なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「ターゲットピストルのテスト射程は100メートル。でも多分、もっと早く、あいつは僕の臭いを嫌って本気になる。最悪飛ぶね」
飛ばれたらどうしようという話を予め詰めていないのは、フィリップが間抜けだからではない。
飛ばれた時点で人間サイドの対抗手段が『明けの明星』と他数種類の神域級魔術しか無くなるから、もうどうしようもないのだ。
どうしようもない──「どうしよう?」なんて考えるほどの選択肢がない。
戦術と言えるほど複雑な手札はなく、戦況と言えるほど複雑な展開にならない。
人間に出来るのは一つ覚えのように「頼むから効いてくれ」程度の期待値しかない魔術を空に向けて撃ち続けることだけ。
空の覇者は下等生物の奮闘を悠々と見下ろし、退屈に溜息を吐けば終幕だ。
地上への攻撃なら──交戦距離の決定権がお互いにある地対地戦なら、そこまで一方的なことにはならない。逃げる余地もある。
というか、龍が人間相手に飛ぶほど本気になると、逃げる余地がない。
幸いにして、王龍が聖痕者と勇者の連合如きで本気になることは無いようだが──脅威と見做される域に無いことを、幸いにしてと言っていいのかは微妙なところだけれど。
「あいつは今のところ、五月蠅い虫より臭い虫の方がお気に召さないらしい。もうちょっと回り込んで、あいつがルキアたちに集中するか、飛行チームが気を引いてから、こっそり素早く近づこう」
寝そべることを止めた王龍は四つの脚で立ち上がり、真っ直ぐにフィリップを見ている。翼は威嚇するように広げられているが、飛び立つ気配はない。
これ以上近付くなら殺すぞ、という威嚇に見える。
いや勿論、王龍が人間相手に威嚇などするわけがないけれども──外神の気配に対してなら、或いは。
「確かに、横からだと視界に入ってしまいますものね。……ですが、“臭い”なら背後に居たとしても察知されてしまうのでは?」
「いや厳密には臭気じゃなくて……。まあそれはともかく、意識がこっちに向くなら、火力要員がちゃんと機能するようになるでしょ?」
でしょ? と言われても、基本戦形が白兵戦型のアンテノーラに、魔術砲撃戦の駆け引きは分からない。
しかし問われた以上は何かしら返さなければならないので、思い浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「……警戒されているようですが、上手くいくでしょうか?」
「さあね。でも、目の前で剣を振り上げてる人間と、外神の気配を漂わせる羽虫なら、僕なら後者が怖い。絶対に目を離さないし、迂闊に手を出しもしない」
僕ならというか、
より正確には、多少なりとも智慧があるなら、か。
外神がどういうものかを僅かばかりでも知っているのなら、最低限「強大で恐ろしいものだ」とだけでも知っていれば、そんな得体の知れないものは恐ろしくて堪らないはずだ。
そして、羽虫が凄い勢いで自分の方に飛んで来たら、たぶんキュウリを見つけた猫のように飛び上がって払い除けるだろう。
たぶん。
外神に対する恐怖が微塵もないフィリップの、客観的な予想だが。
まあ人間なんて、結局は他人を理解した気になったところで、それは所詮想像や推測でしかなく──なんて益体のない方向に流れそうになった思考を押し留めて、フィリップはもう一度空を仰いだ。
今度は魔術信号弾を探してのことではない。
「イライザ! 予定変更だ! 君のタイミングで聖剣を撃て!」
上空に見える丸っこいシルエット──三対の翼によって人体の輪郭ではない──に向けて叫ぶと、逆光に隠れたそれは少し大きさを増した。高度が下がったのだ。
どうやら声が完全に聞き取れなかったようで、「すみません、もう一度お願いします!」と、こちらも曖昧に霞んだ声が降ってくる。
フィリップが繰り返すと今度は上手く伝わったようで、人影は手にした剣を掲げた。
「本番はこれもどうにかしないとねえ。完全に意思疎通無しで連携できる練度までは相当に遠いし」
「“音”にお命じになるのがよろしいかと」
「……一案として覚えておくよ」
それはない、と断言できないのが微妙に悲しい。
それに、戦闘中は普段よりちょっと遠くまで声が届くようになったとしても、フィリップが目くじらを立てるほど大きな介入とは言えない。
戦闘時の興奮で神経が過敏になったのだろうとか、偶々風向きが良かったのだろうとか、いくらでも言い訳が利くというのもある。
そんなことを考えていると、上空で影が動く。
イライザが龍を聖剣の射程内に入れるべく、距離を詰め始めたのだ。
突風によるブーストはなく、自前の翼でえっちらおっちら飛んでいるから、瞬時に距離を詰め……とはいえない速度だが、龍の意識は完全にフィリップへ向いている。
このまま妨害が無ければ、一分とせず聖剣を撃つことになりそうだ。
それはいい。
しかしそうなると、目下最も期待値が低く、故に最初に試すべきターゲットピストルを試す機会が失われるかもしれない。
500メートル離れたここから撃っても、まあ弾丸が当たりはするかもしれないが、最高の威力は出ない。テストにはならない。
かといってこれ以上近付けば、あの意外と目敏い龍は外神の気配に反応し、フィリップを叩き潰すことにするだろう。
聖剣が効かない場合は……まあテストは出来るかもしれないが、あまり嬉しくはない。
率直に言って、ヴォイドキャリアは嫌いだ。撃ったら眩暈はするわ吐き気はするわで立っているのもやっとで、殆ど力が出せないのを“歌”で誤魔化して戦い続けるのもかったるいのだから。
「効きますように」
くす、と可笑しそうな吐息を背後に聞きながら、幾筋もの流星を従えて突撃するイライザを見守る。
王龍はちらと視線を向けたのち、鬱陶しそうな唸り声を上げてフィリップから顔を背けた。
どうやら能力を解き放った聖剣は、王龍にとっても得体の知れない羽虫よりは警戒に値するらしい。
再び百以上の火球が展開される。
近くで見ると──と言っても500メートルは離れているが──避けようという気にならないサイズだ。波のように押し寄せる大量の火球は、その一つ一つが大きめの家一棟くらいある。
六翼の羽虫を焼却せんと撃ち出されたのは、火球の弾幕ではなく炎の波だ。
触れるまでもなく肌を焼くような高温の空気が、物理的な圧力すら伴って薙ぎ払わんと迫る。
しかし紅蓮の壁は、自ずから避けるようにして道を開けた。避けるようにというか、裂けるようにというか。
海を割った聖人の逸話の如く、左右にぱっかりと控える。
その道を、イライザは颯爽と飛び抜けて──消えた。
どう見ても聖痕者の誰かが切り拓いた道の途中で、じゅっと小さな音だけを残して蒸発した。
道を作ったのが誰の魔術かは、フィリップには分からない。誰のミスなのかも。
いや、ミス──ではない。
誰がイライザの道を作ったのかは関係がない。
道はきちんと作られて、通行人の保護も完璧だった。
ただ──王龍の攻撃が見えなかっただけだ。
炎の壁は魔術によるもの。濃密無比な龍の魔力による壁。聖痕者の魔術感覚を以てしても見通せない、目を焼くほどに眩いスクリーンとなっていた。
王龍の攻撃は、その陰に隠れていた。
人類など歯牙にもかけぬ化け物にしてみれば、不意討ちや
ただ運悪くそうなっただけ。
運悪く、龍がちょっとやる気になったことに気付けなかった。
炎の壁に開いた道から、目を刺すような光の奔流が迸るまで。
「……あっ、えっ? え、これどうするの?」
思わずと言った風情で投げられた問いに、アンテノーラは小さく肩を竦める。
戦術的にどうすべきかと言えば、視界の端に打ち上がった赤い魔術信号弾に従い、即座に踵を返して撤退すべきだ。
フィリップもそれは分かっているようで、付与された下級吸血鬼相当の脚力を活かして飛ぶようにクレーターを駆け上がる。
背後からの追撃はない。
王龍の顔は再びフィリップたちの方に向いていたが、離れていく臭い虫を態々追いかけて殺す習性は、1000年生きた最上位のドラゴンには無いようだ。
ちらちらと様子を窺うが、ルキアたちも問題なく後退出来ている。あちらにも追撃はない。
ややあって、一行はクレーターの外で合流出来た。
王龍は身体を丸めて眠っており、飛び去った害虫には、もはや微塵の興味も残していない。
しかし、ほっと一息ついている余裕はなかった。
「ど、どうするんですか、これ? 死んじゃいましたけど、勇者」
フィリップは魔術師たちと合流すると、互いの無事を喜ぶ間もなく、焦りのままにステラの腕を掴んだ。
もう一歩の手はクレーターの中心で眠る王龍──或いはイライザが蒸発した辺りを指している。
「……ヴォイドキャリアを試す。勇者の再選定がいつ行われるか、行われたとして自分から名乗り出るか──すぐに発見合流出来るかという問題もある以上、今回の魔王征伐は勇者ナシで挑むことになる可能性が高いな」
「その魔剣がある分、そこまで大きな絶望感はないけれど……手痛いわね」
流石と言うべきかステラは淡々としていたが、ヘレナは皺の寄った眉間を押さえて呻いている。
まだたった十二歳の少女を死なせたことを真剣に悔いているのは、今この場では、教師である彼女一人だけだった。
ルキアはフィリップを心配そうに見ているし、ステラとノアは残念に思いつつも「それはそれとして」次善策や今後の方針を考えている。
「勇者不在の魔王討伐なんてあり?」と、これまで読んだ児童書や過去の例のテンプレートから大きく乖離しそうな今後に動揺している所有者に、生きた楽器は何とも言えない微妙な笑みを向けていた。
自分の腕を掴んだまま、一番動揺している癖に一番他人事感の強い舐め腐ったことを言うフィリップに、ステラは物言いたげに眉根を寄せる。
しかし、今は人間性矯正をしている場合ではない。
「最終防衛ラインと思って勇者ちゃんに魔力障壁張ってたんだけど……あの感じだと一瞬の延命にもなってないね。たぶんスピード重視の攻撃だったと思うんだけど、それでも紙同然にブチ抜かれた」
「あれもブレスの一種でしょうね。普通の魔術にしては、魔力の構成があまりにも単純だったから。……魔力障壁で防ぐには、術者と同等の魔力が必要になるわ」
イライザの死に、今は大した意味はない。
いま重要なのは、その死因。延いてはその防ぎ方。
未だ目的を完遂していない以上、再戦は必要で──一度見た攻撃をもう一度喰らっているようでは、“グスタフ”より強い魔王龍サタンになど挑めない。
「ヴォイドキャリアの能力解放を確実に当てられる、というか、斬線設定が確実に出来る距離は?」
「感覚的なものなので具体的には……。でも、標的のサイズがはっきり分かるくらいがいいですね」
再び寝入った王龍は、3キロ離れたここ、クレーターの外縁から見れば指先サイズだ。目の前に剣を翳せば、その姿は簡単に隠れてしまう。
しかし実態は勿論違う。全長も翼長も50メートル、魔剣を振り抜いたとして、その爪先を斬り落とすことすら難しい規模だ。
今のフィリップが設定できる斬撃線は、人間が普通に剣を振って再現できる範囲に限られる。
射程は、その攻撃が実際の標的に対してどの程度の破壊範囲になるのかを理解できる距離だ。
つまり、相手によって変わる。
人間相手、或いは予めサイズ感を詳しく把握している標的なら──斬り慣れたモノになら、視界に入ってさえいれば可能だ。
逆に、標的が物凄く大きかったり小さかったりすると、剣を振った時にどう斬れるのかのイメージがつかず、斬撃線を上手く設定できない。
そして50メートルの巨大生物は、人間にとっては全く馴染みのないサイズだった。
「……いっそ、目に見えるまま攻撃ラインを設定してみるのはどう? 直感が邪魔してるなら別の直感で──っていうか、視覚の方が認知情報としては格上のはずだし、そっちに主眼を置けばいいじゃん」
「あー……?」
ノアの言葉に、フィリップは悩まし気に唸る。
かなり乱暴な意見ではあるが、イメージが悪さをしているのなら、もっと強固なイメージで上書きしてしまえばいいというのは、解決策としてそう間違っている気はしない。直感的には。
当然ながら、王龍はここから見える指先サイズなんかではないけれども──。
「魔力欠乏のぼんやりした状態なら、なんか行けそうな気がしますね!」