なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
日はとうに沈み、しかし街の明かりは未だ盛んな時刻。
家族の外食や仕事終わりの一杯で賑わう大通りは、平和な喧騒に満ちている。
口笛など吹きながらその中を一人歩くフィリップは、背後の追跡に気付いていなかった。
非武装の少年を狙った悪漢──ではない。
夕食を思案するような何食わぬ顔で、しかしフィリップの視界に入らない位置とタイミングを見計らって尾けているのは、町人風の恰好に偽装したヘレナだった。
街の教会に入ったかと思えば神官を伴って出てきたフィリップは、そのまま町の門を出ていく。
人気のない夜の街道を徒歩で、対象にバレずに追跡するほどの技量を持たないヘレナは、少し待ってから空路を使うことにした。
二人の背中が夜闇に紛れて消えるほどに遠ざかったのを確かめ、風を纏って飛び上がる。
しかし、靴底は地面から数センチしか浮かばなかった。
そこが限界だ。
魔力を込めれば込めた分だけ、揚力を高めれば高めた分だけ、地面に吸い寄せる力が強くなる。
魔術がイメージ通りに働いていないことを認識してから二秒とかからずに、彼女はその原因を割り出した。
「……流石に、本気で隠れられると見つけられないわね」
大通りのど真ん中。
道行く町人たちの不審そうな視線に気後れしつつ言葉を投げると、夜の影から滲むように、二つの人影が現れた。
片や月の光を宿したように輝く銀の髪。
絹糸のようなそれを手櫛で梳きながら、不機嫌を隠さず剣呑な視線を向ける少女。
片や月に光を与えるかのような金の髪。
緩いウェーブを夜風に遊ばせながら、疲れたような溜息を零す少女。
「別に、貴女が巻き込まれて
「……かなり詭弁じゃないか? 無論望んで巻き込みはしないだろうが、巻き込んで悲しむかどうかは微妙なところだ」
ルキアとステラ。
二人は揃って面倒臭そうに、しかし明確に、ヘレナの追跡を止める意思を見せていた。
尾行は恐らく、ヘレナがフィリップを追って宿を出た時点からだ。
「貴女たち……」
押し通るという選択肢は──二人はフィリップの背を遮る位置には居ないので正確には「振り切る」だが──ない。
仲間同士で殺し合うようなことにはならないにしても、二対一で勝ち目はないのだから。
無抵抗を示すように飛翔魔術を停止すると、身体に纏わりついていたルキアの魔力も消える。
ちょっとした解放感を感じながら、ヘレナは作戦を切り替えることにした。
「……二人とも、あの子の召喚物がどんなものか知っているのよね? 確か、炎の精……だったかしら? 使うのはヴィカリウス・システムの方かもしれないけれど……あの王龍に対抗できるほどなのね」
自分の目で確かめられないのなら、知っている相手に聞けばいいのだと。
勿論、追跡を阻止してまで現場に行かせなかった理由は、巻き込み事故のリスクを避けるためばかりではないだろうけれど──余人には見せられない、教えられない理由があるのだろうけれど。
そしてそれは間違いなく、教皇庁に由来するものだ。
神官を伴って行ったのだから間違いないと、ヘレナは強く確信していた。
フィリップ、延いては教皇庁は、あの王龍に抗し得ると目される手札を持っていて、その実証に向かったのだ──と。
「教皇庁は、どうしてあの子にそれほど危険な魔術を教えたの? いえ……奴らは、魔王真体の存在と正体を知っていたのね? そしてそれにぶつけるために──そこで使い捨てるために教育を施した」
おっとこれは面倒臭いぞ、とステラの顔が翳る。
一瞬遅れでルキアも同じく。
二人は顔を見合わせ、溜息を呑み込んだ。
「貴女たちが彼と特別仲が良くて、色々と秘密を共有していることは知っているわ。それを全て教えろとは言わない。けれど彼の事情を少しでも知っておけば、私も何か力になれるかもしれない」
畳みかけるヘレナだが、反応は芳しくない。というか、二人はヘレナを見てすらいない。
ルキアはステラを、ステラはルキアを見遣り、鏡合わせのような表情を作った。
「……」
「……」
どうする?
どうしよう。
交わされた視線が無言の裡に伝えた遣り取りは少ない。
しかし、人生二周目の教師に与えた情報は多かった。
「……魔王に挑む仲間同士、秘密や、不確定要素は抱えない方がいいわ」
優しく言い聞かせるような声音にも、どこか疑わしげな眼差しにも、二人は微塵も揺らがなかった。
もう学院を卒業したとはいえ“先生”に言われたら「そうなのかな」と思ってしまう──そんな可愛げはない。
それに、どう考えても言わない方がいいことだし、知らない方がいいことだ。
「……あまり、確たる証拠も無しに口にしていい推論ではないと思うが」
「教皇庁のやりそうなことよ。連中は神ではなく、一神教に忠実な組織だもの」
教師らしからぬ吐き捨てるような口ぶりに、しかし、ルキアもステラも動揺を見せない。
そんなことより、だ。
そんなことよりも、彼女をどうやって納得させるかが目下の課題だった。
まず第一に──教皇庁が完全なる濡れ衣とは
むしろ調べれば調べた分だけ、フィリップと彼らを繋げる情報が出てくるだろう。
今は投石教会の二人だけだが、教皇領のある聖国王との繋がりまで知られると、疑いはもっと濃いものになる。
教皇庁と彼らが全くの無関係ならいいが、教皇庁からの正式な任命で王都の教会に赴任している正規の司祭だし、ナイ神父は聞くところによれば『使徒』の部隊長だとか。
ルキアたちからすると「教皇庁がいいように使われているのだろうな」という諦め混じりの納得しかないが、他の人間が、まさか教皇庁の意思が一ミリも介在していないとか、或いは教皇庁が掌握されているなんて考えを巡らせられるとは思えない。
というか、そんなことを言い出す奴がいたら胡散臭い陰謀論者と見做して距離を置く。
もしくはフィリップに「
「⋯⋯魔王真体の情報は、教皇庁ではなくウィルヘルミナから齎されたものだろう。それにあいつは一度ならず二度も、"使徒"に狙われていた」
「彼女から得られなければ、教皇庁が開示するつもりだったんでしょう。それに狙われたのだって、一度目はレオンハルト侯爵の巻き添え、二度目は“冒涜者”の嫌疑があってのこと。魔王陣営に属する吸血鬼や人魚のこともあるし、教皇庁の言うように“試練”だった可能性も──いいえ、それを建前とした、奴らの“試験”だった可能性だってゼロではないわ」
ステラに対する反論は素早く、的確だった。
裏事情を知らなければ、というか、知っていても「まあ筋は通っているな」と思ってしまう。
ただ筋が通っているだけなのが問題なのだが。
「⋯⋯まあ、事がすべて終わってから、満足いくまで調べればいいでしょう。本当に教皇庁が魔王の情報を伏せていて、本当にフィリップを使い捨てるつもりだったのなら、その時は教皇庁の関係者を全員殺し、教会という教会に神罰術式を降らせればいいだけよ」
「……そこまでは言わないけど」
一神教を解体する気かコイツ、とドン引きするヘレナ。
彼女の中のルキア像によれば、まず間違いなく実行される上に成功するのが恐ろしい。そうなった時に止めるのは自分とステラだろうという確信まであった。
自分以上の激情に触れると落ち着くというのは正しいようで、じわりと汗が滲むような殺意を垣間見せたルキアから、ヘレナは静かに目を逸らした。
「ま、まあ、詳しく調べるのは魔王戦役が終わった後になるわね。それじゃあ、ええと、二人はここでカーター君を待つのかしら?」
空気を切り替えようとしたのか、ヘレナは心なしか早口に言う。
焦りからか単なる冗談なのかは知らないが、冗談ということにして、ステラは「往来のど真ん中で待つわけないだろう」と笑おうとした。
なんせ真冬の北方、それも夜である。
天候に恵まれ雪こそ見えないものの、外気温は余裕の零下。いつ戻るか分からない、というか、どうやって戻ってくるかも定かではない相手を待ち続けたい環境ではない。
行くときは街の門から普通に徒歩で出て行ったが、帰りはいきなり宿の部屋に現れるとか、空を飛んで帰って来るとか、もはや街には戻らず王都へ直接向かうとか、とにかく出た場所から戻らない可能性は多分にあった。
が、しかし。
「私はそのつもりよ。神官様にご挨拶もしたいし」
ルキアはなんてことないように頷く。
眉を顰めるステラは「こいつのこういうところは本当に合わない」という辟易を溜息に変えて吐き出した。
「この寒空の下か? 些かカルティックな気もするが」
「……やっぱり部屋で待つことにするわ」
前言は神妙に撤回された。
カルト的だという指摘に嫌悪感を見せるという、あまりにも“普通”過ぎる振る舞いに、ヘレナはむしろ驚きつつもニッコリと笑う。
美意識や自尊心の高さが目に付くけれど、なんだかんだ友達の言葉と基本的な道徳には従うのだな、なんて思いつつ──勘違いしつつ。
「なら早く戻ろう、寒い」
「そうね。それで、貴女はどうするの? まだ追うつもりなら、どこぞの吸血鬼ではないけれど、もう面倒だから、明日の朝まで無重力の檻に沈めるわ」
二人の目の届かないところで追跡を続けることは、確かに出来る。
しかしそんなつもりは──やったが最後、二人が本気で怒るだろうと分かった今となっては──ないヘレナとしては、要らぬ疑いだった。あらぬ疑い、と言いきれないのは悲しいところだが。
ともかく、ヘレナは大真面目な顔で両手を挙げてみせる。
魔術師に空の手を見せる意味など無いし、非武装だろうと戦闘能力には一片の陰りもないのが強みではあるけれども、意味が広く定着しているボディランゲージだ。
「分かったわ、降参。バランス感覚には自信があるけれど、それでも物凄く酔うのよ、あれ」
「なら、もうベッドに入ることね。明日の朝日を吐瀉物塗れで拝みたくなければ」
外気温より冷たい声で言って、ルキアは厳粛に大通りを、宿のある方角を示す。
私も「友達」の範疇に入れて欲しいわ、とヘレナはしょんぼりと肩を落としつつ、重い足取りで宿へと戻っていった。
その背が宿への道に消えていくのを見届けることなく、ルキアは通りの一角にある酒場に目を移す。
大衆向けではあるもののこじんまりとした店構えで、一人客かペア・カップル向けと言った風情だ。
暖炉が明るく燃えているのが見えるし、張り出された看板にはホットシードルやグリューワインの宣伝がある。人を待つには向いていそうだが、ルキアにそこに入る意思は無かった。
「さて……いい加減に面倒臭いから、貴女は夜明けまで逆さ吊りにするわね」
「ぶっ!?」
店の陰からボトル片手に事の成り行きを見守っていたノアは、口に含んでいた酒を噴き出した。