なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 魔力欠乏に陥ったフィリップがぶっ倒れてゲロを吐きながら、それでも「立て」と言われて木の枝で小突かれ倒している傍ら。

 

 ほんの二十メートルほど離れた場所のイライザには、その様子が見えなかった。

 というか、周りを見る余裕がなかった。視界は土と、滴る汗と、ぶちまけられたゲロと垂れ下がる涎で一杯だ。

 

 「──、ぁ」

 

 手足をついて自分の吐瀉物を見下ろしながら、やばい、とイライザは思う。

 ゲロが緑っぽくなり、赤い斑が混じり始めた。胃液ではなく胆汁が出始め、食道か口内が傷ついて血が出ている。

 

 肩で息をしながら、手足のしびれはいつ収まるのだろうと頭の片隅で考えた。

 

 この状態からでも一時間くらいは戦える──動ける、ではなく──のは体験して確認済みだが、如何せん、他人の魔力を流し込まれるのは単純な運動や戦闘とは身体の傷付き方が違いすぎる。

 あまり、過去の経験や訓練を当てにしない方がいいだろう。

 

 「えっ!? ウィレットさん、大丈夫!?」

 「あー、吐きすぎちゃったね。勇者ちゃんは神経系にクるタイプっぽいし、摂食障害とかになってもヤだから、今日はもう終わりにしよう」

 

 普通ではない色の胃液を見てヘレナは慌てるが、自分でも経験があるのか、ノアは落ち着いたものだ。

 疲れたぁ、と大きく息を吐いて地面に座り込む程度には疲弊しているが、すぐに水筒を呷って水を飲めるくらいに息は整っているし、顔色や姿勢も健康体だ。

 

 じき南中。冬場でもじんわりと汗が滲み出るような陽気が溢れている。

 昼食のことを考えても何ら不思議ではない時間帯ではあるが、平然と飯の話が出来るノアに、イライザは信じられないものを見る目を送った。

 

 「んー……、勇者ちゃん、今日から御粥か、最悪は重湯かもね。救急キットの栄養剤ってまだ残ってる? 無くなったならあたしのあげるけど」

 「ま、まだあります。ありがとうございます……」

 

 水筒で口を漱ぎ、ついでに顔も洗って漸く、イライザはまともに声が出せる程度に回復した。

 

 「よし。じゃあ感覚を忘れないうちに魔力操作、やってみようか」

 「はい……」

 

 ぱちりと手を叩いたノアの指示は、イライザの状態を理解している割には厳しいものだった。

 

 しかし、正しくはある。

 彼女がイライザに魔力を流し込み、イライザの身体が拒否反応を起こしても構わず続けているのは、偏に、イライザに魔力操作の感覚を教えるためだ。

 

 ノアの魔力を押し返すことは未だに出来ていないが、それでも、自分の中にある「力」が、身体を蝕む他人の魔力に対して多少の抵抗をする感覚は掴んでいる。

 あとはその感覚の延長。自分の中にある、筋肉でも血流でもない“それ”を、自在に操れるようになるだけ──だけというには高難易度だが。

 

 「…………」

 

 細く長く息を吐きながら、イライザは一本指を立て、目の前にゆっくりと下ろす。

 縦一文字の軌跡にはしかし、何もない。

 

 「うーん……。正直、ここで詰まった奴なんか見たこと──うっ」

 

 ノアが適当に振った指は、空気に青白く光る軌跡を残していた。

 困ったようにぼやいた彼女は、後ろから頭を小突かれて呻く。ヘレナはただ呆れ顔で何も言わなかったが、ノアも自身の失言には気付いていた。

 

 「……やっぱり、魔術師でないと魔力操作は難しいんですよね」

 

 疲れからか呟くような声量だったが、イライザの声は先生役の二人にきちんと届いた。

 

 ノアとヘレナは顔を見合わせ、表情を緩める。

 イライザ個人を責めたつもりは、勿論ノアには無かったし、言われた側も分かっていた。

 

 元より、イライザは適性外のことをやらされているのだ。

 出来なくて当然。出来たら凄い。そういうカテゴリのことを。

 

 まあフィリップ然り先代然り、剣師龍も含めて師匠たちは「でも出来ないと話にならないし、()()()()」と言うわけで──イライザも必要性があるのは分かっているし、当然に是と返すけれども。

 

 「こんな調子で、本当に聖剣を使いこなせるようになるんでしょうか……」

 「何十万年も人間を見てきた王龍が「できる」と言ったのだもの。もっと自信を持っていいと思うわ」

 

 イライザの頭を撫でながら、ヘレナは慰めるというよりは教えるような口ぶりで言う。

 実際のところ、半分は慰めだが、半分は指導だ。

 

 魔力操作は身体操作と同様、ある程度の自動化が出来る。

 というか、普通は自動化している。

 

 近くの友人にボールを投げ渡すときと、出来る限り遠くに飛ばすように投げるとき、身体操作は腕どころか足の動きから体重移動まで全く違う。

 しかし、一々「足首の筋肉をこう動かして膝はこうで股関節はこうで腰はこうで……」と、筋肉や関節の動きを個別に制御して動きを作ったりはしない。

 

 「近くに優しく放る」か「遠くに思いっきり投げる」か。

 意識の切り替え一つで、身体は勝手に動きを変える。

 

 同じことは魔術にも言える。

 魔術式演算の体性感覚方面からの補助である、起動詞詠唱(呪文)代替詠唱(指パッチン)が代表的だ。

 

 「この呪文を唱えたらこの魔術式を演算する」「この動きをしたらこの魔術式を使う」と脳に覚え込ませ、莫大な計算を要する魔術を少しでも簡略化する。

 

 脳の動き、意識は、身体操作だけでなく魔術に於いても、とても重要になる。

 

 つまり──“自分には出来ない”という弱気もまた影響し得るということだ。

 

 「貴女より魔術適性の低いカーター君だって出来るようになったんだもの。今はコンディションも悪いし、まだ練習を始めたばかりだし仕方ないかもしれないけれど、きっと出来るようになるわ」

 

 魔術学院長の言葉に、イライザは素直に頷いた。

 ノアはちょっと懐疑的だったし、フィリップが聞いていれば「僕それ十回に一、二回しか成功しないんだけどなあ」と遠い目をしていただろうけれど。

 

 とはいえ出来ないわけでもないし、イライザも悲観することはない。

 このくらいであれば、才能が無くてもできるラインなのだという証明は、既に為されているわけだ。

 

 「先輩。ステラ先輩にお願いしてみませんか?」

 「支配魔術? この際だから法律云々は考えないにしても、魔力操作を覚えるための訓練で、彼女ほど強力な魔力で全身を縛られて、上手くいくとは思えないわ」

 「あー……。確かにそれもそうですね……」

 

 落ち着いて考えてみれば──ノアはそのアイディアをかなり早い段階で、それこそ初日の時点で思いついた上で、自分で却下していた。

 

 理由はたった今ヘレナが言ったものに加えて、流石に自分でやる前に先輩の手を煩わせるのは、という遠慮もあったけれど。

 

 ともかく一度は棄却した、口にすらしなかった案をもう一度考えたのは、単に極度に疲弊していたからだ。

 

 「代わってあげたいのは山々だけど、私たちの魔力は棘があるから任せるしかないのよ。頼むわね」

 「あたし以外みーんなですからね。ああいや、カス過ぎて当てにならないのも一匹いますけど」

 

 ノアは地面に座り込んだままぐるりと首を回し、遠くで泥人形と打ち合っている──今は木の枝で鳩尾を突かれて地面で丸まっている──フィリップを見遣る。

 

 「口が悪いわよ」

 「っと、すみません。今のは本人……はともかく、サークリス先輩にはご内密に」

 

 眉を顰めるヘレナに、ノアは姿勢を正して頭を下げた。

 

 本人に伝わるのは別にいいというのは、別に、フィリップを侮ってのことではない。

 フィリップの耳に入ったところで「まあそうですね」と、「1+1は2だよね」とでも言われたような反応をするのが分かっているからだ。

 

 陰口のつもりはないし、本人の耳に入れば反論なり軽口で返すなりしてくるだろうから、何なら後で直接言ったって良い。そのくらいの関係性はある。

 

 逆に苛烈な反応をしそうなのはルキアで、当の本人が気にしておらず、ノアにもちょっとした揶揄の軽口程度の悪意しかなかったとしても、逆さ吊りにするくらいのことはやりそうで怖い。

 

 そんな話をしていた先生二人の視界の端で、ぱっと光が瞬く。

 

 「あっ」

 「あぁ……」

 

 驚きは一瞬で、当代最高の魔術師たちは何が起こったのかと慌てることもなく事態を把握した。

 

 反射的に目を向けただけで、状況は分かった。

 土気色の顔に、それでも輝かんばかりの期待に満ちた笑みを浮かべたイライザもまた、二人の方を見ている。

 

 「で、出来ました! 今! ご、ご覧になってましたか!?」

 

 イライザは表情も声も興奮しているのに、顔色だけは依然として悪い──いや、一秒ごとに更に悪くなっていく。

 本人は気づいていないようだが、見ている二人には一目瞭然で、その原因まで明らかだった。

 

 「あー……いや……」

 「ええと……ウィレットさん、言いにくいのだけど、今のは出来ていないわ」

 

 聖痕者たちの歯切れが悪い。

 説明するのは簡単だが、説明を理解するより先に“結果”が来ることを、二人とも分かっているからだ。

 

 え、という声すら漏れなかった。

 受け身も無しに横倒しになり、少し遅れて、イライザは気持ちの悪い浮遊感を自覚する。

 

 あれ? という困惑の声は、僅かな呼気にしかならず音を成さない。代わりのように、地面に倒れた身体がゴツッと硬い音を立てた。

 

 「体内の魔力がほぼ全部噴き出したからね。そりゃそうなるよ」

 

 どこか驚いたように、興味深そうに状況を語るノア。

 ペン先にインクをつけるだけでいいところを、インク瓶ごとひっくり返したようなものだ。

 

 「……非魔術師ってそんなミスするんですか?」

 「さあ……。でも、四足の獣を二足で立たせ、二足の人間を四足で走らせているようなものだもの。いきなり上手くはいかないわ」

 

 何をどうやったらそんな制御の誤り方をするのか、ノアには本当に、心の底から疑問だった。

 

 少なくとも彼女が見たことのある、彼女より圧倒的に格下の魔術師でさえ、そんなしくじり方はしない。

 この場にいる先輩たちや彼女自身なら尚更というか、むしろやろうとしてもやれるものではない。

 

 インク瓶程度ならいざ知らず、湖を瞬時に枯らすほどの放出など。

 

 どうします? とヘレナに目を向けると、イライザの傍らの地面から滲み出るようにして泥人形が立ち上がった。

 

 「──こっちもぶっ倒れたか。……一時間休憩だ」

 

 溜息交じりのような呆れ声を、気絶したイライザは聞いていない。

 

 二人が視線を彷徨わせると、遠くで大の字に伸びたフィリップもまた、起き上がってこない様子だった。

 

 

 

 「ここに来てから四日。ウィレットの方は、かなり良い調子だな」

 

 二人が目覚めるのを待って昼食を終え、キャンプチェアで車座になって雑談をしていると、ステラが単なる一つの話題のように投げかける。

 

 金属棒と布の組み合わせでしかないアウトドアギアの椅子だが、座るステラの所作や覇気が玉座を幻視させた。

 

 「いえ、そんな全然──」

 「まあ、そうですね。精度はともかく、さっきは自分の意思で魔力を動かせましたから」

 

 恐縮するイライザの言葉を遮ったのはノアだ。

 聖痕者であり先生でもある彼女の言葉には、単なる謙遜ばかりではなかったイライザに自信を与えるだけの力があった。

 

 その意図を汲んでか、「暴発してなかった?」と突っ込む声はない。

 まあ暴発ではあれど、操作には成功したと言えるわけなのだし。

 

 「フィリップだってヴォイドキャリアの能力解放は早々に会得したし、総じて良い調子、と言っていいんじゃない?」

 「確かに、こっちはこれ以上どうしようもないわけだからな。魔力総量も回復効率も、多少の訓練で劇的に改善するものではないし……私たちでカバーする動きを組んだ方が手っ取り早い」

 

 庇うようなルキアの言葉に、ステラはシビアな現実を返す。

 

 聖剣解放のマニュアル化と、魔剣解放後の継戦能力向上。

 求められていることの難易度で言えば前者が勝るが、実現難度は後者が圧倒的、というか、ほぼ不可能だ。

 

 フィリップには魔力が足りない。

 総量も回復能力も、ヴォイドキャリアの能力解放を使った上で、まともな戦闘能力を残せるほどのものではない。

 

 成長性も同じくだ。

 

 上限は一発。

 コンディション次第ではほぼ即座に昏倒し、調子が良くても戦闘能力は8割減。

 

 そこから召喚術を使おうとすると、死ぬ気で──文字通り死のリスクを呑み込んで、になる。

 リスクを回避したければ、安静状態で三十分程度の回復時間が欲しい。

 

 召喚術使用後にも分別を残したいとか、戦闘能力を残したいとなると、もう少し長く。

 

 しかも、だ。

 

 「まだ加減が完璧ってわけじゃあ……あ、いや、なんでもないです」

 

 フィリップには懸念事項があった。

 なんか勢い余ると次元を斬ってしまいそうになるらしい……という話をするのは面倒臭すぎるから省くけれど。

 

 「まあ、まだ時間はある。焦らず確実にな」

 

 冷静な総指揮官の言葉に、フィリップとイライザは顔を見合わせ、各々らしい返事をした。

 

 

 

 

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