なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
模擬戦形式とはいえ、剣を手に馴染ませるという、言ってしまえば基礎の基礎のような訓練をしているフィリップ。
そこから互いを巻き込まない程度の距離を開けて、イライザはそれより少し高度なことを要求されていた。
聖剣の習熟。
というより、聖痕や疑似熾翼の習熟──勇者の力への熟達。
本来は魔術適性や魔力量をカバーするための外付け補助装置である疑似熾翼への依存度を下げることで、イライザ自身の意思を強く反映させるためのもの。
今のイライザは、固定された弩のトリガーを引いているだけ。
適性的に、彼女自身が弩を作ることは出来ない。
だからせめて射角を調整し、矢を削ってベインを貼り、リムの強さまで調節出来るようになること。
そうすれば、少なくとも同じ場所に同じ威力の矢を放ち続けるだけの、弩の起動パーツではなくなる。
──とはいえ。
魔術適性なしにそれを行うということは、知識も工具も無しに弩を弄ろうとしているようなものだ。
必然、手探りになる。
「⋯⋯あの、魔術演算と魔力の一部を自分で、というのは分かりましたが、具体的にはどうすれば⋯⋯?」
イライザはおずおずと手を挙げて尋ねる。
そんなことも分からないのか、という叱責を恐れているわけではない。
というか彼女には、不理解を理由に叱られた経験がなかった。
先代は勿論のこと、フィリップも、彼女の質問がどれだけ基本的なことであれ、それを理由に叱りはしない。
まあフィリップは性格的に──性質的に、彼女の拙さや未熟とは関係なく、軽視や嘲笑を滲ませることがあるけれど。
だから彼女が抱いているのは、「ものすごく難しいことを言われたらどうしよう」という恐れだった。
先代やフィリップがそうするように、だ。
イライザにはとても難しいことを、さも簡単そうに──実際簡単にやってのけ、彼女にも「やれ」と言い、出来なければ出来るまでやらせる師匠たちのように。
泥人形は暫し沈黙し、イライザを見守る二人の聖痕者の方に顔を向けた。──パーツのない泥の頭部を。
「⋯⋯魔力操作の感覚を教えてやれ」
「適性のない人に、それも勇者ちゃんの年齢に教えるって、かなり難題なんだけど⋯⋯」
ノアはぼやき、ヘレナは黙考する。
魔術や魔力操作は体系化された技術とはいえ、その本質が脳機能、感覚的なものである以上、言葉で説明して教えきれるものではない。
魔術師──魔術適性のある人間にとって、魔力操作は身体操作と然程変わらない。
脳の命令一つ、意識一つで、筋肉を動かすように魔力を動かせる。
勿論、身体操作同様に、動かし方の難易、動きの巧拙は適性や研鑽によって大きく個人差がつくが、やろうとしてやれない魔術師はいない。
走るのが速い人間と遅い人間がいるようなものだ。
そして走れない人間は、この場合は魔術適性が無いと──魔術師ではないということになる。
ノアは、謂わばトップアスリート。
魔術学院長であるヘレナはコーチみたいなもの──現役プロの──だが、しかし二人とも、走ったことがない人間に「走る」を教えるのは初めてだった。
この例で言えば、イライザには足があるかどうかさえ不確かなのに。
こと魔術に関して、才能は種だ。
土を整え、水を遣っても、種が無ければ芽は出ない。実を結ばないどころの話ではなく。
「魔術師は基本、物心ついた時にはある程度の魔力操作が出来るものだし、適性があるなら多少の切っ掛けでやり方を掴むものだけれど⋯⋯」
ヘレナは真剣な顔で──困った顔にならないように気を張って、イライザをじっと見つめる。
ノアもヘレナも魔術師だ。そして二人には聖痕こそあるが、疑似熾翼はない。聖痕だってただの勲章で、なにか魔術的な特殊効果はない。
外付けの魔術行使ツールの使い方や仕組みなんか知らないし、もっとうまくやる方法を教えろと言われても無理だ。
走れるなら馬の乗り方も教えられるだろ、くらいの乖離だった。
いや、言われているのは「歩き方を教えろ」くらいの──ともすれば「立ち方を教えろ」くらいのことではあるけれど。
「⋯⋯あたしが魔力を流してみるから、まずはその流れを感じ取ってみて」
気乗りしない、と明記された顔で言うノア。
ヘレナも複雑そうな顔で、反対こそしないものの、肯定もしない。
イライザだけが「はい!」と覇気のある返事をした。
ノアはイライザに背を向けさせ、聖痕のある辺りに掌を当てる。
「じゃ、これ噛んで」
「⋯⋯はい?」
もう一方の手で差し出されたハンカチを見て、イライザは首を傾げた。
ハンカチを噛む?
何故?
その疑問は彼女の経験から「嫌な予感」に変わり、覚悟を決めて従った。
直後。
「──ッ!?」
全身の血液が凍結した。
骨の髄、纏う筋肉、表皮。その中を縫う血管、神経。
背骨から頚椎、頭蓋の内。胃腸、心肺、全てが瞬間冷却され、体感温度が零下に至る。
冷たいとも痛いともつかない、強烈な不快感──激痛を伴う異物感。
身体の空隙という空隙、管という管に氷を差し込まれているかのよう。
心做しか、身体が膨れているような気さえする。
「──!!」
悲鳴さえ上げられない。
肺の中に氷が満ち、喉に霜が張り付いては声は出ない。
そんな感覚が数秒ほど続き、気づけば、イライザは地面に倒れ伏していた。
「⋯⋯分かった?」
声に目を向けると、ノアが心配そうにイライザの顔を覗き込んでいる。
「身体の内側で、あたしの魔力に対抗する力があったでしょ? それが勇者ちゃんの魔力。その力──たぶん“熱”みたいに感じられたと思うんだけど、それを自分の意思で体内に流すようなイメージでやってみて。心臓から血管を通して、掌に集める感じで⋯⋯勇者ちゃん?」
「⋯⋯ウィレットさん? 大丈夫?」
僅かに血の付いたハンカチを握って立ち上がったイライザは、荒い息をするだけで答えない。
二人は魔力を見て致命的な体調不良の有無を探りつつ、息が整うのを待った。
そして。
「全然分かりませんでした。もう一度、お願いします!」
驚きすら口にすることなく、イライザは再びハンカチを噛んだ。
それに、むしろ聖痕者たちの方が驚く。
「え。い、痛くないの?」
「痛いです。……痛い、という言い方じゃ全然足りないくらいには」
イライザの答えは本心だ。というか、強がる余裕はない。
手足の末端はまだ冷たく強張っているし、血管が広がっているのに詰まったような不快感が全身に残っている。
勿論、物理的なものではない。
本当に血が凍っていたら、イライザは既に死んでいる。
物理的な肉体ではなく、しかし感覚に作用するほど肉体と密接に関係しているものが、強い影響を受けたのだ。それが魔力と呼ばれるものであり、影響源はノアの魔力なのだろう。
しかし、彼女の言う「体内で影響に対抗していた力」は、イライザには全く感じ取れなかった。
自分の魔力が、他人の魔力に完全に覆い隠されていた。
それがどれほどのことなのか──或いはそれほどでもないことなのか、イライザには分からない。
分からないが、まあ、どうでもいいことだ。
才能があろうと無かろうと、イライザの使命は一つ。
「魔王討伐に必要な事ですから。私が足手纏いになるわけにはいきません」
言い切り、彼女は再びハンカチを噛む。
「…………」
「…………」
言葉もなく、ノアとヘレナの視線が交わる。
ややあって再びイライザに向けられた二つのうち、一つは心配そうに揺らいでいたが、一つは愉快そうに揺れていた。
「へぇ、いいじゃん。訓練って環境も大事だけど、結局はモチベーションだからねえ」
帝国隷下の小国の小競り合いで故郷を焼かれ、訓練兵時代に班員をカルトに殺され、憎悪の炎で飛翔したノアにはよく分かる。
勿論、彼女には才能があったからこそ、先代聖痕者への師事という最上の環境が与えられたわけだが──イライザにだって、人類以上の師が付いたわけだ。あとはその環境をどれだけ活かせるか。
どれだけの薪を焚べられるか。
「あたしは正直、そんな与えられただけの使命が、与えられたから芽生えた使命感が、果たして命懸けで戦う理由足り得るかっていうのは疑問だったんだけど……いいね、いいじゃん、いいよ、あんた」
楽しそうに、ノアは肩を揺らして笑う。
ちょっと、とヘレナが呆れ混じりに咎めるが、その声も届いていないようだった。
ややあって、彼女は再びイライザの背に手を当てた。
「ちなみにコレ、やり過ぎると神経イカレて暫く立てなくなったりゲロ吐いたり、三日ぐらい下痢とか便秘とか……酷いと血尿とか出るから。早めに感覚掴んでね」
「え、────ッ!!」
再びの強烈な不快感に、イライザは歯を食い縛る。
フィリップがこの会話を聞いていれば、「あぁ」と懐かし気な声を上げていたかもしれない。
人間に限らず、魔力には発生源の色が濃く滲む。
ルキアの魔力は「ルキアの魔力」であり、ミナの魔力は「ミナの魔力」だ。見る者が見れば、魔術の痕跡からでも容易に個人を特定できるほどに。
その差異は性質の差であり、性能の差でもある。
魔術適性は空間把握能力や演算能力だけでなく、魔力の性質にも大きく影響される。
ステラの魔力は火属性の魔術に向いていて、ノアは水属性魔術と親和性の高い魔力を持っている、というように。
つまり一口に魔力と言っても、ルキアのものはステラにとっては異物であり、ノアのものはイライザにとっては異物なのだ。
人間は絶えず体内に魔力を循環させ、量が多いと周囲に放散していることもある。
魔力をはっきりと感じ取れる魔術師にとっては、聖痕者などは対峙しただけで失神しそうなほどの圧力を振りまいているように思えるらしい。
昨日はルキアたちが、剣師龍の魔術で操られている泥人形相手に戦慄していた。
しかし、別にルキアと同じ教室に居るからと言って、魔術学院のクラスメイトたちがバタバタ倒れたり、頻繁にトイレに駆け込んだりということは無かった。
それは、体内に循環している自分の魔力が防護壁の役割を──免疫の役割をしているからだ。
格上の魔術師が格下の魔術を何もせずに逸らしたり消し去ったりする魔術耐性は、この免疫の効果だ。
今、ノアはそれを押し流して自分の魔力を流し込んでいる。
イライザにしてみれば、自分の血を抜いてノアの血を入れているようなものだ。当然、身体は強烈な拒否反応を示す。
「あれを持って来ればよかった、なんて、流石に出発前には分からなかったわね……」
手元にない超重要御物を思い、ヘレナは溜息交じりの苦笑を浮かべた。
今は王宮の宝物庫に収まっている、古龍の心臓を使った魔力浄化装置。
ステラでさえ、あれ無しには自身の魔力が汚染されていることに気付かなかった──ステラに気付かせないほどの隠密性を持つ魔力汚染呪詛にも、無極性の魔力を浴びたことで即座に気付くことが出来た。
自分のことを知るには、自分とは違うものを知るのが手っ取り早い。
それはまあよく言われることだし、ノアのやり方も、要はそういうことなのだが──せめてあの装置があれば、イライザの負担はもっと少なく済んだだろう。
他人の魔力と無極性の魔力は、砂糖とシナモン入りのミルクティーと水くらいの差がある。
「…………っは! はっ……はぁっ……」
一瞬。
ノアが魔力を送り込んだのは、コンマ数秒程度のことだ。
それだけで、イライザは膝に手をついて息を荒らげるほどに消耗していた。
だが──倒れていない。
一瞬とはいえ気を失った一回目とは違い、二回目で、既に立っていられる程度にまで適応している。
「やっぱり、疑似熾翼である程度は慣れてるんだろうね。でも勇者ちゃんはこれまで、聖剣を使うのに多少の消耗はしても、倒れはしなかった。それの魔力は勇者ちゃんとの親和性が高いわけだ。もし訓練が上手くいっても、聖剣を使う度にぶっ倒れるってことはなさそうで一安心ってところかな」
イライザの息が整うのを待つ間、ノアは蘊蓄のような励ましを掛けていた。
或いは励ましのような蘊蓄か……若しくは、単に彼女の現状を教えただけかもしれない。
少なくとも慰めではなさそうだ。
「どうする? 立ったままだと危ないし、座るか横になった状態でやる?」
と、イライザが今回、いや今後数回程度では感覚を掴めないことを見通しているかのように──慣れていると評したイライザが、その上で倒れるまで続けることは確定しているかのように、さらりと言う辺り。
「座った状態で、お願いします……」
「……無理はしないようにね、二人とも」
二人とも──と。
ヘレナの言葉に違和感を覚える余裕もなく、イライザは片足を立てて地面に座る。
「疲れたら代わってください……と言いたいところですけど、あたしの魔力が一番ヘナチョコですからね」
イライザに流し込んだ魔力は微量も微量。
魔力の保有量も生成量も優れるノアにしてみれば、心臓の拍動一回で生み出す魔力の何十分の一、何百分の一というオーダーだ。
それでもノアは、たった二回の試行で額に汗をかいていた。