なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
そういえば、と。
フィリップははたと思い至った。
そういえば──剣師龍云々、王龍云々の話を、誰かイライザに伝えただろうか。
フィリップ自身はターゲット・ピストルとヴォイドキャリアに慣れるのに忙しく、ここ最近はイライザの訓練をルキアとステラに任せていて会っていない。
忙しい、というのは理由の一端に過ぎない。
最大の理由は、空を飛んだり範囲攻撃をしてくる仮想敵をフィリップでは再現できないから──王龍戦を見据えると力不足というか畑違いというか、訓練の質が、性質が異なるからだ。
王龍戦を見据えているからこそ、彼女たちも忙しい合間を縫ってイライザに訓練をつけてくれていた。
だから二人が話しているだろうと思いつつも一応確認してみると、なんと「NO」と返ってきた。
「まさかまだ伝えていないのか?」「てっきりフィリップが伝えていると思っていたわ」と、至極当然の反応と一緒に。
そんなわけで、フィリップはそこそこ叱られたのち、イライザの元へ赴いていた。
懐かしい魔術学院の門をくぐり、歩き慣れた医務室への道中で、治療を終えたらしい彼女とちょうど会う。
そのまま踵を返して門を目指す道で、フィリップは早々に本題に入った。
「──そういうわけで、三日後には王都を出るから。準備しておいてね」
「……ハイっ?」
イライザの声が裏返った。
肯定の「はい」でもなく、疑問の「はい?」でもない中途半端な音を恥じ入るように赤面し、咳払いを一つ。
「……はい。分かりました、師匠」
「相変わらず聞き分けがよくて助かるよ」
そう笑って、フィリップは少し迷った。
この件に関して、イライザには拒否権が無い。
彼女が嫌がろうが怖がろうが、フィリップたちは説き伏せ、宥めすかし、最悪の場合は引き摺ってでも連れて行く。
だからまあ、彼女があっさりと納得した時点で、フィリップは「じゃあそういうことで」とこの場を去っても良かった。
が、それは師としてはあまりに不親切だろう。
最終的にそう思い直したフィリップは、「何か質問は?」と尋ねた。
「ええと……剣師龍というと、帝国の山中に棲んでいて、目に適う人間にだけ超越的な剣術を教えるという、あの剣師龍ですよね?」
「有名なの?」
少なくともフィリップは、ミナから聞くまで存在を知らなかったのだが。
しかしまあ、元が宿屋の丁稚で魔術学院に居たフィリップよりは、先代衛士団長の下で剣を学んでいたイライザの方が、その方面に明るいのかもしれない。
「有名……かどうかは分かりませんが、剣術の流派について調べると必ず出てくる名前です。特に帝国には──」
「あぁ、ノア聖下に聞いたかも。相伝の剣術流派が幾つかあるんだって?」
その言い方からするに、剣師龍に教えを受けた一人が起こした流派が枝分かれしたものではなく、剣師龍の直弟子が複数人いて、それぞれが興した流派があるのだろう。
となると、剣師龍が人間に剣技を教えること自体は、極めて珍しいというほどではないらしい。
選ばれた人間のみではあるにしても。
「はい、そうです。剣師龍に選ばれて技を教わった、それらの流派の開祖にあたる方は、どれも大剣客、大剣豪、中には剣聖と呼ばれた方までいたとされています。正直、私が師事できるとは……」
「一応、帝国には考えがあるみたいだよ」
「そう、なんですか? いえ、でも、師匠でさえ剣師龍の目には適わなかったんですよ?」
イライザは重ねて不安を口にする。
しかし、彼女が気にしているのは、ずっと資格の有無だけだ。挑めと言われた難題自体への反発は見られない。
実際の王龍がどんなものかまでは知らないにしても、ドラゴンがどれほど強力な種であるかは当然に知っているだろう。
先代衛士団長の弟子は伊達ではない、と言ったところか。
「ちょっと向こうの通りの店まで行ってきて」とでも言うかのような軽いノリで、「ちょっとあの山越えてこい」と言われる──衛士からそんな話を聞いたとき、初めは冗談かと思って笑ったものだ。
「そうなんだ? それは意外だけど……そういうのを解決できる何かを、帝国側が持ってるんでしょ、多分」
先代が剣師龍に師事できなかった──一度は挑んだという話は初耳だった。
模擬戦とはいえ現役の衛士数人相手でも圧倒できるほどの彼が、それに値しないと判断されたというのも。
過去の大剣豪たちがどれほどの才覚を有する強者だったのか、好奇心が湧くくらいには。
だからこそ、上位者なら人間なんぞの交渉で自分の在り方を曲げてくれるなと言いたいところではあるけれど。
先代を蹴ってイライザを受け入れるなんて、強さを基準にするなら絶対に有り得ないことだろうに。
「あの、ところで……ドラゴンって、人の言葉が通じるんですか?」
「個体によるね。人間なんかに興味を持たない
以前に遭遇した剣師龍のパペットである泥人形は、口もないのに巧みな人語を使っていた。
あれは長く──数十万年もの間、人間を観察する中で手に入れたものだろう。しかしそれも、人間を観察しようと思わなければ、勝手に身に付くようなものではない。
人間の剣術への興味故か──しかしステラは、剣師龍を指して『剣術という概念の創始者』と言っていた。
ならば順序としては、剣師龍が先んじて人類に興味を持って剣術を教えていなければおかしい。
まあこの手の伝承は時間の中で変容していくものだし、必ずしも正しいとは限らないけれど。
「ドラゴンとお話し……まるで冒険譚みたいですね!」
イライザは楽しそうに期待を見せる。
ミナの強さと、彼女が訓練の中で幾度となく死んだという情報を持っていなければ、案外このくらいの反応が普通なのだろうか。
正直なところ、もっと「無理です! できません! 怖いです!」という反発を予想していたフィリップは、自分の中にある“普通像”を修正した。
「まるでというか、龍狩りに魔王討伐なんて、大抵の冒険譚のモチーフだよ? 生還……いや、たとえ途中で死んで二度と王都に戻らなくたって、君がモデルの英雄譚が幾つも図書館に並ぶだろうね」
というか現時点で、彼女をモデルとした英雄譚や冒険譚の類は幾つか見た。
歴代最年少の勇者にしてそこそこ珍しい女性勇者ということもあって、これからもっと増えそうだ。
フィリップが把握している作品数は片手で足りるが、口伝で広められる吟遊詩人の歌まで含めると、きっともっと多いだろう。
殊に、龍狩りへ挑んだとなれば。
フィリップにはその実体験がある。
勿論、あの時は王国が情報統制を敷き、フィリップの素性は殆どが秘匿されて、“龍狩りの英雄”は煌びやかな鎧を纏った筋骨隆々の美丈夫ということになっているけれど。
「師匠は……フィリップさんは、そういうことをやり遂げて、生きて戻ってこられたんですよね」
「……憧れてくれるのは嬉しいけれど」
きらきらと輝く瞳で見つめられ、フィリップはさらりと心にもないことを言う。
あの時のことを未だに引き摺っていられるような真っ当なメンタルはしていないが、それだけに、龍狩りに対する思い入れは殆ど無い。
ルキアや衛士たちを助けられて良かったとは思うが、当時の自己嫌悪も絶望も無ければ、思い返して誇らしくなるようなこともない。フラットなものだ。
だから自慢も謙遜もなく、言葉には定型の挨拶くらいの──「おはよう」と言われて「おはよう」と返したくらいの意味しかない。
「僕は500歳くらいの古龍相手に数分逃げ回るのが精々だった。今回──いや、勇者である君に求められているのは、僕をモデルにした話より、もっと遥かに難しいことだよ」
「はい。分かっています……」
言われて、イライザはしかつめらしく頷く。
しかし、青い瞳に宿った決意と憧憬の輝きには微塵の曇りも無かった。
「ですが、弟子が師に恩を返すたった一つの方法は、師を超えること……そうですよね?」
「え? あー、うーん……そう……かも?」
曇りなき眼で見つめられ、フィリップは苦笑交じりに言い淀む。
その理屈で行くと、ウォードにもマリーにもソフィーにも、エレナにもミナにも、ルキアとステラにも勝てていないフィリップは、未だに恩を返せていないことになってしまう。
いや別に、恩返しに強い拘りがあるわけではないけれど。
都度都度でチマチマ返すくらいのつもりはあるが、殊更に皆を超えようとは思わないし、そもそも超えられる気もしない。全くしない。
しかし、フィリップとイライザの価値観や思想が違うなんて当たり前のことだし、ここで「いや、僕はそうは思わないな」なんて態々言う必要はない。
言う必要があるとすれば、それは。
「死なない程度に頑張ってね。それと、王龍を迂闊に殺しちゃわないように」
「あはは……」
王龍を殺したら、最悪、人間ではなくなる。最悪──というか、唯一の例ではそうなった。
そしてイライザが人間でなくなれば、フィリップは彼女に対する興味の大半を失うだろう。
フィリップとしては、実現可能性こそ皆無と見てはいるが、大真面目な忠告だった。
引き攣った苦笑を返したイライザの反応からすると、「相変わらず冗談が下手だなあ」くらいにしか思われていなさそうだけれど。