なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
彼我の距離は500メートル。
寝そべることを止めた王龍は四つの脚で立ち上がり、真っ直ぐにフィリップを見ている。翼は威嚇するように広げられているが、飛び立つ気配はない。
どうするか。いや、どうすべきか。
まず絶対に試さなければならないのは聖剣だ。
次にターゲットピストル。ヴォイドキャリアは効くという前提の下で、聖痕者の魔術も試さなくては。
しかし効きそうな順で言うと、まずヴォイドキャリアで、次は聖剣だ。
つまり、試すならまずはターゲットピストル。
フィリップはちらりと視線を上げ、上空に留まる丸っこいシルエットを確認した。
「イライザ! 僕は後ろに回り込む! あいつの注意を三方に分散させよう!」
「はい!」
空から薄く返事が降ってくるのを聞いて、フィリップは“歌”の支援を受けて駆け出した。
うっかり近づかないよう、なるべく綺麗な弧を描くように800メートル。
一分と掛からずに背後を取って、フィリップはふふ、と小さく笑った。
笑ってしまった、と言った方が正しい。
グスタフの頭蓋構造はトカゲに近く、両目は頭の左右についている。
僅かに鼻先に向いてはいるものの、空間把握や測距能力を求めた肉食動物よりは、むしろ非捕食者的な視野の広さを持っている。少なくとも外見からはそう見受けられた。
眼球自体の可動域もかなりのものだが、それでも真後ろは死角だ。
そこまでの判断は良かったが──いや、そこまでは良かったと言うのも結構微妙なところか。
フィリップが800メートル走り切った時点で、王龍はその長い首を、ふい、と僅かに右側へ向けるだけで良かった。
一歩も動かず、ちょっと首を傾げる程度の動きで、ルキアたち火力本隊と、上空の飛行隊と、走り回る遊撃隊の全てを完璧に視界内に収めてしまった。
それはいい。
それは狙い通りだ。
そうすれば、少なくとも
問題は巨龍が溜息を吐くように僅かに口を開けた後、その背にある50メートルの両翼を広げたこと。
あっという間に──フィリップが上げたのはどちらかと言えば「あー」と間延びした悩まし気な呻き声を上げたが──聖痕者たちがそれぞれ二発か三発程度の魔術を撃ち、王龍はそれらを存在格の隔絶と魔術耐性で黙殺して飛び立った。
「あぁ、まあ、うん、そうだね」
「敵が三人居るのなら三人全てを視界に入れておくべき──敵という表現は些か過剰ですけれど、その点では、私たちの誰もが一致するでしょうね」
アンテノーラはやや呆れていた。
簡単に予想できた──予想して然るべきだった。当然に。
虫が一か所に固まっているのなら踏み潰すが、部屋の中に散っていたら虫除けを焚く、みたいなことだ。
そして、フィリップたちは比較してみれば虫みたいなものだが、いつでも簡単に叩き潰せる虫として振る舞わなければならなかった。
ちょっと嫌な位置にいる、鬱陶しい動きをする虫になってはいけなかった。
「飛ばれたら終わりなんだよなあ」
聖痕者たちはフィリップやイライザを守る防壁を築いたが、魔術の展開位置が距離が遠すぎて制御が難しく、どちらも数秒で崩壊した。
必死に作り出された時間は、邪神を呼ぶには僅かに足りなかった。
◇
「イライザ! あいつの注意を三方に分散させよう! 僕は後ろに──」
王龍から500メートル、ルキアたちの防御が十分な強度を確保できる程度の展開位置で、フィリップは空を仰いで叫んだ。
イライザはふよふよと高度を下げて返事をしようとしたが、眼下でアンテノーラがフィリップの肩を叩いて何事か話すのを見て、開いた口を閉じた。
「所有者様。死角に入ってしまうと、あれは敵を視界内に収めようとして飛び上がるのでは?」
「た、確かに……!」
流石は元海棲というべきか、アンテノーラは三次元戦闘に慣れている。
ベタ足種族の頭には上下移動という選択肢が、やはり即座には浮かばない。飛ばれたら終わりだということは分かっているし念頭に置いているのに、脳は咄嗟の思考には反映してくれなかった。
ノアなら、或いは違ったかもしれないが。
「イライザ! あいつが飛ぼうとしないように! でもルキアたちに集中しすぎないように動こう! 聖剣は僕か殿下の合図を待って!」
「了解!」
硬くはあるがはっきりとした返事を聞いて、フィリップはまだまだ遠くにある巨体に視線を戻した。
一つは龍に接近しすぎること。一つはルキアたち火力本隊から離れすぎること。
どちらも魔術による防御の強度を低下させるし、魔術の種類や難度によっては展開できないこともある。
一つは、龍に飛ばれること──龍が飛ぶような行動をすること。
外神の残り香を纏うフィリップが急接近すれば、王龍とて、いやそれなりに長く生き智慧をつけた生き物だからこそ、警戒して距離を取るだろう。
飛行というと人間には大層なことに聞こえるが、龍のような翼ある生物には歩行と然して変わらないだろうし。
いや厳密には飛翔それ自体ではなく、それほどに龍が本気になることが不味いのだが、一先ずイコールとして。
あとは勿論、ブレス。
これに関しては、フィリップ個人の立ち回りでどうにか出来るものではない。
聖痕者をして、腕の一振りで防げるような生温い攻撃ではないのだから。
撃たれる前に彼女たちの防御なり誘導なりが成功しなければ、即、死だ。
威力からすると、間に合わせの防御ではほんの一秒程度、死を先延ばしにするだけ。
魔力を込めた吐息に予備動作は無いに等しいが、それでも魔力が動かないわけではない。
その予兆を見て瞬時に高位の防御魔術を組み上げ、離れた位置にいるフィリップに、王龍の魔術耐性や魔力の中で成立させる必要があるが──まあ、どうにかなるだろう。
というかフィリップが心配したって意味はない。
魔術適性皆無のベタ足剣士は、地面をトコトコ、おっかなびっくり歩いて近寄っていくだけだ。
目標地点はヴォイドキャリアを確実に発動できる──標的のサイズ感を正確に把握して斬線を的確に設定できる、王龍から100メートルかその辺り。同じ距離で、まずはターゲットピストルも試したい。
「ここで待機して、本隊が距離を詰めるのを待ってから前進するのはどう?」
「聖痕者と貴方様の圧力のバランスを取りながら包囲を狭めるのは、まあ、
アンテノーラは上品な微笑を浮かべる。
その時に浮かべる笑みは多分、もっと獰猛でサディスティックなものだろうけれど。
まあ実際、戦力差はそんな感じだ。
小魚とシャチ。それも補助魔術で身体能力を底上げ出来たり、五指という精密なマニピュレータを持っていたりと、単なる水棲哺乳類とは一線を画した性能の人魚。
王龍と人間の戦力差は判然としないほどに大きいが、アンテノーラの喩えを下回ることは無いだろう。
「じゃあどうする?」
問われて、アンテノーラは静かに考え込んだ。
ぱっと思い浮かぶのは「“お荷物”を全員退避させて、適当な神格を呼びつけてぶつける」というものだが、フィリップの第一目標は「何が何でも王龍を殺す」ではない。
罷り間違って口にすれば、返ってくる台詞は「カノンみたいなこと言うな」とかだろう。
流石にそれは、音楽機能以外の部分に関しては褒められようが貶されようが割とどうでもいい彼女をして、かなりの屈辱だと思った。
とはいえ、王龍相手に出来ることはたかが知れている。人間でも、人魚でもだ。
「不快感からとはいえ警戒されているところを100メートルまで近づく」とか、「気紛れに放たれるブレスから生き延びる」というのは、その「たかが」の範疇にはない。
精々「高空を飛んでいるところを見上げる」とか、「気紛れを起こさないよう祈る」辺りが精々だ。
「風属性か水属性の聖痕者を前面に出して気を引かせ、その隙に距離を詰めるのは如何でしょう?」
「最悪死んだところで構わないから? うーん……それはなんか、良くない案な気がする。人間性とか善性的な観点から」
いや贅沢言ってる場合かと言われると、確かにそんな余裕はないけれども。
「戦術的な話をするのであれば、火力はなくとも機動力が同等なら、或いは機動力が無くとも火力が十分なら、陽動として十分に機能するはずですが」
「そうなの? いやでも、龍の気を引けるほどの空戦能力は、多分ないでしょ?」
イライザとヘレナは飛行が可能だが、前者に大したスピードは無く、後者は魔術依存のため龍に近付くと魔力や耐性の影響で制御が乱れる。
つまりどちらも、空中戦に堪えるほどの飛行能力ではないのだ。少なくとも龍が相手では。
「聖痕者の支援を受けた勇者の速度は中々のものですが、まあ、龍の魔術耐性下で持続するものではないでしょうし……火力の方も、存在格を落とすまでは期待できませんわね」
フィリップの推測を裏付けるように、アンテノーラも淡々と肯定する。
「じゃあどうするのがいいかな?」と重ねて問うと、なんだか生温い視線と、控えめながら呆れたような溜息が返ってきた。
「所有者様、これは陸でも変わらない法則だと思うのですが……自分より体躯の大きな生き物に、無闇に挑むべきではありませんわ」
うっ、とフィリップは小さく唸った。
人間より大きな魔物はザラにいるし、まだ13歳のフィリップは大人と比べて体格に劣る。しかし魔物も大人も──主にカルトを──何十と殺している。剣で殺した数だけで、だ。
相手がデカかろうが重かろうが、急所を数センチ斬り込めば血を噴き出して死ぬ。
人間も含めて大抵の生物がそういう構造である以上、大きさで挑む相手を選ぶなんてナンセンスだが──大きい方が強いというのは自然の摂理だ。
身体が大きいということは、リーチが長く、体重もあり、筋肉の出力も高いということ。
しかも今回に関しては、サイズ比はほぼ1:50。たぶんヴォイドキャリアをそのまま直撃させても、鱗と筋肉の下にある動脈や重要臓器まで届かない規模だ。
「挑む前に思い出させて欲しかったね」
「今はまだ十分に引き返せる距離かと存じますが」
アンテノーラはさも当然のように、当然
それはそうだ。
まだ何も試せてはいないが、まだ誰も死んでいないうちに撤退するのは、弱腰でも安全な策。
しかし、ステラは「無理だ」と思えば躊躇なく選べるはずのそれを、まだ選んでいない。
我らが司令塔は、「まだいける」と考えている。だったら、フィリップは他の面々と同じく、それに従うまでだ。
だからここで背を向けはしないが──しかし巨体を睨め付けていたって、何か進展があるわけでも無い。
龍に関して何か思い当たるものはと思考を巡らせ、ふと思いついたのは、微妙に逸れたことだった。
「……吸血鬼の始祖って、王龍を殺したんだよね?」
「そう伝わっていますわね。ウィルヘルミナの血や魔力からすると、出任せではなさそうですけれど」
「どうやったんだろう? 実は人間じゃなかった……ってことはないか。同族喰らいの呪詛が人間を食うって形だから」
いやまあ仮にエルフや人魚だったとしても、だからどうしたという話ではあるけれど。
人間とエルフや人魚の間には相当な能力差があるが、それでも王龍は隔絶している。人間を踏み潰すのもエルフを踏み潰すのも、高みから見れば大差ないことだ。
うっかりすると簡単に「高み」サイドに振れそうになる思考を制御しながら、フィリップはヒントを求めて思考を回す。
「ウィルヘルミナのようなハーフブラッドで普通ではない力があった、ヴォイドキャリアのような特殊な武器があった、所有者様のように強力な手駒や助力を持っていた、王龍自体が弱っていた……色々考えられますわね。あまり手掛かりにはならないかと」
「だねえ。殺すだけなら……いや、もうこの際仕方ないね。銃のテストは諦めよう」
怪訝そうな目を向けてくるアンテノーラに、フィリップは肩を竦めてみせた。
仕方ない。どうしようもないのだ。
100メートルに拘る限り、生存率はゼロになる。たぶん。
まだ試してもいないから「嫌な予感がする」程度の、ステラに話したら「馬鹿なこと言っていないで走れ」と言われてしまいそうな──いや案外「他人のはともかくお前の直感にはそれこそ「嫌な予感」がする。それに従え」とか言われそうな気もするけれど──とにかく、なんの確実性も無いものだ。
恐怖、或いは怯懦にも似た忌避感──まだそんなものがあったのかと我が事ながら驚いてしまうが。
「銃というか、銃弾だけどね」
ターゲットピストル自体は、実のところ、割とどうでもいいのだ。
ライフリング、後装システム、大口径先鋭弾、特殊炸薬──この辺りも全て、どうでもいい。
重要なのは、龍骸でコーティングし火薬で撃ち出した飛翔体は、存在格差による干渉無効化を貫通できるのかという点にある。
人間の魔力では無理でも、龍の魔力を内包する物体なら。
それを火薬の燃焼ガスという非人力のエネルギーで投射すれば。
それは、「人間から王龍への干渉」と見做されるのか。
そして与えるダメージは、果たして存在格を落とすに至る──「人間が龍を傷つけた」と言えるものになるのか。
聖剣は勿論だが、銃の方もかなり重要なテストであることは間違いない。
ステラか、フレデリカか、誰か頭のいい人の意見を聞きたいところだが、そうはいかない以上、後から怒られる覚悟で自己判断だ。
──どちらも捨てる。
「行ける所まで全力で走って、あの翼を刎ね飛ばす」