なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 剣師龍ヘラクレスの棲み処だとされているのは、帝国中部にある1000メートル級の山脈だ。

 

 国境越えまでは王国軍が同行し、帝国に入れば帝国軍が護衛を務め、道中は快適なものだった。

 帝国軍は近くの街に駐留し、訓練終了時にフィリップたちが合流する手筈となっている。

 

 訓練の想定期間は──三週間。

 

 長いと見るか、短いと見るか。

 

 王龍が近くにいるとか、既にその被害で親しい人や帰る家を失った人間にしてみれば、何を悠長なと愕然とする長さだろう。

 

 しかしフィリップたち──聖痕者たちにイライザ自身も含めた六人にしてみれば、非現実的な短さだ。

 

 先代は新しく入った弟子に、概ね六から八週間かけて基礎戦闘能力養成を行う。

 領主軍や衛兵も、より少なく楽なものとはいえ、三週間程度は基礎訓練を課すところが多い。

 

 基礎訓練──三週間で身に付くのは、基礎程度だとされている。

 

 イライザにはある程度の基礎能力や戦闘技術があるとはいえ、目標を龍殺しとするのなら、三週間はあまりにも少ない。

 

 いや六週間あれば王龍を殺せるくらい強くなれるかと言われると、全然そんな気はしないけれど。

 

 魔王征伐や各所とのすり合わせを踏まえてステラが出した結論は三週間。

 一先ずはルキアとフィリップに「どうだ?」と尋ねた彼女に、フィリップは真顔でこう返した。

 

 「いや、あと五年くらい欲しいですね」

 

 ステラは僅かに眉を顰めたが、ルキアは何も言わなかった。

 そして二人とも、内心では同意していた。ここ三年くらいのフィリップの成長率で──或いは物心ついてから聖痕を手にするまでのルキアやステラの成長率で五年ほど鍛えれば、或いは王龍に届くかもしれない。

 

 ここまで盛った想定で、なお「かもしれない」と接尾辞がつく辺りが悲しいところであり、厳しい現実なのだが。

 

 「はぁ……ふぅ……。あとどのくらい……?」

 「三十分くらいです」

 「さっきも……そうじゃなかった……?」

 

 鬱蒼と木々の並ぶ山道。

 

 ──否、獣道でさえない、藪を搔き分けながら進む山。

 道なき道ならぬ、道なき山道ならぬ、ただの山。ただの斜面。

 

 大きな登山用リュックを背負い、荒い息をしながら問いかけるのはヘレナだ。

 返すノアの呼吸は全く乱れておらず、体力の差がはっきりと分かる。

 

 個人用テントから着替えや携帯食料まで詰め込んだ背嚢はかなり重い。

 魔術で持ち上げて運ぶという選択肢がない現状、女性には大きな負担──いや、ノアも女性ではあるけれど。

 

 魔術を使えないというのは、山脈に入るにあたって帝国からあった幾つかの注意事項の一つが「極力魔術を使わないこと」だったからだ。

 

 王龍を刺激しないように、とのことらしい。

 フィリップには、人間なんかの魔術や魔力の反応が、龍種にとってどのくらい脅威に映るのかと疑問ではあるが──フィリップは所詮、魔術の基礎理論をちょろっと習った程度のものだ。

 

 専門家が「やめておけ」と言うのなら「いや大丈夫でしょ」と楽観的に言うのは憚られた。

 

 「さっきって、先輩が同じことを聞いた五分前のことですか? このままペースが下がっていったら、五分後にも三十分くらいって答えることになりますよ」

 「この前のサムロア山より、もっと「山」っていうか「森」っていう感じで、確かに疲れますよね」

 

 一行の中で特に余裕そうなノアとイライザは、励ますように笑いかける余裕まであった。

 流石は現職の軍人と、先代衛士団長の弟子だ。

 

 フィリップも彼女たちほどではないにしろ、そこそこ余裕のある方だった。

 

 「ルキアと殿下は大丈夫ですか?」

 

 殿を務めながら、ちょうど前を歩く二人を気遣える程度には。

 

 「ええ、フィリップが荷物を持ってくれているお陰で。でも、あと一時間や二時間と言われると厳しいわね」

 「お前こそ大丈夫なのか? この手の訓練はしていないだろう?」

 

 魔術でどうにかなる水は少量で済むとはいえ、着替えに食料に救急キットにと荷物は多い。

 長期間の野営を前提としている今回の遠征は、特に。本番では馬を使うとはいえ更に増えることを思うと、魔術師たちにも体力が求められる。

 

 勿論、三人ともそれを想定して日頃から運動はしているものの、やはり本分は魔術であり、登山レベルの負荷に耐えられるほど鍛え上げてはいなかった。

 

 フィリップはそれを見越して、山を登る前に二人の荷物の一部を受け持っていた。

 流石に全てとはいかなかったが、特に重たいテントなどの野営器具を主に。

 

 「このまま戦えと言われたらキツいですけど、このペースなら大丈夫です」

 

 まあ魔物でも出てきたらちょっと面倒かもしれないが、前を歩く四人の聖痕者が瞬殺するだろう。

 というか、この四人で瞬殺できない魔物が出てきたら、フィリップは荷物があろうが無かろうが関係なく勝てない。

 

 フィリップ、ルキア、ステラ、ノア、ヘレナ、そしてイライザ。

 今回のパーティーメンバーはこの六人。そして最弱はフィリップとイライザのどちらか──聖剣だの疑似熾翼だのを考えると、まあフィリップだろう。

 

 「おい」

 

 背後のぞんざいな呼び声に、フィリップは同じくらいの適当さで振り返る。

 ここは王龍の縄張りであり、人間が踏み入ることは殆ど無いという山の奥。そして自分が殿。背後から呼び止められることなど、普通に考えて有り得ないというのに。

 

 フィリップは人間や魔物、神話生物や神格に対してさえも脅威を感じにくいが、人間的常識として「山を舐めたら死ぬ」という警句は知っている。

 だから獣の類には意識的に警戒していたし、唸り声や、蛇の威嚇音なんかには反応出来ただろう。

 

 だが、人語では駄目だった。

 本能的な恐怖感と警戒心を励起させるものでなければ。

 

 フィリップが背後に目を向けたとき、三歩ほどの位置にヒトガタが立っていた。

 両脇と両肩、そして股間の5ポケットを持つ二足二腕のシルエット。しかしそれを一目見て“人間”だと思う者はいないだろう。

 

 それは一見してヒトガタであり。

 そして一見して──泥の塊だった。

 

 目も鼻も口もない、人間の輪郭だけを模した泥人形。

 

 フィリップがそれを認識したとき、眼前には青白い半透明なガラスのような壁があった。

 内側に湾曲した、フィリップから見るとボールの内側に居るような感覚になる曲率の壁。

 

 二枚重ねのそれは、泥人形が適当に突き出した木の枝によって、ぱん、と陶器が割れるような音と共に砕け散った。

 

 「──!?」

 

 警告は飛ばない。

 息を呑む音すら間に合わない。

 

 特に先鋭でもない、落ちた枝をそのまま拾ったような棒切れが、絶対不可避の“間”で以て喉元に至る。

 

 訓練の繰り返しで顔の近くに物が近づいても目を瞑ったり顔を背けたりといった反応をしなくなったフィリップは、それを呆然と──でもなく、ただ単に、無感動に見つめていた。

 

 聖痕者の魔術障壁は破城槌すら受け止める。

 それを二枚、薄いガラスのように通した木の枝は、しかし、遥かに脆い人間の首を斬り落とすことなく、肌に触れる寸前で止まった。

 

 「……死にに来たのか? そんな風情じゃねえが、そういうメンタルには見える」

 

 口のない、恐らくは肺も声帯もないだろう泥人形が声を発する。

 

 反対に、人間サイドは誰も言葉を出せなかった。

 泥人形の放つ強烈な威圧感に負けているのはイライザ一人。

 

 ルキアとステラは魔力障壁をいとも容易く砕かれたことに、ヘレナとノアは()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに驚き、何よりも、泥人形に込められた膨大な魔力の量に放心していた。

 ヘレナとノアの魔術を、何もせずに、ただ素の抵抗力だけで無効化する──並みの魔物に出来ることではない。

 

 この場の全員が、過去、これと同じものを見ているわけではない。

 しかしこの場の全員が、眼前の泥人形が“何”であるかを理解していた。

 

 剣師龍ヘラクレスのパペット。

 分身や化身に類する何かだ、と。

 

 「いや。彼女に稽古をつけて貰いたくて来た」

 

 フィリップは控えめに両手を挙げて敵意が無いことをアピールしつつ、背後のイライザを示す。

 その表情に恐怖は無く、口ぶりも落ち着いてはいるものの、「なんか嫌われてるのかな?」という内心の困惑は顔に出ていた。

 

 木の枝と、それを持った泥の腕がすっと下がる。

 

 「あぁ……勇者か。そんな時期か。……オーケー、軽いテストをしよう」

 

 泥人形の顔が動く。イライザをちらりと見た──のだろうか。

 目のない泥人形はほんの一瞬でイライザの正体を看破し、つまらなさそうに言った。

 

 「お前にとって剣とはなんだ? ──あぁいや、違う。お前に聞いてるんだ。()()の目の前にいる、ヴォイドキャリア持ったやつ──そう、お前だよ」

 

 イライザの方を振り返ると、泥人形はそう言ってフィリップの視線を自分へと戻した。

 「僕?」と自分を指せば、頭部にあたる泥の塊が頷くように上下する。

 

 「剣とは何か……? えーっと……武器?」

 

 フィリップは暫し悩み、そんな答えを捻り出した。

 

 いや、絶対そういうことではない。

 そんな「貴方は誰?」「人間!」みたいな、舐め腐った答えは期待されていないだろう。

 

 しかし、それっぽい答えが何も思いつかない。

 フィリップはふざけたわけではなく、顔のない泥人形相手に冗談を言ってみたわけでも、当然ない。黙るよりは何か言った方がいいだろうという真面目な思考の結果として、どうにか捻り出した答えがそれだった。

 

 「ほう。では次、技とはなんだ?」

 

 背後からは困惑の声が上がるが、泥人形からは感心したような声が返ってきた。

 

 ルキアが立ち位置を変えようと僅かに動き、フィリップは片手でそれを制止する。

 いざという時に泥人形を消し飛ばせる位置に居ようという判断自体は正しいが、今はどういうわけか、泥人形──それを操る剣師龍ヘラクレスの意識がフィリップ一人に向いている。

 

 それは好都合だ。

 なにかの気まぐれや戯れでルキアやステラが害される可能性が、無いとは言わないまでもかなり低い。低いはずだ。

 

 剣師龍の性格はよく知らないが、目に留まらないものを意識するのは当然に難しいだろう。

 このままフィリップとイライザを──何ならフィリップだけを意識していてほしい。

 

 「人による。あの“飛ぶ斬撃”は僕にとっては絶技そのものだけど、ミナにしてみれば精々ジャンプくらいのものらしいからね」

 「そういうことじゃねえんだが……まあいい。次、何のために剣技を求める?」

 

 泥人形の言葉に、フィリップは小さく眉根を寄せた。

 

 「僕じゃなくて彼女に教えて欲しいんだけど──」

 「分かってる。いいから答えろ」

 

 面倒臭そうな口ぶりに、フィリップの顔が更に険しくなる。

 これで相手が邪神なら、不快感をそのままぶつけているところだ。

 

 とはいえ、相手は木の枝を振って100メートル先の森を切り拓く化け物だ。一対一ならまだしも、背後にルキアたちを庇っている状態で挑発的な行動はできない。

 

 一対一ならまだしもと言うにしても、それはフィリップの剣技や戦闘能力ではなく、辺り一帯を消し飛ばす"爆弾"を念頭に置いてのことだ。

 

 フィリップは溜息を吐き、不快感を無視して答えた。

 

 「魔王を殺すためだよ」

 

 泥人形の表情は変わらない。

 相変わらずの泥の塊、目も鼻も口もない。

 

 しかし、どこか疑わしげな空気が感じられた。

 

 「魔王、魔王ね……。お前たちの言う魔王ってのは」

 「魔術的に隔離された空間にいるっていう、七つ頭の王龍。ミナが魔王龍サタンと呼び、貴方はプロメテウスと呼んでいる、数十万年規模の王龍だ」

 

 何を疑われているのか──或いは侮られているのかを察したフィリップは、やや早口に疑いを晴らそうと試みる。

 

 人間サイドが魔王龍について知っていることは、ミナから教わった程度の──面倒くさがりの彼女が、面倒くさそうに語った程度のことしかない。

 

 しかしそれでも、これまでの人類よりは進んだことのはずだ。

 

 実際、泥人形は表情こそ変えなかったが、どこか感心したような声を上げた。

 感心。感心。また感心だ。元が相当に舐められている──或いは人類の蒙昧さを知られ過ぎている。

 

 「ほう。……それを知った上で殺そうと考えた勇者は、俺の知る限り三人目だ」

 

 魔王の正体──或いは魔王の実態を知った上で挑むという判断を下したのは、どちらかと言えば、いやどちらかと言うまでもなくステラだけれど。

 

 しかし彼女と同じ判断をした人間が居たことも、魔王の実態について知っていた人間の存在も、どちらも初耳だ。

 

 それはフィリップが殊更無知だからではなく、ステラのような数多くの文献にアクセスできる立場の者でも、ヘレナのような経験者でもそうなのだから、情報が伝わっていないのだろう。

 

 何故かまでは分からない。

 意図的に秘匿されたのか、はたまた伝える前に死んだのか。

 

 まあ、それはどうでもいいことだ

 いま重要なのは、過去のことではない。

 

 「剣技であることに拘りはない。王龍を殺す術を、彼女に教えて欲しい」

 「そう急くなよ短命種。テストはまだ終わってないぜ」

 

 フィリップははっきりと要請したが、泥人形はどこか可笑しそうな空気を漂わせるばかりだ。

 

 拒否ではない。

 しかし承諾でもない。

 

 その言葉通り、フィリップたちは──否、どうやら、何故か、フィリップは見極められようとしていた。

 

 フィリップは──というか、フィリップが。

 何故か、イライザではなく。

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