 

 指みたいな細い末端部位、瞬間的に炭化して折れるか、蒸発するだろう。

 この場合に残りそうなのは胴体、特に水分量の多そうな心臓とか肝臓の方だ。それも3000メートル級の山を消し去るエネルギーの前には誤差だろうけれど。

 

 「実際、無事じゃなかったですからね。九割九分死んでましたよ」

 

 まるで「変な寝相でしたよ」とでも言うような、揶揄うような口ぶりだった。

 だが「やめてよ」と照れるには、流石に衝撃が大きい。

 

 「えっ……?」

 「私の全力──単独七重奏(アリア・セプテット)による多重強化を頭部に集中させて、どうにか一分、といったところですわね」

 

 アンテノーラはといえば、何故か不満そうにしている。

 相変わらずの透き通った美声はどこか刺々しく、見上げる紺碧の双眸にも険があった。

 

 「フィリップ様は一時的に、どっちが前かも分からないような炭ボールでした。“歌”による耐久強化と自己再生ありきでも、何秒か脳の八割は死んでたでしょうね」

 

 とんでもないことを、カノンは淡々と、平然と語る。

 

 炭ボールは頭蓋──というか、頭部、というのが正しいか。

 莫大な圧力に晒された人体が脆弱な部分から千切れるというのは想像に難くないが、首が千切れたら、それはもう“死”だ。

 

 ……いや、厳密には違う。

 

 首が千切れることで脳への血液供給が途切れ、脳細胞が不可逆的な損傷を負うことで死に至る。

 その損傷までの時間を強化によって遅らせ、治癒や再生によって修復すれば、脳という器官が死ぬことはない。頭部が炭化するほどの熱による損傷も、ついでに。

 

 まあ、だからどうしたという話ではあるけれど。

 千切れた胴体がトコトコ歩いて来て元の位置に挿げ直すわけでもなし、『生きた生首』という、どうしようもない状態になるだけだ。

 

 「……じゃあこの身体は?」

 「“歌”による治癒で無理やり生やしました。治癒と再生に特化させた七重強化で、どうにか」

 

 アンテノーラは誇るでもなく、やっぱりどこか不満そうだ。

 褒め待ち、お礼待ちという空気ではない。彼女の性格からして──本気も本気、完成度ではなく能力的な意味での全力を出したというのに、フィリップがそれを聞いていなかったことが不満なのだろう。

 

 正直フィリップとしては、全然それどころではないのだが。

 

 「えぇ……?」

 

 いや一応、重篤な欠損と再生の経験はあるにはある。

 ミナの援護射撃下でついうっかり拍奪を使い、右腕が千切れ飛んだことが。

 

 だが流石にちょっと、これとはレベルが違う。

 腕が吹っ飛んで腕を生やしたのと、頭が吹っ飛んで、頭から他全部を生やしたのとでは、話が全然違ってくる。

 

 人間では有り得ない生存。人間では有り得ない治癒だ。

 

 今回は意識が無かったから実感もないが、もし再生の様子を知覚していたら、自分の身体を真っ当な人体だと思えなくなっていたかもしれない。

 ……まあ、「かもしれない」程度の話ではあるけれど。

 

 超常的な治癒のお世話になることには慣れている。

 どちらかといえばそっちの方が──人間離れした再生能力を前提として動くようになるほうが不味い。ステラも前にそう言っていた。

 

 「……まあ、それはいいや。……あ、時計は? というか僕の荷物は?」

 

 相も変わらず全裸のまま尋ねる。

 別に今はこのままで構わないが、気温が通常レベルに下がれば真冬の外気に晒されるわけだし、王都まで素っ裸で帰るわけにはいかない。

 

 問われたカノンは、自分の背後から布の塊──いや、布の包みを差し出し、結びを解いて広げた。

 

 「……フィリップ様がお目覚めになる前に、お荷物は取り敢えず集められるだけ集めておきました」

 「……うーわ。これは酷いな」

 

 包まれていたのは金属ばかりだ。

 金属製でないものは跡形もなく燃え尽きたのだろう。

 

 原型を留めていない歪な球形の金属塊が三つと、辛うじて原型が分かる細長い棒状のもの。

 

 「龍貶し(ドラゴルード)……」

 

 龍貶しは元から細身の剣ではあるが、砥ぎ上げられ魔力を帯びて淡く輝き、一目で大業物と分かる覇気のようなものがあった。

 

 今やそれは見る影もない。

 刃はただの脆弱部として削り取られたように乱雑に波打ち、腹も所々が剥がれたように欠けている。全体的に一回りか二回りほど小さくなった。

 

 最大の特徴であった可動性は完全に失われ、一塊のガラクタだ。

 

 「……これ何?」

 「銃だったものです」

 

 フィリップは黒と銀色の入り混じった、拳より小さい程度の金属塊を指して問う。

 カノンは静かに、しかし僅かに震えた声で答えた。

 

 「…………」

 

 銃器は仕組みこそ「火薬の爆発で鉄球を飛ばす」という単純なものだが、工夫が沢山あった。

 引き金を引けば銃身が回転し次弾が発射位置に来るとともに撃鉄が起きて落ちる、ダブルアクションの拳銃。

 

 七メートル以内なら必中の精度に、クイックドロウや連射に耐えるレスポンス。

 着火方式のせいで確実とまではいかなかったが、動作不良を原因とした不発は一度も無かった。

 

 フィリップのために作られた、フィリップのための武器。

 手のサイズに合わせ、戦形に合わせ、意見と要求を集約して作られた専用武装。

 

 それが今や、石ころ……とまでは言わないが、インゴットの出来損ない程度でしかない金属塊だ。

 何の形でもない、ただ溶けて、ただ固まっただけの形状に成り果てていた。

 

 「これは……なに?」

 「弾ポーチだったものです」

 

 溜息交じりに、銃の残骸より二回りほど大きい塊を示す。

 こちらはもっと黒っぽい、表面色に雑味の多い金属だ。鉄だろうという推測は、カノンの答えで肯定された。

 

 弾丸だったものの集まりだ。

 銃より簡単とはいえ、それでも銃口にぴったり合うように規格を統一し、飛び方に影響しないよう出来るだけ重心を揃えて作った鉄の球。それももう、原型を完全に失って一塊だ。

 

 「……これは?」

 

 最後の一つは、どれよりも小さく、どれよりも綺麗だった。

 溶けて固まった無惨な形ではあるが、表面には未だ光沢があり、冬の日差しの下で白銀色に輝いている。

 

 それが何か、なんという金属なのか、フィリップは確信を持っていた。

 

 「……懐中時計だったもの……です」

 

 カノンは声を震わせ、その確信を肯定する。

 アンテノーラは静かに見守っていたが、その心中にはカノンと同じく怖れがあった。

 

 「要らないなら捨てていい。その時は殺されてあげる」と言い切る彼女でさえも、恐怖を抱かずにはいられない。

 

 そういう状況だと──主人はそういう状態だと戦慄する二人に反して、フィリップはへらりと相好を崩した。

 

 「……なにビビッてるのさ。僕がブチ切れて八つ当たりをするとでも思ってる?」

 

 普段通りの表情。

 普段通りの声色。

 

 誰が見てもそう思える態度だし、フィリップは自分で言う通り、八つ当たりをするタイプではない。……とはいえ。

 

 「正直、意外なほど落ち着いておいでなので、それが一周回って超怖いです」

 

 フィリップは普段通りに見える。

 だが普通に考えて、普段通りのわけがない。

 

 無自覚、というか知覚するための意識が瞬時に途絶したとはいえ、一時は両手サイズの炭ボールにされた挙句、荷物全てを見るも無残に破壊されたのだ。

 常日頃からメンテナンスを欠かさない剣と銃ばかりか、肌身離さず持ち歩いている懐中時計までも。

 

 怒りが無闇矢鱈に発散されないということは──それは例えば、広く長く降り注ぐはずの雨が、一気に一点に流し込まれるようなもの。

 その宛先が大海であればなんてことは無いが、この世界は精々が金魚鉢。カノンやアンテノーラはそこに住むメダカみたいなものだ。

 

 フィリップの怒りが二人に向かないとしても、それは別に、二人が安全であることを意味しない。

 

 八つ当たりはしないにしても。

 とばっちりは喰らいかねない。

 

 そんな懸念が二人にはあった。

 

 「はははっ」

 「ひえっ……」

 

 愉快そうに肩を揺らしたフィリップに、カノンが小さく悲鳴を上げる。

 アンテノーラは無反応とまではいかないが、カノンより反応は小さかった。

 

 「落ち着くもなにも、形あるものはいつか壊れる、なんてのは殊更に言うまでもないことだろう? 僕だってそのくらい、言われるまでもなく分かってるよ」

 

 この世界も含めて──なんてのも、今更言うまでもないことだ。

 

 全ては泡。泡沫の夢。

 幾千といる邪神がちょっと激しめの貧乏揺すりをすれば星系が吹っ飛び、くしゃみ一つで星が砕け、ちょっとした思い付きや手元の狂いで世界のルール(法則)は捻じ曲がる。

 

 そうでなくとも──誰も何もしなくても、夢が弾けて消えることはある。

 眠りからは覚めずとも、夢を見ないほど深い眠りに落ちてしまえばそれで終わり。夢が揺らげば、全てが崩れる。

 

 そんな世界にあって、それを知って、もはや強い執着は生まれようがない。

 物質的なものに関しては特にそうだ。

 

 「僕は別に、時計が壊れたことに関して──僕の武器や他の持ち物なんかも含めて、僕のものが壊れたことに関しては、特に思うところはないんだ」

 

 泡が弾け、割れた。

 たったそれだけのことに、何を思うことがあろうか。

 

 諦観を抜きにしても、物は壊れるということを知っているし、理解も実感もしている。

 直せるなら直し、修繕できないなら他の用途で使い、どうにもならないならゴミ箱へ。そういう風に生きてきて、そういう思考や価値観が染みついている。

 

 まあ、でも。

 大切にしようとしていたものを壊されたこと自体には──自らの意を妨げられたことに対しては、それなりに不快感を覚えてはいるけれど。

 

 とはいえ、道化が愉快な冗談の一つも飛ばせないほど怒り狂っているつもりはない。

 というか、怒り()()という状態を、フィリップはもはや持ち合わせていない。

 

 至って冷静に──少なくともそう自認できる精神状態で以て、フィリップはぱちりと指を弾いて言った。

 

 「よし……こうしよう。まず、あのクソ劣等種をとっ捕まえてアザトースの玉座に叩き込む」

 

 

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