なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
結構いい感じなんじゃないか、とイライザは思った。
自画自賛である。
眼前の空気に描かれた、特に意味のないうねうねとした軌跡。
絵というほど精巧なものではなかったが、確かに求めていたものではあった。
1秒ほど残って消えていき、透明になったキャンバスをじっと見つめる。
じき日没という時間帯にあって一行はキャンプを設置し、イライザの前には石を組んで作った簡易竈がある。
まだ鍋は置かれていないが、オレンジ色の炎がめらめらと空気を食っていた。
その光の中でも見えるくらい、魔力が色濃く残ったのだ。
これは結構いい感じだぞ、と短時間のうちに再び、改めて思う。
「……?」
ふと、ぱたぱたと小鳥が飛んでくる。
⋯⋯いや、ただの鳥とは形が違う。四肢と長い首があり、翼は骨格と翼膜で作られた蝙蝠のような形状。
手のひらサイズのドラゴンだ。
しかし全体的に青白く、仄かに輝いて、しかも透けている。
「うーん、やっぱ人に教えるって成長に繋がるねえ。すごくない? これ」
「凄いんだろうとは思いますけど、正直僕にはどのぐらい凄いのか分かんないですね。魔術自慢ならルキアか殿下にどうぞ」
同じものを三体、自身の周囲に従えて飛ばしながら楽しげに言うノア。
にべもなく返すフィリップは、拾ってきた薪をどさどさと置いて隣に座る。
「いや魔力操作精度じゃなくて、シンプルに造型が」
「あ、そういう? じゃあ凄いですね。退役したら彫刻家になれそうです」
会話を聞いてようやく、イライザはふわふわと飛び回る小鳥サイズのドラゴンが、ノアの魔力で編まれたものだと理解した。自分の絵が、どれほど低次元なものかも。
まあ、だからといって落ち込むイライザではない。
先代衛士団長しかり兄弟子たちしかり、龍殺しの英雄しかり、誰かと自分を比べることがどれだけ不毛かは身に染みている。
「よし⋯⋯!」
気合を入れ、もう一度指先に魔力を集める。
目標は軌跡を三秒間残す程度の魔力操作。それを連続で──確実に成功できるようにすること。
「これは魔力だからすぐ消えるけど、氷で作ったら──っとぉ!?」
隣の焦った声を聞きながら、「あれ?」と首を傾げる……首を傾げるのも億劫なほど、頭が重い。
鼻の奥がじんわりと熱を持っていて、目の前がちかちかと瞬いている。
「あっぶな……。ちょっとー、監督教官? 火の前でやらせちゃだめでしょー? 暴発したら顔からダイブじゃん?」
体内の魔力を瞬間的に吐き出して卒倒しかけたイライザをすんでのところで支えたノアは、ぐったりと脱力してもなお軽い身体を慎重に横たえた。
「そりゃ問題ですね。で監督教官って誰です? 僕から注意しますよ」
「すみませんあたしです。先輩方にはご内密に……」
と、そんなやりとりをしているすぐ傍では、今日の食事係であるルキアとヘレナがいて、ステラも同じく焚き火を囲んでいるのだが。
当然のように全員が状況を見ていたが、それだけに、全員が冗談を理解して苦笑している。
「もう少しで目的地だが、どうする? ウィレットがもう少し⋯⋯伸びるまで待つか? 予定には余裕があるが」
ステラの問いは、訓練監督であるノアとヘレナに向けられたものだ。
イライザには答えられない──答えたくても声も出せないほどに疲弊しているし、判断力も落ちている。
それに、彼女は自分が一兵卒であることを自覚している。
戦術的な判断を下すのは自分ではないという理解のもとで思考している。
体調が万全だったところで、問われたことに答えない無礼を措いてでも「師匠はどう思われますか?」と判断を仰いでいた。
「そうですね。一週間くらい追加で訓練して、それからにしませんか? 今のままだと流石に、戦力差を確かめるとかいう段階でさえないので⋯⋯」
「そうね。カーター君の魔剣も、まだ完璧とは言い難いし」
ヘレナの言に、フィリップは無言で頷く。
避けられない魔力欠乏も大きな問題だが、威力低下の問題も完璧には解決していないのだ。
一応、ヘレナの仮説に基づいて動きを変えてみたところ、本当に斬撃痕の形が変わった。
だから仮説自体は実証されたものの、強化自体は失敗だ。
鞭は基本、運動量の集束によって音速を超える先端部で攻撃する。
蛇腹剣やウルミは刃や棘が付いている分、当たったのが先端以外でもダメージが見込めるものの、やはり最高の威力を発揮する場所は同じだ。
故に、フィリップは蛇腹剣を全長四メートルの刃ではなく、四メートル先に届く十数センチの刃として扱うことが多かった。
分割された刃を繋ぐチェーンを噛み合わせて固定するのは、そもそも強い使い方ではなかったのもあるが──ともかく。
しかし鞭には他、というか、蛇腹剣のような切断よりは普通の使い方がある。
叩く、ではなく、巻き付けるという使い方が。
鞭の扱いは直剣より難しいが、ほぼ専門と言っていいレベルで訓練してきたフィリップには大差ないか、むしろ得意なくらい。
結果として能力解放状態のヴォイドキャリアを鞭の動きで振った場合──非直線どころか、敵背面から斬りつけることさえ可能になった。
ウルミのように標的に巻き付け、思いっきり引くことで表面を削り取る攻撃も出来るようになった。
……で? という話である。
進歩かといえばまあ、進歩ではあるのだろう。
では有用かといえば、別にそんなことはない。
敵正面に居ながら敵の背後から奇襲できる、攻撃のパターンが増えるのがメリットになるのは、敵が防御したり回避したりする場合だ。
そしてヴォイドキャリアの能力解放は不可視の、防御不可の絶対切断攻撃。
敵の背後を突ける。敵の表皮を削れる。──そんな差別化、そんな分化は要らないのだ。
ただ長く、ただ広く、ただ深く。それだけでいい。
そう分かってはいるのだが──如何せん、フィリップは常識的すぎた。
冗談のような話ではあるが、事実だ。或いはより正確には、こう言い換えられる。
フィリップは剣と自分の弱さを知り過ぎている、と。
斬撃が刃渡り以上の破壊範囲を持つわけがないという常識に基づいて、フィリップは無意識のうちに常識的な斬線を設定し、常識的な身体操作をしているのだった。
フィリップはなんとなく、ステラも薄々察してはいるのだが、「じゃあ常識を捨てちゃおう」とはいかない。
出来ないわけではなく、むしろ簡単なのだが、それだけに。人間性を繋ぎ止めるのに苦労している現状で、思考が人間のそれを離れるようなことは避けるべきだ。
「魔剣を使えば超常的な攻撃が出来る」と刷り込もうにも、もう既に「剣による攻撃の破壊範囲はこのくらいだ」という刷り込みがあるぶん難易度が高い。
そもそも誰がどうやってという問題もある。
“歌”を使って身体能力を引き上げたところで、剣は剣、刃に触れた部分を切断する道具でしかない。刃渡り以上の深さ、腕の可動域以上の破壊は発生しない。
よしんば超人的な攻撃が可能になったとしても、それを意識に刷り込むということは、今ある人間の常識を上書きするということ。
人外の肉体がデフォルトになってしまうと、“歌”無しの状態──人間のままでいることに不満を覚えてしまう。
そうなったら終わりだ。
それはフィリップもステラも理解していた。
手詰まりである。
「いや、ヴォイドキャリアは最早威力上限だと思っていい。それはあくまで号砲であって、本命の火力は私たちだ」
「いえでも、あたしたちの魔術で耐性ブチ抜けそうなのって神域級の……一人一種か二種程度の手札じゃないですか? 王龍の耐性が剣師龍レベルだった場合、『明けの明星』でギリ通るかな? って感じですし」
ステラの言に、珍しくノアから反駁があった。
珍しそうにしているのはフィリップくらいで、他は真面目な顔で聞いているけれども。
「欲しいでしょう、ヴォイドキャリア──一撃で王龍の首、ないしは翼を捥ぎ取れる攻撃は。魔力量や魔術能力の不足でどうしようもないならまだしも、昨日出来たことが今日出来なくなってるようじゃ困りますよ」
イライザは牛歩だが進歩しているのに対して、フィリップは停滞──ともすれば退化している。
軽い口ぶりではあったが、ノアの声には揶揄以上の感情があった。落胆、失望、その類のものが。
「今回の相手は剣師龍より幾らかマシだとしても、本番は同格なんでしょ? だったら、ヴォイドキャリアは聖剣の予備扱いすべきじゃない。鍛えて強化して、主力に据えていいくらいの武器でしょ」
だからどうにかしろ、という圧が女軍人の双眸から突き刺さる。
どうにかしろというか、鍛えて強化しろということなのだが、気持ち一つでどうにかなるならイライザは今頃単独で王龍を殺せるくらい強くなっているだろう。
フィリップは「無理無理」とばかり頭を振るが、意外なところからノアへの援護射撃が飛んできた。
肉の下処理をしていたヘレナは手を止めないまま、しかし深い思索に伴うゆっくりとした声で語る。
「そうね。今回は間に合わないにしても、本番には魔剣を扱える兵士──練度の高い衛士を数人、同伴させてもいいくらいよ」
「えっ? いいんですか?」
ぱっと顔を輝かせたのはフィリップ一人だが、魔力欠乏で昏倒していなければイライザも同じ反応をしただろう。
イライザにとって衛士は憧れの対象であると同時に、殆ど兄弟子と言っていい間柄だ。
信頼できる大人であり、甘えてもいい相手であるとも思っている。
憧れの英雄と聖人たちに囲まれるのは、彼ら彼女らが気さくだったとしても緊張する。“普通の人”が同行してくれるなら大歓迎だった。
フィリップにとっては最早言うまでもないが、彼らへの憧れにプラス、自分がヴォイドキャリアを使わなくて良くなるというのも嬉しいポイントだ。
魔力欠乏はしんどいのである。ダルい、キツい、なるべく避けたい。
ノアの膝枕で眠っているイライザの土気色の顔を見るまでもなく、実体験として知っている。
使えば魔力の八から九割を持っていく魔剣なんか、出来れば使いたくはないのだ。
他人に任せられるなら是非任せたい。それが自分以上の使い手なら尚更に。
「勿論、魔術戦に巻き込まれるリスクはあるけれど、守る相手が一人から二、三人になったって大差はないわ」
ヘレナは自信ありげに、自らの能力に基づく純然たる事実を語る。
自分と他の聖痕者たちの能力を鑑みての計算に、自惚れもなければ否定の余地もない──はずだった。
「それは……どうかしらね」
懐疑的というか、口を衝きかけた否定をギリギリ疑問に押し留めたような声。
普段の彼女らしからぬ歯切れの悪い、ともすれば自信なさげな声色に、ヘレナは意外そうに声の主を見遣る。
赤い双眸は思案気に伏せられ、次いでフィリップの方に向けられたことで、目は合わなかったけれど。
「その……万一の時のダメージが大きいでしょう?」
「確かに衛士団は精鋭の集まりだけど……こういう言い方は良くないけれど、二、三人の消耗が許されないほどの少数組織ではないでしょう?」
濁した言葉の真意を汲めたのはフィリップとステラだけだった。
「衛士団長を連れてっちゃダメかな」とか考えてウキウキと膨らませていた妄想が萎み、フィリップはしょんぼりと肩を落とす。
ヘレナの言葉は冷徹に思えるほどに冷静で、やはり正しい。
彼女の視点からは、というか、普通に考えるなら正しい、と言うべきだが。
「……カーターが召喚術をトチってうっかり殺した場合の、心の傷が大きそうだという意味だろう」
「過保護すぎるわ、サークリスさん。魔王を前にしたら、そんな些末なことを言っていられないわよ。自分の一挙手一投足がどれだけ重く、吐いた息の一つがどれだけ惜しいか。ましてや今回は真体……王龍に挑むのに」
その通りである。
全く以てヘレナの言は正しい。流石は王国最高の学校組織の長と、ルキアは柄にもなく重い溜息を吐いた。
それはそうなのだが──対魔王真体戦は、邪神召喚が想定されている。勿論、最終手段としてではあるけれど。
しかし最終手段であるからこそ、“枷”は少ないほどいい。
自分たちがその“枷”──人間性を守るものであり、同時に行動を縛るもの──である自覚がある二人は、それ故に理解している。
戦線崩壊時、フィリップが召喚を躊躇う理由は減らしておくべきだ。
……なんて、ありのままの理由は流石に言えない。
「……」
「……」
ルキアとステラは無言で視線を交わす。
赤い双眸はヘレナを示してから問うように細められ、青い双眸は咎めるように吊り上がる。「言っていい?」「駄目に決まっているだろう」という遣り取りが聞こえるようだ。
「……まあ、その話は今度にしよう。能力解放には魔剣との適合……剣師龍曰く「手が剣に、剣が手に馴染む」のが必要だと言っていたから、適性や練度だけではどうにもならない可能性もある」
「確かにそうね……」
剣師龍の言葉を思い出す。
フィリップはあれの知る限り誰よりもヴォイドキャリアとの親和性が高い──正しくは励起度が高い、だったか。
ヘレナは直接聞いたわけではなく、あくまで又聞きではあるけれど、情報自体は共有されている。
衛士団長ですら魔剣の能力──十全に使いこなせば自ずと明かされるというそれに気付かなかった時点で、ただ強ければいいというわけではないのは明白だ。
求められているのは能力解放が出来る適合性と、その後に行動可能なレベルの魔術適性。
後者は並の魔術師なら例外なく持っているが、前者は。
「……あまり現実的な案ではなかったわね」
ヘレナは肩を竦め、夕食の準備に意識を戻した。