なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「これ?」

 

 マザーは手を伸ばし、ヴォイドキャリアを無造作に掴む。

 剣というものの持ち方を知らない、というより、剣というものを知らないように、刃の部分を無造作に。

 

 細い部分──柄を持つと折ってしまうかもしれないという懸念からのものなのか、或いは単に無頓着なのか。

 

 薄いレースの手袋も、その下の柔肌も、無刃の剣は傷付けない。

 人間が龍の翼を斬り落とすに能う魔剣も、彼女の前では鈍らだった。

 

 「フィリップくんの武器でしょう? 確か、こうやって振るのだったかしら」

 

 掴むべきでないところを掴んだままの手が、これまた無造作に振るわれる。

 

 刃筋が全く通っていないどころではない、刃ではなくむしろ柄を振るほど適当な一閃でありながら、ぼっ、と空気の爆ぜる音と突風が立った。

 

 「もっといい武器を用意しましょうか? それとも、()()血を落としてみる?」

 

 胡乱な目をしていたフィリップは、その申し出に慌てて頭を振った。

 

 彼女が「フィリップの武器」としてしか認識していないのなら、そのルーツが外神にあるとか、フィリップの想像のように世界に空いた穴という説もなさそうだ。

 

 そしてその手の異常物品でないなら、フィリップがあれこれ考える必要はない。

 

 なんかよくわからないが超強い武器。

 少なくとも魔王に対面したとき、初手で召喚術をぶっ放す必要性を下げる武器。

 

 それでいい。なんでもいいし、どうでもいい。

 次元が斬れるからなんだと言うのか。今はそれよりも──瞼が重い。身体に力が入らない。

 

 「そう? それなら、もう眠ったら? こんなに目を蕩けさせているのだし──」

 

 魔剣が無造作に地面に置かれる。

 フィリップの持ち物であると認識している以上は乱雑に放ったりはしないまでも、丁重な扱いには期待できないようだ。

 

 そう思うと、モニカが一人で会いに行っていたことや、ルキアが彼女に挨拶しにいくのを止めていなかったことに冷や汗が出るような気持ちだった。

 遅ればせながら──本当に遅ればせながら。

 

 「少し冷えているわね」

 

 諦観に満ちた目をするフィリップの頬へ、レースのグローブに包まれた手が伸びる。

 

 滑らかな生地と柔らかな肌が優しく触れ、背筋が凍るような色香と、悍ましいほどの愛情が伝わった。

 母が子に向けるものではない、もっと隔絶した位置から降り注ぐ愛玩の情が。

 

 「おやすみなさい。寝床まできちんと送り届けてあげるから、安心してね」

 

 それはあんまり良くない気がするぞ、と思う間もなくマザーの腕に抱かれる。

 温かく柔らかな胸の中、夜と月光の香りに包まれて、フィリップの意識は殆ど瞬間的に途絶した。

 

 翌朝、誰も、夜中に謎の神官が──或いは喪服姿の美女が現れたと言い出さなかったことも、あんまり良くない気がした。

 都合は良かったけれども。

 

 

 ◇

 

 

 「ねえ、実際のところ、これってどこまで斬れるの? 時間を斬れたりする?」

 

 マザーと会った翌日──四日目の訓練開始直後。

 フィリップは泥人形に、出し抜けに尋ねた。

 

 結局、能力解放したヴォイドキャリアはどこまで斬れるのか──何でも斬れるという剣師龍の言は、どこまで正しいのか。

 その答えは、未だに出ていない。昨夜出すつもりだったのだが、普通に寝てしまった。

 

 いや普段通りではあっても普通ではなかった気もするけれど。

 

 「⋯⋯おい、まだ一回も能力解放してねえだろうが。ちゃんと寝たんだろうな?」

 

 小馬鹿にしたような、を通り越して、もはや正気を疑うような声が返される。

 疑われているのは魔力欠乏や寝不足による意識混濁や混乱だが。

 

 泥の顔に表情はないが、パーツがあれば、きっと呆れたように歪んでいただろう。

 

 「ちゃんと寝たよ。思うに、これが斬れる限界点は──射程距離は、三次元的には無限かもしれないけれど、多次元的にはそうじゃない。とはいえ、この三次元に限ったものでもない」

 「⋯⋯どういう意味だ?」

 

 問われて、フィリップは確固たる形を為していなかった思いつきを形にすべく、今更ながらの推敲を始める。

 

 語りながらの推敲、推論のブラッシュアップを。

 

 剣師龍の言葉が正しいとすれば、能力解放したヴォイドキャリアの射程距離は無限。

 目に見える必要もなく、その位置さえ分かればどこからでも斬れる──というのはまだ仮定だったか。

 

 しかし、ヴィカリウス・システムやシュブ=ニグラスの化身に対しては、龍の翼を斬り落とす鋭利さは発揮されなかった。

 

 いやまあ、マザーに関してはいいとしよう。

 三次元世界(本の中)に収まる化身ではあるが、三次元(作品)のルールに縛られる存在ではない。

 

 だがヴィカリウス・システムの方は、正真正銘、この世界に属するモノ。

 マザーのような読み手ではなく、作中人物である。

 

 それなら、本に空いた穴は、その記述を飲み込むはず。

 しかし現実には、そうはならない。

 

 ヴォイドキャリアの攻撃は環境一つを破壊しうるものではないとして、あの無敵性を貫けない。

 環境一つを破壊し得るもの以外を防ぐ、ヴィカリウス・システムの防御に弾かれる。

 

 つまり──本に空いた穴どころか、ページに空いた穴でさえない。

 そうなるとフィリップや外神の使う「次元」という言葉は、ヴォイドキャリアについて考える上で、かなり邪魔になってくる。

 

 これは本の内外を指し表す「別次元」という言葉を前提に考えるべき代物ではない。

 そこまで大した代物ではない──一旦、そう仮定する。

 

 「現代魔術理論に於いて……を、二人の前で語るのはなんかちょっと怖いですけど、まあ間違ってたら訂正が入ると考えるとそれはそれで──」

 「──要点だけ話せ」

 

 滔々と語り始めたかと思えば、いきなり振り返って予防線を引き始めるフィリップ。

 今日も訓練を見守る構えだったルキアとステラは苦笑を浮かべ、泥人形は苛立ちを滲ませた。

 

 魔術学院を座学頼りで卒業した理論派ではあるが、二人の個別補習あってこそだという自覚はあるので、その先生たちの前で「現代魔術理論では~」なんて話をするのは流石に怯む。

 

 「現代魔術理論に於いて、次元は三つ存在すると仮定される。正確には、次元が三つ存在すると仮定する理論がある、というべきだけれど⋯⋯」

 

 世界の内と外という意味での次元の上下ではなく、もっと魔術理論的な──思考実験的な話だ。

 件の本や図書館に準えたものとは、また別の話。

 

 この理論における“次元”とは、なにか“別世界”のようなものを意味しない。

 この世界の内に、縦・横・高さ(三次元)以外の“座標”があるのではないか、という思索だ。

 

 一つは四次元。

 三次元の座標に、プラス時間による遷移。

 

 もう一つは五次元。

 時間にプラス、可能性による揺らぎ──即ち、確率による分化。

 

 もちろん、これはただの仮説だが──フィリップの持つ外神の智慧とヴィカリウス・システムの性質、そして魔術学院で学んだ内容からは棄却できない。

 

 取り敢えずそういうものと仮置きするには十分なものだ。

 

 では、仮にこれが正しいとすれば何なのか。

 

 簡単だ。

 元より全ての考察は、ヴォイドキャリアの性質解明のためのもの。

 

 「ヴォイドキャリアはヴィカリウス・システムの無敵性を貫けない。その一方で、存在格差による干渉無効化や、次元を渡る蜘蛛糸は徹せる。三者の違いは何なのか──」

 

 蜘蛛糸? と首を傾げる三人に、自分の思考を纏めるのに忙しいフィリップは気付かなかった。

 

 幸いにして、二人の魔術師と一体の泥人形──延いてはそれを操る剣師龍は、そのちょっとした疑問で話の腰を折ることはしなかったけれど。

 

 「斬れる瞬間があるか否か。斬れる可能性があるか否か、だ」

 

 ヴォイドキャリアに触れた程度の切創で、森林一つを破壊することは出来ない。

 それが可能になる瞬間はなく、それが可能だったことはなく、可能になることもない。

 

 故に、ヴォイドキャリアはヴィカリウス・システムを害せない。

 

 一方で、500年間成長を続け存在格を高めた龍種には、()()()()()()()()()()が存在する。

 誕生の瞬間もそうだし、100歳規模の成龍であれば、先代衛士団長が半裸で撃退可能なレベルだ。

 

 アトラク=ナクアの蜘蛛糸は、魔術理論ではない──フィリップの思っていた通りの“次元”複数に重なって存在するため、この世界に露出している部分だけを攻撃しても破壊できない。

 

 しかし──シュブ=ニグラスがそこまでの興味を持っていないから智慧にもなく、あくまで仮定の話だが──あれが紡ぎ出された瞬間には複数の次元を跨いで存在するようなものではなく、あくまでも地道に、次元(ページ)を一枚ずつ丁寧に繋げていくものだとしたら。

 

 あれも、斬れる瞬間は存在する。

 斬れる可能性が存在する。

 

 畢竟。

 

 ヴォイドキャリアとは、時間と可能性を検証し切断する武器である──という仮説が成り立つ。

 

 少なくとも、本に空いた穴を作中人物が認知したうえに、好き勝手振り回し始めたと考えるよりは納得がいく。

 

 本に空いた穴ではなく──「ここに穴がある」という描写であれば、登場人物がそこに落っこちたり、飛び越えたりすることもあるだろう。

 

 自分の中で一定の納得ができる結論を出したフィリップだったが、しかし。

 

 「気分よく語ってるところ悪いんだが」

 

 泥人形は面倒臭そうだったし、黙って聞いているルキアとステラも、顔を見合わせて眉を顰めている。

 

 フィリップの論理に納得しているのは、フィリップ一人だけだった。

 

 「ヴォイドキャリアはあくまで道具だ。斬る道具ではあっても、斬る主体ではない。何を斬るか、どう斬るかを決めるのは使い手だ。適当に振って何でも斬れる都合のいい代物じゃあない」

 

 ヴォイドキャリアは──特に能力解放中のそれは、触れれば斬れる鋭利な刃物()()()()のだ。

 

 ものの斬り方を知らずとも、ただのナイフや剣であれば、ものは斬れる。

 

 それは純然たる物理現象であり、何ら特殊なことではない。

 鋭利なものが一定以上の力を伴って物体に触れれば、斬ろうという意図は無くとも切断現象が発生する。

 

 包丁で食材だけでなく指を切ってしまうように。

 自暴自棄に振り回した剣が、偶々敵の首を斬り落とすことがあるように。

 

 いわば、勝手に斬れる。

 

 ヴォイドキャリアの能力解放には、そういった、ある種の事故が発生しない。

 そういう機序をしているのは、或いはそのために安全装置のようなものが付加されているのかもしれないが、成り立ちや来歴は今は措いておく。

 

 斬る対象を定め、斬り方を定め、斬り方のとおりに剣を振らなければ斬れない。

 そういう設計でなければ、無尽の刃は本当に無制限に、斬撃線上の全てを破壊することになる。

 

 それでは武器としてあまりに稚拙だ。

 爆弾にだって導火線が──制御装置があるというのに。

 

 まあ、そもそもこれを設計した何某か──これを作り出した何某かの存在を前提とするならばの話だが。

 自然発生した類のものなら、単にそういうものと受け入れるしかない。

 

 それはともかく。

 

 「何も考えず、目の前の的を斬るのとはわけが違う。向こう側とこちら側を隔てる次元の壁を、お前は斬ろうとしていたが──先の例で言えば、時間の斬り方、可能性の斬り方を知らなければ、如何に超常の魔剣とはいえ斬りようはない」

 

 例えば敵の首を狙う場合、通常の刃物なら首の高さで適当に振っていれば当たるかもしれない。

 クリーンヒットで刎ね飛ばすには至らずとも、掠めた刃が頸動脈を切り裂いて致命傷を与えることもあるだろう。

 

 一方で実体を持たない能力解放状態のヴォイドキャリアは、使用者が敵の首に斬撃線を設定し、その通りに剣を──というか、腕を振る必要がある。

 

 物理的、物質的なものの斬り方なら、フィリップでなくとも知っている。

 

 しかし時間や可能性という概念的なものになると、剣で斬るなんて試みは、そもそも考えたことがない。

 斬り方が分からない。想像もつかない。

 

 斬れるのか斬れないのか、それを斬るとはどういうことで、どのような結果になるのか──全く何も分からない状態だ。

 

 「ヴォイドキャリアの性質──いや本質は、俺が何万年もかけて検証して、それでも辿り着けなかったものだ。人類如きの浅い魔術理論で読み解けるなら、俺がそんな苦労するわけねえだろ」

 

 これが何かは分からないが、出来ることと、そのために必要な動作だけは分かっている。

 イライザの聖剣と似たような感じだなあ、なんて、フィリップは適当なことを考えた。

 

 ──で、だ。

 

 泥人形の話は分かったが、それなら一つ、おかしなことがある。

 

 「……待って? あの、僕、次元の斬り方なんか知らないけど?」

 「……あん?」

 

 

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