なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「──流石」
人間六匹程度、瞬時に蒸発させるエネルギーの塊。
一月ほど前に巨大なクレーターを作り出したものほどではなく、しかし人間の尺度で言えば甚大な威力を秘めた一撃は、漆黒の壁に阻まれて止まった。
湾曲した壁は激突したエネルギーの四割を千々に引き裂いて受け流し、残る六割による爆発を完璧に受け止める。
閃光、爆音、地を揺るがす余波、その一切何もかも、漆黒の球体の内側には伝わらない。
平静。
ぼんやりと薄暗い球体の中には、静かな安寧だけがあった。
「あそこからこの規模の防御が間に合うなんて、本当に流石だわ」
「慰めは結構よ」
ヘレナの声には曇りのない称賛が込められているが、向けられたルキアは苦々しい声を返す。
熱も光も圧力も、完全に遮断する全周防御。
全力ではないとはいえ王龍のブレスを真っ向から受け止める防壁は、人間一人がほんの数秒で構築出来るものではない。
誰もが認める凄まじく高度な魔術だが──高度な魔術過ぎて、ルキアでさえ後付けの改変が出来ない。
つまり、この光を通さない真っ黒な壁の向こうを覗く窓を付けたり、壁を透明化したり、このまま後ろに下がったりという行動が出来ない。出来るのは展開を続けるか、やめて消し去るかの二択だ。
「アンテノーラ」
「はい、所有者様」
すっと進み出た楽器を従え、フィリップは司令塔へと頷きかける。
その意を汲むまでもなく、ステラは最適な作戦を組み上げていた。
「よし。防御を全周から前方のみに切り替える。飛行隊は上方へ離脱、遊撃隊は左方へ大きく迂回しつつ標的へ接近。私たちが援護する。聖剣を試した後、ヴォイドキャリア、魔術攻撃を試して離脱だ。魔術信号は王国式で行う。……行けッ!」
周囲を覆っていた漆黒の球体が消え、全く同時に眼前に炎の壁が立ち登る。
その熱風に背を押されるように、フィリップとアンテノーラは地を蹴って駆け出し、イライザとヘレナは空へと飛び立った。
「────」
爬虫類の頭蓋は眼球を左右に置き、距離もあって散開した全員を何の苦もなく視界内に収めている。
しかしその焦点は間違いなく一点、明確な“攻撃”として放ったブレスを防ぎ止めた壁にある。その奥に居るちっぽけな劣等生物を見透かすように。
その興味は冷たいものだ。
踏みつけた虫が、偶々靴か道のへこみに嵌って死を免れていた。まあ死んだだろうと足を退けてみれば、まだ元気に地を這っていた。ただそれだけのこと。
小さな興味の更に半分程度の意識が、視界の端にいる小さな生き物に向く。
気にも留まらぬものと──同類の気配を漂わせるモノ。自分より遥かに古い同族に、加護と契約を受けている。
怪物は、ほんの気まぐれに、それを爪弾くことにした。
「出鱈目な──!」
敵意すら見せないドラゴンの周囲には、300以上の下級が浮かんでいた。
大小様々、温度や魔力濃度によって炎の色味まで違うが、どれか一発でも人体は致命的な損害を被るだろう。
小さなオレンジ色の炎ならば炭化。青白い陽炎のような塊ならば、或いは着弾前に肉が蒸発することも有り得る。
魔力操作が大雑把なのは見て分かる通りだが、乱雑さ故のブレにしては魔術の結果に差があり過ぎる。
誤差の大きさは、間違いなく魔術性能の高さによるもの。母数100の誤差1パーセントはつまり誤差1だが、母数が10000なら100になるようなもので──莫大な魔力量が窺える。
「狙いは遊撃サイドです!」
「ルキフェリア、正面を代われ!」
ノアの警告と同時に指示が飛ぶ。
ブレスに警戒していたステラが左方へ視線と照準を移し、即座にルキアが先頭に戻る。
防壁を展開しつつ幾つかの光弾を撃ち出すも、王龍は身動ぎすらせず、魔術は全て直撃する寸前で掻き消えた。
上級魔術程度ではやはり、陽動にすらなりはしない。
極めて大雑把な魔術が適当に撃ち出され、300の火球が波のように押し寄せる。
幸いにして弾速はそれほど速くなく、狙われているフィリップとアンテノーラに到達するまで3秒くらいはあった。
ならば十分に間に合う。
「──ふッ!」
右腕を大きく掬い上げるように振ると、地面から赤々とした炎が噴き上がる。
波濤となって地を這ったそれは、フィリップたちの前で一際大きく膨れあがって壁となり、押し寄せる火球の波を呑み込んだ。
龍の意識が炎の壁に向き、その出現地点であるステラに移ったのが分かる。
それを隙と見た飛行チームから、一つの魔術が飛んだ。
強烈なジェット気流を纏ってクレーターの中心へと飛翔する、三対の翼を持つ砲弾。
自分を強力に押していた風の繭が失われ、ぎくりとしたように砲弾の動きが揺れる。
あまりにも大きな隙だが、イライザには攻撃も叱責も飛ばなかった。
噴進弾には目もくれず、ただ周囲に撒き散らす魔力と魔術耐性だけで推力を消し去った王龍の興味は、今のところステラとアンテノーラに向いていた。
そして未だ、敵意や殺意といえる段階にはない。
うろ、と縦長の瞳孔を持つ瞳が揺れる。
王龍は迷っていた。
先の火炎弾雨は「攻撃」のつもりは微塵もなかったが、防がれたことには驚きがあった。蹴飛ばした虫が、細い脚を懸命に地面に食い込ませて耐えきったような。
それから幾度かの攻撃を耐性任せに黙殺し、王龍の気分は定まった。
気紛れに──特筆すべき理由はなく、ただなんとなく。
思いがけず一撃耐えてみせた虫を殺すことにした。
「──、」
龍の前肢が地を踏むと、ずん、と地鳴りが人間の脚から背骨へ伝わる。
巨獣は未だ立ち上がらない。
ただ丸まっていた身体を半分解き、前足を地面についただけ。人間で言えば、ベッドの上で上体を起こした程度のものだ。
全く以て本気ではないが、しかし──寝転がったまま顔だけ向けていた先刻とは、全く違う状況でもある。
龍をよく知る人間は殆どいない。
しかし──“人類”は、龍を知っている。
何十万年もの昔から、彼らは災害として側に在った。
人類が森や洞窟の中で生きていた時から。平地へと歩を進め、山岳へ、峡谷へと見地を広め、やがては家を築き街を作り上げてもなお。
彼らは動くのだ。
飛び回り、気まぐれに訪れる。
洪水は川や低地を避ければいい。噴火は山から離れればいい。竜巻だけは一見して読み切れないが、十年、百年と観察を続けることで、安全な場所を探すことは出来た。
だが龍の災いからは逃げようがない。
どれほど安全に見える土地を選ぼうと、どれほど堅牢な建物を組み上げようと、どれほど剣技や魔術を鍛えようとも。
その被害が──撒き散らされた死、文明の残骸の記憶が、“人類”には刻まれている。
人体の遺伝子には、龍を恐れる機能が生存本能として刻み込まれている。
「──ッ!」
訓練はしている。戦闘の経験もある。
この場にいる誰もが、本能的な怯懦を精神力で捻じ伏せられる。それだけの能力と自信、経験があった。
それでもなお──身が竦む。視界が滲む。思考が空白と化す。
ましてや相手は王龍。1000年生きた、50メートル規模の怪物だ。
巨大生物に対する本能的恐怖と重なって、もはや抵抗のしようもない怖気が走る。
克服するには戦闘慣れではなく巨獣慣れ、或いは“龍”という特定の種に慣れる必要があるほどに特徴的な──ある種の絶対性といえる恐怖感。
空を飛んでいた二人が、力尽きたかのようにふらふらと落ちていく。
聖痕者は身を守ることを忘れ、守るべき相手のことを忘れ、殺気に遅れてやってきた殺意の具現、適当さを無くした正真正銘の攻撃に飲まれて消し炭になる。
庇護を失ったフィリップも、イライザも、早々にその後を追った。