なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「まず、の時点でもう終わりなんですよそれは」
つい咄嗟に、というテンポでカノンから突っ込みが入る。
自分でも制御出来なかったかのように慌てて口を押えるが、ガスマスクに阻まれてあまり意味はなかった。
そんな間の抜けた仕草にフィリップはくすくすと笑い、それが更に道具たちの緊張を高める。
八つ当たりはされないと分かっていても、所有者である上位者の感情の動きには過敏になってしまうものだ。
「それから“狂気”を奪った上で全ての外神に目通しさせて、その全部を理解させよう。そしたら許せる気がする」
「か、過去イチで切れてます! ヤバいです! ちょ、なんか落ち着く歌とか歌ってください!」
縋るようにアンテノーラへ手を伸ばし、無慈悲に振り払われたカノンが地面に潰れる。
“生きた楽器”を歌わせられるのは所有者か指揮者だけだし、当然と言えば当然の対応だった。
「……ジョークだよ?」
「じゃあ0点です! ジョークはジョークと分かんないと意味ないんですよ!」
首を傾げるフィリップに、カノンは身を起こしてきゃんきゃんと吼える。
「流石に本職は厳しいなあ」
「これだから素人は──って誰が本職ですか! 私はピエロでも給仕でもなくて兵器なんですけど! 原住生物殲滅用生物複合戦闘機なんですけど!」
カノンはひときわ大きな声で吠え立てる。
しかしフィリップは「あったなそんな設定」とでも言いたげな顔だし、アンテノーラに至っては感心したような顔で小さく拍手までしていた。
完全に「珍しく面白い冗談を言ったポンコツピエロ」の扱いである。
「えぇ? そんなこと言って、僕が「じゃああのド劣等をブチ殺して来い」とか言うって思わないの?」
「ひぃん失言……! 王龍は流石に無理です……!」
涙を浮かべたカノンに、フィリップはけらけらと笑う。
そして一息つくと、真面目に思考を回した。
……一瞬だけ。
「じゃあ、ええと……うーん、まあ別に誰でもいいか。
ちょっとだけ真面目に「誰なら殺せるか」「どうやって殺そうか」と考えて、すぐに思考を放り投げる。
考えるのも面倒臭いし、真面目に考える必要性も感じない。どうせ同じだ。
誰であれ完遂できる。
誰であれ完遂する。
誰であれ
だから誰でもいいし、どうでもいい。
その結果として辺り一帯が更に手酷く吹っ飛ぼうと、大陸半分が抉れようと、世界がどうなろうと、どうでもいい。
……別に、それほどの激情があるわけではない。
撃たれた、死にかけた、大事なものを壊された──それもまた、どうでもいいことだ。
「それ以外はどうでもいい」と荒れ狂うほどの拘泥はないし、報復に対しても同じく、執着はない。
カノンには無理と分かり切っているから、別のカードを使うだけ。そしてどのカードでもいいから、適当に出そうとしているだけだ。
だが勿論、平時のフィリップならそんなことは有り得ない。
選ぶカードが過剰ではないか、本当に手札を切っていいタイミングかを、普段なら慎重に吟味する。計算が甘いことは多々あれど。
唐突な意識の回復から始まる驚きの連続によって、今のフィリップは思考がパンクしていた。怒りや不快感も多少はあれど、それらが全てではない。むしろ少ないくらいだ。
怒りに繋がる実感が、不快感を向ける対象への確信がない。
まあ、それはつまり取り繕っている思考の表層ではなく深層が
幸いにして、あとほんの一言で終わるはずだった勅命は、カノンの慌てた声によって遮られた。
「そ、そういえば! 懐中時計が壊れるのは二度目なんですよね!? また直させればいいじゃないですか!」
直後、主人の言葉を遮る無礼に、同僚からの制裁が加えられる。
二人とも座っている状態だったからか、珍しく寝技だ。フィリップでも知っているポピュラーな腕挫十字固だった。
ポピュラーではあるが、実戦やそれを想定した訓練では中々見ない技に、フィリップは興奮気味に笑う。
そしてその後には、無作為な外神を無造作に解き放とうとしていたことなど忘れていた。
普段の思考が吹っ飛んだフィリップにとって、外神の使用はその程度のことだった。
決断に際して何の葛藤も無く、何の重みもなく。故に、自分がそうしようとしていたことさえ簡単に忘れてしまえる些事だった。
「何故撃たれたのか」「追撃はないか、ここは安全か」「カノンやアンテノーラは何故無事なのか」──気にすべきことは山のようにあり、未処理情報が山積した脳の余った部分で、カノンの言葉を咀嚼する。
前回は、あれだ。
帝国でカルト狩りをしていたとき、フィリップと一緒に瓦礫の下敷きになって、ひどく歪んだのだった。
とはいえ、今回に比べれば軽傷も軽傷、実質無傷と言ってもいい。
なんせ今回は原型を留めていないのだから。
「うーん、アレは僕のミスだったし、ここまで酷くなかったし……というか、ここから直すなんてナイアーラトテップでも無理でしょ」
「いいえ、可能です」
カノンのものでもアンテノーラのものでもない声が答える。
突然のことにびくりと肩を跳ね上げたフィリップが振り返ると、漆黒のカソックに身を包んだ神父が居た。
正直見るまでも無かったが、顔に目を向ければ、やはり人外の美貌がある。
浅黒い肌に、黒い髪と瞳。人間では有り得ないほど整った顔に浮かぶのは柔和な笑みだが、その完璧な仮面の下にある嘲笑が、何故だかはっきりと読み取れた。
「ですが、まずはこちらを」
ナイ神父は恭しい礼のあと、いつの間にか──目を離したわけではなく、視線が遮られたわけでもないが、それでも「いつの間にか」としか言えない唐突さで──その両手に、下着を含めた服一式を捧げ持っていた。
「…………」
フィリップは下着から順に並んだそれを順番に受け取り、身につけていく。
地面に寝転がっていたことで付着した土や砂埃は、カノンが濡れタオルと乾いたタオルで綺麗に拭った。
最後に跪いたナイ神父の膝へ足を乗せれば、砂を払い、やはり二つのタオルで拭ったあと、靴下と靴を履かせてくれる。
下着から靴まで全てのサイズがぴったりなことに若干の気色悪さはあるが、驚きはない。
いつも通り──に見えて、実際は普段の5割増しで高級な装いとなったフィリップは、未だに「いつも通り」にならない部分に目を落とす。
懐中時計が無い。
ホルスターも、そこに収まるペッパーボックス・ピストルも、紙薬莢カートリッジの入った弾ポーチも、腰に佩く剣もない。
いい意味ではなく身体が軽いような感覚だ。
登校するのに鞄を忘れているような、買い物に行くのに財布を忘れているような。
どうにも落ち着かない。
改めてナイ神父に目を向ければ、彼は再び両手を捧げるように差し出した。
白い手袋の上には、小ぶりな銀色のインゴットと、幾つかの緑色の宝石がある。
「外装の白金と内部の錬金金属が融けて一塊になってはいますが、分離は可能です。蒸発した金属とグリーンスピネルもこちらに。同じ金属を使い、同じ部品を作り、同じ形に組み直しましょう。王都へお戻りになられた際にはお渡しできるかと」
振り返ると、カノンが布に乗せた金属塊を恭しく捧げ持って立っている。
それを渡すか渡さないか、フィリップの言葉を待っているのだ。
「……手作業で?」
「勿論」
「なんか邪神パワー的なの全部ナシで?」
「君の望まれた通りに」
「……」
「なんか邪神パワー的なの」という絶妙に語彙の無い言い回しに嘲笑を浮かべつつ──たぶん馬鹿っぽい言い方だけが理由ではないが──ナイ神父は非の打ち所がない所作で頭を下げる。
懐中時計がきちんと直るなら、それは願ってもないことだ。
正直なところ、フィリップの喉元まで「ありがとう」という言葉が出かかっていた。
だが恐らく、これは駄目なやつだ。
ナイ神父を利用するのはいいが、ここで素直に礼を述べるのは不味い。ナイアーラトテップの思考も嗜好も知らないし分かりたくもないが、今は何故か分かってしまった。
まあ落ち着いてよく考えてみれば、黙って渡せばよかったのだが。その辺りをきちんと躾けられているフィリップは、「ありがとう」に代わる言葉をどうにか探した。
結果。
「……有能!」
「10点ですぅ」
ほんの瞬きの後に姿を変えて現れたナイ教授の、辛辣な採点を喰らった。
いや本当に辛辣かどうかは最高点を訊いてみないことには分からないが、流石に10点満点ということはないだろう。どうせ100か、それ以上かだ。
これでは駄目らしいと理解したフィリップは、律儀に正解を探す。
「えーっと……大儀である?」
「20点くらいですねー」
「……」
覚えの悪いペットに向けるような呆れと、媚びるように間延びした声の裏にある嘲笑を感じる。
それでも数秒ほど真面目に考えていたフィリップだったが、ふと気付いた。
いや気付いたというか、我に返った。
なにを真面目に考えているのか──どうして真面目に考えてやらなくちゃならないのか。
ナイアーラトテップの思惑はなんとなく分かる。
『魔王の寵児』として相応しい思考、態度、振る舞いを身に付けさせようという思想教育を目論んでいるのだろう。
帝王学は人格形成の初期に施さなければ効果が薄いだろうが、フィリップは特例だ。
というか、今がまさに、人間的価値観と外神の視座が入り混じって確立し切っていない、ある種の人格形成期と言っていい。
だからまあ、行動それ自体を道理に照らして「間違っている」とは思わないが。
「面倒臭いなあ……」
心底かったるそうに呟き、フィリップは内心に苛立ちを募らせる。
そもそもなんで僕がコイツのご機嫌を窺わないといけないのか。
教育だか性癖だか知らないが僕の言葉を縛ろうというのか。それもそれでおかしい話だ。
──と。
ややあって一つ閃いたフィリップは、にっこりと笑って。
「ありがとうございます! 助かります!」
はっきりと、そう言い放った。
ナイ教授の表情は変わらない。
驚きも無く、落胆も無く、幼気で無邪気な笑顔の裏に嘲笑を隠している。猫耳がぴょこぴょこ、尻尾がゆらゆらと動いていた。
カノンは二人の上位者の顔色を窺うように恐る恐る視線を彷徨わせている。
そしてフィリップもまた、自分より低い位置にある少女の顔をじっと見つめる。
ただ、その口元は挑発的に歪んでいた。「さあ、どうする?」とでも問いかけるように。
ナイ教授はしばらくフィリップを見つめ──言葉に応えるのに無礼にならない、即座でもなく、さりとて遅くもない絶妙な間を置いて口を開いた。
「……60点でーす! じゃあ、時計だったものをお預かりしますねー」
「…………」
どうやら及第点には乗ったらしい。
ナイ教授の声は、語尾にハートマークでも付きそうに甘ったるい、しかし相当な上機嫌であることが容易に窺えるものだった。
面倒臭い。
ものすごく面倒臭い。“枷”があるときとは別ベクトルの面倒臭さだ。
カノンが懐中時計の残骸を渡すと、ナイ教授は残りと合わせて布で包み、背に仕舞った。
いや、背に隠すような仕草をした後、手に持っていなかったからそう見える。……背中にポケットでもあるのだろうか。
「……ちなみに剣と銃は?」
「それは時計やさんの取り扱い外ですねー。鍛冶やさんに持ってってくださーい」
ダメ元で聞いてみれば、思った通りの答えが予想通りの嘲笑と共に返ってくる。
ここで「なんでだよやれよ」と強く命じていれば違ったのだろうが、端からダメ元ということもあり、疑問よりも「やっぱりか」という納得が強かった。
まあそれはそれとして、むかつくのはむかつくのだが。
「…………」
「いえあの、そんな「一発殴っていいかな?」って顔をされても、私からは何とも……」
フィリップの素直な表情筋から内心を読み取って、カノンは切なげな声と共に頭を振った。