なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「⋯⋯次元そのものを斬ろうとした馬鹿はお前が初だ。だから俺の見間違いで、お前は実はそんなことを考えてなかったと言われれば納得出来る──」
まあそういうことだよね、と納得しかけたフィリップだったが、泥人形の言葉は、その安直さを咎めるように棘を持った。
「──とでも思ったか間抜け。剣がどこを狙ってるかくらい見りゃ分かるんだわ」
「と言われても、知らないものは知らないし⋯⋯」
目のない泥人形が、実体のない状態のヴォイドキャリアを“見る”なんてことが出来るのかと、前提から問いたいところではあるけれど──そこを疑い始めるとキリがない。
数十万年生き、人類以上の、人類史以上の剣術歴を持つ王龍の知見と言葉は、一旦信じるしかない。
ヴォイドキャリアの性質に関しても、フィリップが次元を斬ろうとしたことに関しても。
いや後者に関しては、フィリップは自分のことなのだからきっぱり否定すればいいのだが、如何せん、当時は意識が混濁していて記憶が曖昧だ。
いつぞや脳震盪で深夜徘徊していたという話も、自覚はないが、ルキアとステラがそう言うのならそうなのだろうと納得はしている。
今回もまあ、剣師龍の言葉なら──斬撃が一キロ飛ぶような化け物の言葉なら、フィリップを騙そうとしているという可能性は棄却できる。
「だったら何か? お前は無意識下で次元の切り方を理解して実行したと? 高々3年そこらの研鑽で至るような境地じゃねえぞ、それは」
「自分が達人だと言い張る気はないよ」
フィリップは素直に頷く。
そんな無我の境地じみた絶技が身に付いていると考えるよりは、剣師龍の見間違いの方が可能性としては高そうなものだ。
「⋯⋯もう一度やってみろ」
「うーん、分かった」
泥人形に促されて、フィリップはヴォイドキャリアを正眼に構える。
この数日、能力解放自体は何度も繰り返したが、魔力欠乏で倒れるか、非実体化した剣を振る前に泥人形に打ちのめされるかで、剣を振るには至っていない。
そもそも標的は次元の壁なんてものではなく、泥人形の首や胴体だった。
「無刃にて無尽を──そういえばさ、この詠唱ってなに? 誰かが設計してないと、人語の音声を条件に発動する魔術なんて自然発生しなくない?」
「龍語でもエルフ語でも精霊語でも発動するぞ。魔剣ってのはそういうもんだし、それのルーツについて考えるのは無駄だ。いいから早く魔力を流せ」
フィリップのちょっとした疑問を冷たく叩き落とし、泥人形は顎をしゃくって続きを促す。
体調不良になることが確定していることを、態々やるのはいつだって何度だって気が引けるのだが、仕方がない。
「無刃にて無尽を断つ──魔剣ヴォイドキャリア」
ふ、と手中にあった感触と重みが消える。
同時に強烈な脱力感と目眩、吐き気といった不調が襲い掛かり、フィリップはまた気付けば片膝をついていた。
慣れたものではあるが、生理的なものでもある。
鼻を殴られたら涙が出るように、鳩尾を殴られたら息が詰まるように、身体的な反応でしかないそれは、意思一つで克服できるようなものではない。
それでもここ数日で慣れているおかげか、幸いにして、意識の重篤な混濁には至らなかった。
「で──うえっ」
声を出したつもりが、ついでのように胃液が逆流する。
手をついて一頻り吐き終えてから、フィリップは膝に手をついてゆっくりと立ち上がった。
「で、えーっと次元、次元ね⋯⋯」
目眩に襲われて足元が覚束ないながら、今日のフィリップは直前の話をきちんと覚えていた。
取り敢えず次元を斬ってみるのはまあ、だから、いいとして──
魔術理論における多次元、仮想の座標?
それとも世界論における他次元、別のページか、異なる本か?
「じゃあ一旦、ページを切り裂いてみようか⋯⋯」
そんな力を秘めた物体が、こんなド田舎銀河のド辺境惑星に転がっていたら驚きだが。
フィリップは胃液の味がする唾を吐き捨て、面倒臭そうな顔のまま、それでも真面目に、数々の師匠たちに教わった通りの動きで空の手を振るう。
果たして──泥人形は動かず、また、何も起こらなかった。
「⋯⋯?」
泥人形の表情は相変わらず読めないが、どこか困惑したような空気を漂わせている。
また投げ飛ばされる想定で、掴みに来たら反撃で首を刎ねてやろうくらいまで考えていたフィリップも、「あれ?」とばかりの困惑顔だ。
尤も、反撃ごと地面に叩きつけられるのがオチだっただろうけれど。
「今の、狙えてた?」
「⋯⋯分からん」
実体を取り戻したヴォイドキャリアを杖代わりにしようとして、ほとんど抵抗なく地面に埋まりそうになった切っ先を慌てて引き戻すフィリップ。
結局立っているのは諦めて、どっこいせとばかりの気怠げな動きで座り込んだ。
そんな間抜けな様子に冷たい目を向けるでもなく──だから、目などないが──泥人形は首を傾げた。
「だが初日とは動きが違った。それにヴォイドキャリアも効果を発揮していない⋯⋯どういうことだ?」
聞かれても、フィリップには答えられない。答えどころか仮説さえ持っていないし、考えようにも頭が回らない。
泥人形もフィリップに尋ねたわけではなく、単に自問する形で思索しているだけだ。
「魔力欠乏の度合いの問題か? 脱力具合が上手くハマった……いや、そういう感じでもねえな」
初日とは条件が完全に同じではない。
同じユーザー、同じ武器、同じ標的のはずだが、ユーザーの状態は違う。
ヴォイドキャリアが「道具」としての性質を強く有し、それ自体が自律的にモノを切ることはない以上、使い手の意識の有無や強度は重要な要素だ。
ややあって、泥人形はずいと手を出した。
「……貸せ」
意図を解したフィリップは、素直にヴォイドキャリアを手渡す。地面に座ったまま、適当に。
泥人形は懐かしむように、或いは見定めるように宝石の剣身を見つめたあと、徐に正眼の構えを取った。
「無刃にて無尽を断つ──魔剣『ヴォイドキャリア』」
詠唱に従い、魔剣が機械的に作動する。
刀身が消え、空の手が霞むほどの速さで振り抜かれ──なにも起こらない。
フィリップを遥かに上回る技量と身体性能は、傍観しているルキアたちにも見て取れる。
しかし、起こった現象、生じた結果は同じ“無”だった。
「ふむ?」
小さな声を最後に、泥人形が棒立ちになる。
剣師龍はパペットの操作を止め、フィリップたちのいる場所から山を一つ挟んだ寝床で、静かに考え込んだ。
「……
泥人形から声が漏れるが、依然として動きはない。
傍らで聞いているフィリップは、「あいつって誰だろう」と思ったものの、なんだか真剣に考え込んでいるらしいと見て静かにしていた。
かと思えば、立ち上がってふらふらと保護者たちの方へ行き、水を貰っている。
泥人形の魔術的な感覚を通してそれを見ながら、剣師龍は思索を続ける。
──先の一撃。
ほかの王龍がすっ飛んできて袋叩きにされる覚悟を決めて、次元を斬るつもりで剣を振った。
しかし、結果はこの通り。
次元の壁の存在を知る剣師龍が、次元の壁を斬るつもりで剣を振ったが、ヴォイドキャリアは機能しなかった。
フィリップの初回の試行とは違って、だ。
以て、成立する仮定は二つ。
一つ、
存在歴から来る知識量や経験の差を思えば、中々ない可能性ではある。
が、それでも、あれはヴィカリウス・システムを連れている。
経験はともかく、知識量で“森林”と競う気はない。
人間一匹ならいざ知らず、ヴィカリウス・システムまで考えれば、知識の質で
もう一つは、可能性としてはもっと「無い」。
しかし、同じ武器を使う二者間の比較として、絶対に検討しなければならないもの。
使い手の差。
即ち、初回のアレが武器自体の性能によるもの、武器の特殊性によるもの
ヴォイドキャリアとは全く無関係に、
「⋯⋯⋯⋯」
剣師龍は思索を続けながら、再び泥人形の遠隔操作を始めた。
詠唱と魔力注入によってヴォイドキャリアを起動し、もう一度虚無を振るう。
今度はゆっくりと、剣師龍にしてみれば手抜きもいいところな速度で──しかし、紙一重の誤差もない繊細さで。
だが結果は殆ど変わらない。
違いといえば、いきなり素振りを始めたように見える泥人形に、フィリップが胡乱な目を向けるくらいのものだ。
「⋯⋯⋯⋯」
結果を受けて、剣師龍は更に考える。
一度、最後まで試させてみるか?
いや有り得ない。それは確かに「一度」の試行になるだろうけれど、最後の、という但書きがつく。
ヴォイドキャリアとは関係のないことで、もう十万年も前のことだが、実際に次元が斬れるところは見た。
裂けた次元の穴から、無数の怪物が這い出してきたのを見た。
魔術が飛び、ブレスが飛び、血と肉片が飛んだ。
自分はともかく、あの興味深い
如何にヴィカリウス・システムを連れているとはいえ。
もし仮に、この小動物が自力で次元を斬り裂けるというのなら、その命は惜しむべきものだ。
正確には、その技と知識は、と言うべきだが。
「“森”からどこまで聞いてる?」
「……? 何の話?」
立ち尽くしているかと思えば、唐突に問いを投げてきた泥人形に、フィリップは眉根を寄せた。
だが返ってきた声も、同じく眉根を寄せていそうな、不愉快さを滲ませるものだった。
当たり前のことを聞くなと言いたげな。
「次元の話に決まってんだろ」
「ん? あ、あぁ……うん、そっか」
言われてもなお疑問顔だったフィリップは、数秒ほどしてから漸く剣師龍の考えを理解した。
考えをというか、考え違いを。
フィリップの持つ次元云々の知識は、全て外神の知恵に由来するものだ。
現行人類の知識量からは到底あり得ないどころか、剣師龍自身に匹敵する──匹敵するように見える知見は、ヴィカリウス・システムからのものだと結論づけたのだろう。
フィリップの「どうしてシルヴァが出てきたんだ?」という困惑も、次元について教えた教師が別にいるからではなく、魔力欠乏による混乱が原因だと思ったようで、泥人形は溜息でも吐くように肩を落とした。
「魔力量がカスだと大変だな。立てるか?」
「立てはするけど、もう一回は無理だよ、しばらくは」
フィリップはまた、どっこいせとばかりの鈍重な動きで立ち上がる。
手を貸そうとしたルキアが、呆れ笑いのステラに制された。
手助けなしに立ち上がることもできないほどの消耗ではない。が、脱力具合を見るに、十全には程遠い。
もう一回やったら倒れるというか、そもそも魔剣を起動するだけの魔力が残っていないだろう。
しかし、だ。
魔剣の能力云々は一旦措いておくにしても、一発撃って「はあ疲れた」と座り込んでいてはお話にならない。
「見りゃ分かるが、その状態で立って走れるようにはなるべきだろう?」
呆れ声の泥人形に言われて、フィリップは「確かに」と呻くように頷いた。
ヴォイドキャリアの能力上限は、別に、目的達成のために解明しなくてはならない“謎”ではない。
次元が斬れようと斬れなかろうと、そもそも斬るつもりはないのだ。
ヴォイドキャリア、延いてはそれを持つフィリップの目的は、王龍、魔王真体に一撃入れて存在格を引きずり下ろすこと。
ヴォイドキャリアが一振りで世界を破壊する爆弾じみた魔剣だとしても、
爆弾は爆弾でも、ちゃんと安全装置が付いている。
何を斬るか、どう斬るかを設定し、その通りに剣を振らなければ斬れないという、過剰なほどの制限が。
「お互い、好奇心を満たす時間は終わりとするか。と言っても、俺はもうこいつへの興味は殆どねえが」
泥人形はヴォイドキャリアを放り、フィリップの足元に転がした。
そのぞんざいな扱いからは、確かに、次元断の魔剣に対して強く拘っているという印象は受けない。
魔剣にも、フィリップにも、次元断現象にも──恐らくは、魔剣を用いてのそれには。
「ヴォイドキャリアの能力解放を覚えろと言ったが、ただ使えるだけじゃあ駄目だ。敵の首を的確に狙い、斬撃線に従って剣を振れるようになれ。──つまり、ちゃんと使いこなせるようになれって事だ。それができるまでは山を下りられねえぞ」
そう言えばそうだったと、フィリップはがっくりと項垂れた。