なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
師事四日目、夜。
焚火の周りに車座になって夕食を取っているとき、フィリップは徐に手を挙げた。
別に授業中でもあるまいし、厳格なディナーの場でもないから、皆普通に雑談しながら食べている。わざわざ注目を集めたということは、全体に、重要な話があるのは明白だ。
各々の会話はぴたりと止まり、全員の視線が集まる。
視線から窺えるのは、なんだろう、という当然の疑問が殆どだったが、唯一、イライザだけは期待を滲ませていた。
彼女の皿にはさらさらのおかゆ。傍らには濁った茶色の
他の面々は保存食糧の燻製肉と煎り豆のスープにパン、現地で採った山菜のサラダだ。
勿論イジメではなく、連日ゲロを吐いている彼女への配慮である。
昼間にゲロを吐きまくっているのはフィリップも同じだが、片や外部要因による反射的なもので、片や他人の魔力を延々流し込まれることによる神経系や内臓機能の異常によるもの。対処が違うのは当然だ。
が、それでも皆が同じものを食べているのに自分だけ違うメニューというのは、地味に寂しい。
しかも味も食感も無いと言っていいレベルの病人食となれば、悲しみもひとしおである。
故にイライザは、フィリップが「やっぱり可哀想だし、同じものを食べさせてあげましょう」と言ってくれるのを期待していた。
残念ながらそんなことはなく──フィリップは気にしてもいないし、気にしたとしても「
フィリップの意識は弟子のことではなく、むしろ自分のことに強く向いていた。
「アンテノーラを呼びます!」
今日一日で分かった。
ヴォイドキャリアを撃った後、まともに考えてまともに動けるようにはならない。だからせめて、それっぽく動けるようにする──絶不調状態に身体を馴染ませる。
言っていることは分かる。
方針として正しいのも、まあ分かる。
「お前……」
「補助魔術師の人魚ちゃんだっけ? けど、それってアレでしょ? 歌を聴いたらおかしくなる可能性あるんでしょ?」
ステラが溜息交じりの呆れ笑いを零し、ノアは記憶の端に辛うじてある程度の名前を掘り起こす。
まだ直接の面識はないノアとアンテノーラだが、その素性や性能はお互いに知っている。
今回はイライザが主となる訓練の予定であり、フィリップは最終段階の王龍“グスタフ”戦までは、何なら暇まであると思っていたから、この剣師龍の棲む山までは連れて来なかった。
だが魔王征伐本番には連れて行く。
ノアの言った通り、“歌声”が同行者の精神に悪影響を及ぼす可能性はあるが、しかし。
アンテノーラは──魔王軍の内部事情にある程度は詳しい、暗黒大陸の道案内役にもなる、本体の戦闘能力もずば抜けて高い、高倍率のバフ要員である。ちょっと盛り過ぎなくらいメリット満載だ。
これを連れて行かない選択肢は、フィリップにもステラにもない。
「どうせ本番では使うんです。だったら今使ってもいいでしょう? というか体調最悪の状態でボコボコにされ続けるの辛いです」
本当に。
たった一日で、何度剣師龍をバラして新しい剣の素材にしてやろうと思ったことか。まあすぐ近くにルキアとステラが居たので思い留まったというか、本当に思うだけに留めてはいるけれど。
「“歌”の常用は危険だけれど、実戦を意識するのなら、あった方がより近いわよね。それに、身体強化や治癒ありきなら、もっと効果的な強度の高い訓練が出来るわけだし」
「…………」
大真面目な顔で言うルキアに、ステラの物言いたげな視線が向けられる。
中立的で正当な意見ですと明に暗に示すような口ぶりだが、七割方、ただフィリップを甘やかしている……というか、無条件に支持しているだけだろうと。
とはいえ実際、言葉の内容自体は正しい。
音の反響に気を配ったホールでもなし、最高峰の技量を持つ伴奏者たちもいないし、戦闘用の“歌”であれば、あの時のような惨劇は起こらない以上は不安もない。
いや不安はあるのだが、杞憂に終わる……はずだ。
「まあ……いいだろう。マルケル候、明日、麓の街へ行ってアンテノーラを連れてきてくれ」
「了解よ」
「え、いや、自分で行きますよ?」
ステラとヘレナのやり取りに、フィリップは慌てて口を挟む。
なにも遥々王都まで戻るわけではない。
三週間後の“グスタフ”戦のため、兼、なにかの事故で大怪我を負った場合の救急救命要員として、アンテノーラは帝国軍と共に近くの街で待機させてある。
ちょっと行ってぱっと帰ってくる、とはいかない距離だが、半日もあれば往復できるはずだ。
帰りはアンテノーラの“歌”で身体強化する前提にはなるけれど。
態々学院長の手を煩わせることもなかろうと、そしてイライザの先生役が減るのも不味かろうと、フィリップにしては珍しく真っ当なことを考えているわけだが、しかし。
「いや、お前は剣師龍の赦しがあるまで山を下りられないだろう?」
「……あぁ」
そういえば、なんかそんな感じのことを言われた気もする──と、フィリップは眉根を寄せて曖昧な記憶を手繰る。
「いま忘れてなかった? 頼むよホント。勇者ちゃんが聖剣を扱い熟せなくても……いやまあそれはそれで後々物凄く困るんだけど、あんたがヴォイドキャリアに習熟出来なきゃ、あたしたちはここから帰ることも出来ないんだからね?」
「ずっとハードな訓練をしていたし、無理もないわ。要らぬプレッシャーになっても良くないし、気にし過ぎないようにね」
呆れかえるノアに、ヘレナがフォローを入れる。
確かにフィリップには疲労もあるし、ここ数日は暇さえあれば「ヴォイドキャリアは何なのか」という疑問について考えていたから、忘れてしまうのも無理からぬことだ。
それが龍の──本来は人間なんぞには反論すら許されない強者、その意思を曲げることなど何人たりとも適わず、故に言葉が絶対の重みを持つ存在の決定であったとしても。
或いは今後一生この山を下りられないかもしれないと、普通は恐れ戦いているところだ。
フィリップだからこそ平然としていられる。
……ヘレナはそれを、「聖痕者でも勇者でもないのに魔王征伐に同行すると、決死の覚悟が決まっているからだ」と思ってはいるが。
「あぁ、はい……?」
三週間、である。
人類サイドの決めたその
ただの予定だが、フィリップはこれに則って動くつもりだ。
つまり──約二週間後、剣師龍が何が何でも山を下りさせない、自分の決定を貫き通すというのであれば、殺す。
これは別に、フィリップが今現在、そういうつもりでいるという話ではない。
目の前を羽虫が飛び回れば叩き潰すというだけのことであって、常日頃、「羽虫が飛んで来たら叩き潰すぞ」なんて意識して生きてはいない。
故にフィリップはそもそも、剣師龍が「山を下りさせはしないぞ」と立ちはだかる可能性を、微塵も考慮していなかった。たったいま、ノアに言われるまでは。
「いやでも能力解放自体は使えるわけですし、一応達成では?」
「勇者ちゃんが同じこと言ったら呆れかえるくせに」
揶揄うような笑みを向けられて、なにか軽口を返そうとしたフィリップだったが、ちょっと正論過ぎて言葉が浮かばず「確かに」とだけ頷く。
「まあでも、より実践に近い形でっていうのは賛成かな。特に剣術なんか、運動能力が変われば感覚も変わるだろうし……。そういえばその“歌”ってさ、魔術能力は強化出来ないの?」
ノアの疑問に、ヘレナも「そう言えば」というような目を向けた。
詳しい性能を知っているルキアとステラは無反応、イライザは悲しげな顔で薄い塩味のおかゆを啜っている。
「魔術の威力や耐性を底上げすることは出来ますけど、魔術能力自体は無理ですね」
「魔力量とか生成量は変わんないか。ふーん、重ね掛けできる以外は普通の強化魔術だね。ちなみに倍率はどのくらい?」
倍率──強化の度合いのことだろうが、一口には言えない。
歌の種類によりけり、アンテノーラの本気度によりけりだ。
特化させた本気なら千切れた頭から胴体を生やすことだって出来るが、常時それではフィリップの自己意識が人間のそれから遠ざかる。
フィリップはノアの言葉に答える代わりに、彼女の目論見に対する回答を述べた。
「……断っておくと、僕用に調整された楽器……じゃなくて“歌”なので、僕以外には効きませんよ?」
「えっ!? なんで!? 全員にバフかければよくない!?」
理由は今まさに話したのだが、それなら全体向けに調整し直せばいい、という意味だろう。
出来るでしょ? という問いには、まあ確かにイエスと答えられるのだが。
しかし本人がやりたがるかというと、それはノーで──彼女に関しては、フィリップの命令に絶対性はない。
所有者がやれと言おうが、指揮者を通じて二段階に命じようが、生きた楽器は存在意義にのみ殉じる。準じる、でなく。
少なくともフィリップはそう認識している。
「そんなに都合のいいものではないということだ。発狂のリスクも含めて、な」
「なるほど……。流石は、って感じですね」
ノアはあっさりと頷く。
簡単に納得したのは元魔王軍幹部というアンテノーラの素性故……だろう、たぶん。流石はフィリップの縁者、みたいな受け取り方も、出来るには出来る口ぶりではあったが。
「にしても……あんたが発狂したらどうすんの? やっぱりサークリス先輩が殺す感じ? あたしがやったげよっか?」
物騒な想定に、ルキアがむっと眉根を寄せる。
ただの仮定、想像の話なのは分かっているが、それでも彼女には不快な話だった。
逆に失笑している者たちもいる。
いや完全に噴き出したのはフィリップ一人で、ステラは感情の表出を制御しているけれど。
「ははは。僕が発狂したら、そりゃあ──ハッピーエンドってやつですよ、ノア聖下」
「……真面目な話なんだけど?」
困ったように眉尻を下げるノアだが、フィリップに特別ふざけたつもりはない。
面白いこと言ってるなあ、とは思ったが、面白いことを言おうとは思わなかった。
「ジョークのつもりはないんですが……、まあ、そうですね。僕が発狂したように見えたら、取り敢えず自分の正気を疑ってみて……次は、僕が狂人じゃなく、単なる馬鹿じゃないかどうかを吟味してください。殿下と一緒にね」
内面的にはともかく、振る舞いの一から十まで完璧に正常な人間である自信はない。
例えば、恐れるべきものを恐れられないし、逃げるべきところで逃げられないように。だからまあ、余人から正気を疑われることも不思議ではないが──正気の保証はあるのだ。
精神分析を試みられるくらいなら構わないが、慈悲の一撃は困る。凄く困る。聖痕者のそれは、きっと避けようもない即死だろうから。