なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
魔力酔いの症状は、クレーターの外に出てしまえばすぐに治まった。
滞留する魔力渦から離れて、およそ五分ほどだ。
「魔力酔いって魔力感覚がほぼゼロでもなるんですね」
「私もいま知った。というか全員が、だな」
ちょっと入って慌てて飛び出したクレーターの縁で車座になり、それぞれ顔を見合わせている。
フィリップとイライザへの心配、失神して意識が途切れている当人たちの困惑も引っ込めば、皆、浮かべている表情は同じだ。
どうしよう? と、それぞれを窺うようなもの。
「え、これどうする?」「どうしましょうね」「魔術の専門家が揃って慌ててるの嫌だなあ」と、幾人かは声も漏れていた。
「ノア聖下の魔力より、もっとなんというか、空気みたいなのに一瞬で意識が……洞窟のガス溜まりに落ちたときみたいな感じでした」
「え、勇者ちゃんデススポットに落ちたことあるの? なんで生きてんの?」
「いえ、死にました。二分くらいですが」
なんて、驚きのエピソードまで出てくる始末。
フィリップとヘレナも目を瞠るなか、基本的に他人に興味のないルキアと、司令塔であるステラだけは冷静に状況について考えていた。
と言っても、二人だけでだ。
「私たちの魔力で押し退けて、二人を守りながら進むか?」
「無理よ。魔力作用の第二法則から算出される要求魔力量が私たちの総量の四割になる。継続的に押し退け続けるのではなく、瞬時に吹き散らした方が効率的ね。『明けの明星』は?」
「無理だ。それが先制攻撃になるならいいが、ここからでは精々、眠れる龍を叩き起こすくらいにしかならない。重力子操作による魔力そのものへの疑似質量付与と直接操作はどうだ?」
「王龍と戦う段階で私の魔術能力が六割ほど制限されてもいいのなら、まあ、一案ね」
「無い選択肢だな」
立て板に水の掛け合い。
口に出すアイディアの裏では無数の案が浮かんでは棄却され、会話の体を為してはいるものの、脳の使用量は自分の内に使われる分が遥かに多いだろう。
「魔力障壁は? 前線でウィレットのフォローをするマルケル候と、最大火力であるお前を除き……つまり私とアルシェであの二人を守る」
「交戦距離に入った瞬間に、私と学院長で魔力渦を吹き飛ばしつつ王龍を撃つ?」
「そうだ」
ふむ、とルキアは暫し黙考する。
彼女も一度は浮かんだものの、棄却した案だ。
王龍の戦闘能力と本気度が不透明な状態だから何とも言い難いが、恐らくは王龍から数百メートルの位置で、大規模魔術一発を無駄撃ちするようなもの。
あまり良い作戦とは言えない。
まあ王龍が意外と寛容で、ルキアも含め人間の魔術師にとっては花火を地上で爆発させるが如き魔術行使の気配に気を立たせることなく、丸まって眠り続けてくれるのなら話は簡単だが──。
「学院長が渦を消し、フィリップがヴォイドキャリアを使い、私が──」
「いや、違う。渦を消し、聖剣を試した後でヴォイドキャリアを撃ち、それから攻撃開始だ」
言葉を遮られたルキアは気を悪くすることもなく、対案の妥当性を検証する。
そして、ふ、と微かに口元を緩めた。
ステラの言は正しい、が、問題が無いわけではない。解決しようのない問題が、やはりどうしても付き纏う。
「渦を消した時点で王龍が本気にならないかどうか、また賭けね」
「いざとなったら私が壁、お前が道だ。全速力で撤退し、カーターに投げる」
イライザと話していたフィリップは、自分の名前に反応して「呼びましたか?」と顔を向ける。
「ん、あぁ……全員を呼べ。作戦を伝える」
聞いておけよと思ったステラだが、よく考えたらフィリップが聞いていたところで「ふーん」と流すしかないような話ではあった。
ルキアとステラで立てた作戦を共有し、異論の確認や細部の擦り合わせを経て、いざ二度目の突入となる。
防護案は正常に機能した。
聖痕者の魔力障壁は滞留する龍の魔力を遮断し、時折、異なる二種の魔力が反発しあう余波が火花となって散る。
バチバチと剣呑に瞬く音や光くらいしか見えないフィリップとイライザだが、そのおかげで、障壁の外には無色透明だが確かに害のあるものが動いているのだと理解できた。
「──、っ」
先頭を進むノアがハンドサインと共に足を止める。
緊張に強張った背を見るまでもなく、状況は分かった。
遥か先、まだまだ掌に乗りそうなサイズに見える王龍が、鎌首をもたげてこちらを見ている。
身体は丸いまま、翼はシーツのように身を包むままだが、顔はこちらを向いている。
流石に視線を読める距離ではないが、間違いない。
──認識された。
ぞく、と肌が粟立つ。
背筋が凍る。
この場の全員、死にかけたことは何度もある。数分程度なら死んだことがある者もいる。
それでも未だに慣れない死の気配が、一瞬未満の刹那、意識を白紙化した。
たった一匹の生物の、ただの一瞥。ただそれだけで、心臓すらも止まりかけた。
呼吸さえ忘れた勇者と魔術師たち。
遠退いていたその意識を、ぺち、と軽い音が呼び戻した。
「うーん……」と、不愉快そうに唸りながらペチペチと自分の頬を叩くフィリップは、微塵も揺れていない精神に反して、あわや錯死かというほどの過剰反応──或いは正常な反応をする身体とのズレに辟易としている。
その例外を除き、一番最初に我に返り、「撃つ?」と問いかけたのはルキアだった。
化け物を見慣れているとまでは言わずとも、より恐ろしいモノを知っているだけあって復帰が早い。
ほぼ同時に正常な呼吸を取り戻したステラもまた、正しく取り入れた酸素を脳に回す。
いつものように状況を把握し、いつものように最適な判断と命令を下さんと。
「まだ2キロはある。先に魔力渦をどうにかして──、ッ! いや撃て! 全員攻撃開始!」
弾き出した最適解が音になり切る前に覆る。
判断基準は殆ど直感だったが、天性の戦闘センスに基づくそれは正しかった。
王龍の身体がぶわりと膨れ上がるような感覚を、聖痕者たちは直感の一瞬後に感じ取る。
直感という形でしか理解できなかったのは、魔力の動きの前駆──魔力が動き出す予兆、予備動作以前の、いわば“意識”。
非魔術師二人には、王龍はまだこちらを見ているだけに思えるほど。
しかし二人とも、ステラの命令に疑いを抱くことはなかった。
「無刃にて無尽を断つ、魔剣『ヴォイドキャリア』」
「
実体を無くした魔剣を握り締めたフィリップは、頭部から血液が下がっていく感覚と共に、吐き気と眩暈に襲われる。
襲ってきた頭痛のせいで、今まで然程気に留めていなかった火花の音が、急激に鬱陶しくなった。
目の前で展開された純白の翼と、輝く光輪が目に刺さるのも不快だ。
ちょうど何でも斬れる魔剣があることだし、切除してしまおうか──。
「《万薙の颶風》!」
ふ、と雑音が消える。
ヘレナの詠唱を切っ掛けとして、魔力障壁と魔力渦の接触によって断続的に散っていた火花が、それきり無くなった。
半透明の障壁の向こうは、特に変わらぬ景色だ。
ブレスで抉り飛ばされ、粘土やら何やらが露出した剥き出しの土。ぺんぺん草の一本も生えていない傷の跡。
「飛びます!」
「待ちなさい! バラバラになるわよ!」
宣言して三対の翼を広げたイライザを、珍しく声を荒らげたヘレナが鋭く止める。
意外にもふわふわとした翼に顔を打たれたフィリップは、普段なら「もふもふだあ」と和むところだが、今はすこぶる体調も機嫌も悪かった。
無言で後退り、翼の動域から抜け出す。
「前進しますか!?」とノアが叫んだ。
魔力渦が無くなったとはいえ、ここはまだ事前に想定した交戦域ではない。
聖剣の射程範囲外だ。
ただ戦うだけが目的なら、取り敢えずヴォイドキャリアを撃って、『明けの明星』を撃って、ダメそうなら撤退すればいい。
しかしこれは実戦テスト。紛れもない実戦ではあるが、同時にテストでしかない。
聖剣を含め、聖痕者も含め、このパーティーが王龍相手にどれくらい戦えるのかを試す機会だ。
駄目そうという結論を出すにしても、具体的にどこがどうダメなのか、何が足りないのか、何は足りているのか。そういう情報を出来る限り集める必要がある。
まずは聖剣を当ててみる。
チェックリストの一番上にある試験項目はそれだ。
だが、それにしても──遠すぎる。
こんな位置から警戒されるとは想定していなかった。
「いや後退だ! あれが本気になる前に──」
ステラの判断に疑問を呈する者はいない。
ノアとルキアが防御魔術を構築し、攻撃に備えて前方を注視する。ヘレナはフィリップとイライザの前に出て、非魔術師二人は踵を返して長い坂道を駆け上がり始めた。
命令には即座に、従順に。指揮系統は完璧だった。
しかし、疑問を感じなかった者がいないわけではない。
不穏に蠢く胃をぐっと押さえながら、靄の掛かった意識の片隅で、フィリップは何を言っているのだろうと思案する。
本気になどならずとも──息を吐くことくらい出来るだろうに。
「《黒耀聖堂》」
王龍は丸くなって首だけを起こした姿勢のまま、極めて適当に吐き出されたブレス。
ともすれば寝起きの欠伸じみた、少なくとも本気度は欠片程も見えない恰好から撃ち出されたそれは、音速で飛来した。
遠くに見える巨体の頭部が僅かに瞬いた。
その閃光に反応して展開されたルキアの魔術が、四秒後に訪れるはずだった死を呑み込む。
エネルギーの塊が重力子の中に呑み込まれ、一切の動きが停止する──エネルギーが消失する。
その様は、光の線が、黒い球体に吸い込まれたように見えた。
「後退──いや待て、防御に集中!」
灰色の巨体が身を起こす。
かったるそうに鈍重な動きには、吐息で飛んでいかなかった羽虫を、今度は叩き潰すという意思が透けている。
そして──威容は大空へと飛び上がった。
壮麗なる怪物は地を見下ろし、這う虫の矮小さに憐みの息を零した。
絶対の滅びを確信したそれは慈悲であり、それ故に、加減も躊躇もない無慈悲な冷たさを孕んでいる。
光でなく、熱でなく、圧力でもなく。それ故に光になり、熱になり、圧力になることを自ら望む力の塊は、千メートル下の地表に触れるまでに、その半分を無意味に発散させた。
眩く輝き、熱風を巻き起こし、空気を押し退けて爆発させることで、自らを構成する力を消費した。
外見的に、それは光の柱のようであった。
なにか大いなるものが天上より降り顕れたかのように神秘的で、万人に仰ぎ見させ、膝を屈して祈らせるほどに荘厳だった。
漏れた溜息は誰のものか。
感嘆か、心酔か、信仰か。
光の柱は瞬時に空気を喰らい尽くし、また押し退け、音が失われる。
誰もが自分の感動を骨で聞くなか、一人、神聖なる滅びを前に、ぺろりと舌を出す者が一人。
唇を湿らせ、大地を抉りながら迫りくる“壁”を見て独り言ちる。
「うーん、初手でそれはちょっと無理かも」
焦りはなく。
しかし、眼前の神聖なまでの滅びを粛々と受け入れた殉死者の態度でもなく。
それはどちらかと言えば、既にすべて諦めきっていたような──死も滅びも纏めて、何を今更と嘲るような口ぶりだった。
──だった。
言葉が誰かに届く前に、発言者も、その場にいた全員も、何ら区別なく瞬時に蒸発した。