なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 他人の身体に魔力を流すというのは、やりようによってはとても難しい。

 

 適当にドバっと流し入れるだけなら簡単だ。

 イライザの魔力は質も量も大したことはないし、ノアの魔力出力なら、魔力抵抗や魔術耐性をほとんど無視して押し流せる。

 

 しかし、それでは身体にダメージが出やすいし、イライザが自分の魔力の流れを感じ取り、操作するという目的を果たせない。

 イライザの魔力は小瓶の水のようなもの。対してノアの魔力は湖のようなものだ。

 

 適当にぶちまけたら、それはもう混ざり合って分からなくなるどころの話ではない。

 ただの、ノアの魔力でしかなくなる。それではイライザが自分の魔力を知覚し、操作できるようにはならない。

 

 ノアに求められているのは、湖の水をスポイトで取り、瓶の中に注ぐような行為だ。

 互いの水色を比べるように。瓶の中の水を動かすように。瓶への影響を、その程度で済ませなければならない。

 

 押し流しては駄目なのだ。

 イライザが自身の内にある魔力、それがノアの魔力に抵抗するように動くのを自覚し、操作できるように、静かにゆっくりと。

 

 押し流すのではなく、押し返せる程度の圧力で注ぐ必要がある。

 

 勿論、道具も補助も無く、自前の感覚だけで──言うなれば()()()()()

 

 そんな繊細な作業を続けること三日。

 イライザが他人の魔力を流し込まれ続けたことで自律神経や免疫系に異常を来して倒れるのが先か、はたまたノアが集中を切らして操作を誤り、イライザがトラウマになるほどのダメージを与えるのが先か。

 

 幸いにして、そのどちらでもなく。何百回目かになる試行の最中、ノアが小さく声を上げた。

 

 「お?」

 「…………」

 

 じき夕刻。

 今日も朝からぶっ通しで続けており、イライザの疲労は既に限界を超えている。座ることにさえ根性を要する状態の彼女は、ノアの声に、小さく振り向く程度の反応しか出来なかった。

 

 「手応えあったでしょ、今の!」

 「は、はい……! 心臓から、こう、広がろうとしているような⋯⋯!」

 

 声を弾ませるノアに、イライザも疲弊しきった顔で笑みを返す。

 

 ノアはやりきった顔で伸びをして、その場にごろりと寝転がった。

 

 「つ、疲れたぁ⋯⋯」

 「二人ともお疲れ様。まずは第一関門突破ね」

 

 水筒を差し出して労うヘレナ。

 二人ともへろへろの手でそれを掴み、ぐったりとしたまま水を呷る。

 

 二人とも肉体的な疲労は長時間座りっぱなしのそれ程度だが、脳の疲労は限界を超え、イライザに至っては自律神経に異常を来し始めているのか、水を飲み込むのにワンクッション要する有様だった。

 

 だが三日だ。

 

 魔術適性次第では立って歩くより早く覚える魔力操作。その感覚を掴むのに、三日。

 

 魔術適性次第では()()()()()()()()()()()()()魔力操作の感覚を、たった三日で、一日十六時間訓練として、たったの四十八時間で掴んだ。

 

 「──思ったより早かったな。一昔前の聖痕者ってのは戦闘特化だったが、最近は教導にも長けてるらしい」

 

 ずるりと地面から溢れ出るように、泥人形が姿を現す。

 王龍基準の「一昔前」が如何ほどのものか気になるところではあるが、今重要なのは好奇心ではない。

 

 「──次は、どうすれば?」

 

 イライザは膝に手を当てて、どうにかこうにか立ち上がる。

 そんな風情でありながらも、彼女の双眸には未だ衰えない強靭なモチベーションが見えた。

 

 だが感心しているのはヘレナだけだ。

 ノアはまだ寝転がってぼんやりと雲を見上げているし、泥人形の顔に表情は無く、内心は読み取れない。ただ無感動な声で、次の指示を出すだけだった。

 

 「次、魔力を指先に集めて空中に軌跡を描いてみろ。模様は何でもいいが、読み取れるくらいはっきりと、一秒以上残るように」

 「はい」

 

 泥人形が言うと、ヘレナとノアは顔を見合わせた。

 

 それは魔術師の親が魔力操作の練習として子に施す、遊び半分の訓練だ。

 つまり、人間の中でも魔力操作の未熟なものに対する、基礎的な練習方法として確立しているもの。剣師龍の人間への理解の深さを改めて感じさせる指示だった。

 

 適性があるなら0歳児にもできることではあるが、イライザは自分の指紋をじっと見つめて停止する。

 

 「魔力を……指先に……。……?」

 

 これ出来てますか? とでも問うような、頼りない視線が魔術師たちと泥人形の間を行き来する。

 

 ノアは頭を抱え、ヘレナがその肩をぽんと叩いた。

 泥人形はそれを見て、二人がすべきことを理解したと見做して再び地面に溶けて消える。

 

 「……もう一回やろっか。取り敢えずあたしの魔力を押し返す感覚を完璧に掴んで、操作できるようになろう」

 「……お願いします」

 

 残念ながら、ノアは三日でお役御免、あとはのんびり高みの見物──とは行かないようだった。

 

 

 ◇

 

 

 慣れと言えば。

 フィリップも魔力欠乏には慣れている。

 

 訓練開始から二日ほどは夕食も碌に摂れず昏倒するように眠っていたが、三日目には身体が感覚を思い出してきたのか、むしろ()()のせいで夜中に目が覚めるくらいになっていた。

 

 テントの天井を見上げながら、フィリップはぼんやりと思索する。

 日中は殆ど魔力欠乏状態で碌に頭が回らないぶん、眠っておきたい、眠らなくてはならない時間帯にも拘らず、脳の活動が活発になっているような気さえしていた。

 

 「そういえば──」

 

 フィリップはモゾモゾと寝袋から這い出ると、枕元に置かれた直剣を手に取った。

 

 これの正体についての結論は、まだ出ていない。

 次元を彷徨うものやアトラク=ナクアの娘が行き来する別次元を束ねた「世界」。長い歴史、広い宇宙に散らばる無数の星々──それらを内包する、この三次元世界。

 

 そこに開いた“穴”だというのは、シルヴァが無理矢理人語に当てはめた表現を、フィリップがどうにか解釈したものでしかない。

 

 外なる神の悪戯なり、くしゃみでもした拍子なりで穴を開けてしまった可能性は大いにある。

 あの“拝謁”の折に限らず()()()()()ことは何度かあるし、フィリップのことをナイアーラトテップと見間違えた馬鹿に、そこそこ本気でキレていたものも何柱かいた。

 

 それを抜きにしても、この世は元より泡沫だ。

 弾けるまでは至らずとも、穴や亀裂の類が生じたところで不思議はない。

 

 この世界に──多層次元に、全てを貫通するような“穴”が開く理由はそれなりにある。

 

 しかし、だ。

 仮にそれが正解だとしたら、おかしなことも幾つかある。

 

 まず──手に取れている。

 それも普通に。手に取って持ち歩いて振り回せる。

 

 フィリップだけがそうなら、或いは外神の庇護によって何かしらの特殊性が付与されたと考えることも出来るが──そんな勝手は許さないが──元はエルフが持っていたというし、衛士団長だって使ったし、そもそも人類史的な意味での先史時代から人の手に在った代物だ。

 

 これを使ったのも、手にしたのも、フィリップが初めてでもなければ唯一でもない。

 次元に開いた“穴”を──本に開いた穴を、そこに描かれた絵や文字が認識して移動させるなんてことは、流石にちょっと考えにくい。

 

 それに、もしもこれが本当に次元全てを貫通する“穴”なのだとしたら、目に見えるのはおかしい。

 

 光はそこに落ちていくか、反射することもなく消えていく。つまり光の反射によって物を見る人間の目に、それが映ることはないはずだ。

 

 同じことは手にも言える。

 物同士の接触は縮退圧や分子間力、保持には更に摩擦力が必要だが、もしもヴォイドキャリアが“穴”ならば、それらは働くどころか発生さえしないはず。

 

 重力子も影響しないから、質量も生まれない。

 

 勿論、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()可能性は否定できないけれど。

 

 まあ、眠れないからとあれこれ考えただけの浅い思索で結論は出せまい。

 

 フィリップは完全に身を起こすと、悩みのタネを持ってテントを出た。

 

 持ち回りの火守りはちょうどルキアの番で、焚き火の傍にいた彼女に「ちょっと内緒話をしてきます」と断って森に入る。

 

 ルキアは複雑そうな顔をしつつも、「分かったわ」と何も聞かずに頷いてくれた。

 

 小さな声なら水音が掻き消してくれそうな川近くまで行くと、フィリップは徐に周囲を見回す。

 こちらをじっと見つめる一匹の鳥を見つけるのには、それほど苦労しなかった。

 

 「⋯⋯」

 

 濡れていなさそうな地面を見つけて座ると、カラスは意図を理解したように──というか、事実、意図を汲んでぴょんぴょんと跳ねて寄ってくる。

 

 無数の触手で編まれた鳥のカリカチュアが解け、地面に魔法陣を描く。

 目を眩ませるような()()()が溢れ出した後には、漆黒の喪服に身を包む、月光色の髪と瞳を持つ美女がいた。

 

 現れたマザーは、静かに淑やかに、しかし喜色を滲ませる微笑を湛えていた。

 

 「こんばんは、フィリップくん。佳い夜ね」

 「⋯⋯こんばんは、マザー」

 

 静かでありながら艶やかな、脳髄を侵して耳から溶け出させるような声。

 

 全身の筋肉と意識が、無意識のまま弛緩する。

 ここは安全だと──ここにいれば、何も気にせず眠りこけたって良いのだと理解して。

 

 たちが悪いのは、それが決して錯覚や間違いではないことだ。

 

 フィリップは彼女をシルヴァ以上の視座を持つ“回答役”として呼んだわけで、聞きたいことがあるわけだが──彼女の前では、ヴォイドキャリアが何であるかなんて些末なこと。些事も些事だ。

 

 気づいた時には、フィリップは座ったマザーの膝に頭を預けて横になっていた。

 髪を梳くように撫でられ、ぼんやりと瞼を閉じてさえいる始末。

 

 「⋯⋯んあ」

 

 フィリップは急激に襲いかかってきた睡魔から逃れるように、どうにか寝返りを打ってマザーの膝から離れた。

 

 だが眠気は魔術的なものではなく、あくまでも人体の正常な機能、生物的に正しい反応だ。

 座り直しても尚、意識は完全なクリアにはならなかった。

 

 ぺちぺちと頬を叩き、どうにか睡魔を追い払う。

 

 「⋯⋯ちょっと聞きたいことがあるんですが」

 「なあに?」

 

 ヴェールの向こうから向けられる愛玩の視線に居心地の良さを感じながら、フィリップはいつの間にか手を離れて地面に転がっていた黒とも濃紺ともつかない宝石のような直剣を指した。

 

 「これ、なにか知ってますか?」

 

 

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