なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
イライザと同時に、フィリップもまた泥人形の講義を受けていた。
どこか強張った空気の漂うあちらと違い、こちらの空気は、言ってしまえば弛緩していた。
あちらは報酬を得て交換条件として教えている教師と、使命感と義務感を背負った真面目な生徒。
強大無比な王龍と、自分の弱さを知る勇者だ。
こちらは報酬として好奇心を満たそうとしている趣味人──趣味龍と、仕方なく付き合っている趣味人。
価値のない泡と、価値のない泡。劣等種と劣等種だ。
モチベーションから相手への認識まで、何から何まで違う。
とはいえ、フィリップもやることは真面目にやるタイプだ。
ヴォイドキャリアの能力解放が必要なことなら、全身全霊を賭す心構えではなくとも、出来るだけのことはやる。
気楽に。けれど真面目に。
「魔剣ヴォイドキャリア。その能力は、簡単に言えば射程の延長だ」
「厳密には違うの?」
「違うね。俺の斬撃飛ばしは間合いの延長、ヴォイドキャリアのそれは間合いの
間合いの延長。
と──無視。
言葉からすると、前者には射程限界があり、後者にはなさそうな印象を受ける。
まあそういう詳しい説明がこれからあるのだろうと、フィリップは黙って先を待った。
「俺の剣技は谷向こうの山まで届く。その間にあるものを全て斬り飛ばしながらな」
泥人形の示した方に目を向ける。
と、ちょうどイライザの指導をしている泥人形が、向こうの山に十字を刻んだところだった。
一キロかそれ以上──上級魔術並みの射程だ。
刃による圧力集中で剪断破壊が云々、という話では、もはやない。
木の棒を振って一キロ先からでも目視できる破壊痕を、山の斜面に刻み込んでいるのだから。
フィリップは泥人形に胡乱な目を向けるが、勿論、泥人形の表情は変わらない。
相変わらず、目も鼻も口もない。
「ヴォイドキャリアは違う。ヴェルメリアは終ぞ、そいつの最奥には辿り着けなかったが──そいつには
果て──というのは、射程限界のことだろう。
そう思って「ふーん」と適当な相槌を打ちかけたフィリップだったが、泥人形の言葉はまだ続いた。
そして、フィリップの認識は間違っていた。
「そいつは何でも斬れる。何処に居ても、どんな位置からでも、斬ろうと思ったもの──いや、
果てがない──上限がない。
対象までの距離、遮蔽物の有無、対象の強度まで。
仮に無限の射程があったとしても、直線なら、人間の地上での視界は4キロほどだ。
地球の曲率によって、それ以上先は地平線の彼方へ消えてしまう。
それすらも無視できる、ということなのだろう。
超地平線射撃──ではなく、超地平線斬撃。
壁の向こうどころか大地の向こう、言うなれば
それはまあ、凄いといえば凄いのだろう。
物理的にはどう考えてもありえない現象だし、『明けの明星』が四キロ以上は重力を振り切って空に消えていくことを思うと、あれ以上の射程ということに──まあ、あれは地表に対して攻撃できないだけで、宇宙空間まで届くけれど。
……いや。
話の通りなら、これだって──ヴォイドキャリアの能力解放だって届くはずだ。
例えば月へ、太陽へ、星々へ。
フィリップがその存在を知っていて、見える──狙えるものなら、どこまででも。いや、見えることが必須かどうかは分からない。
もしかしたら目視すら必要なく、本当に何の制約もなく、ただ斬れるのかもしれない。
……いや、泥人形の言葉から、あれこれ想像を巡らせていても始まらない。やってみるしかない。
「起動詞は『無刃にて無尽を断つ』、だ。魔力を流し込め」
「僕、魔力操作は苦手なんだけど……。無刃にて無尽を断つ──、っ!」
血の気が引く。
脳を含む内臓がすべて液状化し、柄を握る掌から流れ出たような感覚だった。
意識的に流し込むというより、本当に、フィリップ自身の意思とは関係なく吸い出されるような強制感。とめどなく溢れ続けるゲロのような、動脈に傷がついたような。
直後、急激に気分が悪くなる。
眩暈、吐き気、強烈な倦怠感と脱力、末端の感覚喪失。典型的な魔力欠乏の症状だ。
ここ最近は現代魔術の練習をしていなかったからか、懐かしさすら感じる。
再会は微塵も嬉しくないけれど。
「立て。俺が敵なら、或いは眼前にプロメテウスが居れば──なんて、態々言う必要は無いだろう?」
「……っ」
言われて、フィリップは自分が膝を突いていたことに気が付いた。
瞬間的に、本当にコンマ数秒程度だけだが、意識が飛んでいた。勢いよく突いたらしい膝が痛む。
遠く──いや、それほど遠くではない。ただピントの合わない視界の端で、誰かがこちらに駆け寄ろうとして、別の誰かに止められているのが見えた。
立ち上がって軽く手を振り、大丈夫だと示しておく。
手にしていたはずの魔剣は、意識が飛んだ時に手放したのか見当たらなかった。
視線を彷徨わせるが、足元に落ちているわけではない。
「今、お前はヴォイドキャリアを握っている」
「……?」
「イメージしろ。そいつはそういう機序だ」
泥人形の言葉が分からない。
人語、共通語ではある。しかし内容が理解できない。耳に入った声が、単なる音として頭蓋の内を滑って出て行く。
息が苦しい。
息を吸っても吐いても、加速した血流が上手く酸素を取り入れてくれない。
魔力欠乏が深刻だ。
「そいつは道具だ。どこまでも忠実に、どこまでも率直に、どこまでも正しく道具だ。故に、
泥人形の声が遠い。
違う。互いの位置は変わっていない。遠退いているのは、だから、意識の方だ。
「斬る──斬れる? どこまで? 次元、そう、次元断……?」
アトラク=ナクアの次元超越糸を切り裂き、存在格の隔絶を貫通する。
複数の次元を渡るもの。幾つもの次元を縫い留めるもの。
これはあれを斬った。
……いや、本当に?
あれは、だって、フィリップの手で千切ることだって出来た。
だからこれは、別に大したものではなくて──あれだって大したものではなくて。
これで斬った、これがなければ倒せなかった古龍だって、何ら価値のある存在ではなくて。
泡が泡として弾けただけのことで。
……何の話だった?
何を考えていた?
何をしていた?
思い出せない。
瞼が重い。思考が空転する。身体の動きが、感覚が鈍い。
そう、確か──何かを斬ろうとしていた。
ものの斬り方なら覚えている。
思い出すまでもなく、身体が記憶している。
ならばあとは、それに従って──。
「──あぁ、いや、待て」
冷たく湿ったものが触れた、と感じた時には、フィリップの視界は90度以上ひっくり返り、背中から地面に叩き付けられていた。
「ぐえっ」と意図していない声が漏れる。
「人間に本気で驚かされたのは千年ぶりだ。お前、馬鹿じゃねえのか?」
受け身も取れず転がっているフィリップに、上から呆れたような声が降ってくる。
呆れた、ではなく呆れたよう、なのは、声はその一色だけでは無かったからだ。
呆れてもいるが、面白がってもいたし、感心も見えた。
「他次元の存在を知ってる奴は珍しいが、お前だけじゃない。だが
魔力欠乏の上に投げ飛ばされ、何が何だか分からなくなって──取り敢えず投げ飛ばされた分はやり返そうという、極めて単純で原始的な思考に染まりかけていたフィリップだったが、地面を転がっていたおかげで、背後から駆け寄って来ている二人に気付くことができた。
ルキアもステラも魔術を展開したりはしていないし、慌てふためいた全力疾走という風情でもないが、あまり心労をかけるのもよくないだろう。
そう思ったフィリップは立ち上がろうとしたが、腕に力が入らない。
殆ど全く──上体を起こすだけの力さえも。
「“枠”を知ってるんなら、“枠の外”も知ってるだろうに。何を考えてやがる──、と、あぁ、いや、何も考えられてなかったのか。まずはその魔力量をどうにかしねえとな」
そんな言葉を最後に聞いて、フィリップの意識は暗転した。
自分がなにを斬ろうとしたのか、斬れるものだったのか、斬ったとしてどうなっていたのか──そのことに考えを巡らせる間もなく。
「⋯⋯魔力欠乏よ。致命的な領域ではないけれど、しばらくは目を覚まさないでしょうね」
倒れたフィリップの頭を持ち上げ、その下に自分の膝を差し入れて枕にしながら、ルキアは言った。
だろうな、とステラは頷き、泥人形に目を向ける。
「どうにかなるものなのか?」
「後天的に魔力の質や量を増強できるかという意味ならイエス。それが魔剣の起動に十分なものかと言えば、ノー」
前提の才能がねえよ、と泥人形は切って捨てる。
不幸にも、聖痕者だけでなく王龍からさえも才能無しと言い渡されてしまったが──まあ、フィリップとて理解していることだ。
たとえ目を覚まして聞いていても、まあそうだよね、と軽く受け入れられる程度の話だった。
「ではどうすればいい? 私たちが外付けの魔力タンクにでもなるか? それとも、私たちがヴォイドキャリアを持つか? 王龍を前に、こいつが昏倒するような事態は避けたいが」
フィリップが召喚術を使えない状態に陥ることは、切り札の──最終保険の喪失を意味する。
一発で魔力欠乏に陥るようなカードを前提に戦術を組み上げるわけにはいかない。
「どちらもノーだな。こいつは他人の魔力を扱い熟せるほど魔術適性が高くねえし、お前たちではヴォイドキャリアの全力は扱えない」
「適性がないということ? それとも、剣の腕が求められるのかしら?」
ルキアもステラも、剣が全く使えないわけではない。
高度な礼節教育としての儀礼剣術、護身技術としての宮廷剣技、伝統的な決闘法などなど、魔術師としてではなく──戦闘技術としてではなく、貴族や王族の嗜みとしてではあるが。
ただ当然ながら、本職の剣士を凌ぐほどのものではない。
フィリップには魔剣が使えるが二人には無理で、その理由が剣術の腕だと言われれば、自分たちでは不足なのだろうと納得出来る程度だ。
「それもある。適当に振り回して最高の威力が出るような代物じゃねえ」
「それも? ではカーター……こいつには適性があるのか?」
納得出来ることを一応確認する程度のルキアとは違い、ステラの声色は懐疑的だった。
こと魔術的な話で、フィリップに“適性”なんてものがあるとは思えない、とでも言いたげな。
泥人形はふむ、と小さく唸り、言葉を探る。
「魔剣には、それぞれ“核”のようなものがある。それは思考に近しく、また嗜好とも言えるが、所詮はモノだ。知性はない。適性とは少し違うが……要は、魔剣を扱うには、まず魔剣が手に馴染む必要がある」
使い手を選ぶ魔剣、というと些かファンタジックだが、ヴォイドキャリアは冒険譚に描かれるようなファンシーな代物ではない。
実在する物品であり、正体不明の物体だ。
「今のヴォイドキャリアは、俺が見た過去のどの使い手の下にあった時よりも励起度が高い──“核”がそいつを認めている。適合している。……いや、言葉が合わねえな」
泥人形は暫し、棒立ちのまま硬直する。
糸の切れた操り人形、という形容が当てはまるような頽れ方はせず、むしろ泥の柔らかさが失われて固まってしまったかのような直立姿勢だ。
それは人間で言うところの黙考で、恐らく、剣師龍の思考が泥人形の操作から離れたことによるものだろう。
ややあって、龍は人間の語彙から最適な表現を見つけた。
「どちらかが合わせているとか、どちらかが認めているとか、そういうものじゃねえ。意志ある剣なんてものも世の中にはあるが、ヴォイドキャリアは違う。ただ柄が手に馴染むかどうか、手が柄に馴染むかどうか。そういう話だ」